EP.11『眠れない夜』
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オールドサリックスへ行く途中、小さな森をひとつ抜ける。馬を休めるのに加えて普遍的なサイクルの出来あがっていた中での出発だったので、ひと休みするために馬車を森の中を通る小さな川の近くに止めてひと晩を過ごす。
狼や熊が出て馬を襲ってはならないと交代で見張りを立てる事になり、賑やかだった四人の馬車からは今は寝息だけが聞こえてくる。二回目の交代で見張りをしていたエリックが、焚火が消えないよう薪の代わりになりそうな木を運ぶ。
「……よいしょっ、と。これくらいあればいいか」
足りない分は次の見張りが運ぶだろう、と倒木に腰掛けてあくびをする。見張りは嫌ではないが、極めて健康的な毎日を送っていたせいで少し眠かった。
「代わりましょうか、エリックさん」
「お? なんだ、アダムスカ。寝てなかったのか?」
火をいじりながら、エリックが横目にアダムスカを見た。落ち着かないのだろう、と察して倒木の端の方に寄って、アダムスカが座りやすいようにする。
「失礼しますね。どうにも眠れなくて。……不安、なのかもしれませんが」
「はっはっは。そりゃそうだろ、これからゴアウルフ討伐なんだから」
「そうではなくて。アタシ、怖いんです。また皆が傷付いたら、って思うと」
目の前で大勢の仲間が殺された。その記憶がアダムスカの脳裏にこびりついて取れない。恐怖が蘇ってくる。足が竦んで恐怖して、ただ見ている事しかできなかった自分を思い返すと、またそうなるのではないかと胸が苦しくなった。
もう、とっくに忘れていたはずの感情だ。どれだけ責められようと、生き続けなければならないと使命のように過ごしてきた。誰にも好かれる事はなく、誰をも好きになる事はない。そうすれば無感情に、無機質に生きられるから。
なのに、できなくなってしまった。ニコールが手を差し伸べてくれた。助けようとしてくれた。信じさせてくれた。だから嫌いになれなくなってしまった。好きになってしまった。突き放せなくなった。失うのが怖くなった。
「アタシ、ニコールさんのおかげで少し笑えるようになったんです。だから失うのが怖いんです。もちろん、それはエリックさんやブレットくんも……」
「なんだよ、俺らの心配までしてんのか? ハハハ、こりゃ頭が痛いな」
焚火で薪が爆ぜる音を聞きながら、エリックは手を温めて、息を吐く。どう諭したものかと少し考え、それから────。
「まあビビる気持ちも分かるけどよ。そりゃまあ、気にしなくていいんじゃねえか。俺やブレットはともかく、ニコールは死にやしねえさ。あんなに強い奴、親衛隊にだって他にいねえよ。ソードマスターでも稀有なオーラ使いだからな」
ソードマスターになれる騎士は、オーラと呼ばれる魔法使いの持つ魔力に似たエネルギーを体内に宿す。扱える者の振るう剣はあらゆるものを切り裂き、肉体は鋼のように強くなるとも言われている。実際のところ、どれほどかは分からないが、ニコールは紛れもなくオーラを扱えるソードマスターのひとりだった。
「羨ましいよな。俺だって本当は親衛隊長くらいにはなりたかった。おふくろが死んじまって、俺はそうはならねえって親衛隊に入ったのに、結局、その背中を追いかけるみたいにニコールに嫉妬しちまった」
伯爵家を継ぐだけで安泰。そう考えて親衛隊長の道を諦めたのに、嫉妬心からニコールに対する攻撃的な態度は変えられなかった。なんでこんな小さい女が俺よりも強いんだと。真面目に鍛錬してるのに、なぜ追いつけないんだと。ニコールの態度が母親を思い出させ、なおさら腹を立てて。
「今回の事で、俺もちったあ変わりてえもんだ。出来の悪い弟もいるし、カッコ悪いところは見せらんねえだろ。……だからアダムスカ。お前も命懸ける覚悟しとけよ。俺らが死んでも、ニコールとブレットは守るべきだと思わねえか」
「……あ。そうか、そうですね。確かにそうかもしれません」
アダムスカはそんな事に何故気付かなかったのか、と頷く。かつては足が竦んで何もできなかった。今は、ずっと鍛え続けてきた。当時よりもずっと強い自分がいると確信している。だったら倒せるはずだ。命懸けでもいいから、大切な人を守って、今度は自分が背負うべき役割じゃないか。守られてばかりだったのなら、次は自分が守ればいい。昔とは違うんだ。アダムスカに強い想いが芽生えた。
「ま、誰も死なずに怪我もなく、無事に帰れるってのが一番だけどよ。世の中そんなに甘くねえんだっておふくろの事で痛感してっからなぁ」
「そうですね……。私も養父を亡くしているので、本当にそう思います」
最期に見た姿が忘れられない。何度も何度も名前を呼んで『悪かった、アダムスカ、すまなかった』と息絶えるまで叫ぼうとした養父の事が脳裏をよぎって、泣きそうになる。また会いたい。会いたくなった。
「泣くなよ馬鹿。俺が悪いみたいじゃねえか」
「へへっ、すみません。ニコールには見せられませんね」
「アイツはそういうの慣れてないからなァ」
火の番にも飽きて、エリックが立ちあがってぐぐっとのびをする。
「さて。良い時間になったし見張りも交代の時間だ。俺はブレットを起こして来るから、お前も寝た方がいいんじゃねえか?」
「いえいえ。アタシが見てますから、起こさなくても大丈夫ですよ」
気を遣ってそう言うと、エリックは口先を尖らせて複雑そうな顔をした。
「お前はすぐそうやって……。いや、いい。とにかくブレットは起こしてくる。あいつが寝るって言ったら、そうさせてやりゃいい。順番は順番だからな」
「ふふ、そうですか。では、そうしておきます。ありがとう、エリックさん」




