表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/82

第64話 覚悟

 部屋を出ると、応接室の前に立つ一人の女性の姿が目に入った。変わらぬ姿勢、変わらぬ意志。けれど、前回よりも、なにかを振り切ったような凛とした空気があった。


 柚葉は静かに頭を下げた。


「お約束通り、正式な手続きが完了しました。改めて、入団のお願いに参りました」


 湊は頷き、室内へと誘導する。


 澪と夏希も同席。三人が揃ったところで、柚葉は改めて姿勢を正し、深々と頭を下げる。


「《ヴァルグラン》には、昨日付で正式に脱退届を提出しました。ギルド記録課で処理も完了済みです。これ以上、彼らと関わるつもりはありません」


 湊は彼女の言葉を静かに受け止める。そして、一つの疑問を投げかけた。


「……ヴァルグランが、あなたのような実力者を手放すわけがないと思っていました。実際、揉めたんじゃないですか?」


 柚葉は小さく笑った。


「揉めましたよ。ものすごく」


 その言葉には、ほんの少しだけ疲労と皮肉が混じっていた。


「退団届を出した瞬間に、幹部から呼び出されて。『お前がいなきゃ誰がカバーするんだ』『このタイミングで抜けたらどうなるか分かってるのか』って、何度も何度も」


「退団届を出す前に神谷さんたちと面談をしていなければ、おそらく私は消されていたと思います。退団自体は個人の自由ですし、私の退団の意思がこちらの面談記録としてギルドに残ってるから、彼らも強引な手は使えなかったのでしょう」


 夏希が息を呑む。柚葉は続けた。


「正直、怖かったです。リーダーの蛇島からは……“後悔させる”って、はっきり言われました。でも、それでも……抜けると決めたんです」


 湊は彼女の顔をまっすぐ見つめた。


「……なぜうちなんですか?クランは他にもあるはずです。環境が良くて、もっと大きな規模のところもある」


 その問いに、柚葉の口元がわずかに揺れた。

 そして、短く息を吐き、ゆっくりと語り始める。


「――澪さんが、あのクランから抜けて、生きていた。それが、私の希望でした」


 視線がそっと澪へ向けられる。澪は目を伏せたまま、何も言わない。


「ヴァルグランの中では、“抜けたら終わり”って思わされるような空気があります。失った仲間は数知れず。でも……澪さんは、生きて、笑って、ここにいた」


 その声には、震えも、偽りもなかった。


「そして、ギルドの公開資料であなたたちのことを調べました。記録も、報告書も、噂も。誰もが、“まっすぐなチームだ”って言ってました。……そんな場所に、私もいたいと思った。ただ、それだけです」


 沈黙が落ちた。


 その静けさを破ったのは、湊の低い声だった。


「……ありがとうございます。来てくれて、話してくれて、正直に打ち明けてくれて」


「……最後に、一つだけ、確認させてください」


 柚葉が少し姿勢を正す。


「はい」


 湊は言葉を選ぶようにしてから、低く静かに問いかけた。


「正直に言えば――あなたを受け入れれば、ヴァルグランから“引き抜き”だと言われ、揉める可能性は高いと思っています。……その点について、あなたはどう考えているんですか?」


 夏希と澪がわずかに視線を交わす。

 柚葉は、少しだけ表情を引き締めて口を開いた。


「……事前に面談に来たことを含め、引き抜きに見えかねない行為だったと理解はしています。ただ、こうでもしないと彼らが退団届を受理することはなかったでしょう。……本当は“自分さえ消えてしまえば、何も起こらないかもしれない”って、何度も思いました」


 彼女の瞳は、どこか張り詰めた深さを湛えていた。


「でも、それはただ、都合よく逃げる言い訳でした。ヴァルグランでの私は、誰かにとっての“道具”でしかなかった。でも、私にとっての私は、“誰かを支えたくて動いてきた人間”です」


 少しだけ間を置いて、言葉を続ける。


「ヴァルグランにいたままなら、その“自分”が完全に壊れるのは時間の問題でした。引き抜きと言われようと、無責任と罵られようと……私が踏み出さなければ、何も変わらない。誰も救えないし、私自身も生きてる意味がなくなる気がしたんです」


 湊は黙って聞いていたが、柚葉はまっすぐに視線を返す。


「ここに来るのは、怖かったです。でも、それ以上に、“変われるかもしれない”って初めて思えた。だから、私自身の覚悟として来ました」


「このことで、神谷さんたちにご迷惑をかけることについては、本当に申し訳なく思っています。他クランとの火種となるような人員は受け入れられないと言われても仕方がないですし、その場合は、身を引きます。そうすれば、少なくとも引き抜きではなくなりますから……」


 柚葉の芯の通った声を聴き遂げたあと、湊は立ち上がる。


「ありがとうございます。あなたの気持ちと覚悟はしっかりと伝わりました。だからこそ、僕らも真剣に答えを出します。――少しだけ、待っていてください」


「……はい」


 柚葉は静かに頭を下げた。


 そして扉が閉まると同時に、澪が小さく呟く。


「……あの目は、嘘じゃない」


***


 クランルームには、クランメンバー全員が集まっていた。


 湊から柚葉に関する情報が共有されると、静かだった空気が次第にざわめき始める。


「正直、あの人のスキルは規格外だな」


 最初に口を開いたのは真壁だった。


 ソファの背に軽く肘を乗せたまま、いつもの飄々とした調子で言葉を続ける。


「《限界突破》ってヤツ、使い方次第でパーティー全体の底上げができる。格闘術と意思疎通が実戦レベルなら、単独行動でもいけるだろうし……うちの戦力にはかなりのプラスだと思う」


「でも、そのぶん敵も増えるってことですよ?」


 羽鳥が横からピシャリと割り込んだ。


 いつもの朗らかな表情とは違い、わずかに眉をひそめている。


「相手はヴァルグラン。澪さんの件でも一悶着あったのに、今度は向こうから引き抜いたって言われかねない。実際、形式上は引き抜きじゃなくても、外から見たらどう見えるか分からないし」


 その言葉に、夏希が静かに頷いた。


「……私も、迷ってる。柚葉さんの目、嘘じゃなかったと思う。でも、彼女を受け入れて、クラン自体が壊れたら……意味がないよね」


 湊は無言でそれぞれの意見を聞いていた。

 冷静さを装ってはいたが、脳裏には昨日の藤堂の言葉が蘇っていた。


『彼女が本当に来たら、迷うと思う』


 本当に、今がその瞬間だった。


 皆の視線が湊へと集まりかけたとき――


「……私は」


 ぽつりと、澪が言った。


 全員の視線が彼女に向く。


 壁にもたれたままの澪は、やや目を伏せたまま、低く、けれどはっきりと続けた。


「私は、彼女を受け入れてもいいと思う」


 その一言に、羽鳥と真壁が軽く目を見開いた。


「ヴァルグランの中に多少なりともいた人間だから、わかる。……あの空気は、人の心を削る。自分を“道具”だと思わないと、生き残れない場所だった」


 夏希がわずかに息を呑んだ。


「私も最初、逃げ出すなんて考えられなかった。でも、湊と夏希に出会って……変わった。抜け出せるって知った。だから、彼女がここに来たのは――“希望”だと思う」


「澪ちゃん……」


「本気で辞めて、ここに来た。信じて、迎えてあげたい」


 それは、澪にしては珍しく、はっきりとした意思表示だった。


 羽鳥は少し驚いたように澪を見ていたが、やがてふっと苦笑した。


「……澪さんがそこまで言って、神谷先輩が受け入れるなら、私は反対しないです」


 真壁が小さく肩をすくめる。


「まあ、揉めたら揉めたで、そのときは全力出すまでっしょ」


 視線が、湊に戻る。


 その目に、誰も言葉を添えなかった。


 湊は一度だけ静かに息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。


 全員の意見を聞き、空気を読み、責任を背負うと決めた人間の背中だった。


 澪が視線を伏せ、夏希がほんのわずかに手を握りしめる。真壁と羽鳥は、無言で椅子から腰を上げた。


 応接室の扉を開けると、柚葉はまだ同じ姿勢で座っていた。


 姿勢は変わらず、背筋も真っ直ぐ。けれど、指先はほんの少しだけ震えていた。どれだけ平静を装っていても、彼女もまた、不安と戦っていたのだ。


 湊は席に座ると、視線を柚葉に向けて言う。


「お待たせしました……」


 柚葉が、息を詰めるように背筋を伸ばす。


「俺たちのクラン、《暁ノ追糸》は、あなたを受け入れます」


 その言葉に、柚葉の目が見開かれる。


「もちろん、まだ正式な加入ではありません。一定期間は様子を見させてもらいます。その上で、チームとしての信頼が築けたら、改めて“正式な仲間”として迎えたいと思っています」


 沈黙。


 そのあとに訪れたのは、深い、深い息だった。


 柚葉は顔を伏せ、小さく、しかし確かに声を震わせた。


「……ありがとうございます」


 それは、作られた言葉でも、礼儀の表現でもない。

 本当に、心からの感謝だった。


「私……本当に、来てよかった」


 その呟きを聞いた夏希が、思わず頬を緩めた。


 澪もわずかに表情を和らげ、「……この場所で、やっていけるなら」とだけ言った。


 湊は静かに頷き、椅子から立ち上がる。


「三条さんが入団処理と装備タグの準備をしてくれています。今はまだ、仮の札になりますけど」


「……はい。それでも、私にとっては、初めての“本当のチーム”です」


 柚葉が立ち上がり、深く頭を下げた。


「“一緒に戦う”って、ただ命を預けることじゃないんですね。心を寄せて、言葉を交わして、互いを理解しようとすること……それが、仲間なんですね」


 その言葉に、羽鳥が口元を緩めた。


「神谷先輩も、クランって言っても結局“人”なんだよ、って言ってたんですよ。意外と、ああ見えて情熱的なんですから」


「……そんなこと言ったっけ?」


「言いましたよー?」


 少しだけ場が和らぐ。

 湊は苦笑をこらえながら、「じゃあ、歓迎の挨拶は後で」とだけ言って、応接室をあとにした。


 柚葉が再びクランルームの扉を開けると、そこには湊以外のメンバーがすでに揃っていた。


 夏希が優しく笑みを浮かべ、羽鳥が手を振る。真壁は軽くうなずき、三条は控えめに会釈をする。澪だけは壁際に立ち、言葉も笑顔もなかったが、視線をそらすことはなかった。


「仮入団、おめでとうございます」


 三条が落ち着いた声でそう告げると、柚葉は少し驚いたように目を瞬かせる。


「……あの、私、まだ何もしていません」


「構いません。貢献はこれから。それでも“迎える”ことに意味があると思っています」


 その真っ直ぐな言葉に、柚葉は胸の奥が温かくなるのを感じた。


 手渡されたのは、まだ仮のものではあるが、《暁ノ追糸》のロゴが刻まれた装備札。滑らかな金属の質感が、ようやく掴んだ“居場所”を現実のものとして感じさせた。


「私、この札に恥じない働き、します。必ず」


「無理はしないでくださいね」


 夏希がそう言ってにこっと笑うと、柚葉はわずかに肩の力を抜いた。


「……やっぱり、雰囲気、いいですね。皆さん」


「そりゃまあ、うちの神谷先輩が“変に誠実すぎ”ですからね」


 羽鳥が少し茶化すように言ったが、言葉の裏に嫌味はなかった。

 むしろ、どこか嬉しそうにさえ見える。


「正直、こういう場所があるって思っていませんでした。クランって、戦うためだけの集団だと思ってたから……」


「戦う場所でもあり、守る場所でもあり……そして、休む場所でもあります」


 三条の言葉に、柚葉は思わず深く頷いた。


 湊がクランルームへ戻ってきたのは、その直後だった。


「全員、ありがとう。柚葉さんの件、これで一区切りにしよう。明日からは通常のローテーションに戻すけど、何かあったら遠慮なく言ってくれ」


「はい」


 その返事の中に、柚葉の新たな覚悟がにじんでいた。


 澪がその様子を見て、ほんのわずかに口元を動かす。


 言葉にはしなかったが、その視線は確かに“認めた”ことを示していた。


 湊は、全員に目を向けながら、最後に柚葉へと視線を戻す。


「ようこそ、暁ノ追糸へ」


「……はい。こちらこそ、ありがとうございます。精一杯、力になります」


 そのやり取りを聞いていた羽鳥が、ふと真壁の肩を肘で軽くつつく。


「……ねえ、神谷先輩ってさ、やっぱちょっとずつ“重み”出てきてるよね?」


「……そりゃ、背負ってるもんが違うし。顔は童顔なのにな」


 軽口を交わす中にも、ほんの少しだけ緊張感が残っていた。


 柚葉が加わった今、このクランは確実に“次の段階”に踏み出したのだ。


 そして、それは同時に――ヴァルグランとの因縁が、本当の意味で再燃し始める序章でもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ