EP.12『夜よ、穏やかに』
しばらく火の番をして過ごす。ふと、孤独になった気がして怖くなる。自然と身を縮こまらせて、どうかこれが夢ではありませんようにと願った。
夜は怖い。狼が出るからとか、暗いからとか、そんなものは生ぬるいとさえ思えるほどの恐怖が染みついている。引き裂かれる肉体。刎ねられた首。食い千切られた死体。目を閉じれば絶叫が聞こえてきそうで堪えられなかった。
もう、それが七年続いている。消えない、終わりのない悪夢。毎晩、毎晩、変わらぬ悪夢が囁く。お前のせいでみんな死んだ。お前のせいで。
「……もうウンザリ」
考えたくもない。聞きたくもない。背負った責任の重さは分かっている。だがそれでも、当時の自分には戦う力がなかった。戦いに加わっても加わらなくても、そう大きな差はない。せいぜい死体の数がひとつ増えるだけ。
だから許されるのか? 否、そうではない。それに許されたいとも思わない。見殺しにした。育ての親でさえ見殺しにしたとアダムスカは自分を責めた。
「どうしたの、アダムスカ。顔色が悪ぃみたいだけど」
「あっ、ブレットくん」
「次の見張りは俺だって兄貴が。眠れないの?」
「……はい。どうしても眠れないんです、疲れてても」
寝たら余計に疲れる。精神的に不安定になるのを避けるために、明け方まで起きている事がいつもの日常だ。幸いにもアダムスカは、元から睡眠時間が三時間から四時間程度で済むため、日中にも三十分ほどウトウトできれば良かった。
「ふうん。寝ないんなら俺と話でもする?」
「いいんですか。あなたはアタシの事が嫌いだと思ってたんですが」
「う~ん、嫌いって言うか」
自分の感情を振り返ってみて、ブレットは別にアダムスカが嫌いではなかった。
「ただ憎かったんだ。母さんが死んで、あんただけが生き残って。でもそんなものはやり場のない怒りの都合の良い捌け口に過ぎなくて」
失ったものが大きすぎた。ブレットにとって母親は何より大切で尊敬できる人だった。剣術の才に優れ、決して弱者を見捨てない人格者。だからこそ戦いの中で命を落とすだろう事は幼い頃からなんとなく分かっていた。
父親にしたってそうだ。どんなときでも覚悟があった。耐えられるかどうかは別だとしても、必ず別れのときは来るものだと理解していた。兄のエリックも訃報を受け取ったときからずっと気を強く持っていた。弟の前では恥ずかしい姿を見せるまいと、泣くのは自分の部屋の中だけ。それでも声が外まで漏れていたときの事は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
では自分はどうなのか。ブレットは振り返って情けなくなった。
「あんたのせいじゃないって分かってるのにさ。いつまでもウジウジしてた。誰かのせいにしないと自分が嫌な奴に思えてきそうで、本当に馬鹿だよな」
「……ブレットくん。アタシが逆の立場でも同じ事してたと思いますよ」
それは人間的な防衛本能とも言える。家族の死、仲間の死で精神的苦痛を受けない方がおかしく、自身を守ろうとして仮想敵を作ったに過ぎない。そうする事でしか自分を守れないほど弱ってしまっているからだ。
アダムスカもかつてはそうだった。貧民街で暮らしてきて、嫌な事はいつだって誰かのせいにしてきた。そうでなければ壊れてしまいそうだった。だから胸が痛むほどブレットの気持ちは分かる。
「アタシは誰も恨んでないですよ。むしろ、そうなって然るべきだと思ってます。結局、アタシが戦えなかったから、戦わなかったから生き残った。でもそのために何人が命を擲ったのか。想像するだけで震えてくるんです。今でも聞こえるんだ、アタシの耳にはずっと……アタシの名前を呼ぶ声が……」
脳裏にこびりつく仲間の声。恨む言葉。なぜお前だけ生き残ったんだ。お前が戦わなかったから皆死んだ。お前のせいだ。お前のせいだ。お前のせいだ!
「アダムスカ? ねえ、アダムスカ、大丈夫か?」
「あっ……はは、すみません。少し考え事をしてたみたいで」
「そっか。大丈夫ならいいんだ。お互いさっさと解放されたいよな」
「ええ。きっとゴアウルフを討伐できれば全部変わりますよ」
未だ覚めない夢。けれども、再び現実と向き合うときが来た。アダムスカもブレットも、心の傷を癒すために乗り越えなければならない壁がある事を今はよく理解している。前に進むしかない。たとえ上手くいかない可能性があってもだ。
「そうだな。じゃあ後は俺が火の番をするから、あんたは馬車へ行きなよ」
「えっ。いや、だからアタシは夜って眠れなくて」
「そうだとしても体は休めなくちゃ。毛布に丸まって体を横にするだけでもいい」
「う~ん、そういうものなんですかね?」
「そういうものだよ。座ったままじゃ体が休まらないから」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。あまり思いつめないでくださいね」
ニコニコと微笑んで頷いたブレットに礼を言って、ひとまず馬車に戻る。大して疲れなど取れる気もしなかったが、端に丸まっていた毛布を取って包まった。まだ眠っていなかったエリックがちらっと薄目に見てからまた寝る姿勢に入った。
「(寒……。やっぱり焚火の前の方が落ち着いたかな……)」
横になるかどうかと悩んでいたとき、ふとニコールが目を覚ます。
「あ、アダム。眠れないのか」
「ちょっと寒くて」
「ふふ、そうなんだ。じゃあこっちにおいで、一緒に温まろう」
「え? あ、ちょっと……ニコール?」
寝ぼけているのか、まるで犬か猫で暖を取るようにアダムスカを引っ張って抱き寄せ、そのままニコールはすうすう寝息を立て始める。なんとも落ち着かない。今度は逆に緊張して眠れないと顔を真っ赤にした。だが、そのおかげか頭の中にあったもやもやは消えて、それからほどなく段々と落ち着いてきたときにアダムスカは優しい温かさに包まれて、もう何年振りかと分からない穏やかな眠りについた。