第77話 国際大会(開幕)
高層ビルと古い屋台街が混ざり合う、異国の都市。
《暁ノ追糸》の面々が、空港から港湾都市・香港の競技会場に足を踏み入れた瞬間、全員の顔に新鮮な驚きが浮かんだ。
「うわあ……すっごい。日本と全然違う……!」
羽鳥が目を輝かせて言えば、真壁も興奮を隠せずに笑った。
「建物も看板も、カオスだけど妙に綺麗だな。屋台の匂い、マジで腹減るわ」
「……テンション上がりすぎ。観光じゃない」
澪が抑え気味に言うも、表情はどこか楽しげだった。
国際大会、本戦の開幕。
開催地・香港に、世界各地から厳選された冒険者が集まり、いよいよ大会の火蓋が切られようとしていた。
今回の本選への参加国は、アメリカ、中国、韓国、日本、イタリア、イギリス、ドイツ、フランス、ブラジル、ロシア。
各地域・国から選抜された上級・中級の代表たちが、個人戦と団体戦の枠に分かれて実力を競い合う。
「湊くん、初戦の相手……アメリカ代表のC級だって」
夏希が端末を見ながら声をかける。
「防御魔法と攻撃魔法を使い分ける技巧派。ネット情報だと、スキルは《結界》《水魔法》《術式強化》って書いてある」
「結界と水か……めんどくさそうだな」
真壁が苦笑し、湊は一つ頷いた。
「範囲制御とカウンターを重ねてくるタイプだな。下手に踏み込むと返される」
控室の空気が一瞬引き締まる。
だが湊は、剣を握った右手に力を込めて、静かに立ち上がった。
「やるだけやってみる」
***
試合会場に、湊の名前が呼ばれる。
「――中級個人戦第一試合、日本代表・神谷湊 vs アメリカ代表・リチャード・セイス」
両者が中央に立ち、礼を交わす。
リチャードは30代前半ほどの白人男性で、盾のような結界と魔力障壁を重ねた“二重防御”を展開していた。
「悪いが、そう簡単には近づかせないぞ」
彼は無表情のままそう言い、足元に水の魔法陣を走らせた。
「試合開始!」
審判の号令と同時に、リチャードの手元から水の刃が放たれた。
空気を裂いて伸びる魔力の水弾――高速、かつ複数同時。
湊は横に跳び、剣で弾を切り裂くと、そのまま低く前に踏み込む。
(これは牽制。あくまで……本命は後)
一瞬の足の動きで、それを読む。
リチャードは前方に結界を展開。まるで壁のように湊の突進を阻む。
だが湊は、その直前で軌道を変え、右に弧を描いて切り込む――
「……!」
リチャードが僅かに驚いた顔をした。
だが、もう一つの障壁が即座に湧き出し、湊の斬撃を受け止める。
「二重展開か。やっかいだな」
湊が呟きつつ間合いを取り直すと、今度はリチャードが反撃に出る。
「圧縮水矢――“連弾”!」
彼の手元から、細く鋭利な水の矢が連続で放たれる。
結界で守りつつ、足を止めずに魔法を放つ技量。まさに技巧派。
湊は紙一重で回避し、いくつかの水矢は剣で打ち払ったが、その数発が鎧の端をかすめ、水気が裾を濡らす。
(タイミングをずらしてる。正面からじゃ崩せない)
リチャードの動きには無駄がなかった。
結界の展開と水魔法の連携。距離を詰めれば結界に阻まれ、下手に攻めれば水弾で削られる。
「さて、日本の代表は、どこまで食らいつけるかな?」
リチャードが口角をわずかに上げる。足元に力がこもり、次の攻撃を準備しているのが分かった。
一方、湊の眼は淡々と敵の動きを追っていた。
(手を前に出すとき、いつも左足に重心が寄る……)
彼は戦いの中で、敵の“発動動作の癖”を見抜いていた。
左に傾いたときは水魔法。足幅が狭いときは防御結界。
流れるように繰り出される技の中に、わずかな差――“一拍”の呼吸がある。
(そこだ)
次の瞬間、湊の足元が弾けた。
靴裏が床を擦り、風のように駆ける。
リチャードは即座に前後へ結界を展開。
前方には半透明の障壁、後方には水の膜が張られる。
が――湊はそこを狙っていなかった。
(いつも結界を張るときは足が狭まる)
一歩、右へ踏み出して視界の外へ回り込む。
リチャードの体勢がわずかに遅れる。
「……っ!」
湊の剣が、外結界の側面――視界外の死角に叩き込まれた。
結界が軋み、斜めにひびが入る。
「こいつ……読んだのか……!」
リチャードの表情に初めて焦りが走る。
彼はすぐさま後退し、水粒を一気に集め始めた。
だが――湊の追撃は止まらない。
「逃がさない」
左右に身体を揺らしながら、剣を連続で振るう。
その軌道は、相手の予測を外すように微妙に変化し、リチャードの対応速度を削っていく。
リチャードが叫ぶ。
「結界・弾性偏向!」
弾力を持った障壁が展開され、剣を滑らせるように受け流す。
だが、その内側――湊の目は、別の変化を捉えていた。
(足元の溜めが甘い……次の魔法、狙いが甘くなる)
リチャードの手元に集まった水球が、螺旋状に回転し始める。
「水牙球!」
爆ぜるように四方に散る破片。
湊は真下へと滑るように低姿勢で飛び込み、斬撃で霧状の飛沫を払った。
(攻守の切り替えが早い。けど、こっちも――)
剣の動きが、ひとつ、またひとつと加速する。
踏み込みの深さ、軌道の正確さが、目に見えて上がっていく。
《反復》が蓄積され、湊の身体能力は徐々に上がっていた。
(もう一手――)
リチャードが結界を再展開しようとした、その瞬間。
湊の身体はすでに前へ出ていた。
「くっ、間に合わない――!」
結界が形成される“前”に、剣が疾駆し――
魔力の膜を裂いて、リチャードへ届く。
剣先は、ぴたりと喉元で止まり、風も止まったかのように空気が張り詰める。
「……っ」
リチャードは何も言えなかった。
鋭い眼と、寸分の無駄もない構え――勝敗は、誰の目にも明らかだった。
静寂の中、審判が右手を高く掲げる。
「勝者、神谷湊!」
どっと沸き上がる拍手と歓声。
湊は剣を収めると、静かに一礼し、そのまま無言で控室へ戻っていった。
観戦していたクランメンバーたちは、その一挙手一投足を見守っていた。
「……読み勝ち、ですね」
羽鳥が呟く。
「次は……準決勝、か」
湊は控室へ戻りながら、剣の感触をもう一度確認した。
重くも、鋭くもない――ただ、今の自分そのままの重みがそこにあった。
(あと二つ……ここからが本番だ)
そう思いながら、彼は次の戦いに備えて、深く息を吐いた。
***
初戦を終えてから二日後。
湊たち《暁ノ追糸》は、準決勝までの三日間のインターバルを利用し、香港の市街地を歩いていた。
「ここが女人街……!写真で見たより、ずっとにぎやかですね!」
羽鳥が目を輝かせ、屋台通りをきょろきょろと見渡す。
「雑貨屋が多いな。値段、交渉できそうな雰囲気だなこれ」
真壁が笑いながら露店のTシャツを手に取ると、店主が流暢な英語で値引き交渉を始めた。
「……交渉で負けたら、結構恥ずかしいよ」
三条が背後からつぶやき、真壁が苦笑いを返す。
「ちょっと、みんな!見て見て、パイナップルパン!ふわふわ!」
夏希が嬉しそうに袋を手にして振り返る。
一方、澪は騒がしい屋台通りを一歩引いた位置で歩いていた。
彼女の視線は人波の奥、騒音の向こうに向けられている。
(……違和感)
一瞬、澪の目が狭まった。
すれ違った数人の集団――彼らの身なりは目立たないが、妙に均一。
歩調が揃いすぎている。動きに無駄がない。
すれ違いざま、ほんの一瞬――視線が交差した。
(敵意?)
肌が逆撫でされるような感覚に、思わず左手が腰の短剣に触れた。
「……澪ちゃん?」
すぐ横にいた夏希が、ふと彼女の表情に気づく。
「今、すれ違った人たち……?」
「……教会系」
澪は低く答えた。
「間違いないの?」
「確信はない。でも、あの歩き方、視線、気配……訓練された動きだった。一般人じゃない」
夏希の表情がこわばる。
「でも……普通に街歩いてただけだよ?」
「うん、だから今は“何もしてこない”。でも――」
澪は周囲を一周見渡し、声を潜めた。
「……私たちの動きを、見ていたと思う」
「……このまま、観光してていいのかな」
夏希が呟いたそのとき、湊が声をかけてきた。
「そろそろ集合時間だ。合流しよう」
「うん……行こう」
夏希はそう言って笑みを作るが、その笑みに、さっきまでの無邪気さはなかった。
澪は無言で歩き出し、すれ違った一団が消えた方向に一度だけ振り返る。
(探してる……誰かを。いや、“何か”を)
彼女の勘が、微かに警鐘を鳴らしていた。
***
その夜、セレスティアの宿舎では、会議が始まろうとしていた。
海辺近くの静かなホテルの地下会議室。
セレスティア幹部たちが、仄暗い照明のもとで集まっていた。
テーブル中央に並ぶのは、魔力波長の解析結果と、観戦者の動向記録。
静寂を破るのは、魔力感知担当者の報告だった。
「――大会開幕以降、聖属性に該当する波長は一度も感知されておりません。
波長のズレはあるものの、現時点では“偽装”の可能性も判断できません」
「……つまり、今ここに“神の器”はいないということか?」
一人が問うと、報告者は首を横に振る。
「断定はできません。波長が不安定な段階であれば、通常の感知網では反応しない可能性もあります。
もしくは、対象が“魔力を使用していない”場合――」
「……観戦者に紛れている可能性か」
声を発したのは、黒衣の男――セレスティア幹部の一人。
冷静な瞳で資料を読み上げながら、口元だけがわずかに笑っていた。
「我々が選手として来ていると知って、刺激を避けるよう動いているのかもしれないな」
別の幹部が静かに言った。
「では、炙り出すべきだな」
「同意する。対象が真に聖属性であるなら、状況次第で“癖”が出る。何かを救おうとした瞬間、反応があるはずだ」
「だが、こちらから選手に手を出すことはできん。下手をすれば国際問題だ」
「……なら、舞台を“地上”に移せばいい」
テーブルの上に、一枚の地図が拡げられる。
そこには、競技場の下層――地下施設を通じて接続された都市中心部のマップが書き込まれていた。
「この都市では、魔力生物の密輸ルートがいくつか存在する。監視の目が薄い場所を狙えば、無秩序なモンスター暴走は演出できる」
「負傷者が出れば、回復職は動かざるを得ない。もし“それ”が聖属性なら……自動的に感知可能な状況が生まれる」
「ただの治療ならともかく、聖属性の波動ならば、必ず揺らぎが出る。揺らぎが広がれば、位置も絞りやすくなる」
幹部たちは頷き合う。
「タイミングは?」
「明後日。中級個人戦の準決勝が終わる頃が理想だ。観客も多く、混乱時の治療活動も自然だ」
「了解。転送術式の準備を進めよう。観測対象は“観客を救う者すべて”だ」
「……本物なら、必ず動く。
“器”であることに、本人が気づいていようといまいと――な」
***
静まり返った夜の競技場。
その地下、立ち入り制限区域をさらに奥へ進んだ先――誰も知らない廃棄フロアの一角で、数人のローブ姿が淡く光る術式陣を囲んでいた。
「……魔力定着、完了。転送座標、地上広場東側、正面ゲート前」
「生体パルスの安定確認。中級クラスの魔力耐性を持つモンスター4体、召喚可能」
「連携干渉なし。制御装置は設置済み。混乱収束後、自動で魔力鎖が解除され、対象は消滅する」
淡々と交わされる会話。
そのどれもが、まるで儀式の進行のように整然としていた。
ただの暴走ではない。
ただの事故でもない。
“炙り出す”ための仕掛け。
聖属性の揺らぎを、再びこの地に引き寄せるために。
「……あれ、明らかに“信者”の動きだな」
別の建物の屋上から、黒髪の青年がその様子を監視していた。
セントエデン所属の感知者。
セレスティアの動きを裏から監視するために同行を許された数少ない非戦闘員だ。
彼は双眼鏡を外し、小さく息をついた。
「本当に、器が東南アジアにいるのかどうか……俺はまだ疑ってるけどな。
でも――仮にいたとして。こんなやり方で炙り出したら、“神の器”はきっと」
言葉を途中で切ると、彼は小さく首を振った。
「……ま、俺の仕事は見張ることだ。あとは、こっちの上層部が決める」
足音もなく、その場を離れる。
誰にも気づかれぬまま、彼の足跡も夜に吸い込まれていった。
***
翌朝、競技場の運営本部では、誰もその異変に気づいていなかった。
大会は順調に進行しており、選手たちは準決勝への準備を進めていた。
観客席の一角では、出番を終えた中級選手や関係者たちが、次の戦いを楽しみに談笑している。
だが――その下。
地中に埋められた術式陣が、確かに“脈動”していた。
空気に揺らぎはない。
だが魔力の圧が、地面の下で膨らんでいく。
術式が一つ、また一つと重なり、正確に、緻密に、破綻なく組み上がっていく。
“偶然”を装うには、あまりにも整いすぎた布石。
“事故”と呼ぶには、あまりにも用意周到な異変。
そして、その中央に置かれた制御水晶が、微かに光を放つ。




