第78話 国際大会(準決勝)
中級個人戦の準決勝。
会場の空気が変わったのは、対戦相手の名前が読み上げられた瞬間だった。
「――中級個人戦準決勝、暁ノ追糸・神谷湊 vs セレスティア・セレスタイン・ルクレイン」
静まり返った観客席に、かすかなざわめきが走る。
「……教会の、聖騎士……?」
「D級って書いてあるけど……一回戦、圧勝してたよな?」
「護衛ってことは、教会の上層部についてるやつだよな……?」
湊は静かに息を整えながら、剣の柄を握り直した。
一方で観客席からは、三条の低い声が仲間に届く。
「見てたけど、あの人……まともに攻撃を受けた瞬間が、一度もなかったの。
何発も打ち込まれてるのに、全部“さばいて”、終わった頃には相手が立てなくなってた」
「……マジかよ」
真壁が眉をひそめ、羽鳥も口を結んだまま、黙って湊の背中を見つめていた。
そして、対戦者が入場する。
銀の鎧に身を包んだ偉丈夫――セレスタイン・ルクレイン。
瞳は澄んだ青。背筋は直立し、儀礼的な動きすら極めて実戦的に見える。
彼は剣を抜かず、ただ盾を構えて対峙した。
(剣を抜かない……?徹底して護衛職、か)
湊はそう読みつつ、一礼を終えた。
「試合、始め!」
開戦の合図とともに、湊は最初の一手を仕掛ける。
地を蹴り、剣を低く構え、左へステップ。
真正面からの突撃は危険と判断し、斜めから切り込む。
セレスタインは、微動だにしなかった。
(動かない……?)
湊の剣がそのまま振り抜かれる――
が、刹那、盾が回転しながらその一撃を「流す」ように受け止めた。
「ッ……!」
湊は反撃の間を与えず、連撃に移行する。
右から斬り込み、跳ねるように距離を詰め、次の斬撃を肩口へ――
だが、すべて対応される。
盾が面を変え、吸収するように衝撃を殺していく。
湊の手に、まともに鎧に届いた感触はなかった。
(全部、受け流されてる……!?)
セレスタインは一言も発さず、表情ひとつ変えず、ただ淡々と防御を続けていた。
「神谷先輩の剣術Lv5の攻撃を、あんなに簡単に……」
観客席で羽鳥が呟いた。
だが、湊は止まらない。
(《反復》は攻撃行動にも蓄積される。通じないなら、通じるまで叩き込む)
身体強化を用いたうえで、彼は一歩、さらに前へ出た。
剣の振りが、わずかに鋭くなる。
足運びが速く、間合いの詰めが的確になっていく。
セレスタインの動きにも変化が生じる。
盾の角度が、ほんの僅かだが「遅れ」を見せた。
湊はすかさず、踏み込みながら刃を切り上げる。
「っ――」
音が変わった。
金属のきしむ音。盾に押し込まれた剣圧が、わずかに外側の鎧へ食い込む。
観客席がどよめいた。
「今、入った……!?」
「……いや、鎧に弾かれたか?」
セレスタインの顔が、初めてわずかに変化した。
だが、声は発さず、盾を構え直す。
「自分もまだまだだな。この程度の攻撃を完璧に捌けねば、僧正の護衛は到底務まらん」
ひとこと――ようやく口を開いたが、その声には“感情”がなかった。
次の瞬間――
セレスタインの足が動く。
これまでの完全受動姿勢から一転、守勢の構えに“攻勢の間”が含まれ始めた。
(ギアを上げた……!)
湊が踏み込んだその瞬間、盾の面が一瞬で変わる。
ただの防御ではない。
相手の剣を「利用して制す」――一撃で理解できる、次元の違う防御術。
次の一手で、湊の剣は受け流され、バランスを崩しかける。
体勢を戻しても、そこにはもう、“通じる”感触はなかった。
(……通らない)
一瞬だけ、拳を握る。
だが――湊の目に、迷いはなかった。
(なら、一撃に賭ける)
湊は一歩、また一歩と足を踏み出した。
盾に跳ね返され、鎧に逸らされても、彼の剣は止まらない。
(反復は、積み重ねるほどに鋭さを増す。精度も、速度も)
湊の斬撃が優に二十を超えた頃、湊は、自分の肉体が、頭の指示より先に“最適解”を選び取り始めているように感じた。
(あと少し)
湊は、再び聖騎士の懐へ滑り込む。
しかし――
「……ッ!」
聖騎士は動じない。
盾をわずかに傾けるだけで、湊の斬撃の全てを“無意味”にする。
通じない。反復のピークを迎える直前にもかかわらず。
聖騎士は明らかに戦闘強度を“引き上げて”いた。
(なら……これで終わらせる)
湊は息を絞り、一歩大きく引いた。
深く、地を蹴る。
(攻撃の回数は、既に限界まで積んだ。セレスタインを対象とした反復も溜まってる。それに、相手も、常人ならば疲労しているはず)
《反復》の効果――
同一の動作、戦闘を繰り返すごとに、補正がかかる。
斬撃速度、精度、反応、間合いの取り方――すべてが今、最大限まで高まっている。
湊は、剣を構えた。
(最大の一撃をぶつける)
次の瞬間、その日最速の動きで湊がセレスタインに接近し、最速の剣が放たれる。
「はああっ……!」
叫びとともに振り抜かれた剣が、聖騎士の盾と真正面から激突する――
刹那。
鋼と鋼がぶつかる轟音が響く。
地面に魔力の火花が散り、衝撃で空気が爆ぜた。
観客が息を呑む。
だが――
「……ッ!」
音は、ただ“防がれた音”だった。
湊の剣は、確かに盾の面を捉えた。
だが、それ以上には届かなかった。
攻撃の反動でわずかにバランスを崩した湊の足元に――聖騎士の足が滑り込む。
「……!」
盾の縁が湊の腹部に打ち込まれ、反射的に体がのけぞる。
次の瞬間、手元に光が集まった。
「――光槍」
無機質な声とともに、聖騎士の左手から放たれた光が、湊の肩口を撃ち抜いた。
衝撃に体が浮き、後方へ転がる。
観客席が、静まり返る。
「……っ、ぐ……!」
湊が片膝をつきながら、剣を杖代わりにして立ち上がろうとする。
だが、審判の旗が上がった。
「――試合終了。勝者、セレスタイン・ルクレイン!」
その声と同時に、会場にどよめきが戻ってくる。
湊は肩で息をしながら、視線だけをセレスタインへ向けた。
彼は湊の視線に目を向けることもなく、無言で盾を背に収め、会場を背に歩き出す。
一礼も、言葉もなかった。
ただ、徹底された「任務の完遂」のように、足音だけが響く。
(……通じなかった)
湊は剣を鞘に戻し、拳を強く握った。
言葉はなかった。だが、その背中には、燃えるような悔しさが確かに刻まれていた。
***
「……信じられない。あれ、ほんとにD級?」
試合が終わった直後、観客席は静寂とざわめきの狭間で揺れていた。
「攻撃、ほとんど通ってなかったよな……」
「完全に“護衛”の動きだった。隙がなさすぎる」
「神谷湊の攻撃も相当凄かったが……それが、あそこまで封じられるなんて」
その声のどれもが、驚愕と畏怖を含んでいた。
だが、もっとも沈痛な空気は、控室側にあった。
「……湊くん……」
夏希が立ち上がろうとするが、言葉が喉に詰まる。
湊がゆっくりと通路を歩いてくる。
肩に傷があるものの、すでに止血処置は済んでおり、歩行に支障はない。
だが、その表情は、極端に静かだった。
「先輩、大丈夫ですか?」
羽鳥が問いかけると、湊はわずかに頷く。
「うん。……怪我は大したことない」
言葉に抑揚はなかった。
淡々としていて、むしろ“熱”が削がれたような声。
湊は目を閉じて、小さく呟く。
「一撃も、通らなかった。……あれが、“壁”なんだろうな」
誰も言葉を続けなかった。
敗北は、全力を尽くした者にとって、“成長の通過点”である。
それは誰もが理解していた。
けれど、湊という存在が敗北したことは――仲間たちにとって、何よりも重かった。
「湊くん、次の試合、見ていく?」
三条がそう問いかけると、湊はわずかに顎を引いた。
「……はい。少し、見たいです」
「そう……じゃあ、行きましょ」
三条が歩き出し、他のメンバーもそれに続いた。
言葉は少なかったが、誰も彼を責めることはなかった。
むしろ、誰よりも闘って、敗れた者に敬意を抱いていた。
***
次の試合は、他国代表同士の上級個人戦。
中級とは何段階もレベルが違う激しい魔法と近接の応酬が続く中、湊の視線は遠く、静かだった。
ただ、その拳は、膝の上で静かに握られたままだった。
(あの盾を――超えるには、何が必要なんだ)
(剣術だけじゃ届かない)
悔しさはあった。
だが、それは落胆ではなかった。
次に進むための“問い”として、湊の中に刻まれていた。
そのまま時間は流れ、観客席の熱気が一段落した頃、
突如として、空気が変わった。
最初に異変を察知したのは、観客席にいた澪だった。
「……?……湊、南西方向、三百メートル先。強い魔力反応」
その言葉に、湊は一拍遅れて顔を上げる。
「地上か?」
「うん」
澪の声は低く、警戒を滲ませていた。
次の瞬間、競技場の外から――轟音。
「っ……!」
地面が微かに揺れる。
遠くで何かが崩れたような音が重なり、警報がけたたましく鳴り響いた。
「なんだ!?地震……いや、魔力災害か?」
観客席がざわつき、係員が一斉に走り出す。
そのすぐ後――
「市街地南側エリアにて、モンスター出現!全員、避難を!」
アナウンスが響き、群衆の動きが波のようにざわついた。
湊は、反射的に走り出していた。
「行くぞ!」
背後から、仲間たちの足音が続く。
階段を駆け下りながら、羽鳥が小声で告げる。
「複数体反応があります。でも、出現があまりに唐突すぎます」
「召喚された……ってことか?」
真壁の問いに、澪が小さく頷いた。
「目的は分からないけど、おそらく」
「なんだよそれ……!」
地上ゲートを抜けると、熱気と騒然が街を包んでいた。
瓦礫、叫び声、爆ぜるような咆哮。
目の前の路地を、背丈ほどもある魔獣が蹂躙していく。
既に冒険者らしき数名が応戦していたが、数が足りていなかった。
「湊、左手の魔物。援護してくる」
「了解。羽鳥、上取って。真壁、前へ出ろ。柚葉さんは一体お願いします」
「了解」
それぞれが動き、瞬時に隊列が構築される。
湊の剣が抜かれ、最前線で魔物とぶつかる。
「くっ……硬い!」
相手は岩甲種――物理耐性の高い変異体だった。
湊が斬撃を浴びせる間に、羽鳥の矢が真上から突き刺さる。
「《飛燕》」
一の矢が肩を裂き、飛燕により増幅された矢が二の矢を叩き込む。
魔物が咆哮とともにのけぞった瞬間、真壁が風の加速で右側面から突撃する。
「これでどうだ!」
風を纏った拳が、魔物の顎に食い込んだ。
湊が即座に後ろから跳び込み、剣を斜めに振り抜く。
甲殻が裂け、地に崩れ落ちる。
「次、右!」
澪が叫ぶ。すでに次の魔物が別方向から迫ってきていた。
戦いはまだ始まったばかり。
その最中――夏希は立ち尽くしていた。
逃げ遅れた子供が、道の中央で泣きじゃくっている。
他の冒険者が気づかず通り過ぎ、次の瞬間――魔物の影が迫る。
「……っ!」
誰かが叫んだ。夏希は、動いていた。
魔力が集中し、手のひらから《癒糸》が伸びる。
光の糸が子供の身体を包み、瞬間的に引き寄せた。
その直後、魔物の鉤爪が地面を裂いた。
子供は地面に転がるように落ちたが、怪我はなかった。
「よかった……っ」
安堵の息とともに、夏希はその場に膝をついた。
(今、発動したのは――癒糸。でも、金色じゃない。……聖属性は……出てない?)
彼女の手元に残る魔力の糸は、金ではなく、淡い銀のままだった。
「……ありがとう、お姉ちゃん……」
泣きながら抱きついてきた子供の頭を、夏希は震える手で撫でた。
広場の一角、負傷者たちが次々と運び込まれてくる。
冒険者や係員だけでなく、観客の中にも巻き込まれた者は多く、応急処置だけでは到底追いつかない。
その中心で、夏希は立ち尽くしていた。
(助けなきゃ……でも、教会関係者が見てるかもしれない。もしばれたら、みんなに迷惑がかかる……)
震える手を、ぐっと握りしめる。
だが、負傷者のうめき声が、否応なく耳に届いてくる。
「手が……熱い……お願い……助けて……」
足元には、腕を押さえて顔を歪める少年。
まだ十歳にも満たない。足は擦り切れ、服は血に染まっていた。
「……!」
夏希は迷った。
けれど――その一歩が、自然と前に出ていた。
「ごめんね、少しだけ、我慢しててね」
手を伸ばす。
癒糸が発動する。
金の光――ではなく、銀の輝きが少年の腕を包む。
温かな光が皮膚に滲み、傷が塞がっていく。
少年はうつろな目で、夏希を見上げる。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
「ううん、大丈夫。もう痛くないから」
優しく笑いかけながら、夏希は心の奥で、ずっと抑えていたものを解き放っていた。
(やっぱり私は……)
(目の前の人を、見過ごせない)
彼女の目に、迷いはなかった。
***
その頃、競技場の裏手――
セレスティアの一室では、揺らぎの感知を担う者が報告を上げていた。
「術式起動から一時間経過。回復系スキル多数確認。
だが、いずれも通常の光魔力。聖属性特有の“波長”は確認できず」
「観戦者の中には対象はいなかった、ということか」
「あるいは、“制御された状態”にあるのかと」
幹部たちが小さくうなずき合う。
「いずれにせよ、今回の作戦では揺らぎは得られなかった。
対象が存在するなら、さらに注意深く探らねばならないな」
「本物の“器”であれば、いずれ表に出てくるはず。
その時こそ、我らが確保すべき瞬間だ」
言葉が交わされる中、別の幹部が口を開いた。
「聖騎士セレスタインは?」
「器がいないとみると直ちに本国に帰還した」
「次戦への出場は?」
「辞退の報告あり。“任を終えた”とのこと」
「……彼らしいな」
それ以上、誰も何も言わなかった。
教会の聖騎士とは、勝つために戦うのではない。
護るべき者のために動き、不要になれば、そこに留まらない。
彼の剣は、すでに次の任務のために鞘へと収められていた。




