EP.34『汗を洗い流して』
二人に押される形で、そうまで言われちゃ仕方ないと少し鼻を高くしたシアラは壁に掛かっていた鍵を取ってニコールに渡す。
「二階の部屋を好きに使って。お風呂はそっちの廊下の奥にあるから、食事の準備にもまだ時間は掛かるし、入って来ても大丈夫よ」
ほんの少し香る汗にシアラは彼女たちが長旅で来たんだろう、と先に風呂を勧める。大概の旅客はそうやって汗を流してさっぱりしてから、落ち着いて食事を摂る事が多い。例に漏れず、二人も最高だとばかりに礼を言った。
「荷物だけ部屋に置いたらお風呂行こっか」
「いいですねえ。あ~、やっと汗流せるぅ!」
せいぜい持ってきたものと言えば地図と財布くらいだ。さっさと部屋に置いてから、シアラに楽な着替えをもらって脱衣所に向かう。店構えから見たときよりも、いくらか広くて窮屈さはいっさい感じなかった。
「むむ……ニコールって意外と体に傷があるんですね」
「色々と無茶をする事もあったからなぁ。君は綺麗な体だな」
「フフ、鍛錬はしてても仕事ありませんでしたから!」
自慢する事なのだろうか、とは思いつつも、騎士団でのこれまでの扱いを見ていれば十分に察する。そもそも第三騎士団自体が調査中心の任務ばかりだ。よくも今までオーラ使いになるほどの人材を見抜けなかったものだと自分にも呆れる。
「……うん。でも、やはり目立つね、君の片目」
「あ、この眼帯ですか。別に気にしてないですよ。逆だったらアタシも油断してましたから。あれで死んでないとか誰も思いませんって」
眼帯の下には大きな傷跡がある。ゴアウルフにやられてからまぶたも開かなくなってしまって未だ慣れないものの、騎士をやめた今、それほど不便を感じてはない。ニコールが落ち込むのを見て慌てて慰めた。
「とにかく傷の事はもういいじゃないですか。ほらほら、入りましょ!」
「う、うん。ごめんよ、気にさせてしまったな」
「あはは。気にしちゃダメですよ。湯舟に浸かって忘れ……」
建付けの悪い引き戸を些か強引にも開け放ち、思わず言葉を失った。騎士団寮の風呂はとても広く、ゆったりと大人数が湯舟に浸かれたが、宿の風呂は少し小さくて、けれども二人で入るには十分な広さだ。驚いたのは湯舟に浸かりながら空の景色が眺められる事で、あまり目にしない文化に感動する。
「わあ、露天風呂か。見なよ、アダム。隅に加工魔石が置かれてるから、こっちからは町の景色が見えるようになってるみたいだ。面白いね?」
「覗こうとする奴がいたらすぐにナイフを投げられそうですねえ」
物騒な言い方だが、それはそうだとニコールも笑う。
「こっちにシャワーがあるから、汗を流したら少し浸かろうか」
「そうですね。もし長くいたらシアラさんが呼んでくれるそうですし」
馬車に揺られながら、雨の日の湿った空気に悩まされたり、転んで泥に汚れた服を川で洗った事は良い思い出だが、中々に辛かったとアダムスカは振り返る。ひとりだと辛い経験でもニコールと一緒だったから楽しかったな、と。
「ん? 私の顔に何かついてるかな?」
「いやあ、なんでもないですよ。綺麗だなって」
誤魔化したアダムスカに気付かず、ニコールはじっと見つめてから。
「君の方が綺麗だよ。顔は小さいし、手足も長い。貴族令嬢なら引く手数多だったに違いない。騎士団に入っていなければ、そんな未来もあったかもね」
養父にも騎士団をやめたければいつでもやめていい、とは言われた事があった。年頃になってくると剣を振り回す女性は振り向いてもらえない。だから、もし結婚願望があったり、想い人がいるのなら、騎士団でなくとも良いと。
だがデビュタントを迎える前に事件は起き、第三騎士団は壊滅。アダムスカはシェフィールド家を離れて騎士団で過ごす事を選んだ。シェフィールド家を継いだ家族からも残ってくれて構わないと全面的な協力の申し出もあったが、当時は悪魔の子と囁かれる事もあり、迷惑を掛けるのが嫌だったから。
「アタシはそれでも、今の方が好きですけどね」
「そうなのかい?」
「ええ、もちろん。ニコールに会えましたから」
「あはは……。そうだね。私は結婚願望もないし、いち平民だから」
親衛隊に入る前から結婚願望は元々薄く、恋愛にもあまり興味が湧かなかった。他人のする惚気話は興味津々だったが、いざ自分が同じ立場を想像してみようとすると上手くいかず、自分には向いていないと感じた事もある。
もちろん、親衛隊の中でひときわ輝く見目麗しさなので社交界にも顔を出してみないかという打診はあった。実績も挙げていて、そのうち爵位を与えられてもおかしくない立派な騎士だったし、皇室親衛隊ならば皇族のいずれかとコネを得られるだろうと寄ってくる人間がいれば利用価値があるはずだ、と。
しかしニコールはそういった下心が嫌いで、貴族たちの道楽だと誘いは全て断ってきた。自分がいるべき場所は親衛隊に他ならないからと。それも今では、過去の話になってしまったが。
「こうして君と旅が出来て嬉しいよ。君が社交界に出ていたら、こうして笑い合える友人には巡り合えなかったんだろうと今でも思ってる」
「えへへ……。ちょっと照れくさいかも。アタシも嬉しいです」
しっかり汗を流して体を洗ったら、二人は揃って湯舟に浸かる。町の喧騒が、どこか落ち着きをもたらしてくれた。
「それにしてもずっと気になっているんだが」
「はい、なんでしょうか」
こんな事を訊ねていいのだろうか、と思いつつも────。
「いつまで私に敬語を使うのかなって」