第81話 異端の火種
その地下礼拝堂は、まるで“神の器”を迎え入れるためだけに作られたかのような荘厳さを備えていた。
人の気配は乏しく、空気は凍るように冷たい。石造りの壁と床には魔力封印の紋様が刻まれ、天井には神々を象った浮彫が祀られている。何十メートルにも及ぶステンドグラスの奥には、陽光の代わりに幻光石が微かに明滅していた。
その中心に置かれた大理石の玉座に、漆黒の僧衣を纏う男が静かに座していた。金糸で刺繍された十字の紋様が、彼がただの祭司でないことを示している。
教会系クラン、“セレスティア”僧正――その名を口にする者は、表向きの信徒には存在しない。だが、知る者にとっては、世界の“選定”を司る影の重鎮として知られている。
そんな人物を前にしても、蛇島は臆する様子すら見せず、ややくたびれたコートを払って足を止めた。
「ずいぶん立派な作りだな。聖職者の美学ってやつか?」
軽口に反応する者はいない。背後で扉が閉まり、空気は密室の重みに沈んだ。
隣を歩く尾上は、深々と頭を下げて一礼した。
「このたびは、特別なお時間をいただき誠にありがとうございます。日本から参りました尾上と申します。同行の者は――」
「蛇島で結構」
蛇島は尾上の言葉をさえぎり、片手を上げて名乗った。
「肩書きとか所属とか、そっちの信頼じゃあまり意味がないんでね。今日は“情報”を携えてきただけだ」
僧正は答えない。まるで石像のように微動だにせず、ただ彼らの言葉を聞いていた。
だが、玉座の隣に右手に控える副僧正は、一瞬、蛇島に向けて殺気を含んだ視線を投げた。異邦人の無礼がどれほど重い意味を持つか、彼らは熟知している。
蛇島は、そんな視線も無視して堂々と歩を進める。
「“神の器”について話をしに来た。……“選定”の話だ」
その一言で、礼拝堂の空気が微かに揺れた。
玉座の左手に立っていた聖騎士がわずかに体を硬直させ、神殿内の魔力の流れが僅かに乱れる。人為的な“動揺”――教会という組織において、“神の器”や“選定”という単語は、決して軽々しく口にされるものではなかった。
僧正が、ようやくわずかに首を傾けた。
「……貴様、その言葉の意味を知って口にしているのか」
その声は低く、石を擦るような冷たさがあった。
蛇島は笑みを浮かべたまま返す。
「もちろん。教会における“神の器”や“選定”の話は有名だ。ただ自分を売り込むだけなら、こんなところまで足を運ばない。これは、お前らが最も欲している情報だ」
尾上が、僧正の反応を読みながら、一歩進み出る。
「我々の目的は、ある人物の存在を確認していただくこと。そして、貴教会における教義上の価値を判断いただくことにあります」
その口調は、いつになく硬い。普段の冷静さを保ちつつも、その目は真剣そのものだった。
「ふむ……名を」
「遠野夏希。年齢は二十。東京にて冒険者として登録済み。現在C級。所属クランは《暁ノ追糸》。スキルは《癒糸》」
僧正の瞼がわずかに動く。
「《癒糸》か」
「ご存じでしたか?」
「光属性のレアスキルは把握しておる」
その返答に、蛇島が口角を上げた。
「なら話は早い。“レアスキル保有者”が、もしも“神の器”だったとしたら?」
礼拝堂の奥に、重い沈黙が流れた。
蛇島は一歩進み、結界の縁に立ったまま、言い切った。
「“可能性”――それだけで、この世界が動く。だから今日、ここに来たんだ」
尾上は再び鞄を開き、厚手の魔力防護紙に包まれた一束の書類を取り出した。
それは、普通の冒険者は決して得ることのできない――ギルドの“内部監査資料”だった。
「これは、東京スタンピード事件の際、ギルド管理課が取得した記録です。我々が元々所属していたクラン、《ヴァルグラン》は、ギルドを含め各所に協力者がいました。これは、管理課にいた山上という協力者によって《ヴァルグラン》へ提供されたものです。これとは別の不正がばれ、この者は既にギルドにはいませんが、裏取りをしたければご自由になさってください」
尾上は続ける。
「記録によれば、スタンピードの際、遠野夏希が所属するパーティーが、B級ボス相当のオーク・ウォーロードを討伐したとあります。当時D級の遠野夏希は、スキル《癒糸》を用いて、複数回の高出力ブーストを仲間に行使しています」
「直接的な火力参加はないが、戦術上は不可欠な支援者だった、ということか」
僧正の問いに、尾上は頷く。
「なるほど……D級冒険者がB級のボスを討伐したとなれば、たしかに、“神の試練”を超えた可能性はあるか……」
僧正はやや神妙な面持ちで呟いた。
「だが、よもやそれだけを伝えにここまで来たわけではあるまい?光属性スキル保有者が格上を討伐すること自体は、ないわけではない。それだけでは、教会は動かん」
ここで蛇島が割って入る。
「当然だ。少し前に奴らと揉めたが……そのときに、遠野夏希の仲間が、金色に輝く魔力をかすかに纏っていた。しかも、明らかにデバフ系スキルに対する抵抗が高まっていた。奴らの中で補助系のスキルを持っているのは遠野夏希のみ。あれは間違いなく癒糸の影響だ」
「その金色の魔力に関して、証拠はあるのか?」
「証拠はねえ……が、俺はB級冒険者だ。見間違えはあり得ねえ」
ちらりと僧正が副僧正に目配せをする。
「興味が湧いてきただろ?ただの光属性支援職だったはずが、“神の試練”とやらを乗り越え、魔力に金が混ざり始めた。神に選ばれた器なら、筋は通る話だ」
僧正は慎重だった。その冷静な姿勢に、逆に教会としての重みが滲む。
(金色の魔力……神の試練を超えているのだとすれば、たしかに覚醒を果たしているのかもしれん。直接魔力反応が確認できれば確実だが……それかスキルの自律反応でもあれば。……いや、いずれにせよ、後手に回ってセントエデンに確保されては意味がない)
沈黙。
資料をすべて読み終えた僧正は、それらを静かに重ね、机の上に置いた。
「……“選定”、すなわち“聖属性への覚醒”の条件のうち、公にされているのは、“光属性スキル保有者による神の試練の克服”のみ。我々セレスティアは、それ以外の条件も把握しているが、それでも完璧ではない。そもそも過去百年、聖属性への覚醒者は数えるほどしかおらんからな。……だが、神の試練を乗り越えし者が、金色の魔力を纏っているのであれば、さすがに無視はできん」
「つまり、選定候補だと認定する、ってことか?」
蛇島が問うた瞬間、僧正は目を伏せたまま、呟くように言った。
「光の波に、神の印が刻まれているならば――その者は神の器足り得る。疑念があれど、可能性がある限り、我らは動かねばならぬ」
静寂が礼拝堂を包む。
副僧正は姿勢を正し、目を閉じてその言葉を受け止めていた。まるで、選定が人間の手によるものではなく、天啓として下されたかのように。
僧正は視線を背後のステンドグラスへ移した。
そこに描かれているのは、一本の光を放つ糸と、それを操る天使の姿。だが、下部にはその糸が黒に染まり、大地を断つ姿が彫られていた。
「選定とは、祝福ではない。審判だ」
尾上が眉をひそめる。
その言葉に、場の空気が変わった。
副僧正が、わずかに目を開きかけた。だが、僧正が手で制し、そのまま言葉を継ぐ。
「九十年前、かつて現れた神の器は、世界を混沌に陥れた。我らの記録に残る唯一にして最悪の“堕天”だ。光が怒りや絶望と共に黒へ反転し、その力は“癒し”ではなく“断罪”へと変貌した」
蛇島が口角を歪めた。
「そんな話は聞いた事ねえぞ」
「当然だ。ユニークスキル“忘却”の協力を得て、当時の世界から堕天の存在自体を消した。我々教会の一部のみがその事実を知り、引き継いでいるのだ。あれは“災厄”だ。だからこそ――我らは“その前兆”を見逃さない」
「そして、制御するか、封じるか」
「いや、“使う”」
僧正の声がわずかに低くなる。
「セレスティアは、神の器を神へ繋げる祭具として扱う。これは我らの教義であり、絶対の信条だ」
尾上が確認するように問う。
「つまり、制御ではなく“行使”?」
「そうだ。選定された聖女は、神と交信し、力を具現化する。神託とは、神が語るのではなく、“聖女を通して発現する力”のことだ」
蛇島は顎を軽く撫でながら、肩をすくめた。
「それじゃあ、おたくらの“管理方針”と正反対の連中が動いたらどうする?」
「セントエデンか。……やつらは、力を封じるために聖女を“収容”する。それが“世界の安定”だと信じている」
「信仰の違いが、方針の違いになったわけだ」
「信仰は教義に。教義は手段に。やがて戦いとなる。我らとセントエデンの分裂は、そうして起きた」
僧正は再び、正面に向き直る。
「セントエデンにも、この情報は遅からず伝わる。どちらにもネズミが紛れ込んでおるからな。我らがこの情報を得た時点で、やつらもまた動き出す」
「じゃあ、競争だな」
蛇島の口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「おたくが先に確保できなきゃ、“管理”か“封印”されるぞ」
「……そのようなことにはさせぬ。第二の器に触れる資格を持つのは、セレスティアのみだ」
僧正は厳かに告げた。
「“神は器を選ぶ”のではない。“器を掴む手”を選ぶのだ」
僧正の宣言と同時に、空気が変わった。
それまで瞑目していた副僧正と聖騎士が頭を上げ、命令を待つ姿勢を取る。その動作に一切の私情はなく、まるで神の意志をそのまま体現する器のようだった。
僧正が右手をわずかに上げる。
「認定する。遠野夏希――我らが教義における“神の器の選定条件”を満たす可能性がある。これをもって《第二候補》と認定する」
「“第二候補”?第一がいるのか?」
蛇島が訊くが、僧正は首を横に振らなかった。
「……かつての“第一”は、我らが見落とした。ゆえに、セントエデンが確保しておる。現状、世界で唯一の“聖女”のことだ」
その言葉に副僧正は沈痛な面持ちで応じ、深々と頭を垂れる。
「ゆえに、迅速に保護、確保、そして制御を開始する。聖騎士隊第一部隊、第二小隊を召集せよ。補助魔導師班および記録官も同行とする」
「日本へ?」
尾上が確認するように問う。僧正はうなずいた。
「転送拠点は既にヨーロッパ東部支部に整備済み。出発は三日後とする」
「こちらでも協力は惜しみません」
尾上が即答した。蛇島がすぐに口を挟む。
「ただし、“保護”の名の下に強引な拉致を行えば、ギルドも政府も黙ってはいない。日本は信仰国家じゃない。信じるより、疑ってくる」
僧正は微かに笑った。
「ならば、信じさせればよい。“神の器”を制御する力が我らにあると」
蛇島は肩をすくめ、尾上とともに僧正の前から一歩退いた。
「では、俺たちはこれで。ここから先は、お前らの仕事だ」
「……言っておくが、堕天を含め、貴様らは知りすぎている。もはや教会の枠組みから外れることはできないと心するがよい」
僧正が静かに立ち上がる。
「器は、神の前に等しく。だが、握る手が正しければ、その力は祝福となる。……我らセレスティアこそが、その手足となるのだ」
副僧正が合図を送り、後方の石扉が自動的に開く。
蛇島と尾上は背を向け、出口に向かって歩き出す。
その途中、蛇島が立ち止まって振り返る。
「これで、日本も少しは揺れるな。久々に面白くなりそうだ」
誰も返さない。だが、その沈黙が“同意”であるかのようにすら感じられた。
尾上も足を止めることなく言葉を投げる。
「セントエデンが動いた場合の対応策は?」
「それについては、すでに予測済みだ」
僧正が扉の向こうから応じた。
「問題はない。我らの手は、あちらの内側にも伸びている」
蛇島の口元がわずかに釣り上がる。
「相変わらず……教会ってのは、裏切りと粛清と神託の三本柱だな」
その言葉に、誰も否定はしなかった。
最後に石扉が閉まり、重厚な音とともに礼拝堂の空間は再び静寂に包まれる。
僧正が、燭台に近づき、一本の蝋燭の火を吹き消す。
その瞬間、礼拝堂全体の幻光石が静かに消え、完全な闇の中で彼の声だけが響く。
「神は器を選ばぬ。器を奪う者に、力を与える」
闇に沈む声は、それが信仰の名を借りた“戦争”の始まりであることを告げていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ご報告ですが、諸事情により、次話以降はカクヨムのみで掲載することになりました。
そのため、大変申し訳ないのですが、なろうでの掲載は本話で終了となります。
本エピソードから始まる“聖女編”の続きは、明日以降、カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818622174550717570)で引き続き掲載いたします。
もしよければ、そちらでお読みいただけると嬉しいです(ブックマーク・★も大歓迎です)。




