第一部~エピローグ~『蛇は考える②』
タデウスが、すぐさま足を運んだのは第五親衛隊の執務室だ。隊長席を与るのはアイデン・イプスウィッチ。そして、その側近である騎士数名が使う部屋。カリカリとペンが紙を掻く音が響くだけの部屋の扉がぎい、と音を立てて開いても、皆が作業の手を止めない。アイデンの指示があるまでは動かない決まりなのだ。
「これは……これは……。タデウス殿……我が第五執務室へ何か?」
「公女殿下が接触を図った。奴らは魔塔へ向かうつもりだ」
「……!! それは……マズイですね……」
アイデンのペンを握っていた手に力がこもり、バキッと折れた。
「皆さん、作業の手を止めて下さい」
ビシャリと言われて全員、動きが静止する。
「(相変わらず薄気味悪い連中だな。統率が取れすぎている)」
日頃の動作でさえ一糸乱れぬ動きをするアイデン率いる第五親衛隊は、日頃から厳しく彼らを指導してきたアイデンの成果ともいえる。誰でもない第五親衛隊長に忠誠を誓う、まさしく都合の良い手駒となっていた。
「タデウス殿、状況は把握いたしました。我々が用意に皇宮から離れられる理由も作って来られたのでしょう。よろしければお聞かせ願えますか?」
「……あ、あぁ。マウリシオが先日、休暇を取って港町の邸宅に」
仕事となると急に舌が回るな、とタデウスは少し驚きながら話す。
「定期的に邸宅のある港町へマウリシオは長期休暇を取って帰っている。親衛隊内での彼の業務に問題があったといって連れ戻すのが大きな名目ではあるが、港町での憲兵隊らの視察も行ってもらう」
当然、アイデンは納得した。理由としてはなんの問題もない。
「分かりました、行きましょう。……ところで、例の魔法使いは何を」
「魔塔から追放された魔法使いを探させてる。連中の手を借りるつもりだ」
「あまりお勧めな手段ではありませんが……」
追放されるにはそれだけの理由がある。非人道的であったり、社会性が皆無であったりと、純粋に魔法に関する評価だけ見れば唸るものもあるが、それ以外があまりにも欠如しているケースはいくらでもあった。
「とはいえ他に使える連中を探すのは無理だ。親衛隊の多くは親皇帝派閥で占められている。……軍事的価値も分からぬ若造を支持する気持ちなど私にはとんと理解できんものがあるが、まあ、そこはいい。ともかく、こちら側の勢力は小さい。今は手段を選んでのんびりやっている暇はないのだ」
ひどい焦りだ、とアイデンは内心でタデウスを無様に思う。総隊長の地位まで昇りつめて、老獪な男として名を知られているわりには、たかが小娘によくも振り回されているものだと呆れた。
「……ま、良いでしょう。皆さん、話は聞いていましたね」
ペンをそっと倒すように置いて立ち上がったアイデンに、他の騎士たちも立ち上がって頷いて返す。
「タデウス殿。彼らは実に優秀な反皇帝派の子たちで固めております。実力も、次期ソードマスター候補と言っていいほど鍛えていますから、オーラ使いとはいえたかが小娘。年季の違いというものを見せてきましょう」
自信たっぷりなアイデンと騎士たちは揃って執務室を出て行く。残されたタデウスはなんともやりきれない気分に顎髭を擦った。
「……たかが小娘、か。そうであれば話は楽だったのだが」
ソードマスターになるのには何年もかかるものだ。ましてやオーラ使いの領域にまで至るとなれば更に研鑽が必要になる。ニコール・ポートチェスターは若くして、剣の才能を発揮している、正義を司る白銀のオーラ使いだ。タデウスからしてみれば、それは並大抵の努力では手に入るものではなく、その若さも鑑みれば百年のひとりの逸材といって差し支えない。
「(本来であればソードマスター数人掛かりで倒すような魔物を、なおさら凶暴化させて操ったのだ。それをたった二人で倒すなど……)」
自分達が若い頃に出来た事だろうか。
「優秀が過ぎるのも問題だな。こちら側につかんとなればなおさらだ」
部屋を出ようとすると、先に扉が開く。
「おやま、こりゃタデウスのじい様じゃあないの」
「ほんとっす。……でも第五親衛隊の方はいないみたいっすね?」
やってきたのは第三親衛隊の隊長、アライナと副隊長のエボニー。どちらも親衛隊の極めて少ない女性であり、ニコールより五年ほど先に親衛隊長と副隊長の地位に就いている。いずれも出世欲がなく、適度に仕事をこなしながら親衛隊で現在の地位を維持できればそれでいいと考える人間だ。
しかしながらタデウスに対して好意的でなく、彼には厄介な存在だった。
「ひとりで何してるのよ、じい様は」
「……なに、ちょっとした仕事を頼もうと思ってきたのだが入れ違いだったようだ。私はこれで失礼するよ。お前たちも戻った方がいい」
アライナはうーんと顎に指を添えながら。
「そうなのね。じい様の悪だくみは上手く行かなかったって感じかな」
肩に掛かっていた青い髪を手でさらっと梳く。
「年老いた蛇のくせに、あまり若い頃と同じだと思ったら痛い目見るわよ。引き際ってものを考えた方が良いんじゃない?」
あからさまな牽制。これ以上余計な事はするなという忠告。それで退けるほど日当たりの良い場所にタデウスは立っていない。
「誰が正しいのかは時が経てば分かる事だ。では、私は自分の執務室に戻る事にするからどいてくれたまえ」
半ば押し退けるようにして第五親衛隊の執務室をあとにする。強引な態度にエボニーが「感じ悪いっす」と睨みつけて、ベッと舌を出した。タデウスは老獪で、いつだって自分だけは潔白だ。アライナはくすっと背中を嘲笑う。
「気にしないの、エボニー。どうせニコールちゃんたちの方が勝つに決まってる。あんな年寄りのやる事なんざ、お偉いさんは見え透いてるものさ」
「……ウチは若い子には死んでほしくないっす」
ぽんぽん、と頭を撫でてアライナは羽織を翻して歩き出す。
「じゃあ私らも行こうじゃないの」
「え? 行くってどこっすか」
「そりゃあ、もちろん────若い子を見にバカンスよ」