第69話 決戦
湊が、フィールドの中央へと歩み出る。
観客席からは、声が出ない。
それほどまでに、先の二戦──澪と真壁の戦いは、“重み”のある試合だった。
そして、今。
最後の決戦が始まる。
対する男──蛇島恭介が現れる。
長身で、褐色の肌。無駄のない筋肉。
静かに歩むその足取りには、地面を支配するような重厚さがあった。
湊と蛇島が向かい合った瞬間、空気が一段と沈む。
審判の合図は、まだ。
だが、フィールドを囲む魔力の結界が“圧”を受けて軋んでいるのが分かった。
「……すごい、“空間”が重くなってるみたい……」
観客席で呟いたのは澪だった。
柚葉が隣で説明する。
「《空間支配》。蛇島のユニークスキルです。
一定範囲を魔力で“自分のもの”にして、相手にデバフをかける。身体能力、集中、魔力制御……全部、乱されます」
「始まる前から、もう戦いが始まってるということですね」
羽鳥が苦い表情で呟く。
だが──
「大丈夫。湊くんも、“蓄積”してる」
夏希が力ない声で、けれど確信を持って言った。
湊の背に、微かに金色の粒子が舞っていた。
それは、夏希が夜通し蓄積した《ブースト》、五十回分。
そして、もう一つ──
湊自身が、戦闘前から“意図して”積み重ねてきたものがある。
《剣の素振り》──反復攻撃バフ、50%。
《身体強化》──スキルの反復蓄積、50%。
これらの強化が、湊の内部に“蓄積”されていた。
今、それを──解放せずに、ただ握りしめている。
(ここで全部を解放したら……蛇島の“圧”に押し切られる。一度でも蓄積がリセットされたら、勝ち目は薄い)
(本当に必要な瞬間まで、俺は“耐える”。“蓄積”し続ける)
湊の目が、蛇島を見据える。
フィールド中央、ギルド審判が手を上げた。
「第三戦──《暁ノ追糸》・神谷湊 対 《ヴァルグラン》・蛇島恭介。開始!」
その瞬間。
世界が──“重く”なった。
「……っ」
湊の足元に、魔力の“淀み”が生じる。
空間支配。その内部では、湊の身体能力が微細にズレ始める。
タイミング、筋肉の反応、視覚のブレ。それが“ミス”へと繋がる。
夏希が付与した聖属性によるデバフ効果の軽減を加味してもなお、感じる異常。
蛇島は無言のまま踏み込んできた。
湊は一瞬で体勢を低くし、斜めに跳ぶ。
空間の支配によって遅れた反応を、咄嗟の判断で補う。
蛇島の拳がすれ違いざまに風を裂いた。
(……今の一撃、冗談じゃない。硬化と身体強化が重なってる。まともに受けたら死ぬ)
蛇島は、ただ殴るだけで“破壊”の威力を生む。
それが《硬化Lv3》と《身体強化Lv3》の掛け合わせ。
けれど、湊は逃げない。
むしろ──蛇島に向かっていく。
接近。
攻撃。
一閃──蛇島の腕をかすめた。
(一撃──蓄積、1%)
明確に蓄積を意識した後、蛇島の反撃を回避し、もう一度斬る。
(蓄積、2%──対象:蛇島)
再び飛び下がり、魔力を込めて踏み込む。
(蓄積、3%……4%……)
観客たちは気づかない。
湊が、蛇島に対する“攻撃”を積み重ねていることを。
***
支配された空間の中で、湊の動きがじわじわと鈍っていく。
目の前に立つ蛇島は、一歩一歩を重く、確実に踏み出していた。
打撃も蹴りも、派手ではない。だが、すべてが“正確”だった。
それが──恐ろしい。
(……これは、読み合いでも応用でもない。“純度”で来てる)
湊は、蛇島の拳を二度、肩と脇腹に受けた。
骨まではいかないが、筋肉が痺れている。空間支配によるわずかな遅延が、回避を僅かに遅らせる。
その“ズレ”を、蛇島は正確に見切っていた。
そして、湊は攻撃を返す──
一撃、また一撃。
斬りかかり、突き込み、踏み込む。
敵に命中した回数──17。
(……まだ、33回足りない)
湊は、いまだブースト以外の蓄積を“封印”したままだった。
今この瞬間に解放すれば、ある程度は戦える。だが、それでは“蛇島を貫けない”。
硬化Lv3、身体強化Lv3を持つ蛇島に対しては、並の攻撃は通らない。
勝ちに行くなら──
反復攻撃50%、身体強化50%、そしてブースト50%、さらに対象攻撃50%の“全重ね”が必要だった。
湊は黙々と蓄積を続ける。
そして、また一撃を喰らった。
「……っ!」
左腕に痛み。裂けた皮膚から血がにじむ。
蛇島の蹴り。重い。速くはないが、“軸”が完璧だ。
フィールド脇の観客席。夏希が息を詰め、柚葉が静かに呟く。
「……湊くん、まだ、解放していない。リピートの蓄積が続いてる」
「じゃあ……あれだけの圧に、身体強化なしで耐えてるってことですか……?」
羽鳥が目を見張る。
「うん。でも……蓄積を使い切る前にやられたら、終わり……!」
その言葉の通り、湊は明らかに押されていた。
空間支配により、少しずつ身体能力が鈍る。
蓄積のために、ギリギリの距離で攻撃を繰り返す。防御は後手に回る。
だが──
それでも、湊は攻撃を止めない。
蛇島の肘を斬り、膝を突き、拳をかわし、肩口を切る。
26、27、28──
湊の脳内に、数字が刻まれていく。
額から流れた血が目に入り、視界が滲む。喉が焼けるように痛い。
だが、その足取りは止まらなかった。
「……何がしたい」
蛇島が、ぼそりと呟く。
「そんな斬撃で、俺の“外装”が抜けると思ってるのか?」
「──思ってない」
湊が、低く、言い返す。
「今の俺は、“勝つための形”を作ってるだけだ」
「……は?」
蛇島が眉をひそめたその瞬間、湊が一気に飛び込む。
蛇島の顎を狙った斬撃──
それすらも蛇島は肘で受け止め、拳で返した。
湊が吹き飛ぶ。
数メートル先まで跳ばされ、膝をつく。
口元から血が滴る。
しかし──
その瞳は、まだ死んでいなかった。
フィールドの片隅、ギルド長の脇田が小さく呟いた。
「……あれは、まだ勝ちを“捨ててない目”だな」
尾上が、その様子を見ながら眉を寄せた。
「蛇島さんが押してるはずなのに……なぜ、“詰めきれない”?」
その理由に、まだ誰も気づいていなかった。
最大値の50%に至っていないとはいえ、1%ずつ、しかし確実に、蛇島を対象としてリピートの効果は及んでいる。つまり、蛇島の攻撃に対する反応速度も、少しずつ上がっていた。
そして、湊の刃は、今──
確実に、“最大値”へと近づいていた。
湊は、膝をついたまま、ゆっくりと立ち上がる。
身体中が痛む。左肩は裂け、右脇腹には痣が浮かぶ。
そして何より、空間支配の“圧”。それが湊の全感覚を鈍らせていた。
けれど。
(……50)
湊は確信した。
蛇島に対する攻撃。命中回数、ちょうど五十。
蓄積の対象が整った。
リピートLv4──
・反復行動による効果増幅:最大50%
・蓄積可能:蓄積した行動は、後から“解放”可能
今、湊は3つのバフを蓄積した状態で保持している。
一つ、《剣術》──素振りで蓄積した攻撃行動。
一つ、《身体強化》──反復によって重ねた自強化。
一つ、《リピート》の対象:蛇島──攻撃によって得たバフ。
それぞれ50%。
さらに、夏希が昨晩から蓄積し続けた《ブースト》も50%。
そして、その全てを“今”、解き放つ。
湊は一歩、踏み出す。
蛇島が眉をひそめた。
「……まだ、来るか」
地を這うような、低く重い声。
蛇島は湊の足取りに違和感を覚えた。
姿勢、バランス、歩幅。たしかに、これまでの湊とは違っていた。
それはまるで──“荷重を外した”ような滑らかさ。
(……まさか)
蛇島がその可能性に思い至った時には──遅かった。
湊の全身が、“光”に包まれる。
金色の粒子──夏希のブースト。
青白く輝く魔力──身体強化。
そして剣の軌跡を辿るように残光を引く──反復攻撃。
「……ッ!」
湊が飛んだ。
地を裂くような加速。剣を引き抜き、一直線に蛇島の懐へ。
蛇島は、咄嗟に硬化と空間支配を全力で展開する。
だが──
湊の一撃は、そのデバフすらものともせず、一直線に走った。
蛇島の前腕で受け止めようとした刹那──
刃が、骨を貫いた。
「──がっ!?」
蛇島の目が見開かれる。
硬化Lv3の肉体を、“反復による最大出力”の一撃が打ち破った。
刃はそのまま、肩口から胴へと叩き込まれる。
肉と骨が音を立て、蛇島の巨体が弾かれた。
演習場の床に、重く、重く、沈む。
湊の身体もまた、バフの反動で膝をついた。
力をすべて解放し、筋繊維が限界に達していた。
──だが、 湊は、立っていた。
蛇島は、倒れていた。
審判が駆け寄り、状態を確認。
観客席が静まり返る中──
「第三戦──《暁ノ追糸》・神谷湊の勝利!!」
その言葉が響いた瞬間、場内が割れんばかりの歓声に包まれた。
夏希が崩れ落ちそうになるのを、澪がそっと支える。
「勝った……」
「……うん。勝った」
柚葉が、涙をこらえながら手を口元に当てた。
羽鳥も拳を握り、静かに喜びを噛み締めていた。
***
湊はその場に膝をついたまま、肩で息をしていた。
意識はある。だが、全身が鉛のように重い。
極限の集中と蓄積による“全解放”の反動。それでも、勝った。
蛇島は担架に乗せられ、演習場から搬送されていく。
意識は朦朧とし、言葉も出せなかった。
その横で、尾上が険しい表情で付き添っていた。
「……まさか、本当にやられるとはな」
尾上は絞り出すように呟いた。
審判団とギルド職員が動き出し、決闘の結果を記録する。
《ヴァルグラン》──解散。
登録抹消と資産凍結の手続きが即時に開始され、資金──総額約二億円──は《暁ノ追糸》に譲渡されることが決まった。
ギルド長・脇田は、淡々と事務処理を進めながら言った。
「……クラン間決闘に敗北すれば、その結果は全て飲まなければならない。
それが掟だ。異議は受け付けない」
尾上は何も言い返さなかった。ただ、黙って視線を逸らす。
***
その夜──
東京郊外の空港付近。人気のない民間格納庫の一室。
「……本当に行くのか?」
尾上が、蛇島に向かって問いかける。
包帯を巻かれ、痛々しい姿の蛇島が、それでも目を細めて答えた。
「負けた以上、日本ではもう動けん。
だが──ヨーロッパなら、まだ“道”はある」
「道?」
「そうだ。神谷湊のクランにいる“支援職”──あれは、たぶん聖属性を扱ってる」
蛇島の頭には、湊と澪の体に宿っていた“微光”の残像が焼き付いていた。
それは決闘中、何度か目にした“黄金の粒子”。並の冒険者なら見落としたかもしれないが、上級冒険者の目はごまかせなかった。
「もしあれが、聖属性なら……向こうの教会系クランに“情報提供”という名目で食い込める」
「……ずいぶん先を見てるな」
「当然だろ。クランは潰れても、俺は潰れてない。
“個”で生き残ればいい。それが、この世界だ」
その言葉を聞きながら、尾上はフッと笑う。
「……相変わらずだな。だが……まあ、俺も付き合うよ。
今さら別の道もないしな」
蛇島は、わずかに目を閉じた。
「暁ノ追糸──神谷湊。
次に会う時は、ただじゃ済まさねえ」
そして、夜は静かに、その男たちを包み込んだ。
***
一方、クラン拠点。
湊は、ベッドに横たわっていた。
その身体は傷つき、全身に重い疲労が残っている。
ベッドの脇で、夏希がそっと微笑む。
「おかえり、湊くん」
「……ただいま。……正直、ギリギリだった」
湊の言葉に、澪が無言で頷いた。
その頷きには、安堵と誇りが宿っていた。
「でも、勝った。リピートの蓄積、間に合った」
「真壁くんも無事。澪ちゃんも怪我なく済んだ。
……これ以上ない結果だったと思う」
夏希が優しく言うと、湊はしばらく天井を見つめたまま、黙っていた。
心の奥に巣食っていた“圧力”──あの決闘の重圧は、今ようやく霧のように解けていく。
その代わりに、湧き上がってきたのは、ただ一つの感情だった。
「……守れた、な」
静かな言葉。けれど、それは彼の中で何度も繰り返し噛み締められてきた願いだった。
「うん。全員、生きて、笑ってる」
夏希がそっと手を伸ばす。
その指先が触れたとき、湊の強張っていた指が、ゆっくりと動いた。
その手は、確かに、仲間と繋がっていた。
「……ありがとう。夏希、澪。
二人の力がなかったら、俺は、俺たちは──勝てなかった」
「違うよ、湊くんが勝ったんだよ」
夏希の声が、ふわりと胸に響く。
「そう。……あたしらは、支えただけ。湊が、前を切り拓いた」
澪も、ほんのわずかに微笑む。
湊の表情が、わずかに緩んだ。
それは、ようやく“肩の力”を抜くことができた瞬間だった。
だが、闘志は、決して燃え尽きてなどいない。
むしろ──ここからが、始まりだった。




