EP.13『ずっと続きますように』
朝がやってくるまでぐっすり眠り、目が覚めたときには傍にニコールはいなかった。ごそごそ起きたアダムスカは、身体をぐぐっと伸ばす。一時間以上ぐっ擦り眠った日があっただろうか、と振り返りながら目をこすった。
長らく幻聴と悪夢に悩まされていたのに、昨夜のそれらは最初からなかったかのようだった。目の下にうっすらあったくまも取れて気分が良い。
「おはよう、アダム。起きていたんだね」
「ニコール。すみません、随分と眠ってしまったみたいで、見張りもせず」
馬車の外からひょこっと顔を覗かせたニコールに、アダムスカは慌てた。久しぶりの熟睡にぼんやりしていたが、予定されていた一時間ごとに交代の見張りをすっぽかしてしまった事に気付いたのだ。
「いいんだよ、アダム。実を言うと私も眠っていたんだ。その……君を抱き枕のようにしてぐっすりと。朝からエリックに小言を言われたよ。『副団長殿は気侭でいいな』って。ふふ、ちょっと冗談めかしていたけどね」
ニコールはすっかりエリックと和解して、以前までは互いに棘のあった言葉も肘で小突き合う程度の会話になった。元々同期で入った頃は仲も悪くなかったので、アダムスカのおかげで関係を見つめ直す良い切っ掛けだったと誇らしげだ。
「それより朝食にしよう。エリックが今、ベーコンを焼いてくれてる」
「……ベーコン。えへ、ちょっとよだれが」
「ハハハ、お腹が空いているんだね。行こう、二人が待ってる」
たった半日の旅ではあるが、ひと晩は森で過ごすのもあって、朝食になる程度の食糧を少し贅沢に積んだ。せっかくなら調理器具も、と持ってきたフライパンひとつで、今はエリックがベーコンエッグを調理中だ。こんがりと肉の焼ける音、それから旨味を感じる脂の匂いが漂ってきて、お腹が、ぐう、と鳴った。
馬車の外に出ると、少し離れた場所で焚火のうえで調理するエリックがいる。寒い夜とは対照的に朝は程好い空気で、火の傍にいると暑いくらいだ。額に汗をじわっと滲ませて、卵に火が通るのを待っていた。
「……おう、起きたか。あれから眠れたみてえだな」
「おはようございます、エリックさん。おかげさまで」
ブレットは気恥ずかしいのか目を合わせようとせず、エリックがそれに気づくと眉間にしわを寄せて「コラ、挨拶くらいしたらどうだ」と怒られて、余計に視線を逸らしたまま「おはよ」と短く言った。
昨夜の本音で話し合った事を振り返る。許したとはいえブレットもまだ慣れておらず、正しいあるべき接し方が分からないのだ。
「ブレットくんも、おはようございます。昨夜はごめんなさい、代わってもらっておきながら一度も起きなかっただなんて……」
「い、いやいや、いいよ。ゆっくり休めたなら良かった」
ホッと安心する。昨晩にブレットが見たアダムスカは顔色がひどく悪かった。もしかとたら、そのまま倒れてしまうのではないかと思うほど。それが今朝には顔色もよくなっていて、初めて会ったときよりもずっと元気に見えた。
「ほれ、座った座った。メシが冷めないうちに食え。ニコールたちが色々積んでてくれて助かったぜ。冷たい川で魚を獲るのはごめんだ」
テーブルはないが、持ってきた人数分の更に食事を載せてエリックが配ったら、揃ってから皆で食べた。フライパンにはおかわりもある。食べてからの出発ではなかったので、ニコールとアダムスカは特に空腹だった。
「アダムスカ、おかわりはあるんだからせっつくなよ」
「んへ。ありあほうございまふ」
「口にモノ入れたまま喋んな。飲み込んでからにしろ」
見ていたニコールが、口元に手を当てて可笑しそうにする。
「あははっ、君たちは親子みたいだ。エリックは良い父親になれそうじゃないか」
「女が寄って来てくれんならの話だけどな。相変わらず日照りが続いてる」
もう結婚しても良い歳だが、エリックには相手がいない。というより親衛隊は残念ながらむさくるしい男の都ともいえるほど女性がおらず、ニコールを含めて二人だけなうえに、もう一人は既婚者だった。
「でもエリックさんって伯爵家のご令息ですよね。結婚するんでしたら、他の家門のご令嬢とかは縁があったりしないんですか?」
「……縁談は来るんだけど、俺が断ってんだよ。好きでもない相手と結婚するなんて、イケメンならともかく俺みたいな平凡以下じゃ申し訳ねえ」
決してエリックは醜いわけではない。かといって美しいわけでもない。自分の事が好きでもない令嬢と結婚して、お互いに幸せな道を歩めるはずがない。だから結婚はしなかった。それが正しいと思ったから。
「ま、俺はこうやって仲間と団らん出来てるから不満もねえ。爵位なんて貰っても、結局は持て余しちまうだろうし。親父の仕事継いだって、俺の代で終わって他の奴が事業をやりゃあいい。そのへんはブレットの意見も大事だけどよ」
「俺は兄貴がいいならそれでいいよ。騎士団の方が性に合ってるから」
兄弟だなあ、とニコールもアダムスカも微笑ましくなった。
「つうか、俺たちよりもお前らはどうなんだよ。特にニコール!」
「え。なんで私なんだ……?」
話を振られて驚いたニコールが自分を指差して戸惑う。エリックは呆れたように顔を手で覆って首を横に振った。
「平民出身つっても、親衛隊じゃ指折りの実力だろ……。狙ってる奴は多いんだぜ、意外と。そのくせ本人の聞こえない場所で陰口叩きまくってるけどな」
「はは、確かに。君みたいに堂々と言ってくる方がマシだ」
今まで何度聞いたか分からない。通りかかった廊下の向こうで『女のくせに生意気な奴だ、どうせ結婚したら親衛隊もやめるくせに』とか『平民出身の分際で顔が良いからって俺たちを馬鹿にしてる』などと、なんとも気分の悪くなる声はいくらでも届いた。わざわざ出ていくのも億劫になるくらいだった。
その点、エリックは違った。同期だからなのか、気に入らなければ真正面から堂々と言いに来たし、陰口を叩くのを見つけたら『直接言えばいいだろ。根性のない奴め』と口論をしているのを聞いた事もあった。
今思うと、そう悪い男ではなかったのだなとしみじみ感じた。
「アダム、君はどうだ。結婚願望なんかはあるのか?」
「……そうですね。アタシは……エリックさんと同じです。こうして団らんがあるだけで、すごく幸せだなって思いますよ。だから結婚願望はないかも」
良い子だなあ、と全員がほっこりした。エリックはフライパンに残っていたベーコンを温め直してアダムスカの皿を取った。
「ちくしょう、残った分はもらおうと思ってたがもってけもってけ! 腹が減っちまったら何も上手くいかねえからな。お前はそのまま純粋でいろよ……!」
「こんな良い人を嫌ってたと思うと自分の見る目に自信なくなるなぁ」
ニコールもうんうん頷いて、しれっとアダムスカの皿からベーコンを一枚取って口の中に放り込んで
「やはりアダムは良い子だ、私の友達だもん」と自信に満ちている。温かい空気に、アダムスカは昔が戻ってきたようで嬉しくなった。
「ふふん、ありがとうございます。皆さんが優しくてアタシも嬉しいです」
────願わくば、この時間がずっと続きますように。