EP.8『言えない想い』
なんともまあ、アライナとエボニーの旅は酷いものだった。第五親衛隊の後を追い掛けるように皇帝に直談判を行って皇都を出たものの、エボニーが非常に方向音痴な挙句の果てには方角を間違っていたのに気付くのに遅れ、数時間も遅れて港町に到着してしまい、宿すら取れない状態にまで追い込まれていた。
「此処が港町で助かったっす。おかげでどこも酒場は開いてるっすから」
「あんたのせいよ、お間抜けエボニー。ま、いいわ。マウリシオなら泊めてくれるでしょう。アイツの家は随分と部屋が余っていたはずだから」
それが目当てかとさすがのニコールも苦笑いする。
「マウリシオ隊長にお尋ねしない事には私たちにはなんとも……」
「あ~、いいのよ。どうせ提案なんか断れるわけないわ。彼、優しいもの」
酒に酔っているのか、頬を紅く染めたアライナは屈託ない笑顔でそう言った。エボニーも続けざまにうんうん頷く姿に、ニコールは少し嬉しくなった。
マウリシオは周囲のつまらない噂に左右されるほどの心の持ち主ではない。だからいつだって言われた。『貪欲で品位がない』とまで。
しかし、強い信念を抱いて親衛隊となったニコールは他人に対する評価を簡単に下したりはしなかった。マウリシオの部下となってから、多くの事を学んだ。騎士としてあるべき姿を志せば『勝手にしろ。だが半端な事はするなよ』と少しばかり遠回しだったが応援されたし、空回りして周囲から必死になる意味もないのにと馬鹿にされたときには『お前はあの猿共と同じ価値観らしいな。正義感いっぱいで親衛隊に入ったわりには』と、やはり遠回しに背中を押してもらった事がある。
そんなに周囲が言うほど悪い人ではないのに、それを知っているのは自分だけなのだとニコールはいつも心苦しい気持ちだった。嫌な噂を払拭する事もできないうちに自分は第一親衛隊の所属となってしまったのだから。
だが、真実は違った。アライナやエボニーのように他の隊長ともなれば人を見る目もある。誰が悪人で誰が善人か。信頼をするべきかしないべきか。そうやって仲間との関係を構築してきた者が授かった名が親衛隊長なのだと知る事が出来て、ニコールは仄かに嬉しさを表情に浮かべた。
「にしてもアダムスカはともかく、ニコールはマウリシオに随分気に入られてたみたいね。例の審問のときだって────」
「アライナ様。その話、後の方が良さそうっすよ」
店に入ってきた客をちらっと見てエボニーが小声で言った。
「あちら様方、只者じゃないっす。私のオーラがそう感じてるっす」
オーラ使いの中でもエボニーは特殊で、戦闘能力に影響のあるニコールやアダムスカと違って他人の気配を感じる事に特化している。明らかに黒い気配を漂わせた数人が、港町の人間を装って入ってきたのに誰よりも早く気付いた。
その能力をよく知るアライナは、なるほど、と即座に大笑いをする。
「あっはっは! そう、つまりあんたたちも元気にしてるって事ね! だったら安心したわ。港町は良いわよ、此処もそうだけど他の店も美味しいんだから!」
「そっすよ。アライナ様のおかげで、このエボニーの休暇も彩りが……」
急に話が百八十度も変わったのでニコールもアダムスカもぽかんとする。だが、それが敵の監視を掻い潜るための演技と分かるまで一秒にも満たない。入ってきた客に目もくれず、その場で話を合わせた。
「お二人が休暇で港町にいらっしゃるなんて思いませんでした。次はどちらへ向かわれる御予定なのですか?」
「このまま東部に行こうかなって。良い町よォ、お酒が美味しいの」
たわいのない話。本当に中身がない。空っぽの会話は監視者に何の情報も与えず、だらだらと話して解散となった。席を立って店を出るとき、他の客もぞろぞろと店を出ようとする。その隙にアライナが、隣にいたアダムスカに囁く。
「後で安全が確認できたらマウリシオの家を訪ねるわ。先に彼に伝えておいて。適当な部屋を空けておいてくれたら最上級のお酒を贈るって」
「わかりました、伝えておきます。また後程会いましょう」
アライナたちと別れた後、追手に会話を聞かれないためにわざと騒がしい場所を歩きながら、道すがらニコールにも伝えておく。それからは、やはり大した話題もないふりをして、アダムスカは羨ましい気持ちを口にする。
「あの二人ってすごく仲良さそうでしたね。ずっと一緒なんですか?」
「ん? あぁ……えっとぉ……それはねぇ……」
とても言い難そうにしているので、アダムスカが首を傾げる。言っていいものかどうか、とニコールは悩んだ末に、ひそやかに。
「二人は恋仲なんだよ。大っぴらにしてはいないけど、何人かは周知の事実で……。本来は親衛隊選抜のときも、エボニーさんは第七親衛隊長の予定だった。それを公女殿下に直談判して同じ所属にしてもらったって話してたよ」
ああ、そうか。とアダムスカは生まれて初めて嫉妬を抱く。自分には得られそうにもないものを持っている事に対する羨望と嫉妬が入り混じった。
「(ニコールには全然、その気はない。ずっとアタシだけが……いいなぁ。何にも苦労せず、アタシみたいに何も失わなかった人間ばかりが幸せになる。なんて憎くて、羨ましくて、妬ましくて……)」
きっと想いを伝えてもニコールを苦しめてしまうだけだと分かっている。片目を覆う眼帯が、罪の意識でニコールを従わせるつもりかと囁いた。
「アダム? 聞こえてるかい?」
「あっ、はい。すみません、疲れちゃったのかな」
「そっか。まあ、これだけ初日に色々あるとね……。じゃあ、帰ろうか」
いつからこんな気持ちを抱くようになったのだろう、と一歩前を歩くニコールの背中を見て思う。初対面のときは、ほんの少しだけ信頼できなかった。何故親衛隊からやってきたのかもなんとなく想像がついたから。
だが、実際にアダムスカが目の当たりにしたのは、真剣に自分と向き合ってくれるニコールの姿だった。真面目で、優しく、堅物的ではない。冗談も言うし、自分が犠牲になる事も厭わず大勢の前で守ってくれた。
馬車の中で抱かれて眠った夜は緊張した。優しくしてくれるニコールに対する恋心の芽生えのようなものだったのかもしれない。はっきりとは分からなかったが、それから徐々にニコールとの距離を近くするように意識した。最初は友人でもいい。親友でもいい。この人ならずっと一緒にいてもいい、と。
片目はその代償だ。命を懸けて守れれば、きっとニコールは自分を見てくれる。だから、親友と呼んでもらえたときは嬉しかった。それでも、できれば、あともう少し先の関係が望ましい。しかし踏み込んだときに軽蔑されないかが恐ろしい。男女の仲は理解されても、同性となると話が違ったから。
「(ニコール。この気持ちを、いつかあなたは理解してくれますか?)」
そんな事を言えるわけもなく、アライナとエボニーの笑い合う姿への羨ましさと嫉妬でどうにかなりそうな気分を抑え込んだ。
「……はあ。世界がアタシたちを中心に回ってくれればいいのにな」




