第60話 クラン拠点
「かんぱーい!」
乾杯の合図とともに、テーブルに並んだ紙コップが軽く触れ合った。
自宅マンションの一室。湊たちの簡素なダイニングテーブルの上には、スーパーで買ったケーキと惣菜が並び、羽鳥のクラン正式加入を祝っていた。
「……あの、ありがとうございます。正式に加入させてもらって」
羽鳥が、紙コップを両手で持ったまま、わずかに俯きつつ笑った。
紅茶に浮かぶミルクの渦と、顔に差す照明の色が微妙に揺れている。
「改めて、これからよろしくな。羽鳥」
湊が真っ直ぐに言うと、羽鳥は目を瞬かせ、それから小さく頷いた。
「はい……っ。全力で頑張ります!」
羽鳥が気合いの入った笑顔を見せた瞬間、場に柔らかな笑いが広がった。
そのひと息が落ち着いた頃、羽鳥がふと、言った。
「そういえば……私以外の新メンバーって、どんな人たちなんですか?」
湊がケーキを切り分けながら、「ああ」と頷く。
「今、仮加入してるのは五人。まずはE級のペアチームで、穂積奈々(17歳)と篠塚恭平(17歳)」
「あ、前にギルドで名前を見たことあります。回復職の子ですよね?」
「うん。奈々は慎重で真面目。篠塚はその反対ってわけじゃないけど、はきはきしてて明るいタンクタイプ。元々チームだったから、連携は問題ない」
「なるほど……」
「三人目はこれもE級の木野湊也(18歳)。氷魔法と魔力視の持ち主で、後衛支援型。理詰めで動くタイプだけど、魔力が見えるから斥候として優秀だと思う。奈々たちのチームには斥候役がいないし、同じE級同士組んでもらう感じになるかな」
澪が「……扱いやすい」とだけ呟き、夏希がくすっと笑った。
「四人目は三条陽鞠さん(23歳)。元々E級冒険者で、辞めてギルド職員だったんだけど、うちのクランに入りたいって言ってきた」
「えっ、ギルドから?」
「うん。事務処理も情報整理も早いし、裏方のまとめ役にぴったり」
「うわ……心強い……!」
羽鳥が本気で安堵したように言い、湊は最後の一人に触れた。
「最後は真壁亮(20歳)。D級の魔法アタッカーで、機動特化型。以前は別のクランに所属してたんだけど、内部トラブルで退団したらしい」
「真壁亮……って、元々大きいクランの若手のホープじゃなかったでしたっけ?たしか、女性関係のもめ事で退団したって……」
「表向きはそう。でも、話を聞いた限りでは無実っぽい。本人は真面目だし、戦力としては申し分ない」
澪が静かに補足する。
「見た目と口調は軽いけど、動きに無駄がない。魔法を織り交ぜた回避型で、現場では頼れると思う」
「へえ……」
羽鳥がひとつひとつにうなずきながら、指を折って数えた。
「ってことは、今の時点で……私も含めて、九人?」
「ああ、そんなところだな」
「……だったら、クランの拠点って、そろそろ必要なんじゃないですか?」
その言葉に、湊はスプーンを持った手を止めた。
「拠点、か」
「今はこのマンションでミーティングをやってると思うんですけど、仮加入者が動き始めたら、出入りも記録も管理も大変になりますよね」
羽鳥の言葉に、夏希と澪も顔を見合わせた。
「……確かに。そろそろ限界かも」
「あと、名前のプレート貼ったらそれっぽくなる」
湊は苦笑しつつ、少し考えてから呟いた。
「……そういえば、スタンピードの報奨金。まだ手をつけてないよな」
1人500万円、計1500万円。ギルドから正式に振り込まれた特別報酬。
手を出さずに保管してあったそれを、湊は初めて“使う理由”と向き合った気がした。
「スタンピードの時の報酬、合計で1500万。分配は保留してたけど……俺たちの共有資金にして、拠点の確保と整備に使うのは、ありだと思う」
「でも、それ……三人が命懸けで得たお金ですよね?私なんかが言い出したことで使っていいなんて……」
羽鳥が眉を下げると、すかさず夏希が笑いかけた。
「大丈夫。羽鳥さんの言葉がきっかけでも、決めるのは私たちだから」
澪も軽く顎を引くように頷く。
「どうせ、今の部屋に全員を詰め込むのは限界」
湊が立ち上がり、自室の本棚から一枚の紙ファイルを取り出して戻ってきた。
「実は、こっそり調べてたんだ。『中小規模クラン向けの拠点候補リスト』ってやつ。ギルドが非公開で保有してる物件がいくつかあって、立地と条件さえ合えば紹介してもらえる」
羽鳥が身を乗り出すように覗き込む。
「こんなの……あったんですね」
「普通はC級中盤以上でようやく意識するらしいけど、俺たちの場合、動きが早いからな。いくつか候補がある」
湊がファイルを開くと、資料には元訓練所の改装物件、倉庫付きオフィス、郊外型アパート一棟貸しなど、さまざまな候補が載っていた。
その中の一つ、都心に近い閑静な区画にある元訓練所跡の改装プランに、皆の視線が集まる。
「……ここ、いいですね。共用エリアが広いし、ロッカーや倉庫も完備。アクセスも悪くないです」
羽鳥が興味深そうに資料をめくり、夏希も同意する。
「雰囲気もいいね。ちゃんと掃除すれば住めそう」
「住まないからな」
湊が突っ込むと、夏希が舌を出した。
「冗談だよ。ちゃんと通う用の場所ってことだよね」
「うん。生活の場は今まで通り。ここは“クランとしての活動拠点”にするつもりだ」
「じゃあ、決まりだね」
羽鳥が小さく息を呑んで口を開く。
「……本当に、使っていいんですか?大金ですよ?」
その問いに、湊は少しだけ黙ってから、はっきりと頷いた。
「本当に必要だと思ってるし、そういう場所を持ってこそ、ちゃんと“クラン”になる。……羽鳥がそう言ってくれたから、背中押されたよ。ありがとう」
羽鳥は目を瞬かせ、少しだけ頬を染めて、控えめに笑った。
「いえ、あの……。でも、そう言ってもらえると……その、嬉しいです」
その場の空気が一段落したところで、澪が静かに口を開いた。
「じゃあ、明日から内見と契約の手続きに動く」
夏希が勢いよく立ち上がる。
「よーし、私、内装担当やるからね!」
「俺は配線と動線チェック、あとは魔力遮断材の導入も検討しとく」
「私は備品と配置図の整理します。業者とも打ち合わせますね」
それぞれの役割が、自然と口にされていく。
もはや“チーム”ではなく、“組織”としてのかたちが、そこにあった。
「じゃあ、やろうか。……《暁ノ追糸》の拠点づくりを」
湊の言葉に、全員が頷いた。
***
翌日。
湊、羽鳥、澪の三人は、ギルドの仲介担当と合流し、いくつかの物件を順に見て回っていた。
第一候補は都心からやや離れた住宅街の一角にある、元訓練所の跡地。
「外観は年季入ってるけど、中は意外と悪くないな」
湊が腕を組みながら周囲を見渡す。
建物は二階建てで、一階は食堂を含めた広めの共用スペース、二階は区切られた個室やロッカールーム、倉庫スペースなどが並ぶ。訓練所だった名残か、天井が高く開放感がある。
「通風も悪くないし、床の歪みも少ないです」
羽鳥がすでにメモ帳片手に回りながら、必要事項を淡々とチェックしていた。
「この部屋は、窓の外に魔力遮断ライン引けそう」
澪も床を指先で触れながら、警戒動線を測っている。
湊は二人の様子を見ながら、ふっと息を吐いた。
(……こうして、クランとしての形ができていくのか)
まだ何も始まっていないはずなのに、空間に“それらしさ”が漂ってくるのが不思議だった。
その日のうちに契約が完了し、数日後――。
***
新拠点の鍵を受け取った湊たちは、仮加入者数名とともに荷物を運び入れ、整備作業を開始した。
「この辺は共有スペースになるから、段ボールは奥に寄せて! あ、それ私やります!」
羽鳥が張り切って声を飛ばすと、真壁亮が軽やかに手を挙げる。
「はいよ、羽鳥副官。俺、軽作業得意なんで」
「副官じゃなくて統括補佐です!」
「そっちのがカッコいいのに」
「ややこしいこと言わない!」
一方、三条陽鞠は持ち込んだノートPCで入退出管理システムの試験運用を開始。
「湊くん、これローカルで動くからネット遮断でもいけますね。暗号化と多重バックアップもOK。あとは誰にID振るか決めてくれたら」
「もう完全に業務用だな……助かります」
「任せてください。こっちが本職だったので」
篠塚はせっせと倉庫側のラックを組み立て、奈々が「重いの無理しないでね」と気遣っている。
木野湊也は黙々と魔力配線のチェックをしており、澪と時折短い会話を交わしながら、索敵の死角を潰していた。
そして夏希は、壁の色を選ぶ塗料カタログを片手に悩んでいた。
「やっぱり、木目調にするべきかな……でも落ち着きすぎるのもね……」
「え、まだそこ……?」
「こういうのは大事なの。雰囲気って、日々の気持ちに直結するから」
そんなやり取りを遠目に眺めながら、湊はロッカーの列の前で立ち止まった。
名前のラベルがまだ貼られていない無垢の鉄扉。
だがそこに、自分たちの名前が並ぶ未来はすでに想像できた。
人が増えると、面倒も増える。
でも、面倒があるということは、誰かと共にいるという証拠でもある。
「……拠点って、意外とあったかいな」
ふと漏れたその呟きに、背後から羽鳥の声が返る。
「ですね。きっと、これからもっと、にぎやかになりますよ」
湊が振り返ると、羽鳥はスケジュール表を片手に、嬉しそうに笑っていた。
「――これで、とりあえず完了ですね」
羽鳥がホワイトボードの横に立ち、手にしていたラベルシートを最後の1枚貼りつける。
それは《仮ルール・第1稿》と印刷された、文字通りの“最初の方針”だった。
「入退室の記録、報連相の徹底、共有スペース使用ルール、備品の申請手順……」
湊が項目を一つひとつ読み上げると、夏希が顔をしかめる。
「……なんか、急にお堅くなった気がする」
「そうでもしないと、あとから絶対揉めますよ」
そうこうしているうちに、三条陽鞠はデータベースを整え、木野は魔力遮断処理の仕上げを確認。
真壁は脚立を片付けながら「こういう地味な仕事、案外好きなんだよな」と呟いていた。
ふと、湊が掲示板に視線を戻す。
そこには、クランの活動予定や掲示物と並んで、ひときわ目立つように貼られた一枚のプレートがあった。
《クラン名:暁ノ追糸》
羽鳥がそっとその横に立ち、ポストの鍵を取り付けながら、呟く。
「不思議ですよね。場所があるだけで、“ここが帰る場所だ”って思えるなんて」
湊はその言葉に、心のどこかが静かに頷くのを感じた。
「……確かに。俺たち、今まで“仲間”だったけど、“クラン”ではなかったんだろうな」
「うん。でも、今はちゃんと……“集まり”になった気がします」
羽鳥がポストに最後のネームプレートを差し込み、鍵を閉めた音が静かに響く。
その頃には、夕方の日差しが廊下の端まで伸びていた。
「ルールって、息苦しいものだと思ってた。でも、“守りたい人がいるから作る”って考えると、少し違って見えるな」
湊の言葉に、羽鳥が目を丸くして、それからふっと笑った。
「先輩、それ、ちゃんと書いておいた方がいいですよ。“代表の言葉”ってやつ」
「やめてくれ、恥ずかしい」
「書いておきますね?」
「やめろって言ってるだろ……!」
夏希と澪がそれを見ながら苦笑する。
新しい場所、新しい空気、新しいルール。
戸惑いもあるけれど、それでも──ここはもう、“クランの居場所”だった。
***
夜。湊が一人、外に出て拠点の入口を見上げた。
建物の入り口に掲げられた鉄製の看板に、陽の名残が最後の光を差していた。
《暁ノ追糸》
その名前は、確かにそこに根を下ろしていた。
これからきっと、問題もすれ違いもあるだろう。
だが、それでも湊は思う。
(俺たちのクランは、ここから始まる)
扉を開けると、誰かの笑い声が廊下の奥から聞こえてきた。




