第62話 光の糸
朝の拠点は静かだった。カーテン越しの光が食堂を照らし、ホワイトボードには今週分の依頼候補が書き込まれている。
湊はコーヒーを片手に、依頼候補の一つに視線を止めた。
「……ん?これ、珍しいな。個人依頼のアンデッド掃討?」
澪が無言でその文面を覗き込み、わずかに眉をひそめる。
「場所は都内の旧教会跡……依頼主は近隣住民。深夜に怪異を感じるという訴えが複数」
「アンデッド系……」
後ろからのその声は、明らかにうんざりしていた。
夏希が座椅子に膝を抱えたまま、ぐったりと顔を伏せる。
「やだ……ホラーとか無理……。びっくり系も嫌だけど、精神汚染とか、もうほんと無理……」
「苦手なのは知ってるけど、これ、報酬すごく高いぞ。C級二つ分以上はある」
「そりゃ、そういうのを専門にしてる教会系クランに依頼したら寄付金とか祭具費とか、えげつない額取られるからでしょ。個人で頼むのがどれだけ大変か分かるよ……でも、でも……!」
夏希の顔がさらに沈む。
「じゃあ、やめとくか?無理して受けるものでもないし」
湊の言葉に、夏希がはっと顔を上げた。
「……依頼者、多分昨日ギルドまで来てたあの人だ」
「え?」
「すごく困った顔で、『どこも相手にしてくれなくて……』って。断られたらどうしようって感じで、受付でずっと待ってた。私、見ちゃったんだよね」
静かな沈黙が拠点に広がる。
夏希は唇を噛みしめたあと、立ち上がった。
「やっぱ、私……無視できない。怖いけど。怖いけど……」
その肩を、湊がそっと支えるように見守る。
「よし、じゃあ一回受付で詳細確認しよう。問題があるようなら、その時点で断ればいい」
「……うん」
3人は支度を整えて、クラン拠点を出発した。
***
ギルド支部、依頼窓口。
対応に出たのは、いつもの藤堂だった。明るい笑顔で出迎えたが、湊たちが依頼内容を告げると、その顔色がわずかに変わる。
「この依頼ですか……アンデッド系ですけど、本当に対応できますか?」
藤堂の声には、どこか慎重な響きがあった。
「多分、大丈夫です。以前アンデッド系の敵と対峙した際、夏希の癒糸でかなり弱体化したので。」
その瞬間、藤堂は目を見開き、視線で周囲を確認する。
「少し、場所を変えてお話しできますか?」
「え、ええ。」
しばらくして通された部屋で、藤堂はゆっくりと切り出した。
「単刀直入に聞くけど、さっきの話、夏希さんの癒糸が聖属性になったということ?」
「聖属性かは分かりませんが、アンデッド系に効いたので、おそらくそうかと。あと、癒糸自体に加えて、武器に対して癒糸を一定時間絡めて集中すると、その武器にも聖属性が付与されるみたいです」
藤堂はしばらく黙った後、深く息を吐く。
「……あのね、湊くん。この話は、ここだけにしておいて。私もギルド長以外には報告しない」
「え?」
「聖属性の付与者って、世界に今、何人いるか知ってる?……一人だけよ。聖女って言われてる。夏希さんを入れて二人になったみたいだけど。宗教関連だから日本にいるとあまり実感ないかもだけど、ヨーロッパでは、聖属性に目覚めた人は、“神の加護を与えられた者”として、個人ではなく、教会が管理・監督してるの」
「つまり……」
「バレたら、教会が身柄を求めてくる可能性がある。“加護は神のものであって、個人の自由にはできない”って論理でね」
湊と夏希が、思わず顔を見合わせる。
「それに、聖属性武器や魔道具が高額なのは、その独占構造のせい。簡単に手に入らないし、アンデッド討伐も教会経由なら“寄付”が付きまとう」
「じゃあ、今回の依頼も――」
「“聖属性の魔道具で対処した”ってことにしておきなさい。いいわね?」
藤堂は目線を夏希に向けて言った。
「……はい」
その返事は、わずかに震えていたが、決して弱くはなかった。
小会議室を出て、ロビーへ戻る途中の廊下で、湊たちは足を止めた。
「……聖属性って周りで聞いたことなかったけど、そんなに希少だとは……。教会が、身柄を求めてくるってのは、冗談じゃなさそうだったな」
湊がぽつりと呟くと、澪が頷いた。
「今軽く調べてみたけど、聖属性は“奇跡”の証で、持ってる人間も“神の器”として扱われるらしい。だからこそ、個人の意思は軽視される」
「管理」とは名ばかりで、実態は監視だ――そう言わなくても、三人には伝わっていた。
湊は立ち止まり、小さく首を振る。
「……やっぱり、この依頼、やめたほうがいいかもな」
「……うん。もし教会にばれたら、みんなにリスクがかかるよね……」
言葉の途中で、ふと彼女の目に、ロビーの端で話している男女の姿が映った。
男性の方は依頼者らしき人物で、年配のスーツ姿。何かの説明をしている受付職員に、深く頭を下げていた。
その姿を見た瞬間、夏希の瞳が揺れる。
「……あの人だ。昨日も来てた。何時間も、受付で待ってた。湊くん、澪ちゃん、ごめん。私やっぱり……」
澪が小さく口を開いた。
「大丈夫なの?」
「うん。怖いし、リスクもある。でも……」
夏希は拳をぎゅっと握る。
「私は、助けを求めてる人を無視できない。たとえ、どんなに怖くても」
その言葉に、湊は小さく笑った。
「それが夏希だよな。仕方ないさ」
そう呟くと、3人はそのまま受付に向かった。
「藤堂さん、依頼、受けます。内容は“魔道具による対応”で通してください」
夏希の声は、震えていなかった。藤堂はその顔を一瞬だけ見つめ、やがて頷いた。
「了解。正式に受注処理するわ。支給品は、魔道具『光糸の封片』で。戦闘記録は提出不要、成果報告のみで大丈夫」
「ありがとうございます」
そのまま3人はギルドを出て、ダンジョンの支度へと戻っていった。
***
その依頼者――霧原と名乗る男性は、ギルドの記録室で手続きを済ませた。
「本当に……助かります。教会に頼んだら、まず“寄進”を求められて、話にもなりませんでした」
「いえ、今回は“魔道具による浄化”での対応になりますが、それでも十分な効果がありますので」
職員が淡々と答える。
霧原は深く頭を下げた後、資料にサインしながら口にする。
「魔道具も、こうして使える人たちがいてくれてよかった……本当に、ありがたい」
彼の言葉に、職員は微笑んだ。
その背後で、記録係の一人――藤堂が静かに視線を落とした。
(……これでいい。少なくとも、今は)
ギルドの記録には、「魔道具使用による聖属性対応」とだけ、きっちり記載されていた。
***
廃教会跡に着いたのは、陽が傾きはじめた頃だった。
立ち入り禁止の札が立つ古びた門、苔むした石造りの外壁。木製の扉は朽ちており、わずかに開いた隙間から、ひやりとした空気が漏れている。
「……嫌な感じ」
澪が呟き、湊が頷く。空気が重く、濁っている。
夏希は無言で立ち尽くしていたが、湊がそっと背中を押すと、うっすらと表情を引き締めて一歩を踏み出した。
内部は想像以上に荒れていた。長年使われていなかったためか、天井は剥がれ、椅子や祭壇も散乱している。だが、問題はそこではなかった。
「魔力の……流れが、腐ってる」
夏希が震える声でそう言った直後、澪が一瞬で前に出る。
「来る」
通路の奥、崩れた祭具庫の影から、ぐにゃりと歪んだ気配が現れた。
肉の一部が朽ちかけたグールが、唸り声をあげながら姿を現す。腐臭が空気を裂き、澪がわずかに眉をひそめる。
湊が前に出て、剣を抜いた。
「いくぞ、夏希、頼む」
「う、うん……っ」
夏希が息を整え、指先を伸ばす。《癒糸》が解かれ、光の糸が湊の腕と剣に巻きついていく。
今までと違うのは――その糸が、ほんのりと金色を帯びていることだった。
「集中して……“浄化”するように、力を込めて」
糸が剣に絡みつき、刃先に淡い光が宿る。目を細めて見ていた澪が、呟く。
「……これが聖属性」
グールが突進してくる。湊はそれを正面から迎え撃つ。斬撃が交差した瞬間、グールの身体が音もなく燃え尽きるように霧散した。
「……っ、一撃……?」
澪の目がわずかに見開かれる。
「間違いない、浄化だ。物理耐性も再生も全部無視してる」
湊はすぐに態勢を整え直し、剣を振るって残りの個体も撃退していく。癒糸によって付与された光は、剣の動きに追従するように揺れ、次々とグールを焼き払っていった。
戦闘が終わった後、夏希はその場にしゃがみ込んだ。額には汗がにじみ、手がわずかに震えていた。
「……こわい……」
その呟きは小さかったが、確かに届いた。
湊がそっと膝を折って隣に座る。
「ありがとな。……助かった」
「ううん……私こそ……剣に光が入った瞬間、私の力が“人を守ってる”って分かった。……だから、少しだけ、怖さが減った気がする」
ふと、夏希は微笑んだ。
「でもさ。癒しの力が、こんなふうに“敵を倒す”ことに使えるって……なんだか、まだ信じきれない」
湊はその言葉を否定しなかった。ただ、「それでも、お前の力だ」とだけ答えた。
「うん……ありがと」
夏希はもう一度深く息を吐き、立ち上がった。
澪が一歩先を歩きながら、ぽつりと呟く。
「……次は、本丸が来る」
「本丸?」
「地下の気配。腐敗の中心、ボスがいる」
湊は剣を握り直し、夏希も再び癒糸を展開する。
地下へと続く階段は、土と血と――何か“腐った祈り”のような匂いが染みついていた。
石造りの空間に降りると、そこはまるで儀式の残骸のような場所だった。かつて聖歌が響いていたであろう礼拝堂の祭壇が朽ち、今は異形の存在に占拠されていた。
そこにいたのは、アンデッドの群れ――だが一つの身体ではない。無数の腕と顔が癒着し、塔のように蠢いていた。
「……集合体型。個体管理じゃない。核を探さないと倒しきれない」
澪が素早く索敵を開始する。湊は即座に剣を抜き、夏希は剣に再び癒糸を巻き付ける。
金色の光が、また湊の武器に宿った。
「いくぞ、速攻でいく」
澪が先行して死角をつくり、湊が正面から突撃する。攻撃は的確に腐った肉塊を切り裂き、内側から浄化の光が走る。
悲鳴のような呻きが、礼拝堂に響き渡る。
だが敵も、腕の一部を切り離し、小型のアンデッドを湧かせて応戦してくる。複数の死体が夏希の位置へと向かい、瘴気を撒き散らした。
「夏希!」
「大丈夫!」
癒糸を自身の周囲に円形に展開し、瞬時に編んだ“結界”が腐霊を防ぐ。糸が触れたアンデッドは、悲鳴を上げるように蒸発した。
湊がその隙に、核を捉えた。
「――そこだ!」
聖なる光を帯びた斬撃が、集合体の中心へと深く突き刺さる。まるで鐘が鳴るような残響が響き、肉の塔が崩れ落ちていった。
礼拝堂に、静寂が戻った。
「終わった、な……」
澪が気配の消失を確認し、頷く。夏希がそっと膝をつきながら、息を整えた。
「……こわかったけど。……でも、今は平気」
その声は、ほんの少しだけ誇らしげだった。
***
依頼を出していた霧原は、礼拝堂の最奥まで踏み込んで来ることはなかった。後日、ギルドを通して除霊報告と現場写真を確認し、深々と頭を下げた。
「まさか……本当にここまでしていただけるとは……」
「特殊な魔道具があったからこそです。今回は運が良かっただけです」
ギルド職員がそう伝えると、霧原は深く頷く。
「いや、それでもありがたい。高価な武器を使ってまで助けてくれたその気持ちが、何より救いです」
――彼は、何も知らない。
癒糸が聖属性を帯びていたことも、それが“魔道具ではなかった”ことも。
その無知が、今は安全の盾になっている。
***
ギルドに戻った後、藤堂は小さな笑みを浮かべながら、湊に書類を渡した。
「正式な成果報告の内容は“魔道具による除霊”。証拠も写真も処理済み。完璧よ」
「ありがとうございます。助かります」
湊が丁寧に受け取ると、藤堂はふと視線を夏希に移した。
「あなたの力は、たぶんこれから先、いろんな意味で“人に見られる力”になる」
夏希は小さく頷いた。藤堂の目は、いつになく真剣だった。
「だから、どうか覚えていて。自分の力の使い方を、“誰か”に決めさせないで。あなた自身が、それを選ぶためにあるのよ」
それは、警告ではなく、願いだった。
「……はい、わかりました」
夏希の返事は、静かで、でも芯が通っていた。
その夜、湊は癒糸の光が宿ったあの瞬間を思い返していた。
優しさと、勇気と、恐れと――すべてが混ざった、あの光を。
いつかまた、その力を必要とする場面が来たとき。
彼女が、自分で選べるように。
その日まで、守るべきものがあるのだと、湊は強く思った。




