EP.9『近付きたいのに』
堂々と酒と料理を楽しんで帰った二人を待っていたマウリシオたちは、とても安堵した様子で出迎えた。町でアライナたちと出会い、じきに邸宅までやってくるだろうと伝えると、マウリシオとカロールは驚きながらも承諾する。親衛隊の中で、最も権力に染まらず、公女直属の人間には変わりない。
もちろん親衛隊には、タデウスのような権力者に染まらない人間はアライナたち以外にもいる。だからといって頼れるかどうかは別の話だ。これまで波風立てずに過ごしてきた人間というのは、兎にも角にも保身を重要に考えている。マウリシオは彼らがいざとなったら裏切る可能性も考えて単独で勅命に従った。それゆえにアライナたちの突然の介入──それも公女の命になく──は、大きな助け舟だ。
「今度こそ部屋に戻って休むんだぞ。あまり無理はするな」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼致します」
いったん部屋に戻ったニコールとアダムスカは、ようやく初日のやるべき事が終わったと安堵の息を吐く。
「いやはや……緊張したね。二人がいたおかげで気楽に過ごせたけど」
「ええ、あんなオーラ使いがいるとは思いませんでした」
「凄いよね。私たちも、ああなりたいものだ。腕っぷしだけでなく」
もしエボニーのように悪意に気付ける力があったのなら、今も親衛隊と騎士団でそれぞれ活躍出来ていただろう。アダムスカとの時間はもちろん楽しい。その一方で、やはりまだ未練は残っていた。
「……お父さんの騎士団も守れたかもしれません」
「アービン団長が死ぬ事もなかった」
多くの仲間に支えられておきながら、まだまだ自分達は無力だと感じる。とはいえ、出来る事はひとつずつやってきた。マウリシオの言う通りに無理はしない方が良いだろう、と気持ちを明日へ向ける。
ちょうど、そのときに扉が小さく叩かれて、メイドが顔を出す。
「ニコール様。アダムスカ様。入浴の準備が整いましたので、ぜひにとカロール様から言伝を預かっております。如何なさいますか」
「それって二人揃ってなのかい?」
メイドは深く頷いて、粛々と話した。
「このレスター伯爵邸の浴場は大変広く快適となっております。深夜には我々従者にも解放してくださるので、揃って入浴をする事は多く御座います。ですので、個々人での入浴の希望がないのでしたら、お二方をご案内させて頂きます」
どうする、と顔を見合わせてから────。
「じゃあ行こう、アダム」
「アタシもその方が良いと思います」
港町をさんざんウロウロした後だ。体を温めてからの方がよく眠れる、と案内してもらう。メイドたちがタオルな石鹸などの入浴セットに加えてバスローブを用意し、背中を流そうともしていたので、それだけ断った。
説明を受けていた通りに浴場は二、三十人は入れそうだと思うほど広く造られており、メイドの話では『奥様は結婚以前からお風呂で泳ぐのが夢で御座いましたから、旦那様がご希望に沿って改装なさったのです』という事らしく、ニコールとアダムスカだけでは広すぎて空間を持て余した。
「見たまえ、アダム! シャワーがついてる!」
ニコールがタタッと近寄って指をさして大喜びする。無理もない。港町では魔塔の人々も恩恵を受けているのもあって、生活に重要な技術を惜しみなく提供した。特に管を通って雨のように水を降り注がせるシャワーなど王都でも滅多と見られない貴重なものだった。
「しかもすごいですよ、ニコール。王都でも水しか出ないのに、ここのシャワーってお湯が出るみたい! うわー、温かくて気持ちい……あっつい!」
「ううん、どうやって調整するのかな。このハンドルを回せばいいのか?」
お湯と水を両方出してみると、丁度良い温度に整っていく。
「あはは。大丈夫、アダム?」
「うう~。手、火傷してませんかね」
「ふーふーしてあげようか」
「えっ! あ、い、要らないです、大丈夫!」
恥ずかしくて大きな声で拒否してしまう。ニコールは可笑しそうに「そうかい?」と言うだけで気にも留めていない。もしや勿体ない事をしたのでは、と一人でアダムスカは悶々とした。
「それにしても……前にも思ったけど君は結構大きいね?」
じっとアダムスカの体を見つめるニコールが、笑顔を浮かべているのにどこか敵意を感じるので、アダムスカはタオルで体を隠す。
「アライナさんの方が大きくありませんでしたか」
「人数の問題じゃないんだよ、アダム」
自分の薄っぺらな体を鼻で笑ってニコールがほろりと涙を浮かべた。
「ま、まあいいじゃないですか。大きさこそ問題ないですよ、私は好きです」
「ある人に言われてもなあ。……ふふ、まあ冗談さ」
ごしごしとタオルで丁寧に体を洗いながら、ニコールは楽しそうに。
「話すふりだとか、小声だとか、今日は気兼ねなく話した時間が殆どなかっただろう。やっと落ち着いて君と話せるのが嬉しくて」
「……私もです。ようやく二人きりに────」
裸の付き合いで親睦を深める。ニコールとの距離をさらに縮める好機と見たアダムスカが勇気を出そうとした瞬間、豪快に浴室の扉が開かれた。
「わー、でっけえお風呂っす!」
「こらこら、滑ったら転ぶわよ。やっぱりひと仕事の後はお風呂よねえ」
後からやってきた客の声に、アダムスカはタイミングを逃した事にぷくっと頬を膨らませて、なぜこうなるのだと不貞腐れてしまった。




