EP.22『崇高な目的のためならば』
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翌日。いつもの賑やかな港町の夜とは無縁になった港の一角。月明かりと倉庫の中を照らす篝火が、邪悪な人間の重たく落ち着いた顔を映す。
「今日を待ち侘びたよ。今どき和平交渉という下らない手段で、他国との連携を取りたいなどと愚かな皇帝もいたものだ。若いからか、現実が見えていない」
アイデンは第五親衛隊の隊長となる以前から、皇国の在り方に疑問を抱いていた。その全てを覆そうとして魔物を操る技術の研究が完成するのを待ちながら、タデウスの目指す皇国の威厳を手にする日を願った。
「皇国は正しく強くあるべきだ。和平などという言葉に誤魔化されるほど、北の帝国も西の共和国も生易しくはない。牙を研ぎ続ける獣に過ぎん。だが魔物を操る技術が完成されれば、もはや恐れるものなど何もない」
歪な輝きに彩られた瞳が、傍に居る人質に向かう。
「そう思わないか、アダムスカ?」
「思いません」
ぴしゃりと返されて、アイデンはけらけらと笑った。普段の大人しさと凶暴さの同居するような性格とは逆の純粋な表情が、そこにはあった。
「理解せよとは言うまい。私もここまでの事をやってきた。何かを成すために悪行を重ねるのは心理的な意味合いでは正しいとは言えない。ゆえに、私は自身の罪を理解している。人々の犠牲は痛ましく思っているとも」
「ではなぜ、フォードベリーの皆を殺したんです?」
ぎり、とアダムスカが強く歯を鳴らす。
「オールドサリックスの人たちも、なんの罪もない、ただ普通に暮らしていただけの人たちです。それをあんたは、あんたたちは殺したんでしょう」
憎悪ともとれる敵意に、アイデンはニヤッとして冷たい眼差しで言った。
「だが犠牲は必要なものだろう。これまで多くの分野が人々の犠牲の上に成り立ってきた。であれば、多少は目を瞑る他ない。特に邪魔をしようとするのなら、なおさらに放ってはおけまい。第三騎士団の連中の正義ぶった振る舞いはな」
腰に提げていた懐中時計を開き、針が時間を刻むのを虚ろに眺める。刻一刻と迫る約束の時間が、勝利を知らせるまでの時間が、ゆっくり距離を縮めていく。
「もうそろそろだな。アダムスカ、お前の友人は来てくれるかね?」
「……来ますよ。あの人はあんたとは違う、優しい人だから」
「ふ……あっはっは、そうか! それは素晴らしい友情だ、反吐が出る!」
腰から引き抜いたサーベルがアダムスカの潰れた左目を覆う眼帯を斬った。はらっ、と落ちて、深い傷跡の残る閉じたままの目をアイデンが嘲った。
「その優しさとやらが、お前を何度命の危機に晒したのだ?」
「下らない。アタシが怖がるとでも」
瞳は気高く、屈しない強さに輝く。たとえ首を落とされても変わらない。絶望を寄せ付けない希望の瞳だ。
「……腹の立つ小娘だ」
サーベルを握りしめる手に力が籠り、眉間が不快感にぎゅっと締まった。
「ならばここで夫人の首から先に落としてやろうか?」
「出来ませんよ、あんたには」
わざとらしくカロールにサーベルを向けて怯えさせるも、アダムスカはぴくりともしない。アイデンも、これ以上は意味がないとサーベルを収めた。
「まあ、賢いのは嫌いじゃない。夫人は十分に仕える駒だ。この女がいれば、マウリシオはどんな要求も呑む都合の良い操り人形だからな」
ちょうど、そこへ部下の一人が駆け寄って来て、耳打ちする。
「……よかろう。ではそこで待っているがいい。お前の大切な友人の首も、そのうち届けてやる。絶望も生きていればこそだ、楽しみにしていろ」
気高い人間が崩れる様を頭の中に思い描き、アイデンは歪で恍惚を醸す笑みを浮かべる。これから始まるのは、求め続けてきた未来への第一歩。皇帝の牙を引き抜くに値する最初の仕事なのだと思うと、彼はたまらなく興奮した。
倉庫の外で待つ獲物を狩るために全力を尽くす。これまでずっと親衛隊内でも煩わしく思っていた、最も面倒な相手。公女の側近であるアライナとエボニーを始末する絶好の機会は逃せない。
倉庫の外へ出れば夜風に迎えられる。目の前にやってきた騎士を見て、勝利の確信を抱く。今日は最高の夜になりそうだ、と。
「こうして面と向かってまともに話し合うのは、どれくらいぶりかね?」
「知らないわよ。アタシ、あんたの事嫌いだもの」
時間どおりにアライナがやってきた。アイデンは懐中時計を改めて確認し、時計の針が夜の九時を指す瞬間を感動的なものだと喜んだ。
一方で状況のおかしさに不満も感じた。
「エボニーがいないな」
「ちょっと事情が変わったのよ。それをあんたに伝えに」
アライナにバチッとウィンクをされて、アイデンが害虫を見つけたときのように、不快そうに目を細めて口端を小さくヒクつかせた。
「……いいだろう。聞く耳は多少ある、言ってみろ」
不穏な空気にアイデンは強い警戒心を抱く。もし僅かでも納得できなければ、即座に人質から命を奪う。アライナはその後だ。
だが、告げられた言葉は、予想だにしていなかったものだ。
「ええ、実はね。────あんたの大っ嫌いな第六親衛隊が動いてるわ」