第55話 新たな選択肢
別府から帰ってきて数日を家でのんびり過ごしたあと、湊たちは、新たに割り振られたC級依頼のひとつ──中規模ダンジョンの調査任務を無事に完了し、東京ギルドの受付棟へと戻ってきた。
魔物の攻撃は激しく、罠の精度も高い。けれど、夏希の補助と澪の索敵がうまく噛み合い、湊の剣がその中を正確に貫く。三人の連携は、E級時代からは想像できないほど滑らかになっていた。
「ふぅ……戻ったね。ちゃんと手応えあったかも」
「……うん。罠もちゃんと読めた」
「敵も動きに癖があったしな。これならC級でもやっていける」
報告を終えた三人が、ギルド本部の扉を押して外へ出る。初夏の陽射しがゆるやかに差し込み、昼下がりの通りを照らしていた。だが、建物の影には、その気配を紛れさせるように──数組の視線が待ち構えていた。
「お疲れのところ失礼。ちょっとだけ、お時間いいかな?」
最初に声をかけてきたのは、白を基調とした制服を纏った四人組。胸元の紋章には、《アステリア・オース》と呼ばれる名門クランの象徴があった。
「僕たちは、統率を重んじる集団。上下関係も明確。感情に流されない連携こそが、最も堅牢な戦術だと考えている」
穏やかな語り口だったが、次の一言で空気が少し変わる。
「恋愛や私情はチーム内に持ち込まないのが原則です。……だから、君たちのような男女混成でも、うちなら問題は起きない」
「へぇ……」
夏希がかろうじて微笑を作るも、湊の横で澪が明確に距離を取った。
その直後、今度は鮮やかな赤いマントを羽織った男たちが、手を振りながら歩み寄ってくる。
「やぁやぁやぁ!もしかしてキミたちが噂の新人組?すごいねぇ、その若さでC級昇格って」
その視線は、湊ではなく──明らかに、夏希と澪だけを舐め回すように見ていた。
「回復役と偵察役、しかもこのルックス。いやあ、ウチのクラン、花が足りなくてさ。ね、見学だけでもどう?歓迎するよ?」
「……結構です」
澪が即座に断ると、男たちは肩をすくめて引き下がっていった。が、その視線の粘着質な余韻は、あとに残る。
「……まだ来るみたい」
澪の囁きと同時に、今度は黒いベストを着た三人組が、しっかりとした足取りで近づいてきた。
「若手教育を重視する《ファルクス》の者だ。君たちの戦歴を見て、早い段階で声をかけておきたかった」
実直な物腰に、湊も夏希も少し気を緩めた。だが──
「我々は規律を重視しているため、クラン内では日報提出と訓練参加が義務付けられる。独断行動は厳禁。君たちのような若いチームは、まずは規則に慣れてもらう」
「……それって、今のやり方を変えるってこと?」
夏希の声が少し硬くなる。
「そうなるな。だが結果的には、君たちのためでもある」
正論。だが、それが心地よいとは限らない。
──最後に現れたのは、一言も発さずにじっとこちらを観察していた二人組。
言葉はない。ただ、その場に“いる”だけで、全身から圧が滲み出ていた。装備や所作からして間違いなく高レベル。そして、無言で湊を一瞥し──首を傾げた。
「……こいつ、伸びる」
その言葉だけを残して、彼らは立ち去っていった。
湊は、苦笑した。
「なんか……出待ちされてるアイドルって、こんな気持ちなんかな」
「それ、ちょっと嬉しそうに聞こえるけど?」
夏希が肩をすくめる。
「……でも、さっきの人たち、全部違った。なんか、空気が合わない」
澪の一言に、湊も静かに頷いた。
「誰と組むかって、大事なんだな」
そのとき、ギルドの入口から藤堂が姿を現した。手にはファイル。表情は、どこかいつもより真剣だった。
「神谷さん、遠野さん、久城さん。少しだけ、お時間をいただけますか?」
湊たちは顔を見合わせ、無言のまま頷いた。
──このあと告げられる「選択肢」が、3人の未来を少しだけ動かすことになるとは、まだ誰も知らなかった。
***
藤堂に案内されたのは、ギルド棟の一角にある小会議室だった。
木製の長机に、壁際には魔石照明が淡く灯っている。繁忙時には新人向けの説明会などに使われる部屋で、湊たちも昔に一度だけ入ったことがある。
「この場所、久しぶりだな……」
湊がぼそりと呟くと、夏希が隣で微笑む。
「うん。懐かしいかも」
澪は無言のまま椅子に腰を下ろしていたが、表情は柔らかい。
藤堂は手にしたファイルを開きながら、落ち着いた口調で切り出した。
「今の実績と評価を見る限り、順調にC級適応されているようですね。ギルドとしても、今後に期待しています」
言葉は丁寧だが、その奥には何かを探るような雰囲気があった。
湊が軽く首を傾げると、藤堂は言葉を継いだ。
「本日は、少しだけ“将来の選択肢”についてお伝えしたくて」
ファイルの中から取り出されたのは、一枚の印刷紙。ギルド規約の写しだ。
そこには、C級以上の冒険者に対する特典や条件がまとめられている。
「C級以上になると、依頼の幅も責任も増えます。そして、これまでと違って──“クラン”を設立する権利が発生します」
湊はその言葉に、微かに眉を上げた。
「……クラン、ですか」
「はい。これまでは無所属でも問題はありませんでしたが、今後、より高難度の任務や緊急依頼、他クランとの共同討伐などに関わるためには、“組織”という形が必要になります」
「つまり、所属がないと参加できない依頼があるってこと?」
夏希の問いに、藤堂は静かに頷いた。
「実際、そういった場面は今後確実に増えていきます。実力があっても、クランに所属していないチームには、統制の都合上、指揮権を渡せない。それが現行のルールです」
それは、裏を返せば「実力だけでは越えられない壁がある」という意味だった。
湊はふと、先ほどの勧誘合戦を思い出す。
組織に属することの利便性、そして束縛。
守られる代わりに、誰かの意志に従うという現実。
「……俺たちがクランを作ったとして、何か変わりますか?」
「変わります。専用依頼の解放、対外的な信用、緊急依頼への参加権──すべてが段違いです」
藤堂の口調は事務的だが、内容は明確だった。
「無理にとは言いません。ですが、他クランからの勧誘も続くでしょうし、今のままでは受けられない依頼もあります。これまでのような“実力だけの世界”とは違う段階に、皆さんは足を踏み入れたんです」
沈黙が落ちた。
澪が視線を落とし、夏希が真剣な表情で紙に目を通している。
湊は、指先で机を軽く叩いた。
──自分たちが、組織になるということ。
それは、面倒も、責任も、リスクも背負うことになる。
「少し、考えさせてください」
湊の言葉に、藤堂はふっと微笑んだ。
「ええ。もちろんです。選ぶのは、あなたたち自身ですから」
席を立った湊たちは、資料を手にギルド棟を出た。
西日が傾く街路を歩きながら、誰もがそれぞれの胸の内を探っていた。
「……あの、さっきの話なんだけどさ」
沈黙を切り裂いたのは、夏希だった。
ギルドからの帰り道。夕方の喧騒が遠ざかる中、3人は並んで歩いていた。
横断歩道の信号が赤に変わり、足を止めたそのとき、彼女は口を開いた。
「もし、私たちがクラン作ったら……どうなると思う?」
問いは柔らかだったが、そこに込められたものは決して軽くなかった。
「どうって……まあ、面倒にはなるよな」
湊は率直に答えた。
「報告書とか増えるだろうし、メンバー増やすってなったら人選もしなきゃいけない。ギルドとのやり取りも増えるし……正直、今の三人のままで、十分うまくいってると思うけどな」
「……そうだね」
夏希は静かに頷いたが、その瞳にほんの少しだけ翳りが差していた。
「でも、守れる範囲って、今のままで足りてるのかな。もっと広く、困ってる人たちにも手が届くなら、その方がよくない?」
「……私、目の前で誰かが傷ついてるのに、助けられない状況が一番嫌なの。……それを避けるためにクランって手段があるなら、検討する価値はあると思う」
湊は言葉に詰まった。
真面目すぎる、理想主義だ──そう言い返すこともできた。だが、夏希のその想いが、誰かのためであることは疑いようもなかった。
ふと、横を歩いていた澪がぽつりと呟いた。
「……私は、別にどっちでもいい」
「え?」
「どっちでもいいっていうか……誰かが決めるなら、それに従うよ。それが湊なら、なおさら」
変わらぬ無表情に見えて、その言葉はどこか意味深だった。
湊は、返す言葉を探せず、目線を前に向けた。
──クランを作ること。
──今の関係性を変えること。
それは、戦い方や装備だけの問題じゃない。
自分たちの立ち位置、距離感、心の在り方そのものを変えるかもしれないということ。
信号が青に変わり、再び歩き出したとき。
湊の胸には、拭いきれない違和感が芽生えていた。
***
そしてその夜。
湊は、ギルド近くの小さなカフェで、偶然藤崎リラと再会した。
「よっ。湊くんじゃん。C級おめでと」
「……なぜここに?」
「知り合いの新人の面倒見てたんだけど、早めに切り上げてね。あ、別にストーカーしてたわけじゃないよ?」
冗談交じりに笑うリラは、以前と変わらぬ軽快な調子だった。
「クラン作らないの?」
突然の問いに、湊は肩をすくめる。
「考えてはいますけど……どうなんだろうな、って」
「ま、悪くはないよ。面倒ごとは確実に増えるけどね。メンバー同士の揉め事、金銭トラブル、ギルドとの交渉、雑務全部……リーダーの仕事」
苦笑しながらも、リラはグラスの水をひとくち飲む。
「でも、頼れる人がいて、信じられる仲間がいるって思えるなら、多少の面倒なんて帳消しになる。……私は、そうだったよ」
湊は黙ってその言葉を受け止めた。
ふと、夏希の言葉が胸をよぎる。
『目の前で誰かが傷ついてるのに、助けられない状況が一番嫌』
そして澪の、
『誰かが決めるなら、それに従う』
湊は、自分の心の底を覗き込むように──ゆっくりと、視線を落とした。
***
カフェを出た帰り道、湊はゆっくりと歩いていた。
通りの向こうには東京ギルド本部の灯が見える。何度も通ったはずの道なのに、今夜だけは、少し違って見えた。
「クランか……」
ポツリと独り言のように呟く。
責任、雑務、しがらみ──面倒なことばかりが思い浮かぶ。
けれど、それでも、あのときの夏希の目や、澪の言葉、リラの表情が何度も脳裏に甦ってくる。
「面倒ごとから逃げてるだけなんじゃないか、俺……」
弱く呟いた声は、誰にも届かない。
ただ、夜風が頬を撫でていった。
その頃、家では夏希がリビングで一人、資料を広げていた。
ギルドから渡された『クラン設立に関する手引き』。要件、特典、義務、注意点。
目を通せば通すほど、不安と期待が交互に胸をよぎる。
「クランを作るって、こういうことなんだ……」
呟いた声に返事はない。
けれど彼女は、ページをめくる手を止めなかった。
***
翌朝。
いつものようにリビングに三人が集まり、食事の支度を進める。
「はい、湊くん、味噌汁」
「ありがと」
「澪ちゃん、お米もう少し炊く?」
「……うん」
会話はあっても、微妙な間が挟まる。
どこかぎこちない。けれど、誰もそのことを言葉にしない。
湊は食器を並べながら、ふと口を開いた。
「昨日の……クランの話なんだけどさ」
夏希が手を止める。
澪も顔を上げた。
「まだ決めたわけじゃないけど、ギルドから言われた通り、選択肢としては頭に置いとこうと思ってる」
「……うん」
「……わかった」
互いの答えは短い。
けれど、否定ではなかった。
それだけで、少しだけ胸が軽くなる。
湊は、その日一日、依頼の準備をしながらも、何度も“クラン”という三文字が頭をよぎった。
“守るための力”という言葉に、ずっと距離を置いてきた。
力があれば守れる。組織があれば支えられる。そんな理屈を、どこかで疑っていた。
だが今、ようやくその言葉が、胸に刺さり始めていた。
──選ぶべき時が、近づいている。
それはただの予感ではなく、じわじわと迫る現実だった。




