第63話 揉めごとの気配
クラン《暁ノ追糸》の拠点に、ようやく静けさが戻ってきた。
仮加入者たちの正式登録が全員完了し、報告業務や物資配備、ギルドへの書類提出も一段落。内部体制も固まり、訓練や探索のローテーションも安定して回り始めている。
湊は応接テーブルの上に書類を並べながら、三条と一緒に次週分のチーム別行動予定を確認していた。
「真壁さんと羽鳥さんの組み合わせは相性良さそうですね。探索報告も安定してましたし」
「そうですね。穂積たちのチームも、木野の魔力視と合ってきています。三人とも少しずつ余裕が出てきた感じがしますね」
そこへ、玄関のチャイムが鳴った。
対応に出た夏希がすぐ戻ってきて、控えめに声をかける。
「湊くん、ギルドから伝言。入団希望者が来てるって。藤堂さんが“そっちで面談する?”って」
「このタイミングで?」
「うん、クラン評価見てうちを指名で来たって。D級の人らしい」
湊は少しだけ視線を泳がせた。
すでに人数は充実している。だが、即戦力となるD級なら、無視はできない。チーム構成や戦力バランス次第では、第二戦力班の編成も視野に入る。
「わかった。一応、話だけでも聞こう」
***
応接スペースに現れたのは、一人の女性だった。
引き締まった身体、背筋を伸ばした姿勢。長身でスポーティな雰囲気ながら、所作に無駄がなく、言葉を発さずとも“場慣れした実力者”という印象を与える。
その髪は艶のある黒。高く結ばれたポニーテールが、彼女の気概と緊張感を示していた。
「朝霧柚葉です。突然の訪問、失礼いたします」
名乗った柚葉は、丁寧に頭を下げた。澪、夏希、湊の三人も軽く会釈を返す。
「神谷湊です。クラン《暁ノ追糸》の代表をやっています」
ソファに座った柚葉は、真っ直ぐに湊を見据えて言った。
「本日は、入団希望でお時間をいただきました。今は別のクランに所属していますが、退団の意志は固まっております。近く、正式に抜ける予定です。退団後、こちらに入団させていただけないかと思い、ご挨拶に伺いました」
一言一句に迷いがなく、声音にも押しつけがましさがない。
それだけに、湊たちは逆に戸惑った。
現在所属している――つまり、まだ脱退していないのに、すでに次を探している。
しかもD級冒険者。そんな人物が、なぜわざわざ自分たちのクランを……?
「申し訳ないんですが、クランに二重所属はできないので、現状では受け入れられません」
「はい、承知しております。今日は、今後のための面談とご挨拶をと思って参りました」
誠実な態度ではあったが、夏希がやや警戒したように柚葉の様子をうかがっていた。
そんな空気を読んだのか、柚葉がふっと柔らかく笑った。
「ご不安もあると思うので、簡単に私の能力を開示いたします。《意思疎通》Lv2、《格闘術》Lv2。それから……ユニークスキルは《限界突破》です」
湊の目がわずかに見開かれる。
「……限界突破?」
「はい。任意のスキルを、24時間限定で1段階レベルアップできます。自分でも、他者でも。適用は一日に一度のみ、対象スキルの選択は自由です」
沈黙。
湊の《反復》は、現在Lv3。レベル4になれば、“反復対象”を広げられる可能性がある。現時点での使用感と構成を踏まえても、瞬間的にLv4を再現できるなら、かなりのアドバンテージになる。
夏希も澪も、無言で湊を見た。
彼女は、“チームの性能を底上げできる”スキルホルダーだ。しかも、《反復》と相性がかなり良い。
「なるほど……それは確かに、魅力的なスキルですね」
湊が軽く頷く。だが即座に判断を下すことはなかった。
澪と夏希も黙ったまま、柚葉の態度や言葉を慎重に観察している。
「ただ、ひとつ気になることがあって」
そう切り出したのは湊だった。
「そこまでのスキルを持ったD級冒険者が、どうして今のクランを辞めようとしてるんですか?」
静かな口調ではあったが、言外には「理由次第では受け入れられない」という意味が含まれていた。
柚葉はほんの一瞬だけ目を伏せた。そして、言葉を選ぶように、ゆっくりと話し出す。
「……私は今のクランで、ずっと“サポーター”が主な役割でした。支援要員として、実力者たちを支える仕事に徹してきたつもりです。けれど……次第に“支える”というより、“利用されている”ように感じ始めたんです」
言葉に抑揚はなかったが、その分、重さがあった。
「特に私のユニークスキルは、回復職にも、前衛にも、スナイパーにも使えます。それに、意思疎通のレベル2は、チーム間の念話を可能にするので、戦闘効率が格段に上がります。だから、遠慮なく“使い倒されて”、そのうえで“お前がいないと他のやつが死ぬ”と、繰り返し言われました」
夏希の表情が強ばる。
「責任を刷り込まれて……逃げ道を潰されたんですね」
「はい。自分がいなければ仲間の誰かが死ぬかもしれない――そう思えば、抜けるなんて言い出せませんでした。でも最近、気づいたんです。そうやって自分に責任を押し付けてくる人たちは、誰一人、私のことを仲間とは呼ばなかった。彼らにとって、私は道具だったんです。限界まで、壊れるまで酷使して、壊れたら、それまで」
そう呟いたとき、柚葉の目には、わずかな疲れと覚悟の光が宿っていた。
湊は黙ってそれを聞き、やがてゆっくりと息を吐く。
「……話してくれてありがとうございます。でも、今のままでは、僕たちはあなたを受け入れるわけにはいきません。制度上、二重所属はできないし、引き抜きと取られたら立場が悪くなる」
「……ええ、それは理解しています」
「もし今のクランを辞めたら――そのときはまた来てくれませんか?」
湊のその言葉に、柚葉は少しだけ目を見開いた。
そして、ふっと肩の力を抜き、小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。その言葉だけで、少し救われた気がします」
柚葉が席を立ち、丁寧に一礼しようとしたとき。
「……ちなみに、今所属しているクランって、どこなんですか?」
何気ない湊の問いかけだった。だが、場の空気が一瞬で凍るのは、その直後だった。
「――《ヴァルグラン》です」
静かに、だがはっきりと告げられたその名に。
澪の肩が、ビクリと揺れた。
夏希が思わず湊を見た。湊は、表情を動かさぬまま、柚葉の目を見ていた。
「……そうですか。ありがとうございます」
その一言だけを返すと、柚葉は何も言わず、背を向けて部屋を出ていった。
重い沈黙が、数秒間、応接室に落ちていた。
柚葉が去ったあと、誰も口を開かなかった。
重い沈黙が室内にのしかかる中、わずかに動いたのは澪だった。
腕を組んだまま壁にもたれていた彼女が、静かに瞳を伏せた。
「……まさか、ヴァルグランの人間が、ここに来るなんて」
その声は、かつて自らがそこに所属していたことを知る者だけが持つ、微かな怯えと確信に満ちていた。
夏希がそっと尋ねる。
「柚葉さんの話、……嘘には聞こえなかったよね?」
「うん。たぶん本当。ヴァルグランの中でも、サポート職はああやって“道具”扱いされることがあるって、前から噂はあった」
澪は目を細めた。そこに浮かぶ表情は、どこか過去の自分と重ねているようにも見えた。
「でも……」
湊がぽつりと漏らす。
「……問題は、相手がヴァルグランってところだよな」
うなずいたのは夏希だった。
「澪ちゃんの弱みを握って言うことを聞かせて、私たちを罠に嵌めた、悪質なクランだね……」
「うん」
湊は腕を組み、深く息を吐く。
たとえ柚葉の話が本当で、無実だとしても、“あのクラン”の人間を受け入れたとなれば、それだけで面倒になる可能性が高い。
しかも彼女は、明らかに“引き抜かれた”と見えるような形で現れた。自分たちに悪意はなくても、相手がそう解釈すれば、それだけでトラブルになる。
「これは……藤堂さんに相談しておいた方がいいな」
***
翌日、ギルド支部の事務棟。湊は応接ブースに通され、藤堂と向かい合っていた。
「なるほど。なるほどね……朝霧柚葉、か」
藤堂は腕を組みながら小さく唸った。
「D級であのスキル構成なら、普通にいけばどこのクランでも即戦力。でも、ヴァルグラン所属……面倒なことになりそうね」
「そうですよね……昨日の時点では断りました。今はまだヴァルグランに所属していますから、引き抜きの疑いをかけられても嫌ですし」
「判断は間違ってないわ。引き抜きにならないよう、一線を引いてる。それはギルドとしても好ましい姿勢。ただ、『クランを辞めたらもう一度来てくれ』っていう発言はちょっと不用意だったわね。暗に辞めろと言っていると捉えられかねない。それに……」
藤堂はやや声を低くした。
「もし彼女が本当にヴァルグランを辞めて、再び来たら?ギルドの規定上、“元クランの所属を脱している”なら、入団の可否は完全に受け入れ側の自由になる」
「それで受け入れたら、“引き抜いた”って言いがかりをつけられる可能性がありますね……」
「そう。だから、湊くんたちにできるのは、“正式に脱退していない時点では受け入れない”ってスタンスを貫くこと。そして、記録に残しておくこと。昨日の面談記録は、私の方でも保存してあるから心配しなくていいわ」
湊は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
「……彼女が本当に来たら」
藤堂は立ち上がり、湊に向かって視線を合わせた。
「そのときは、迷うと思う。だから、きちんと考えて、判断しなさい」
その言葉に、湊はわずかに表情を引き締める。
「はい、ありがとうございます」
***
拠点に戻ると、既に訓練組は汗を拭いて休憩に入っていた。
篠塚と木野が軽く頭を下げて湊に挨拶し、羽鳥が「神谷先輩、おかえりなさい」とにこやかに笑う。真壁はそれを横で「おまえは毎度距離が近すぎ」とぼやきつつも、湊の顔色を気にしていた。
「どうだった?」
夏希がそっと問いかけると、湊は肩をすくめて答えた。
「まぁ……特におかしな点はなかったってさ。ちょっと不用意な発言もあったけど、概ね対応も間違ってないって」
藤堂の言葉をそのまま伝えると、夏希も澪も小さく安堵の息をついた。
だが、ほんの少しだけ残っていた違和感を、湊は黙ったまま飲み込んだ。
(“本当に来たら”……か)
それは、予感に似ていた。
あのとき、柚葉の背中が迷っていなかったこと。ユニークスキルを惜しげもなく開示したこと。
そして、何より――「あの環境には戻りたくない」と確かに目が言っていた。
来る。間違いなく、もう一度、彼女は来る。
湊は心のどこかで、それを確信していた。
***
三日後の午後、湊が三条と共に訓練資料の整備をしていると、再びギルドからの伝令が届いた。
「朝霧柚葉さん、再訪です。元所属クラン、ヴァルグランに対して退団届、提出済み。記録課で確認取れています」
その報せを受けた瞬間、資料を手にしていた三条の手が止まった。
「……来たんですね」
湊は小さく頷き、立ち上がる。
もう一度、正面から向き合わなければならない。




