第80話 日々の積み重ね
香港から帰国し、数日後。
暁ノ追糸E級チームの穂積奈々、篠塚、木野は、E級ダンジョンの探索をしていた。
「篠塚くん、右から来るよ!」
「任せろッ!」
盾を構えた篠塚が、そのまま敵の体当たりを真正面から受け止めた。
金属が擦れるような音と共に、発動した《硬化》が体を強化し、ギリギリのところで体勢を保つ。
「くっ……氷、行けるか!」
「うん――《フリーズ・ボルト》!」
木野が詠唱を終え、指先から鋭く研がれた氷の魔弾を撃ち出す。
直線的に飛んだ氷が敵の肩口を貫通した。
その後方では、奈々が何度目かの回復魔法を展開していた。
「……《ヒール》」
篠塚の肩口を走っていた切創が、やわらかな光に包まれて瞬く間にふさがる。
「ありがとう、穂積……もう何回目だろ、今日……」
「七回。無理させてごめんね。でも、安定して回復できるようになってきた気がするの」
奈々は小さく笑って言った。
国際大会ではサポートに徹していたが、彼らには彼らの“やるべきこと”があると分かっていた。
日々少しずつでも、確実に強くなること。――それだけは絶対に忘れていなかった。
***
「本日の探索記録、たしかに受理しました」
東京ギルド本部、記録課の窓口で、端末を操作していた女性職員が静かに頷く。
「では、スキルチェックへ移ります」
3人は、緊張した面持ちで順番を待った。
最初に呼ばれたのは奈々だった。
「……《回復魔法》、レベル3に到達しています」
「え……!」
「篠塚恭平、《硬化》レベル2。木野湊也、《氷魔法》レベル2。いずれも適正な成長が確認されました」
報告を受けた3人は、互いに顔を見合わせ、そして――小さな歓声が上がる。
「よっしゃああああああああ!!」
「やった……!!」
「……俺たち、ちゃんと強くなってるんだ……!」
少しだけ涙ぐむ奈々の横で、篠塚がガッツポーズを取り、木野がこくこくと頷き続ける。
職員が笑みを浮かべながら補足した。
「D級昇格には、“明確なダンジョン踏破記録”が必要です。スキルレベルは申し分ありませんので、あとは実績だけですね」
「じゃあ……もう一回、行ってきます!」
篠塚が迷いなく即答した。
「今日の魔力残量では無理でしょう。明日以降にしておいてください。しっかり準備してから挑むことです」
「は、はい!」
明日。
いまの三人なら、きっと達成できる。
その確信が、今日という日を特別なものに変えていた。
***
翌日、三人は再びE級ダンジョンへと足を踏み入れた。
目標は、ダンジョンの踏破。
敵の攻撃は、昨日までの階層よりわずかに強く、動きも鋭かった。
それでも、篠塚の盾は崩れず、木野の氷は揺らがず、奈々の回復は一度も遅れなかった。
E級ダンジョンにおいて、三人の連携は“危なげなく”という表現が相応しいほどだった。
「よし……ここが、最奥だな」
最後に現れた大型個体――大型の猿型魔物が、牙を剥いて咆哮を上げた。
音圧で天井の苔がぱらぱらと舞い落ちる。
「……こいつが、ボスか」
篠塚が一歩前に出る。硬化が発動し、腕と脚にうっすら金属質の光が宿った。
「魔力量高め。攻撃は中距離跳躍系。気をつけて」
木野が簡潔に警告する。
次の瞬間、魔物が飛んだ。
天井に手をかけて跳躍し、壁を蹴って一直線に篠塚の上へ落ちてくる。
「させるかッ!」
篠塚が盾を斜めに構え、受け止めると同時に《硬化》をさらに上乗せ。
衝撃で地面がきしんだが、膝を落とすことなく耐えきった。
「右足、バランス崩れた! 今!」
「了解、《フリーズ・スパイク》!」
木野が発動した氷の魔弾が三連射で放たれ、跳躍直後の着地点に正確に命中。
うち一本が膝を撃ち抜き、猿型の動きが鈍った。
「今のうちに削る!」
篠塚が前進し、盾で押し込む。カウンター気味に振り上げられた腕を、寸前で回避――だが、そのまま左脇腹に引っ掻き傷を受けた。
「……ぐっ!」
「《ヒール》!」
奈々がすかさず魔力を送り込む。裂傷が癒え、体勢が崩れる前に篠塚が踏みとどまる。
「ありがとう、助かった!」
敵が再び跳び上がる。今度は木野を狙った軌道だ。
「木野さん、左に避けて!」
奈々の声に反応するように、木野がローリングで軌道を外す。
魔物が着地する前に詠唱を終え――
「《フリーズ・バレット》!」
回転により貫通力を増した氷弾が、正面から敵の額を撃ち抜いた。
動きが止まり、そのまま膝を折る。
だが、まだ息があった。
「木野さん、トドメ……!」
木野の氷弾が、眼窩を貫いた。
敵が、崩れるように倒れる。
数秒の静寂。
「――倒した」
誰かがそう呟いた瞬間、ようやく全員の体から緊張が抜けた。
その瞬間、三人の中で何かが弾けた。
「やった、やったあああ!!」
「これで……!正式にD級だよな!?」
「うん……うん、やった……っ!」
奈々が涙ぐみ、篠塚が拳を空に突き上げ、木野がその背中を思いきり叩く。
***
ダンジョンからの帰還後、ギルドでの審査を経て、三人は正式にD級冒険者として登録された。
その知らせが《暁ノ追糸》の拠点に届いた瞬間――
居合わせた全員が、自然と拍手を送っていた。
「おお、ついに来たか!」
真壁がにやりと笑い、羽鳥が目を丸くする。
「三人とも、おめでとう!」
「すごいな……こつこつやってた成果、ちゃんと出てる」
湊の言葉に、奈々は小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。ほんとに、ちょっとずつしか進めなかったけど……」
「その“ちょっとずつ”を積み重ねられるのが、本当の強さだと思う」
篠塚と木野も同時に頷く。
「俺たちも、ようやく土俵に立てた気がするッス!」
「これからもっと頑張ります……!」
拍手と笑顔に包まれるなか、羽鳥がふと呟いた。
「……なんか、うかうかしてられませんね。わたしたちも、そろそろC級に上がらないと」
「だな。抜いちゃいましたなんて言われたら、シャレになんねぇ」
真壁が苦笑し、柚葉も「本気でペース上げようか」と、軽く拳を握った。
D級メンバーもまた、新たな刺激を受けていた。
その夜は、簡単な祝勝会が開かれた。
買ってきたお菓子と冷たいジュース。普段は戦術や訓練の話が中心だが、今日ばかりは笑い話が尽きない。
篠塚は全力で肉まんを頬張り、木野はしきりに「魔力制御、もう少し精度上げたい」と小声でつぶやく。
奈々は、一歩引いたところからみんなを見つめながら――ふと、口元を緩めた。
(……よかった。やめなくて)
自分は、ちゃんと“仲間”としてこの場所にいられる。
その実感が、何よりの報酬だった。
***
D級に昇格した次の日のギルド本部ロビー。
冒険者の出入りが多い昼下がり、奈々はベンチに腰かけたまま、次々と訪れる軽傷者を手際よく治療していた。
「はい、これで完了です。深めの裂傷は縫わなくても大丈夫ですけど……しばらくは無理しないでくださいね」
「あー、助かる。君の回復、噂通りだね。スピードも精度もいい」
「またお願いしてもいいかな?」
回復魔法レベル3――それは、単なる数字以上の意味を持っていた。
傷の治癒速度は速く、効果範囲も広がりつつある。
癒糸のような“応用性”や“属性付与”はないが、回復の“純度”と“効率”だけなら、今の彼女の回復魔法はC級と並んでも引けを取らない。
「ありがとう、穂積さん!助かったよ」
「どういたしまして。気をつけてくださいね」
治癒を終え、笑顔で手を振る。
そんな奈々の様子を、ロビーの端で見ていた三人の女性冒険者が、ひそひそと話していた。
「……あの子、うちに引き抜けないかな」
「ね。支援が安定してると、前衛もすごく動きやすくなるし」
「声かけてみる?」
しばらく悩んだ様子を見せたあと、そのうちの一人――落ち着いた雰囲気の黒髪女性が、奈々に近づいてきた。
「ごめんなさい、今いい?」
「あ、はい。なんでしょうか」
「私たち、C級チーム《ナイトメリア》なんだけど……ちょっと気になってて」
奈々は思わず目を瞬かせた。《ナイトメリア》――都内でもそこそこ名の知れた実力派チームの名前だった。
「あなた、今どこのクラン所属?」
「《暁ノ追糸》です。あの、まだD級になったばかりなんですけど……」
「ええ、聞いたわ。でもその実力なら、うちの中核メンバーとして動いてもらえると思うの。
C級の上位を狙うにあたって、ヒール職の安定がどうしても欲しくて」
言葉を選びながらも、彼女の目は真剣だった。
奈々の回復魔法を見て、即戦力と判断したのだろう。
「……ありがとうございます。でも、すみません。今のクランがすごく好きなので」
丁寧に頭を下げると、黒髪の女性はふっと微笑んだ。
「そう。なら無理には引き止めない。
でも、もし本当に行き詰まったり、やりたいことが見つからなくなったら――その時は、思い出してくれると嬉しいな」
「あ……はい」
女性たちが去ったあとも、奈々はしばらくその場に立ち尽くしていた。
鼓動がまだ少し速い。
誰かからスカウトされるなんて、思ってもいなかった。
(わたし……“求められた”んだ)
かつての自分を思い出す。
仲間を助けられなかった過去。
その日からずっと、「誰かの役に立ちたい」とだけ願って生きてきた。
あの頃の自分から見たら、今の自分は――
(少しだけ、誇っていいかな)
***
クランの拠点は、夕暮れの陽にほんのりと染まりつつあった。
窓際のカーテンが風に揺れ、柚葉がテーブルの上に湯気の立つカップを並べていく。
その静けさの中、玄関の扉が勢いよく開いた。
「――ただいま戻りましたー」
「穂積、手、空いてるー?ヒール頼めると助かる!」
「あっ、はいっ!」
真壁の明るい声に応じて、奈々は立ち上がる。
靴音を鳴らしながら現れたのは、湊・真壁・澪の3人。どうやら軽めの実践訓練の帰りらしく、服は土埃と汗にまみれていた。
「転倒した時に膝、ちょっとやっちまってな。たいしたことないんだけど、放っておくと痛むから」
真壁が言いながらズボンをまくると、膝の横に薄く赤黒い内出血が浮かんでいた。
「これくらいなら……すぐ治ります」
奈々は両手を重ね、そっと真壁の膝へと翳した。
魔力が柔らかな光へと変わり、患部を包み込む。
「……おお。もう痛くねぇや。さすが、安定してんな」
「ありがとう、奈々。助かったよ」
湊もそう言いながら、隣に立つ奈々に目を向ける。
その声は、どこか自然体で、どこか“信頼”の響きを含んでいた。
「はい……っ」
わずかに頬を染めながら、奈々は応じる。
それはほんの一言のやりとりだったけれど、それでも――
(わたし、頼られてる)
目の前で笑う仲間たちの姿。
昔は、傷の手当て一つもろくにできなくて、ただ震えていた。
その自分が、今では……こうして、クランの一員として力を求められている。
――ちゃんと、ここにいる。
「穂積さん、回復お疲れさまでした。お茶淹れてきますね」
三条が気遣いの声をかけてくれた。
柚葉も「すっかり頼もしくなったよね」と後ろで笑っている。
夏希は黙って奈々を見てから、にこりと微笑んで頷いた。
その夜。
皆で囲む夕食の場に、奈々の笑顔がいつもより少しだけ増えていた。
成長は、誰かと比べるものじゃない。
“できなかった昨日の自分”より、一歩でも先に進めていれば、それは確かな進歩だ。
そして、その一歩を、仲間たちはちゃんと見てくれている――
そう思えたから、今日のご飯は、少しだけ美味しかった。




