第61話 クランの形
湊たちがクランの拠点を構えてから約一週間が経過していた。
食堂にはカップが並び、トーストの香りが漂う。仮加入を終え正式に入団した面々が、各々の任務に向かう準備を進めていた。
「出発前に確認しよう。篠塚たちのチームは、E級ダンジョンで探索任務。目的はE級ダンジョンの攻略と簡易マッピング」
湊がホワイトボードに書かれたスケジュールを指差しながら確認する。穂積奈々、篠塚恭平、木野湊也――三人は今日、初めてチームでの探索に臨む。
「羽鳥と真壁は、D級ダンジョンで連携の確認。気象が不安定だから、気圧と湿度には注意して」
夏希が真壁に資料を手渡す。地図と気象データがファイリングされた分厚い束だ。
「おー、ありがと。完璧だね、サポート」
「油断しないでください。気温差で魔力の流れが不安定になる場所ですから」
羽鳥がぴしっと真壁に釘を刺す。やや緊張気味に見えたが、それ以上は言葉を飲み込むようだった。
「行ってくるわ。神谷リーダー、俺らも名に恥じない仕事してくるから」
真壁が軽く敬礼する。湊は小さく頷いた。
「任せた。困ったら、即帰還でいい」
「へい」
ふざけたような返事のくせに、その動きは一分の隙もなかった。腰のホルスターの調整、マントの止め具、魔法用具の最終確認まで、すべてが手際よく済んでいる。
――やっぱり、できる男だ。
澪が無言で小さく頷き、夏希も「真壁くん、ほんと優秀だよね」とぽつりと呟いた。
一方その頃、もう一組の新チームも出発の準備を整えていた。
「……よろしく、今日の任務」
木野がぎこちない笑顔で、穂積と篠塚に頭を下げる。
「き、木野さん。こちらこそ、よろしくお願いします」
「敬語、いいよ。同じチームなんだし」
「あ、はい。じゃあ、木野さん。よろしく!」
穂積が柔らかく微笑み、篠塚も「なんか……ちょっと安心した」と声を漏らす。
年齢も背景も違う。けれど、今日から同じ任務に向かう仲間だった。
「じゃあ、気をつけて」
湊が入口で声をかけ、三人が順に頷いて外へ出ていく。
扉が閉まり、静寂が戻る。
「……動き出したね、ついに」
夏希が湊の隣でつぶやく。澪も無言のまま、うなずいた。
「問題はこれからだよ。無理なく続けていけるかどうか、そこが一番難しい」
湊はそう言いながら、ホワイトボードの記録を手直しする。どこか、緊張を含んだ表情だった。
***
一方その頃、拠点の奥。
事務室では、三条陽鞠がキーボードの音を響かせていた。
物資の補充データ、探索チームの装備チェック、連絡票の提出状況――すべてが一つのシートに整理されていく。
「湊くん、スケジュール表とデータベース、5分前に更新済みです。確認お願いします」
端末越しに送信された報告に、湊は苦笑する。
「さすがですね、仕事が早い」
「正確に、無駄なくやるのが信条ですから」
三条は画面越しにもわかるくらい、涼しい顔だった。
戦う人がいれば、支える人がいる。
走る人がいれば、記録する人がいる。
クラン《暁ノ追糸》の一日は、そんなふうに静かに、確実に動き出していた。
***
E級ダンジョン。崩れかけた炭鉱跡の通路を、穂積奈々、篠塚恭平、木野湊也の3人が慎重に進んでいた。
先頭を歩くのは篠塚。木野は最後尾から、魔力視を使って周囲の異変を監視している。
「通路、まだ東に続いてるな。木野さん、魔力の濃さは?」
「右前方に薄い痕跡がある。敵じゃなく、罠の残留反応かも。深くはないから無視していい」
分析は的確で、言い方は少し堅いが、内容に無駄がなかった。
「ほんと、魔力視って便利だね。私たち、こういうの弱かったから助かる」
穂積が微笑みながら言うと、木野は少し戸惑ったように瞬きをした。
「……いや、その、まあ……多少は役に立ててるなら、よかった」
通路を抜けた先の広間で、三人は一息つく。
まだぎこちない空気は残っている。水筒のキャップを回す音、足元の砂を払う手の動き――どれも、まだ“同期”していない感じがあった。
「あの」
穂積がふと口を開いた。
「どうして、このクランに入ったの?」
木野は、わずかに息を整えてから答える。
「俺、前は……所属してたわけじゃないけど、ギルドの訓練班でずっと魔力視の精度だけ鍛えてて。でもそれだけじゃ何にもならないって気づいたんだ。神谷さんたちの戦い方を見て、こういうチームにいたら、誰かの力になれるかもって思った」
「……そうなんだ」
「俺は不器用だから……戦ってる最中に、何かを守ったりできる気がしない。でも、見えないものが見えてるなら、その情報を誰かに託すことなら、多分できる」
木野の口調は相変わらず堅いが、言葉は真剣だった。
少し沈黙があって、今度は篠塚が呟いた。
「俺たちも……憧れてるんだ、神谷さんたちに。最初は任務でサポートしてもらっただけだけど、それからずっと気になってて」
穂積が頷く。彼女の目に、一瞬だけ陰が差す。
「前に……佐伯くんって子がいたの。私たちのチームの後衛。E級ダンジョンでイレギュラーに遭って……助け、呼んだんだけど……」
「神谷さんたちが来てくれた時には、もう遅くて」
篠塚の声が少し詰まる。
「それで、何もかも終わった感じだった。あの日、誰も責めなかったけど……私はずっと、自分が怖くて」
「また誰かを失うのが怖い。でも一人じゃ、何も守れない。だから、強くなりたい。神谷さんの下で、それができるようになりたくて……」
静かな時間が流れる。
木野は何かを言おうとしたが、言葉が浮かばなかった。
「……」
穂積と篠塚が顔を上げたとき、木野はやや不器用に、けれどしっかりと口を開いた。
「佐伯くんの代わりになれるかは分からないけど……このクランで、一緒に頑張ろう」
「……ふふ、なんか、こそばゆいね」
穂積が小さく笑った。
それでも木野は、悪くないと思った。
この距離感のままなら、少しずつでも進んでいける気がした。
***
風が、音もなく吹き抜ける。
このD級ダンジョンは、地下水脈を通して変化する“流動性迷宮”の一つで、地形が日替わりで微妙に変わる。その分、事前のデータに頼りすぎると迷い込む危険性が高い場所だった。
「気圧は昨日より少し下がってます。魔力の流れが揺れてるから、前方を注視しておいてくれると助かります」
羽鳥が淡々と指示を出す。
「了解。ちゃんと指示してくれるの、助かるわ。俺、そういうの好きだよ」
真壁が軽い口調で返すが、羽鳥は「……そうですか」と素っ気ない。歩調は乱れないが、視線が一度も真壁の方を向いていない。
探索は順調だった。罠を避け、地形の癖も読み、出現した2体の魔獣も真壁が冷静に魔法で牽制し、羽鳥が弓で冷静に仕留めた。戦闘スピードは申し分ない。
だが、空気だけがどうにも重い。
「羽鳥ちゃんって、神谷先輩にゾッコンって噂、マジだったんだなーって今日確信した」
軽い冗談だった。だが、羽鳥の足はぴたりと止まった。
「……ええ、そうですけど。何か問題でも?」
「いや、ないない。むしろ分かりやすくて、いいなって思っただけ」
その言葉にも、羽鳥は視線を戻さなかった。進み出す足が、ほんの少しだけ早くなる。
数分後、索敵スキャンを終えた小部屋で、真壁はリュックから水を取り出しながら小さく息を吐いた。
「なあ、俺のこと、ちょっと警戒してるよな?」
「……いいえ」
「嘘だ。それ、前のクランの噂聞いてる顔だわ」
羽鳥は少しだけ表情を揺らした。否定はしなかった。
真壁は天井を見上げて、ゆっくりと口を開く。
「俺、前のクランではそれなりに期待されてたんだよ。結果も出してたし、昇格も早かった。でもさ、大きなクランにありがちな派閥争いってやつに巻き込まれて、同期の男に嵌められたんだよ」
「嫉妬か何か知らないけど、そいつと同じチームの女が酔って俺に襲われたって言いだして、こっちは全く身に覚えがないのに、その男は俺が女に絡んでるところを見たって言いだすし。そんで、クラン内で事実関係を調査中だってのに、女関係で揉めたっていう噂だけが広まった」
羽鳥は、静かに聞いていた。すぐに答えは返さない。
「しかも、でっち上げだからどっちからも決定的な証拠は出ない。ただ、その日珍しく飲みに誘われてそいつらと飲んでたことは事実だった。状況証拠と、2対1っていう構図だけが残った」
「加えて、俺の悪い噂は既に結構広まってた。大きいクランとしては、噂に巻き込まれて風評被害を被るのは避けたい。結果として、俺を切る判断をしたってオチ。あとは噂が勝手に一人歩きして、どこ行っても、『ああ、あの人ね』って顔されて、断られる」
「……」
「でも、湊くんたちはちゃんと話を聞いてくれた。“それで全部?”って訊いて、判断してくれた。……だから俺、今ちょっと真面目に頑張ってんだよ」
羽鳥は数秒、目を伏せたままだった。やがて、小さく息を吐いた。
「……事情は、理解しました。噂で判断したのは、少し……浅はかでした」
「お、それって少しは信じてくれたってこと?」
「ただ、言わせてもらうと――」
羽鳥は真壁の方をしっかりと向いた。瞳にあざとさはなかった。ただ真剣な色だけがあった。
「その軽い喋り方、普段のあなたじゃないでしょう。だから、余計に疑われるんです」
真壁がまばたきを一つした。
「え?」
「能力も高くて、動きも正確で、すごく真面目な人なのに、どうしてわざわざ“チャラく”見せようとするんですか?」
「……癖、かな。あんまり壁作られないようにって思って」
「逆効果です。少なくとも、私は。真面目な人がふざけると、全部演技に見えます」
言い切った羽鳥は、一瞬だけ目を逸らしてから「すみません。生意気でした」と呟いた。
真壁はしばらく沈黙し、それから静かに笑った。
「……いや、めっちゃ刺さった。マジでありがとう」
そう言った時の彼の声には、軽さではない、確かな“素”があった。
***
三条陽鞠は、淡々と数字と向き合っていた。
時間は正午を過ぎ、拠点の事務室には軽やかなキーボードの音が響く。
新設されたクラン《暁ノ追糸》の物資管理シートには、今日の分の補給記録がすでに反映済みだった。
「羽鳥さんチーム、装備返却予定13:40。予備回復薬の使用申請あり……記録済み」
「穂積さんたちは13:20には戻るはず。消耗品は低レベル帯なので――繰り返し在庫発注」
独り言のように小さく呟きながら、三条は次々と処理を終わらせていく。スプレッドシート、連絡ログ、装備返却チェック表――いずれも、乱れなく、整然と並べられていく。
この拠点に戦闘力は求められない。けれど、三条は自分の役割を完全に理解していた。
彼女の視線が一瞬だけ止まり、モニター脇に立てかけた一枚の紙に目をやる。
《クラン運営マニュアル:自作案(未提出)》
ギルド勤務時代に培った知識をもとに、湊に渡すつもりで書き溜めたものだ。
「……ま、焦らず、ね」
三条は目を細め、静かに再び手を動かし始めた。
***
13時を回った頃、先に帰還したのは穂積たち3人だった。
「ただいま戻りました。大きな負傷や事故はありません」
穂積がきちんとした口調で報告する。その後ろで、篠塚と木野もそれぞれ無言でうなずいていた。
「おかえり。どうだった?」
湊の問いに、篠塚が先に答える。
「連携はまだぎこちないけど、悪くないスタートだったと思います。……それと」
「うん?」
「ちょっとだけ、チームになれた気がします」
「……それは、いい報告だな」
湊が返すと、木野も小さく「……はい」と頷いた。
続いて羽鳥と真壁が帰還したのは、それから20分後のことだった。
「戻りました。問題ありません。ルートAの探索は完了、報告書は後ほど提出します」
「お疲れさま。こっちも順調だったみたいだな」
湊の言葉に、羽鳥はいつもの調子で「ええ、神谷先輩のために頑張りました」と返し――
「それと、真壁さんのフォローも的確で、非常に助かりました」
ほんの少しだけ、素直な言葉が添えられた。
「おお、まさか褒められるとは思ってなかった。……ちょっと嬉しい」
真壁が照れくさそうに笑い、夏希が目を細めた。
「真壁くん、今日はいつもほど軽くないね」
「……俺いつもそんな軽い?」
澪はいつも通り無言だったが、傍らでわずかに肩を揺らした。
それは笑ったのか、それともただ空気に反応したのか――誰も指摘はしなかった。
***
その夜、拠点の食堂では、全員で食事を囲む形になった。
湊たち3人に加え、仮加入メンバーが揃ってひとつのテーブルにいる。それだけのことが、今はまだ少しだけ新鮮だった。
椅子を並べる音、食器を置く音、あちこちから飛び交う報告と感想。
「今日、魔力視で通路見つけてくれたの、木野くんなんですよ」
「ま、まあ……たまたま」
「またまた、結構正確だったじゃん」
「ほんとにたまたま……」
「そういうところだよ、木野くん」
夏希がくすくすと笑い、湊は静かにそのやり取りを聞いていた。
新しい仲間たちが、一緒にいて、同じ方向を向いている。
完璧じゃない。でも、それでいい。
ふと、三条が食堂の入口から顔を出す。
「湊くん、明日の遠征予定と物資発注、机の上に置いてあります」
「ありがとう、三条さん」
「……いえ。これが、私の仕事ですから」
その言葉は、どこまでも真っ直ぐだった。
クラン《暁ノ追糸》は、少しずつ形を持ち始めていた。




