EP.32『いつか、また』
出発の日。悲しい想いもありながら、しかし門出は明るいものとなった。たった少しの出会いと別れ。なのに、背負ったものは大きく、温かく。
「では行こう、アダム!」
「はい! 皆さん、また会いましょう!」
皆がにこやかに送り出してくれる。馬車はゆっくり動き出して、御者台が小さく揺れる。がらごろと車輪が回り、流れ始める景色にアダムスカは、嬉しさと寂しさが同時に込み上げてきた。
「楽しもう、アダム。私たちはこれから、何をしても自由だから」
「そうですね。この門を通り抜けたら今までが終わって、これからが始まるんだ。めいっぱい楽しまないと、ですよね!」
門を潜った瞬間、意気込んだ二人の背中を押すように声が聞こえた。一人や二人ではない。もっと大勢だ。ニコールはなんとなく察したのか、「荷台に移ってごらん。きっといい景色が見える」とアダムスカに促す。
なんだろう、と不思議そうに荷台へ移ってみると、自分達が通った門の向こうで大勢の騎士たちが手を振っていた。「いってらっしゃい!」「いつでも帰って来いよ!」「次はぜひ第一騎士団へ!」「土産待ってるからな~!」と、いくつも声が重なっている。全騎士団総出で見送りに急いでやってきたのだ。
「……っ」
泣かないと決めたばかりで、もう目に涙が浮かんだ。紆余曲折はあっても、皆が自分達を愛してくれた事が嬉しくて仕方がなくて、我慢ができなくて。
「ありがとう、皆! 本当にありがとう! いつか絶対にまた帰って来るから、それまで絶対に元気でいてよ! アタシとの約束だから!」
大切な仲間の、大切な家族の笑顔が遠ざかっていく。だが、アダムスカは今日の事を絶対に忘れないと記憶に強く刻み込む。大切な笑顔を。
きっとまた会えると、心からの再会を祈りながら。
「すみません、ニコールさん。アタシだけ、贅沢な事を」
「いいんだよ。私よりも君の方が付き合いが長いんだし、最後くらい顔を合わせておかないと勿体ないだろう? 大事な思い出になるんだから」
また御者台に戻ってきたアダムが、へへっ、と楽しそうに笑った。
「ありがとうございます。おかげでなんだかスッキリしました!」
「なら良かった。また帰って来るのが楽しみになったね」
「ええ。次に来るときは全部解決してるといいなあって思ってます」
後ろめたい事など何もない。それでも出ざるを得ない。だから次に帰って来るときは全部が終わっていて、皆と笑い合えるのが良い。おかえり、ただいま。楽しかったよ。と、その言葉だけで済むくらいに。
「さてさて。旅路に騎士の服を着たままも悪いから着替えでもどう?」
「そうですねえ……。目立っちゃいますし、もう騎士ではないですから」
どこかで服を買おう、と決めて王都の門へ着くまでに店を探す。貴族向けの派手なブティックではなく、庶民向けの気楽に着れるものを探しに。適当に動きやすい服を見繕ったら、着ていた騎士服は綺麗にたたんで布に包み、荷台にあった木箱に片付ける。アダムはそのとき、ふと隅に置かれた小さめの木箱に目が行く。
「そういえば何を載せてくれたんですかね。こっちの大きな箱は毛布とか……保存食の詰まった瓶とかみたいですけど」
「開けてみたらどうだい? 私もちょっと気になるから」
ずりずりと小さい箱を引きずって、アダムスカは眉間にしわが寄った。
「小さいくせに重すぎですよ、この箱。鉄の塊でも入れてるんじゃないですか。単純なイタズラとかそういう感じの」
「ハハハ。陛下ならありそうだけど、そこまではしてないと思うよ」
確かにイタズラではなかった。なかったのだが、それでも二人はドン引きしてしまった。小さな木箱に詰まったのは大量の金貨や銀貨、加えて紙幣までもが、ぎっちりと詰まっていた。
「……こ、これはひどいですねぇ……。あの出発から引き返して受け取れませんなんて言いにいけませんよ、恥ずかしくて……」
「退職金代わりとは思うけど額が……。三年は遊んで暮らせそうだ」
自分たちが出発のときに持ち合わせていた資金など一日、二日は飢えを凌げる程度の額だ。比べて木箱の中には、二人への祝いに、とひと言だけ書かれた手紙と共に大金が押し込まれていたのだから、流石に笑顔も引き攣った。
「ま、せっかく頂いたわけだし有効活用させてもらおう。困ったときのために、いくつかの町で神殿に預けておけばいいさ」
「銀行事業でしたっけ。かなり便利だと聞いてますよ」
神殿は預ける際に手数料をお布施として受け取り、貴重品などを預かるなどをして老朽化した建物の修繕費などに充てている。自分たちだけでなく、町にもあらゆる形で還元するので評判も良く、利用する人々は多かった。
「あまり大金を持ち歩いても怖いからね。……さ、もう思い残す事はない? 王都でやり残した事があれば、きちんと済ませてから行こう」
先に御者台に座ったニコールが尋ねる。アダムスカは、かつて暮らした養父の邸宅を思い出す。世話になった人々ばかりで、事件の後もアダムスカの事を気にかけてくれた。挨拶くらいはしておきたいと思ったが────。
「いえ、アタシはないです」
「そうか。……フフ、私と同じ事考えてたんじゃないかい?」
「えっ? じゃあ、やっぱりニコールも何も言わず……」
うん、とニコールは笑顔で頷く。
「余計な心配を掛けてしまいそうだからね。じゃあ行こうか」
「……はい! 行きましょう、アタシたちの新天地へ!」
馬車はまた、のんびりと走り出す。やんわり吹いた風に髪が揺れ、追いかけるようにアダムスカは流れる景色を振り返った。
────さようなら、アタシたちの町。また帰って来るまで。




