第58話 糸を紡ぐ者たち
ギルド本部・第七会議室。
そこは、C級以上の冒険者に対する面談や報告、重要な調整のために使用される、通称「認可室」と呼ばれる場所だった。
湊たち三人は、今まさにその部屋の中央、長方形の会議卓を挟んで座っていた。
前に座るのは、ギルド長──脇田。
白髪混じりの短髪に、簡素な黒のローブ。
その風貌に飾り気はないが、言葉の端々には、確かな威圧と眼差しの深さがにじんでいた。
「《暁ノ追糸》──」
脇田が書類をめくり、目を通しながら言葉を繋いだ。
「良い名をつけたな。美しい語感に、芯がある。……君たちがそこに込めた意味を、少しだけ聞かせてもらってもいいか?」
湊は一瞬、言葉を選んだ。
隣では夏希が静かにうなずき、澪も背筋を正す。
「“追う”という言葉には、今の自分たちの未熟さを残しました。まだ、誰かの背中を見ている段階です。でも、“糸”という言葉を込めたのは、それでも繋がっていたい、繋げていきたいという願いがあるからです」
「……なるほど」
脇田はうなずき、書類に目を戻す。
「神谷湊、遠野夏希、久城澪。三名によるC級パーティー、並びに仮登録済みクラン《暁ノ追糸》。書類、活動履歴、構成内容──すべて問題なし。クラン登録を正式に認可する」
脇田が静かに印を押す音が、室内に響いた。
その瞬間、湊はわずかに息を吐いた。
夏希はほっと微笑み、澪は小さく、けれど確実に目を伏せた。
「これで君たちは、正式に“旗”を掲げた。今後はC級以上の依頼において、クラン単位での信用が付随する。責任も同時に、重くなる。……覚悟はあるか?」
「はい。……あります」
湊の言葉は、昨日までより少しだけ硬かった。
でも、それは迷いがないということだった。
「ならば、今日から“己たちの意志で紡ぐ日々”が始まる。君たちの糸が、何と何を繋ぐのか……それを証明するのは、これからの行動だ」
脇田はそう締め、最後に静かに笑った。
「……期待しているよ、《暁ノ追糸》」
***
面談を終えて部屋を出ると、職員がファイルを手渡してくる。
「こちらが、正式登録完了後のクランパッケージになります。クランIDカード、ギルド内部掲示板の認証コード、それと……」
湊が受け取った封筒の中に、ひときわ目立つタグがあった。
銀製のプレートに、チームマークとクラン名が刻まれた“認可タグ”。
冒険者としての誇りと、仲間との絆を示す小さな証だ。
湊がタグを手にとった瞬間、夏希と澪も顔を向けた。
「……これが、私たちの“旗”なんだね」
夏希の声に、湊はゆっくりうなずいた。
「うん。もう、傍観者じゃない。これからは──俺たちのクランとして、戦う」
その言葉に、澪も「……うん」と短く応えた。
階段を下りる途中、すれ違う冒険者たちが彼らを一瞥する。
「あれが……例の新設クラン?」
「登録されたばかりだって」
「なんか、女の子が多いな」
「……あの男がリーダーって、地味すぎね?」
その言葉に、夏希が少しだけ苦笑いを浮かべる。澪は無反応。
湊は、ただ前を向いて歩き続けた。
そんな声すらも──今は、少し誇らしかった。
ギルドを出てすぐ、湊たちは広場の掲示板前に立ち寄った。
「やっぱりクラン用の依頼って、報酬高いね……。最低でもD級の倍以上」
「そのぶん、要求内容もきつい。場所も敵の強さも」
澪が淡々と呟く横で、夏希は真剣に一覧を眺めていた。
「これ。どうかな」
彼女が指差したのは、【封印装置の定期点検支援】という依頼だった。
「戦闘は補助程度、対象地点は“剣潮の間”っていうC級ダンジョン。危険度も中。今の私たちにちょうどよさそう」
「うん。点検対象の魔物は活性化してもD級未満。……リスクも低め。初回依頼として適正」
澪も即答する。
湊がそれを聞きながら、ゆっくりとうなずいた。
「じゃあ……“暁ノ追糸”としての、初仕事はこれにしよう」
その言葉に、二人とも自然と表情が引き締まった。
封印装置の点検依頼──一見、地味だが、もし封印に異常があれば大災害につながるため、C級でも“信頼できるチーム”にしか任されない。
そしてその依頼票の右上には、銀のスタンプでこう記されていた。
《推薦対象:新設クラン》
ギルド側の配慮。おそらく、昨日の脇田との面談を受けての選定だろう。
「……じゃあ、受けに行こうか」
「うん。私、こういう整備系の依頼って初めてで、ちょっと楽しみ」
「……私は、ちゃんと敵が出てくる方が好きだけど」
三人で並んで歩きながら、湊はふと周囲の視線を感じた。
少し離れた場所で、何人かの冒険者がこちらを見ている。
「あれ、新しくクラン作ったやつらじゃない?」
「噂通りの構成だな。地味スキル持ちがリーダーって、どうなんだか」
「いや、あの剣のやつ……見たことある。動きがやばかったって噂がある」
「女二人が目立つけど、地味にやるタイプかもな」
湊は表情を変えずに聞き流す。
夏希は少しだけ顔を伏せ、澪は無反応を貫いていた。
だが──それでも、彼らの歩みは止まらない。
「無理に背伸びしなくていい。初めは、信頼されることから」
湊が呟くように言うと、夏希が目を丸くする。
「珍しく、湊くんが真面目なこと言った」
「……いつも真面目だろ」
「ふふ、そうだったね」
軽いやりとりの中にも、確かな空気があった。
三人の中に、もう迷いはなかった。
“誰かに勧められて始めた”のではなく、“自分たちの意思で始めた”のだと、実感が湧いていた。
ギルドの受付に戻り、依頼票を提出する。
受付の女性職員は、ファイルを確認してから、静かに微笑んだ。
「《暁ノ追糸》さんですね。初めての依頼、お受けします。ご武運を」
その一言が、なぜか少し嬉しかった。
たったそれだけの言葉が、“冒険者として認められた”気がしたのだ。
***
翌朝。
依頼への出発を前に、湊たちはいつものリビングで装備の最終確認をしていた。
夏希はバッグにポーションと回復アイテムを詰め込み、澪は装備のベルトにナイフを丁寧に挿し込む。
湊は自身の剣の刃を一度、静かに指でなぞっていた。
「……今回の依頼は、初陣。だけど、やることは変わらない」
「うん。準備は全部済んでる。」
「……私、後方警戒と設置物の妨害予測を担当する。湊が前線に集中できるように」
「助かる」
やり取りは端的で、無駄がない。
この数ヶ月で培われた“信頼”が、言葉よりも深く機能していた。
「それにしても……」
夏希がふと、何気ない調子で口を開く。
「“暁ノ追糸”って名前、ほんとにしっくり来るようになってきた気がする」
「最初に見たときは、“なんか難しそうな名前だなー”って思ったけど」
「おい」
湊が肩をすくめると、夏希は「あはは」と笑っている。
「でも、“夜が明ける前に追いつく糸”っていうの、好きだよ。……あの日のこと、思い出せるから」
夏希の声がふと、少しだけ静かになる。
「間に合わなかったあの日があるから、今こうしてクランを作ったって、思えるから」
湊は彼女の言葉に返すことなく、ただそっと目を伏せた。
思い出は消えない。
でも、その思い出が“前に進む理由”になっているのなら──それでいい。
そのとき、澪が不意に言った。
「……私も、名前、気に入ってる」
「え?」
「“糸”って、細いけど、繋いでいけば強くなる。……そういうの、いい」
湊と夏希が顔を見合わせ、同時に口元を緩めた。
「澪ちゃん、詩人みたいなこと言うね」
「……本気で言ってる」
「うん、ごめんごめん。ちゃんと受け取ってるよ」
静かな笑いが、リビングに広がる。
張り詰めた緊張ではなく、穏やかで、自然な“覚悟”がそこにあった。
***
《剣潮の間》──
ダンジョン名の通り、無数の剣が地中から突き出すように立ち並ぶ、不規則な地形。
かつては古代の戦場だったと伝えられ、今では瘴気と時間の乱れが絡み合う“ひずみの巣”となっていた。
その奥に、対象となる封印装置は存在していた。
「封印装置、外傷なし。周囲の魔素濃度……正常域」
「魔物の反応、一体。……でも、活動領域は定まってない。刺激しなければ攻撃してこないはず」
「点検開始」
湊が前衛を張り、澪が索敵を継続し、夏希が遠隔から魔力の流れを分析していく。
緊張感はあった。だが、恐怖はなかった。
これまで積み重ねた連携が、三人の間で言葉を超えて機能していた。
途中、封印装置の接続端子にわずかな損傷が見つかり、敵性反応が強く揺れた瞬間があった。
そのとき──
「夏希、下がって」
湊が一歩前に出て、剣を構える。
澪も、湊と夏希の間に滑り込むように位置を取り、即座に周囲を警戒。
魔物は一瞬こちらを見据えたが、すぐに動きを止め、ゆっくりと身を引いた。
「……挑発に反応しただけ。意図的な敵意はなかった。これ以上は刺激しないで済む」
澪の判断にうなずき、湊も剣を下ろす。
「夏希、続けて」
「うん。もうすぐ終わるから……」
魔力の流れが安定し、封印装置の最終診断が完了する。
そして──
「作業、完了」
夏希が報告し、三人の間に静かな達成感が広がる。
それは、大きな戦いでも、鮮やかな勝利でもなかった。
けれど確かに、三人で成し遂げた“クランとしての初陣”だった。
***
帰還後のギルド。
湊たちは受付で報告を済ませ、初のクラン依頼が正式に“完了”として登録された。
「お疲れさまでした。《暁ノ追糸》──初依頼、滞りなく完了です」
受付職員の穏やかな声に、湊は深く頭を下げる。
夏希も「ありがとうございました」と声を添え、澪は黙って小さく礼をした。
その様子を、カウンターの奥から藤堂が見ていた。
目が合うと、彼女は静かにうなずいて、指を一本だけ立てた。
──“最初の一歩、良くやった”──
その意図を、湊はすぐに察した。
***
帰り道。
ギルドを出た三人は、夕暮れの空を仰ぎ見ながら歩いていた。
「……不思議と、疲れてないね」
「うん。……なんか、すごく満たされた気分」
「……私も」
湊は、二人の言葉を噛み締めるように聞いていた。
今日の依頼は、誰かに褒められるような大冒険じゃなかった。
けれど、確かに一つの糸が結ばれたのを感じていた。
「これからも、こんなふうに積み重ねていけばいい」
「……強くなるために?」
「いや──守れるようになるために」
その言葉に、夏希が目を細めた。
「……やっぱり、湊くんって優しいよね」
「それ、褒めてる?」
「もちろん。……リーダーとして、最高だよ」
湊は少し照れくさそうに笑い、澪はその後ろで黙っていたが、小さく頷いていた。
こうして、三人のクラン《暁ノ追糸》は、確かに始まった。
静かで、目立たない。
けれど、誰よりもまっすぐで、力強い第一歩が──確かにここにあった。




