EP.17『静かに滾る敵意』
自分が贈り物をした手前、ノーと強く言う事はできない。せっかくだから厚意に甘えさせてもらおうとカロールも昼時の陽射しに温かい笑みで受けた。
「ありがとう。二人と友達になれて嬉しいわ。敬語がなくなれば、私としてはもっと嬉しいのだけれど……まあ、それはできそうにないわね?」
「ええ。我々も職を失った身とはいえ、あまり立場は変わりませんから」
残念、と微笑みつつも嬉しそうにする。
「じゃあ行きましょうか。入り組んだ場所だから馬車は入れないし、少し歩く事になるわ。私もそこまで出歩くわけじゃないから詳しくないのよ」
地図に示された道は明らかに薄暗い場所で、賑やかさとは距離を置いた、潮風の通り抜ける静寂が佇んでいる。伯爵夫人であるカロールが自ら出入りするには、あまりに縁遠い。じめじめしていて気分が落ち込む場所だ。
「買って来ましょうか?」
気を遣ってニコールが尋ねるも、カロールは首を横に振って意を決した表情を見せ、額にはじんわりと柔らかい汗が滲んだ。
「いいえ、行くわ。マウリシオの好みは私が良く知ってるもの」
せっかく買っていくのなら、自分の目で見たい。大切な夫のために、今、勇気を振り絞って一歩進む。護衛の二人はカロールに合わせて半歩後ろに立った。
地図の通りに進みながら、ときどき間違っていないかと不安になる。途中からアダムスカが地図を手に、正しく進んでいった。しかし、メイドから聞いたという洋菓子店はどこにも見当たらない。
「あのお、奥様。これってメイドから頂いたんですよねえ?」
「ええ、そうだけれど……おかしいわね、隠れた人気のある店と聞いてたのに」
空気が変わっていくのが分かる。ただの静寂ではなく、何かが忍び寄る気配がある。ただならぬ悪意。エボニーのオーラに自然と感化されていたのか、ニコールは直感が働き、地図とにらめっこするアダムスカに尋ねた。
「店の名前は書いてないのか?」
「やっぱりおかしいですよねぇ。地図にないんですよ、お店の名前」
「そうか。アダム、奥様を中心に」
「……ですよね。とてつもなく腐敗した臭いがします。人間性の腐った臭いが」
彼女たちを待っていたかの如く、隊列を組んだ規則的な靴音が並ぶ。ニコールたちを挟んで逃げ道を奪うように囲んだのは、アイデン率いる第五親衛隊だ。まるで人形のように淡々とした無表情で、アイデンに対する心酔から任務を全うしようとする部下たち。彼らを統べる男だけが、表情が豊かだった。
「これはこれは、レスター伯爵夫人。此処には何の御用ですかな。鼠の巣穴は、存外にも危険なものだと言うのに。マウリシオの教育が行き届いていないようだ」
「お、夫の悪口は見過ごせません……! 訂正してください、アイデン様!」
強気に返しながらもカロールは恐怖心に挫けそうに、ぶるぶると震えた。彼らの醜悪な敵意は、オーラ使いでなくとも、風が肌を撫でるように感じ取れる。
アイデンが顎を擦りながら、下らないとばかりに愚弄する笑みを浮かべた。
「震えた声では説得力に欠けますよ、伯爵夫人。命よりも誇りを重んじる貴族らしくはありますがね」
切れ味の鋭い言葉にカロールが唇を噛むと、ニコールが庇うように一歩前へ出て、アイデンに向けて腰に提げていた剣を引き抜いて切っ先を向けた。
「そこまでだ、アイデン親衛隊長。誇りは軽んじて良いものではない」
「敬語すら使えなくなったのか、雛鳥も成長すると生意気なものだ」
「元より私はあなたの部下ではないのだから当然だ。言葉を選ぶつもりはない」
裏通りに差し込む僅かな陽射しが、ニコールの戦意に剣をぎらりと光らせた。これ以上の話は無駄だと告げるように。
「たった二人で我々に勝てると?」
「試せば分かる事だろう。私たちはオーラ使いなのだから」
「……ちっ、生意気な」
侮ってはいない。だからこそアイデンもすぐに号令を掛けなかった。真正面から遣り合えばニコールたちは厄介だ。だから表通りから離れて目立たず、派手な動きもできない裏通りを戦場に選んだ。鼠一匹逃がさない緻密な計画を立てて。
「まあいい。偉そうにほざいたところで、役立たずの女ひとりを守りながら、第五親衛隊を相手に出来るというのならやってみるといい」
徐にアイデンも剣を抜く。鉄の擦れる音が憎たらしく笑うように鳴った。合図の如く親衛隊の面々が一斉に剣を抜いて構え、戦闘態勢に入った。人形のような彼らには緊張感は無縁で、アイデンのためなら命さえ捨てる。どう教育したのか、あるいは洗脳か。非情で優秀な駒となっていた。
一方、ニコールたちには肌を伝う冷たい汗が、頬から顎へつうっと流れた。気丈な態度を取ったものの、状況が悪いのは間違いない。カロールを守りながら、腕利きの親衛隊を相手取るのは決して簡単な戦いではなかった。
気持ちを落ち着かせようとニコールは小さく力強い呼吸をしてから。
「奥様、その場を動かないでください。それから、もし怖ければ目を閉じて屈んでいてくれても構いません。これから此処は────少々、血腥くなります」
ニコールが輝く白銀のオーラを纏い、アダムスカが威圧感のある漆黒のオーラを纏う。久しぶりの本気の戦いとなると、いつもは調子良く笑っているアダムスカも、その瞳に宿るのは大木もかくやのどっしりとした騎士としての誇りだった。
「やれるね、アダム?」
「ええ。そのための護衛騎士でしょう」