EP.47『猜疑心』
驚きはなかった。誰かが敵でなければ魔法使いひとりで動けるはずがない。手引きする人間が必要だ。皇室および親衛隊は確かに普段から平和を享受して長閑に過ごしているようで、実態的には鼠一匹も見逃さないほど神経を尖らせている節がある。いくら腕のいい魔法使いといえども簡単な事ではない。
「(……事の発端。七年前の事件。凶暴化したゴアウルフ……。全部繋がっているという事だろうか。魔法使いが犯人と判れば済む話、とはいかないかもしれない。私のせいでアダムは片目を失ってしまった。いまさら置いてはいけないが)」
もし魔法使いが危険な実験に手を出しているのを知っておきながら、親衛隊の誰かがそれを隠しているのなら。
「(許してはおけない。なんの罪もない人間の人生を狂わせておいて、自分達はのうのうと変わりなく過ごしているだなんて)」
そうして劇の時間は瞬く間に過ぎていき、ニコールはずっと考え事に夢中で、劇が終わってからも少しぼんやりした。もし親衛隊の人間が裏切っているならば地位も名誉も持ち、周囲から信頼が厚くなければ隠し通すのは難しい。
────言わずとも、誰かは想像がつく。
「なんだ、険しい顔をしておるではないか。そんなに先行きが不安かね」
「殿下。いえ、不安というよりは……少し、残念ですかね」
「言いたい事は分かる。そなたの信ずる者の誰かが敵なのだから」
よいしょ、と席を立ってアシュリンはググッと腰を伸ばす。
「ま、下手の考え休むに似たりと言うであろう。接触があった以上、私は標的から外れるはずだ。連中、魔法使いに接触されるのは嫌と見える」
「そのようですね。ありがとうございます、ここまで来てもらって」
二人揃ってアシュリンに深く頭を下げて礼を言う。もしここまでアシュリンが来なければ、魔塔へ入る機会を得る事もなく、知らぬ間に命を狙われる危機に晒されていたかもしれないのだ。命の恩人にも等しかった。
「ふはは、畏まるでない! 私はできる事をしたまでの事よ!」
そうして束の間の再会は過ぎていき、演劇に満足したアシュリンはもうしばらく劇場でイシドロたちと話してから出発する事になり、ニコールたちはそこで別れを告げて立ち去った。ハロゲットでの騒動やアシュリンからの忠告には盛り上がっていた気分にもどっと疲れがもたらされたが、それはそれで良い思い出になった。
「なんか大変でしたねえ。大変なのはこれからもでしょうけど」
「ああ、そうだね。過ぎ去った嵐と思っていたのに」
「アタシたちのせっかくの旅行が……。正直、少し残念です」
「私もだよ。休暇らしい休暇は取った事がなかったからね」
気分が良い旅もこれまでだろうか、と二人揃って肩を落とす。とはいえ、ニコールの方はそれでも前向きに、問題解決に当たりたい気持ちがあった。
「そういえば、ニコール。アタシは全部問題が解決して、もし戻れたとしたら騎士団に復帰もいいかなとは思ってるんです。でも……ニコールは?」
厩舎で預けていた馬車を受け、御者台に乗り込んで出発も間近のときに、ふとアダムスカが尋ねた。ニコールはいつだって同調したり寄り添ってはくれるが、あまり自分の考えについて詳しくは話そうとしない。嫌と言うのではなく、わざわざ口にするほどの事でもない、とでも思っているかのように。
「ううん、そうだねえ……。そうあらためて真剣に聞かれると答えに困っちゃうな。今は正直、親衛隊に戻るのは考えてない。というか考えられない」
「どうしてです? 入りたくて入ったんでしょう?」
あはは、と苦笑しながらニコールはぽつりと言った。
「裏切られるのは良い気分じゃないからさ」
「魔法使いだけが敵じゃないって話ですよね。アタシは親衛隊所属じゃなかったから皆目見当もつかないんですが、ニコールは誰か見立てが?」
戻るとハッキリ言いはしてこなかったが、いつか戻れるかもしれないと言葉にしたニコールが、親衛隊に戻る気がないという。やはり劇場でのアシュリンの話がショックだったのではないか、と不安になって手を握った。
「うーん……。難しいな。なんと言っていいか。私が親衛隊に入るより一年くらい前に、殿下がソードマスターの名誉を授かって親衛隊最高顧問になったんだ。私はそれに憧れて入隊試験を受けた。それでもまだ女性では最難関とも言われてたから、必死になって鍛錬に励んだものだよ」
昔を振り返ると、よくもまあがむしゃらに剣ばかり振れたものだと過去の自分に感心して思わず笑みが零れた。そして同時に、表情が翳った。
「だけど殿下はお忙しい方でね。親衛隊の全権は総隊長のタデウス殿が預かっていた。七年前の事件を調査して第三騎士団の状況を改善するよう言われたのも、タデウス殿の口添えがあったからだ。……でも、おかしいな。考えれば考えるほど、私には彼が裏切り者だという気がしてならない」
親衛隊が事件を自分たちの管轄にして騎士団に牽制する事は、これまでにもよくあった話だ。だが内部で起こった殺人事件を親衛隊を動員して騎士団を排除するほど躍起になり、魔法使いの証拠隠滅を手伝える状況に動かせる人間は限られる。そして何よりタデウスによってニコールは第三騎士団に入り、問題解決の任を与えられた。そうすればより良い実績になるだろうと思って深読みはしなかったが、よくよく考えてみれば調査をしても構わないと促すような事を言ったのも引っ掛かった。
「……今なら妙な話だと思うよ。アダムの置かれた状況は七年も続いていたのに、それを改善するよう命じられたのがつい最近だ。その空白の期間が理解できない。解決する気があったのなら、もっと早くに行動に移していたはずだ」
一度疑い始めたら何もかもが違って見えてくる。信じていたものまで信じられなくなってしまう。猜疑心に囚われていく。
嫌な考えを振り払って、はあ、と溜息を吐いた。
「とにかく、今は深く考えてる場合じゃない。まずは港町に行って、それから魔塔へ向かうんだ。答えはきっとそこで見つかる気がするから」