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第7話 決闘

週末の午後。湊と夏希は、三度目となるF級ダンジョンへの探索を終え、迷宮出口に向かっていた。


二人の息は乱れていなかった。湊の剣術の完成度と、夏希の支援スキルの的確さが噛み合い、戦闘は終始スムーズだった。癒糸の持続回復とヒールの即時治癒が、消耗を抑えてくれたのも大きい。


「……ねえ、今日の三層って、前よりモンスター多かった気がしない?」


「うん、たぶん再出現のタイミングが悪かった。すれ違ったパーティーが戦わずに撤退した可能性もあるな」


湊がそう返しながら、腰の小さなポーチに手を伸ばす。中には使いかけのポーションと、ミネラルブレード用のメンテナンスオイル。装備管理もルーチンの一つになってきた。


「今日も無事に終わって良かった。……次は、いよいよF級ダンジョンのボス部屋かな?」


「そうなるな。クリア報告すれば、昇格審査に進める」


夏希が小さく息を吐く。


「ちょっと緊張する。でも、湊くんがいれば、なんとかなるって思えるようになってきた」


「それはどうも」


湊は言いながら、洞窟の奥の小広間へと足を踏み入れる。


が、その時。


――ギャアァッ!!


 鋭く、甲高い悲鳴。それに重なるように、金属が打ち合う音と、複数の怒声。


「モンスター……!?」


 夏希が息を呑む。湊は耳を澄ましながら、静かに壁際に身を寄せた。どうやらすぐ近くのフロアで戦闘が起きているらしい。


 剣を抜いた湊が、顔だけを曲がり角の先に覗かせる。


 そこには、見覚えのある姿があった。


「……浅倉、か」


 F級講習で顔を合わせ、何かと絡んできていたチャラ目の大学生──浅倉とその仲間二人が、五体のゴブリンに囲まれ、押され気味に戦っていた。


 彼らの体勢は崩れ、仲間の一人はすでに地面に倒れている。浅倉は必死に大剣を振るっているが、動きに無駄が多く、すでに左肩に血が滲んでいるのが見て取れた。


「どうする……?」


 夏希の問いに、湊は即答した。


「助ける。文句は後で聞く」


 二人は視界を切って一気に走り出す。湊が前衛、夏希が後方支援。自然と役割が確立されていた。


「っ……てめぇ、なんでここに……!」


 浅倉が驚愕の表情を浮かべるが、それは湊の一撃でゴブリンの一体が吹き飛ばされたことで、即座に消し飛ぶ。


 剣術Lv4の正確な型。迷いのない踏み込み。反復によって最適化された動作が、湊の剣に無駄のない鋭さを与えていた。


「こいつ……こんな強かったのか……?」


 浅倉の仲間が呟く。


 夏希の癒糸が展開され、負傷者の裂傷を迅速に修復していく。まるで魔力で編まれた糸が、肉体の繊維を“縫い直す”ような感覚だった。


「もう少しで治癒完了するから、動かないで!」


 夏希の声が凛と響き、負傷者が頷く。


 湊は三体目、四体目のゴブリンを連続して撃破。残る一体も、剣の柄を逆手にして喉元を打ち上げると、痙攣しながら地面に崩れ落ちた。


***


 戦闘終了。


 静けさの中、湊が剣を納めると、浅倉が息を切らしながら、呆然と立ち尽くしていた。


「……マジかよ、お前……」


 その目には、感謝よりも、戸惑いと──屈辱の色が浮かんでいた。


「……チッ」


 地面に転がったゴブリンの死骸を一瞥し、浅倉は唾を吐くように舌打ちした。


 その顔には、礼のかけらもない。ただ、苦々しさと悔しさ、そして湊に向けられた鋭い敵意だけが張りついていた。


「何してんだよ、お前ら……!」


 振り向きざまに吐き出されたその言葉に、夏希が一瞬きょとんとした表情を浮かべる。


「……えっと、助けに来たんだけど」


「余計なことすんなよ!」


 浅倉の声が怒鳴りになった。倒れていた仲間が驚いて顔を上げる。


「おかげで、“こっちが格下”みたいになっちまっただろうが!」


「……そんなの、どうでもいいでしょ? 命が助かったんだよ?」


 夏希が眉をひそめると、浅倉は彼女を指差して声を荒げた。


「お前なあ、いい気になってんじゃねえぞ。レアスキル持ってるからって──」


「……レアスキル?」


 湊が静かに割り込んだ。声に棘はないが、目は鋭かった。


 浅倉は湊を睨み返す。


「あぁ、そうだよ。さっきその女が使った魔力の糸。回復だけじゃなく、バフも入ってたろ?そんなの、見たことねえよ」


「よく見てるな。で?」


「はっ……分かってねえのはお前のほうだろ。どうせ出鱈目なバフが入ってんだろ?支援の強さでここまで来られてるだけなのに、勘違いしてんじゃねえよ。お前が凄いんじゃねぇ、隣にチートがいるだけだろ」


 湊は答えず、じっと浅倉を見据えていた。


 沈黙が一瞬、空気を凍らせる。


 夏希が口を開こうとしたが、それを湊の手が制した。


「なるほどな。そうやって、自分が劣っている理由を他人のせいにして、納得してるわけか」


「……なに?」


「自分より強い奴がいたら、それは“ズルしてる”って決めつけるんだな」


 湊の声音は低く、しかし明瞭だった。


「それで納得できるなら、ずっとそうやってろ」


 浅倉の表情が引きつった。


「……チクショウが……」


 低く唸るように呟き、彼は拳を握りしめる。湊がわずかに視線を下げ、腰に下げた剣を一瞥する。


「やめておいたほうがいい。今、ここでやる意味はない」


 だがその言葉が、火に油を注いだ。


「──だったら、場所を変える」


 浅倉は荷物から一枚の申請用紙を取り出した。ギルド内の模擬演習場使用申請──つまり、決闘の申請だった。


「お前と勝負する。そこで俺が勝ったら、そのチート女は俺たちのパーティーに入ってもらう」


 その言葉に、夏希が目を見開いた。


「ちょ、ちょっと……!私の意思は──」


「勝てばいいんじゃねえのか?」


 浅倉の言葉は、もはや湊ではなく、夏希に向けられていた。


「勝てば、“実力の証明”ってことになる。それに……」


 そこで一拍、浅倉の声にドスが入る。


「こうでもしねぇと、お前みたいなラッキー野郎には勝てねえからな」


 完全な敵意。浅倉の中で、湊は“自分より下だったはずの存在”だ。その湊に救われ、助けられたことが、何よりの屈辱だった。


 湊は静かに言葉を返した。


「……いいよ。受けてやる。ただ、俺ができるのはパーティーの解消までだ。夏希の所属については本人の意思に委ねる」


「湊くん……!」


「面倒な奴とは、早めにケリをつけたほうがいいからな」


 湊は浅倉から視線を外し、ダンジョンの出口に向かって歩き出した。


 夏希は困惑したように湊の背中を見るが、そこには微塵も迷いがなかった。


 浅倉の瞳に燃え上がる劣等感と憎悪。その熱量すらも、湊は冷静に受け止めていた。


***


「模擬演習場C、使用許可確認。神谷湊 対 浅倉誠士、決闘形式・訓練装備使用による一対一の模擬戦。立会人はギルド職員・槇田が務めます」


ギルド支部内の広報スピーカーが、機械的な声で通知を告げると同時に、模擬演習場Cの扉が静かに開いた。


湊と浅倉は、それぞれ無言で場内へと足を踏み入れた。観覧席には既に十数人の冒険者が詰めかけている。どこか面白がるような視線もあれば、真剣な目つきの者もいた。


夏希もそのひとりだった。両手を握りしめながら、湊の背中をじっと見つめている。


「……絶対に、勝って」


その声は、誰にも聞こえないほどの小ささだった。


***


「装備の確認を行います。神谷さん、浅倉さん、それぞれ木剣と訓練用プロテクター、魔力感知型センサー付きの標準装備で問題ありませんね?」


「はい」


「おう」


立会人の槇田が確認を取りながら、軽く二人を見比べた。


「制限時間は15分。致命打を与える、もしくはセンサーが二度“有効打”判定した時点で勝敗が決まります。また、いかなるタイミングでも、ギルドの判断で中止が可能です」


「……ふん。すぐ終わらせてやるよ」


浅倉が木剣を握る手に力を込める。その腰のひねり、前傾姿勢――自己流ではあるが、基礎の応用としてはまずまず。


「……《脚力強化》」


浅倉が小声でスキルを起動させた瞬間、その身体が一段と沈み込む。


脚に宿る力が、一気に地面へと伝わる。


そして――


「《腕力強化》!」


短く叫ぶと、彼は猛然と飛び出した。


まるで矢のような加速。訓練装備の範疇を逸脱した踏み込み速度に、観覧席からざわめきが漏れた。


(……早い)


湊は木剣を構え直す。


浅倉の構えは振り下ろし。初撃から決める気満々のタイミングだ。


──だが、見えている。


上体の傾き、足運び、腰のひねり、すべてが“力を溜めた一撃”の予兆。湊は剣を振るうでもなく、ただ一歩、横に滑った。


バシュッ。


空を切った木剣が、音を立てて空間を断ち割った。


「なっ──」


浅倉の驚愕が声になる。


「力任せすぎる。それじゃ読まれる」


湊の低い声と同時に、木剣が浅倉の肩口へと迫る。


ヒュ、と風を切る音。


しかし浅倉は、今度は脚を返して体をひねり、体勢を低くした。


「甘く見んなよッ!」


横薙ぎの一閃。脚力と腕力の強化を併せた全力の反撃だった。


──避けられない。


否。そう見えた一瞬、湊の姿が、逆に浅倉の間合いの“内側”へと滑り込んだ。


「っ……!」


湊の木剣が、浅倉の脇腹に軽く叩き込まれた。


ピピッ──。


センサーからの高音が、場内に鳴り響く。


一撃目。神谷湊、有効打。


会場の空気が、一気に張り詰めた。


浅倉は悔しさを滲ませながら一歩後退し、歯を食いしばる。


「てめぇ……!」


「もう一発だ。受ける準備はいいか?」


湊の構えは、変わらない。


それはまるで、教本からそのまま抜け出したような、無駄のない中段構えだった。


だがその“基本”の奥に、誰も知らない執念と、技の深みが潜んでいた。


***


場内に漂う緊張は、張り詰めた弓のようだった。


浅倉は再び距離を取る。息を荒げながら、湊の構えを睨みつけていた。


「くそ……何なんだよお前。何でそんなに落ち着いてんだよ……!」


「別に、落ち着いてなんかないさ。ただ――」


湊は静かに言葉を継ぐ。


「繰り返してるだけだ。いつもと同じように、な」


「繰り返して……?」


浅倉が目を細める。理解の外だった。


再び踏み込む。今度は変化をつけ、斜め上からの斬撃を放つ。湊は、それを剣の腹で受け流す。


足捌き、肩の回転、視線の誘導――湊の動きはすべてが“経験”の産物だった。何百回と反復された、型の完成形。


一太刀。さらにもう一太刀。


剣が交差し、木剣が打ち合う音が響くたび、浅倉の苛立ちは増していった。力の差だけではない。そこには、目に見えない“蓄積”の差があった。


(なんでだ……どうして、俺の方が“強化”してるはずなのに――)


その疑念が脳裏をかすめた瞬間、体勢がわずかに緩む。


その隙を、湊は逃さなかった。


木剣の切っ先が、スッと浅倉の肩に触れる。次の瞬間、センサーが鋭く鳴り響いた。


ピピピッ――


「決闘終了!」


立会人の声が場内に響く。


「勝者、神谷湊!」


ざわめきが巻き起こる。観戦していた冒険者たちは口々に感想を漏らし、その多くは湊の“本物の実力”に気づき始めていた。


浅倉は肩を上下させながら、汗を滲ませた額に手を当てた。


そして、悔しさに顔を歪め、睨むように湊を見上げた。


「……チクショウ……なんでお前なんかに……」


湊は剣を納め、真っ直ぐに言い返す。


「くだらない劣等感で人を巻き込むような奴には、負ける気がしない」


手を差し出すことはなかった。ただ、真っ直ぐな瞳で浅倉を見つめたまま、湊は歩み去る。


夏希が演習場の入り口で待っていた。


「……すごかったよ、湊くん」


「そうか?」


「うん。すごく、かっこよかった」


夏希の頬が少しだけ赤らんでいた。


「……それより、あんな風に勝手に賭けられて、嫌だったろ。ごめん」


「んー、まあちょっと驚いたけど。でもね……」


夏希はくすっと笑いながら、言った。


「私が誰と組むかは、私が決めるよ。勝負の結果なんて、関係ないんだから」


湊は無言で頷いた。


「そうか。……次のダンジョンは、もう少し奥まで行ってみようか」


「うん、行こう!」


静かな夜のギルド支部を出ると、冷たい風が頬を撫でた。


まだ小さな火種にすぎない敵意が、やがて嵐へと変わることを、彼らはまだ知らなかった。

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