第71話 剣術の高み
朝の空気は冷たく、清潔な緊張感を帯びていた。
《暁ノ追糸》の面々が集まる拠点の食堂に、軽やかな足音が響く。
「おはよう、湊くん。……今日、行くんでしょ?C級ダンジョン」
そう言いながら湊の隣に腰を下ろしたのは、柚葉だった。濃紺のインナーに白い羽織を重ね、背中で揺れるポニーテールがいつもよりきりっと引き締まって見える。
「ええ。C級に上がってから、依頼とかはこなしてましたが、正面からダンジョン攻略は出来てなかったなと思いまして。試しに、今の実力で十層ぐらいまで挑んでみようかと」
「“今の実力で”、ねえ……」
柚葉は口元だけで笑い、小さく手をかざした。
「じゃあ、その“今”をちょっとだけ、底上げしてみようか。限界突破、使わせてもらってもいい?」
湊は一瞬戸惑い、それでもすぐに丁寧に返す。
「いいんですか?……それなら、ぜひお願いします」
「どれにする?」
「《剣術》で。リピートの効果は十分実感できたので、剣術がレベル6になったらどうなるのか確認しておきたいです」
「了解。じゃあ、いくよ」
柚葉の掌から広がる淡い金の魔力が、湊の身体にふわりと染み込んでいく。
感覚は鋭敏になったような気がしたが、劇的な変化はまだない。
「じゃあ、ここから24時間ね。効果がはっきりするのは、戦闘に入ってからだと思うけど」
そう言った柚葉に、湊は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、柚葉さん。本当に助かります」
「どういたしまして。あとでアイス奢ってね」
その言葉に湊が小さく笑うと、奥のテーブルから夏希が顔を出した。
「おーい、準備できてるよー」
澪が無言で玄関へ向かう。剣と装備、チェック済みの荷物──すべてが整っていた。
三条が玄関で立ち止まり、封筒を手渡してきた。
「帰還用の簡易転送陣の魔石と、予備の体力回復薬。あと、今日は依頼ではなくあくまで“探索”ですからね。何かあったらすぐ戻ってきてください」
「……はい。気をつけます」
湊は一礼し、夏希と澪も続いて拠点を後にした。
春の日差しがやわらかく差し込む中、三人は東京第三区に設置されたC級ダンジョンゲート前に到着する。
重厚な石造りのアーチと、その中央に漂う淡い魔力の光。
「C級ゲートって、やっぱり少し緊張するよね……」
夏希が呟いたその横で、澪が静かにナイフを点検している。
湊は剣の柄を握りしめながら、胸の奥にある微かな期待と不安を見つめていた。
(剣術レベル6……どれほどのものなんだろう。何か、違う景色が見えるのか)
湊が一歩、ゲートに踏み込んだ瞬間──
白い光が視界を埋め尽くし、空気の密度が変わる。
***
ダンジョンは、空気の密度がまるで違っていた。
岩壁はごつごつと湿っており、通路には細かな魔石の粒子が光っている。
ただ、湊にとってはそれ以上の“異常”があった。
(感覚が……明らかに変わってる)
剣の柄を握った瞬間、湊は悟った。
手のひらから腕、足の先まで、全身が一本の“刃”として研ぎ澄まされているような感覚。
敵の気配、動き、弱点──すべてが自然と頭に流れ込んでくるようだ。
「……湊くん?なんか表情が硬いけど、大丈夫?」
夏希が不安そうに覗き込んでくる。
「ああ、問題ない。むしろ……冴えてる。多分、限界突破の効果が出始めてる」
最初の層に現れたのは、C級では比較的序盤に出てくるリザードマンの亜種。体躯は人間とほぼ同じだが、鱗で覆われた肉体と、鋭利な爪を持つ。
普通に戦えばそれなりに苦戦する相手だ。だが──
湊の剣は、その喉元へ一瞬で到達していた。
刃が通るべき角度、力の入れ方、次に来る反撃──
すべてが脳内で“道筋”として浮かび上がってくる。
「やっば……今の、まったく無駄がなかったよ」
夏希の呟きに、湊は「自分でも驚いてる」と苦笑した。
澪が斜め後方から小さく囁く。
「剣の軌道が“導かれてる”みたいだった」
その表現に、湊は軽く頷いた。
(たしかに……導かれてる。剣術Lv6って、そういう感覚なのかもしれない)
そこからの進行は、異常なほどスムーズだった。
二層──湊が先行して敵を一撃で排除。
三層──澪の感知で罠を察知し、湊が前衛として敵を無力化。
四層──トカゲ型の集団を迎撃するが、リピートを絡めた斬撃で切り裂く。
五層──夏希のブースト支援を受けつつ、湊が危なげなく捌ききる。
六層に至った頃には、時間はすでに午後を過ぎていた。
敵の数と強さは確かに増しているが、湊たちの成長はそれをはるかに上回っていた。
「ちょっと待って、回復入れるね。みんな、ここで少し休もう」
夏希が小さく声をかけ、湊と澪が頷いた。
三人で石のベンチに腰を下ろす。魔力の緩衝地帯らしく、空気がわずかに軽かった。
「……ここまで、だいぶ順調だな」
湊が汗を拭いながら呟くと、澪が小さく頷く。
「湊の剣が、“先”を捉えてる。相手の重心、動作、全部先読みしてるように見える」
「実際、戦ってると、敵が“どこに隙を作るか”が見える感じなんだよな。
変な言い方だけど、“ここを斬れ”ってサインが出てるみたいな……」
「そもそもレベル5の時点で上級クラスだし、さすがにレベル6は、別次元って感じだね……」
夏希が感心したように笑い、魔力補給のポーションを飲み干した。
休憩を終え、七層、八層、九層を進む。
数の暴力に近い戦闘もあったが、澪の感知で敵の位置を把握し、夏希が範囲支援を展開。湊の剣術はさらに冴えを見せる。
そして──
十層の広間へと至ったとき、湊の視線が鋭くなった。
「ボス部屋だな」
「時間的にも、今日はここがラストだね」
夏希が緊張したように杖を握りしめ、澪はナイフの柄を握る手に力を込めた。
扉の先に広がるのは、岩肌と魔石に囲まれた半球状の広間だった。空気が重く、天井からは紫色の光が差し込んでいる。
中央に構えるのは──異様な存在。
「……ただのゴーレムじゃない」
湊が、剣の柄に自然と手を伸ばす。
そこに立っていたのは、高さ三メートルを超える黒鉄の巨体。全身を魔力鉱石で覆ったような重装甲。胸部には、脈動する魔導コアがむき出しに嵌め込まれ、光を脈打たせていた。
“強化魔導ゴーレム”──高位魔術で制御された、C級ダンジョン後半層の上位個体。
「コアが……魔力を溜めてる?」
夏希が不安そうに呟く。
「あれは魔導障壁……それに、再生もある。普通に削り合うのは不利だ」
湊は剣を構え直し、深く息を吐く。
(でも──問題ない)
視線を上げた。
敵の動き、重心、反撃の気配、すべてが“線”となって脳内に浮かぶ。
剣術Lv6──それは、剣の動きが“予知”の域に達する世界。
「行くよ、湊くん。ブースト、入れるね!」
夏希が力を集中させ、杖を掲げる。
「《ブースト》──!」
魔力の奔流が湊の体を包んだ。
直後、ゴーレムが唸り声を上げるように魔力を圧縮し、重い足を踏み出す。
右腕が変形し、ハンマーのような巨大な塊が形成された。
そして──振り下ろされた。
地面が割れ、衝撃波が四方に走る。
「くっ──!」
夏希と澪が後方に飛び退く。
だが、湊は動じない。
既に一歩踏み出していた。
(ここ──!)
ゴーレムの腕の軌道を読み、その間合いの“縁”へ滑り込む。
刃が、装甲の継ぎ目を狙って突き刺さる。
──ギィインッ!
硬質な音とともに、火花が弾けた。
「……やっぱり、通常の斬撃じゃ通らないか」
「湊くん、装甲に反応があるよ!一瞬だけ、魔力障壁が薄くなった……!」
夏希の叫びに、湊は頷く。
(あのコアの脈動と連動してる。つまり、リズムを掴めば……!)
その瞬間、ゴーレムの左腕が変形し、魔法陣を描く。
──《岩弾》が、湊へ向けて三連射された。
「湊くんっ!」
夏希の声が響くが、湊は回避を選ばない。
「……問題ない」
刹那、剣が振り抜かれた。
三連の岩弾を斬り裂き、真っ直ぐに踏み込む。
斬撃は、コアのわずかな継ぎ目を捉え──
「今だ!」
湊の意識が研ぎ澄まされる。
《剣術Lv6》によって導かれるまま、反復行動──これまでの行動によるリピート蓄積も乗っていた。
攻撃の刃が、魔導障壁の弱点へ吸い込まれるように突き立つ。
──ガギィッ!
鋭い音を立てて、ゴーレムのコアが割れた。
光が激しく暴発し、装甲全体にヒビが走る。
湊は即座に飛び退いた。
「っ……!自爆来る!」
澪の叫びと同時に、夏希が癒糸で防御結界を展開。
直後、轟音とともにゴーレムが爆発四散した。
爆風が辺りを焼き尽くし──そして、沈黙。
しばらくして──
「……終わった?」
夏希が、慎重に頭を上げる。
「ああ。終わった。なんとか、なったな……」
湊が剣を納め、深く息を吐いた。
「剣術Lv6……強すぎ」
夏希の言葉に、湊は軽く苦笑する。
「……決闘のとき、これ使えてたら、蓄積なくてもいけてたかもな」
「……今更だけど、それはちょっと思った」
澪が呟いて、三人は顔を見合わせる。
そして、揃って苦笑した。
「よし……時間的にも、これで戻ろうか」
「はい。簡易転送陣」
足を踏み入れた瞬間、三人の体が光に包まれて消えていった。
転送の光が収まり、三人の足元には地上の石畳が広がっていた。
晴天のもと、ギルド支部の裏にある帰還専用ポータルの周囲には、簡易設営された帳簿台があり、担当スタッフが数名控えていた。
湊たちは軽く一礼し、用意された書類に必要事項を記入する。
「……十層まで踏破確認。ボス討伐、素材提出も確認しました。お疲れ様です!」
受付嬢が笑顔で頭を下げると、夏希と澪もぺこりと頭を下げた。
書類提出を終えると、三人はそのまま歩いてギルド支部の外に出る。
澪が小さく息を吐いた。
「……足、重い」
「まあ十層分だしな……特に後半は移動距離も長かったし、仕掛けも多かった」
「そうだね……戦闘自体は楽だったけど、踏破そのものが体力勝負だった感じ……」
夏希が疲れた表情でつぶやいた。
湊も軽く首を回しながら答える。
「でも、手応えはあった。今の戦力なら、これくらいのダンジョンなら普通に攻略できるって分かった。ただ、今日は限界突破の補正があったっていうのも大きかったから、慢心しないようにしないとな」
「……限界突破って改めてチートだね。どこ切ればいいか全部分かってる感じだったし、あのゴーレムのコア、初見で割れるとかおかしいでしょ」
夏希が笑いながら言うと、湊は苦笑いを返す。
三人はギルド近くの路地を抜け、自宅方面へと歩く。
街路樹の葉が風に揺れ、午後の光が穏やかに差し込んでいた。
その途中、ふと澪が口を開く。
「Lv6って、どれくらいの冒険者が到達してるの?」
「さあ……聞いたことはないけど、たぶん日本でも数人レベルじゃないか?そもそもスキルレベルを上げるのに時間がかかるし、Lv3~Lv4で中級、Lv5で上級っていう目安だったはず。俺の場合は、運よく初めからLv4で、リピートの補正と限界突破のおかげで一時的にLv6に到達しただけだしな」
(俺たちは、確実に強くなってる)
(そして──この先も)
湊は、空を仰ぐ。
雲ひとつない、真っ青な空が広がっていた。




