EP.18『敗北の痛み』
狭い場所を選んだアイデンは、およそ正しい。だが相手を間違えている。
もちろん、油断はない。第五親衛隊を引き連れて自身も出陣してなお、剣の腕では明らかに抜きんでた全親衛隊でも指折りの実力者。それが二人もいるとなれば、万全に万全を期しても、まだ足りない。
「……これは何が起きている?」
目の前の光景が信じられなかった。戦術まで練って対策も講じてきた。戦闘に特化したオーラ使いは総じて皆が、その身体性能に頼った大振りな戦い方を好む。アイデンも何度も目にしてきた。
ああ、そう、だからありえない。ありえるはずがない。大胆であり繊細。針の孔に糸を通すような慎重さで動き、しかし確実に隙を穿つときにはわざと力任せに、相手の防御を徹底的に崩す戦い方をする。
「……ちっ、こんな予定ではなかったのに。役立たず共めが」
ついにアイデン自身が動き出す。剣戟に靴音を紛れさせ、静かに接近。使えない部下など踏み台にしてしまえばいい。荒れ狂う獅子の如く暴れ回るニコールとアダムスカを止めるためなら、使い道のある道具として利用してやればいい。
「来ますよ、ニコール!」
「わかってる、私が相手をしよう!」
同じ親衛隊だ。親善試合として手合わせした事もある。互いにある程度は手の内を理解している以上、小細工的な戦いはできない。真正面からの打ち合いに、ニコールもアイデンも牽制が手一杯だ。
「相変わらず、君の剣筋はまっすぐだ。だが、それゆえに躱せない。無駄がなく美しい。こちら側の人間であれば私が大事に扱ってやったのに」
性根から腐りきっている歪んだ人間性を垣間見ると、ニコールは眉間にしわを寄せて、心の底からアイデンを軽蔑する。
「悪いがお断りだ! あなたと組むなんて反吐が出る!」
「ふっ、らしくない言葉遣いだな。焦っているのか?」
ニコールたちが決死で守るカロールは、今やアダムスカだけが頼りだ。狭い通路がゆえに敵が多いとは言っても、同時に戦うべき人数は決まってくる。なんとか時間稼ぎをしている姿は、アイデンには滑稽に映った。
「焦りなどあるものか。私はアダムを信用している!」
剣を打ち払い、一歩引く。横薙ぎの構えを取って石畳を蹴った。これが単純な人間の戦い方だとアイデンはほくそ笑む。単調な動きに付き合い、自分がそうするしかないように戦ったのは見せかけ。仕掛けた罠だ。
瞬間、その企みをニコールは見抜いたが、既に体は動いた後。何か仕掛けてくると警戒しながらも剣を振るう事を選ぶ。
だが、罠は残酷で、非人道的なものだった。わざとらしく警戒させ、自分に注目を寄せた。その結果、ニコールは横から飛び込んできた親衛隊員が自らの体を盾に使ってアイデンを守るという信じられない行動に邪魔される。
「なっ……!? 自分から飛び込んで……!」
いかにオーラ使いといえども、熟練の戦士を相手に一方的な勝利はあり得ない。能力的には抜きんでていたとしても、思考の速さだけは変わらない。僅かな油断が生まれた瞬間に親衛隊員は痛みに耐えながらもニコールの腕を掴んで放そうとしなかった。自らを盾であり、罠として使った。
狂信か、あるいは盲信か。アイデンという歪んだ男の指導は、自らの命さえも軽視させるものだった。それがニコールの想定を上回り────隊員の背中から突き立てられた刃が腹へと抜け、ニコールにも突き刺さった。
腹部を突き抜ける鋭い痛みは一瞬の冷たさを帯び、理解と同時に熱へ変わる。どろりとした鮮血が服に滲み、瞬く間に冷や汗が噴き出す。
「戦いは常に生き残れば勝者であり、勝者が正義なのだ。曖昧模糊とした〝こうあるべき〟などという下らない感性に引きずられたお前に勝ち目などない」
「その口で……正しさを語るな……!」
膝から崩れ、全身に警鐘を打ち鳴らす痛みに苦しむ。今日ばかりはオーラ使いである事に礼を言いたいと思うほどに生きている事に感謝した。
しかし余裕はない。ぼたぼたと零れた血が溜まっていく。これはマズいと思う出血量に、アイデンへの態度は崩さずとも、胸の内をうねる気分の悪さは隠しきれない。死ぬかもしれないという不安が押し寄せた。
「────ニコール!」
状況に気付いたアダムスカが、これまで親衛隊員を殺さず制圧していたのもやめるほどに焦り、オーラを全開で蹴散らしてカロールの手を引き、ニコールの傍へ駆けつけた。血の気が引いて青ざめる顔が気丈にも笑みを浮かべて「だ、大丈夫だ……」と弱弱しく言う姿に、アダムは冷静さを失う。
「貴様、よくも……!」
「ニコールの番犬か。飼い主に似て威勢が良い」
「アタシに舐めた口聞くんじゃねえよ……!」
剣の柄が、鉄で出来ているにも関わらず折れるのではないかと思うほど強く握りしめるアダムスカ。カロールが、その姿にびくっとする。怒髪天を衝くといった状態のアダムスカは、それでも冷静さをまだ保っていた。
「奥様。アタシがコイツらをどうにかします。ニコールを連れて大通りに出て下さい。助けて下さい。でなきゃ、あんたも殺してしまいそうだ」
カロールは恐怖に声も出ないが、なんとか頷いて震える体でニコールに肩を貸す。あまりに呼吸が浅く、早くしなければ間違いなく死ぬと分かる。
「アダムスカ、道を!」
「任せて下さい。この男ごと殺して見せ────」
話を遮るようにして、アイデンが手で顔を覆ってクックッと堪え切れないとばかりに笑い声を漏らす。白い歯が見えるほど口角があがり、指の隙間から覗かせた狂気的な目がアダムスカを嘲弄した。
「動くなよ。お前の方が厄介だ、手は打ってある」
アイデンの背後。はっきり光の差す場所を区切るようにして出来た影の中から、黒い煙で出来たような獣が現れた。獅子の姿をしたそれが唸り声をあげてアイデンの横に並んだとき、アダムスカはあまりにも怒りすぎて吐き気すら感じた。
「いくらお前でも私と魔物を同時に相手してニコールと伯爵夫人は守り切れまい。さて、そこで提案だ。お前と伯爵夫人は我々に同行してもらう。ニコールにはメッセンジャーとなってもらわねばならん」
アダムスカの怒りがすうっと収まっていく。アイデンの言う通り、打つ手がない。考えは分かる。アライナとエボニー、マウリシオも始末しなくてはならない以上、人質が必要だ。確実に、徹底に。計画は正しく遂行されなければならないと考えるアイデンには、わざわざ真正面から自分達より強い相手と戦う理由がなかった。
「……わかりました。あなたの要求を呑めばいいんですね?」
「そうだ。そうすれば、少なくともこの場でニコールは殺さない」
アイデンは言った。ニコールはメッセンジャーだと。だからアダムスカは賭けた。ほんの僅かでも助かる可能性があるのなら、今は従うべきだと剣を捨てた。
「いいでしょう。武器は捨てました、抵抗もしません」
「よろしい。では引き上げるとしよう、ついて来なさい」
親衛隊員がカロールを拘束するだけで、アダムスカは従わざるを得ない。抵抗すれば命を奪うという脅しで、隊員はそれを平然とやってのける。
そうして第五親衛隊と共にアダムスカとカロールは去っていき、薄暗い道の真ん中で、声すら出せないほど弱ったニコールは、静かに大粒の涙を流した。