第57話 遅すぎた到着
その朝、ギルド本部は穏やかだった。
前日に大きな討伐任務があった影響か、主要クランの多くは休養を取っており、受付前の広場にも人はまばら。
湊たちは、次回の正式依頼に備えて備品や薬草の補充を終えたところだった。
「今日は、少しのんびりできそうだな」
湊の呟きに、夏希は笑いながらうなずいた。
「ギルドが静かなときって、妙に落ち着くよね。あんまり油断しちゃいけないんだろうけど」
澪は端末を操作しながら、ちらりとモニターに目をやる。
「……異常報告なし。警報レベルも低位で安定。今のところ、問題なし」
そんなやりとりの最中──館内放送が、ごく短く鳴った。
《緊急連絡:E級ダンジョン“蛍鳴の谷”にて、未帰還者3名。付近にて魔物の高濃度反応を確認。調査班を編成中のため、一般探索者は注意すること》
「……あれ、今の」
夏希が表情を強張らせた。
蛍鳴の谷──記憶の片隅にある地名だった。
確か、以前E級チームサポート任務で一緒に探索をしたチームの拠点エリアだったはずだ。
「様子を見てくる」
湊がそう言って小走りに受付へ向かう。夏希と澪もすぐに後を追った。
カウンターでは、対応中の職員が慌ただしく端末を操作していた。
「神谷さんたち。聞かれましたか?」
「はい。“蛍鳴の谷”って……知り合いが拠点にしてるんです。状況、わかりますか?」
「未帰還は今朝の時点で確認されました。該当パーティーはE級《篠塚隊》。3人組です。魔物の反応が通常より強いため、ギルドとしても早急に対処班を派遣する予定です」
「それなら、俺たちも──!」
「申し訳ありません。既に正式な救援申請は完了しており、支援は“登録済みクラン”に限られます」
その言葉に、湊は一瞬、声を失った。
「……まだ、クラン登録が完了してないからですか?」
「はい。規定上、緊急任務への参加資格は“ギルドが統制可能な単位”に限られます。無所属パーティーへの依頼は、記録上の責任処理ができないため──」
「ふざけるなよ……!」
怒鳴りそうになった声を、湊は寸前で押し殺した。
職員が冷たいわけではない。制度が、そうなっているだけだ。
「私たちが、無所属だから」
夏希のつぶやきが、まるで何かを呑み込むように落ちた。
澪がすっと前に出る。
「情報だけでも。……交戦地点の座標、今、表示できますか」
職員は少しだけ迷ったが、静かに頷いて端末を操作し、位置情報を表示した。
──蛍鳴の谷、第七層、北東窪地帯。
澪は座標を記憶し、振り返った。
「湊。行こう」
「でも、制度上は──」
「いいの。救援じゃない。“個人的な探索”って名目なら、立ち入り制限にはかからない」
「……藤堂さんにだけは話しておく。もし何かあったときのために」
夏希が言い、3人はそのままギルドを飛び出した。
探索名目での進入──制度上はグレーな判断。
でも、それでも、行かなければならなかった。
知り合いが、そこで助けを待っているかもしれないのだから。
***
《蛍鳴の谷》に到着したのは、出発から一時間後のことだった。
平坦で見通しのよい谷間。夕刻には無数の蛍のような光が舞うことで知られ、E級の中ではそれほど難しくはない──はずだった。
「魔力の濃度、異常。……前触れなく変異が起きた可能性がある」
澪が小声でそう告げ、探知結果を示す端末を湊に見せる。数値は、通常の二倍近い。
E級パーティーが対処するには、あまりにも重すぎる。
「……急ごう」
湊が前を切り裂くように走り、夏希と澪も後に続く。
道中、破損した罠装置や投げ捨てられた回復薬が散らばっていた。焦ったまま逃げようとした形跡だ。
(遅かった……?)
嫌な予感が背中を冷やす。
第七層──北東の窪地。
その一角に、倒れている人影が見えた。
「っ、篠塚……!」
湊が駆け寄る。そこにいたのは、間違いなく《篠塚隊》の一員だった。
膝をついた状態で前に崩れており、背中には爪痕。
応急手当はされていたようだが、意識はない。脈も浅い。
「……でも、生きてる。大丈夫、まだ助かる」
夏希が即座に《癒糸》を展開し、傷口を固定する。
湊は周囲を確認しながら、他のメンバーの姿を探す。
少し離れた岩陰──そこにいた。
「あ……」
体を引きずるようにして立ち上がったのは、穂積奈々だった。
肩で息をして、片腕には包帯代わりの布を巻いている。
「湊……さん……来て……くれたん、ですね」
その声は震えていて、でも、どこか安心しているようでもあった。
「無理に喋るな。こっちはもう安全だ」
「違うんです。……私たち、異変に気づいて、ギルドに申請して──」
少女の瞳に、薄く涙が浮かんでいた。
「来てくれるって、信じてました……でも、少しだけ……遅かった……佐伯くんが……」
その言葉は、刺さった。
まるで、責められていないのに、責められているようだった。
「……ごめん。俺たち、早く来るべきだった」
そう言いながら、湊は拳を握った。
澪が周囲の警戒を続けながら、静かに言う。
「別のクランが来たっぽい。たぶん正式な救援依頼で動いた部隊」
澪の目には、冷静さの中に悔しさが滲んでいた。
湊は、奈々の手を握った。小さく、震えている。
「来てくれて……ありがとうございます」
奈々のその一言が、湊の胸を締めつける。
どうしようもなかった。それは確かにそうだ。
でも、“遅かった”ことには、何の言い訳もできなかった。
***
数分後、正式な救援部隊のリーダーが現れ、湊たちに礼を述べながら負傷者の引き継ぎを申し出た。
本来、探索名目で入った無所属パーティーは、救援活動の正式記録には残らない。
だが、今回に限っては、“発見と応急処置”という形で最低限の報告には含まれるという。
「感謝します。だが、今回の責任はこちらにあります」
その言葉に、湊は首を振った。
「責任とかじゃない。俺たちが来るのが、遅かったんです」
言葉に詰まった隊長は、黙って頷いた。
そして──
「君たち、クラン所属じゃないのか」
「まだ、準備中です」
湊がそう返すと、彼は意味深にうなずき、短く「……惜しいな」とだけ残して去っていった。
その背中を、湊は何も言わずに見送った。
風が、静かに吹いていた。
何かを追い出すように、乾いた音だけを残して。
***
日が暮れる頃、湊たちはようやく自宅に戻ってきた。
誰も口を開かなかった。
リビングの空気は重く沈み、食卓には手をつけられていない食材が並んだままだった。
夏希は無言で荷物を片づけ、キッチンへ向かう。
澪はそのままソファに腰を下ろし、うつむいたまま微動だにしない。
湊は、帰宅してからずっと考えていた。
「……“来てくれるって、信じてた”って、あの子が言った」
静かに、ぽつりと呟いた言葉は、空気に染み込むように落ちていった。
「遅かった。結局、ただ現場に居合わせただけだった。……何ができたんだろう、俺たち」
夏希は手を止め、振り返る。
「でも、もし私たちが行かなかったら、あの子たちもどうなってたか分からないよ」
湊は首を振る。
「それは……結果論だ」
その声は、悔しさと自嘲が滲んでいた。
「俺は、言い訳が欲しいだけなんだ。ああ言ってくれたあの子の言葉を、免罪符みたいに使ってる。それが一番、許せない」
「湊くん……」
夏希が近づいてきたが、湊は立ち上がって歩き出す。
その背中は、いつになく不安定だった。
「風、ちょっとだけ……」
そう言って玄関を開けた湊の後ろ姿を、夏希は追わなかった。
***
澪は、黙って窓の外を見ていた。
そこには、かつての自分がいた。
力が足りなかった日々。
誰かを守ると口にしながら、何もできなかった過去。
その中に、今日の光景が重なる。
澪は、自分の太ももに爪が食い込むほど手を握りしめていた。
(湊は……責められることなんて、何一つしてない)
誰よりも早く気づいて、誰よりも早く動いた。
それでも──あの時、澪も確かに思ってしまった。
(もう少し早ければ、って)
その思いが、たとえ一瞬でも脳裏をよぎった自分に、今も胸が痛む。
ふと、夏希が静かに口を開いた。
「……私さ」
「?」
「“ありがとう”って言われたとき、ほっとしちゃったんだ」
澪が顔を上げる。
「本当は、“なんで来るのが遅かったの?”って責められる方が、気が楽だったかもしれない。怒られたら、“仕方なかった”って反論できる。でも、“ありがとう”って言われちゃったら、……逃げられない」
「……うん」
「湊くんも、たぶん同じ気持ちだったと思う」
澪は、夏希の手元を見つめながら、小さくうなずいた。
「謝られるより、感謝される方が……苦しい」
「そうだね」
リビングに、しんと静寂が戻る。
そこへ、湊が戻ってきた。
頬が少しだけ赤く、風に当たっていたらしい。
「……ごめん」
そう言って、リビングに腰を下ろした。
夏希も澪も、首を振る。
「謝らないで。誰も責めてないよ」
「むしろ、ありがとう。……行こうって言ってくれて、私、救われたよ」
「……うん。私も」
湊は、言葉を失った。
「でも、悔しいよね」
「……ああ。めちゃくちゃに、悔しい」
「次は、ちゃんと間に合うように」
「……そのために、クランを作るんだよ」
その言葉に、3人がうなずいた。
“遅かった”という事実は、もう変えられない。
でも、“次は間に合わせる”という意志は、今ここにある。
その夜、三人は申請書を広げたまま、眠るまで話を続けた。
***
翌日。
湊は早朝の静かなリビングに座り、申請書の最終ページをじっと見つめていた。
昨夜、三人で何度も話し合い、記入を進めてきたクラン設立書類。
残るは、クラン名の記入と、仮リーダーの署名だけだった。
(ここまで来て……まだ迷ってるのか、俺は)
手は止まっていた。
正直、怖かった。
名前を書くという行為が、単なる形式以上の重みを持っていることを、誰よりも自分が知っていた。
リーダーになるということ。
それは、仲間の命を預かるということだ。
「湊くん」
後ろから声がして、湊は顔を上げた。
夏希が、手にマグカップを持って立っていた。寝癖のまま、まだパジャマ姿。
けれど、その瞳だけは、もう決まっているように見えた。
「朝、早いね」
「……眠れなかった」
湊は少し笑って、目を逸らす。
夏希は隣に腰を下ろし、そっと書類に目を通した。
「クラン名、まだ悩んでる?」
「うん。……“繰り返しの糸”は、俺たちのチームの名前として残したい。でも、それとは違う“旗”が必要なんだって思うと、どんな言葉を選んでも足りない気がして」
「……それなら、言葉じゃなくて、想いで選ぼうよ」
夏希はマグを置き、ペンを取って空欄を指差した。
「“もう誰も間に合わなかった、なんて言わせない”。それが、私たちがクランを作る理由でしょ?」
「……そうだな」
「だったら、その想いに、一番しっくりくる言葉を選べばいいんだよ。綺麗じゃなくてもいい。かっこよくなくてもいい。私たちだけが分かればいい」
その言葉に、湊は黙って頷いた。
そこへ、澪がふらりと現れた。手には書類整理用のクリアファイルを持って。
「……名前、決まった?」
「まだ。でも、今決める」
湊は深く息を吸い、空欄の中央にペンを走らせた。
──《暁ノ追糸》
「“暁ノ追糸”……?」
夏希が読み上げ、目を丸くする。
「“追う”ってことは、まだ誰かの背中を見てるって意味。でも、“糸”ってことは、必ずつながってる。……そんな感じの言葉。響きも悪くなかったし」
「……いいと思う」
「……うん。夜が終わる前に、間に合わせるって感じ」
湊はそのまま、下部の“代表者署名欄”に名前を書いた。
──神谷 湊
その一筆で、全てが動き出した。
***
数時間後。
ギルドの窓口に三人が揃って並び、提出書類一式を差し出す。
「クラン《暁ノ追糸》、仮登録完了。リーダーは神谷湊さんですね」
受付の職員が頷き、手続きを進める。
「C級依頼リストの拡張、緊急参加権限も手続きが完了次第、有効になります。準備が整い次第、脇田ギルド長との面談を予定します」
「ありがとうございます」
湊が頭を下げると、職員は少し柔らかく微笑んだ。
ギルドを出ると、風が少し強くなっていた。
夏希が眩しそうに空を見上げる。
「……今日、晴れてよかったね」
澪は少し目を細めながら、ぽつりと呟く。
「……きっと、あの子も見てる」
湊は小さく笑い、そして前を見た。
誰かが遅れて届いたとしても、
誰かの声が届かなかったとしても、
もう二度と、あのときの悔しさは繰り返さない。
「行こう。“暁ノ追糸”としての、最初の一歩を」
三人は並んで歩き出す。
その背には、確かに“新しい旗”が掲げられていた。




