第45話 D級ダンジョン踏破
スタンピード発生から約一ヶ月。死闘を乗り越えた湊たちは、一週間の休息を挟んだのち、再びダンジョン探索の日常へと戻っていた。
もっとも、“以前と同じ”というわけではない。目の前の敵に対する対応、仲間との連携、判断の速さ、そして心の余裕。それらすべてが、スタンピードを経て大きく成長していた。
現在挑んでいるのは、東京のD級ダンジョン。二か月前までは五層前後で苦戦していた場所だ。しかし今、湊たちは十層――このダンジョンの最下層に到達していた。
進行は慎重かつ着実。無駄のない動きが、三人の成長を物語っている。
「ここ、視界悪い……でも、足音は通る。気をつけて」
先行していた澪が小声で注意を促す。以前のような緊張感はなく、落ち着いた口調だ。
「あ、そこ。左のくぼみに反応」
「うん、ありがとう、澪ちゃん。湊くん、援護するね」
「了解。前出る」
湊の《剣術》は、Lv5になったことで以前とは比べものにならないほど洗練されていた。剣筋に無駄がなく、敵の動きを先読みするような一撃を連発する。
それは、スタンピードを経て身体能力向上スキルがLv2になったことも大きい。反応速度と持久力が大幅に上がっており、本人もそれを実感していた。
夏希の《ヒール》はLv3に達し、回復量の向上と発動速度の短縮によって戦闘中の立ち回りに余裕が生まれていた。
「……湊くん、前足の裂傷、ヒール入れるね」
「助かる」
澪は、《感知》がLv3になったことで周囲の気配の読み取りが格段に鋭くなっていた。敵が動く瞬間、息を潜めたときの“気配の薄まり”すら察知してみせる。
「……六時方向。背後の柱の陰に一体。私が処理する」
一拍の間もなく澪がその場を離れ、次の瞬間には敵の気配が一つ消える。
正確さと無駄のなさ。まさに“影”のような存在だった。
最下層の空気は重く湿り気を帯び、天井の低い通路は獣の巣のような生々しさを放っていたが、三人の足取りに迷いはない。
やがて、奥にぽっかりと口を開けた扉が姿を現す。
「……ボス、だね」
夏希が息を飲む。澪が無言で剣を抜いた。
湊は少しだけ息を整え、ふたりの顔を順に見てから、前を向いた。
「行こう。踏破しよう。――俺たちで」
***
最下層の扉が、重々しい音を立てて開いた。
広がるのは、岩肌に囲まれた開けた空間。天井は高く、中央には苔むした石の祭壇のような構造物が据えられていた。
そして、その上に――いた。
「……リザードキング」
湊が静かに名を呼ぶ。人型に近い骨格を持ちながら、全身が鱗に覆われた蜥蜴のような魔物。背には棘が並び、尾をゆっくりと揺らしてこちらを威嚇している。
「威圧感、オークウォーロードほどじゃないけど……素早そう」
「……攻撃範囲、横に広いタイプ。特に尻尾」
「まずは探ってみよう。いつも通り、澪、誘導頼む」
「……了解」
澪の姿がすっと影のように消える。次の瞬間、魔物の左斜め後方で気配を放ち、一瞬の隙を作った。
その反応は速い。リザードキングが即座に尻尾を振り抜き、澪の立っていた場所を薙ぎ払う。だが、それすら計算済みだった。
「――今!」
湊が飛び出す。足元を滑らせるように接近し、斬撃を一閃。鱗に阻まれて大きなダメージには至らないが、確かな一撃。
すかさず夏希の《ブースト》が飛ぶ。
「湊くん、強化、重ねるよ!」
「ナイス!」
湊の《反復》がそれに呼応する。すでにこのダンジョン内で数十回剣を振ってきた湊は、リピートの効果を全身で実感していた。筋肉が躍動する感覚。刃のキレが、目に見えて鋭くなる。
反復により蓄積された“精度と速度”が、湊の剣を今までにない域へと押し上げる。
「――っ、ヒール!」
リザードキングの右腕から飛び出した棘が湊の肩をかすめる。その瞬間、夏希が《ヒール》を詠唱し、裂傷を即座に癒す。
「続ける!」
湊がもう一度距離を詰める。澪がリザードキングの背後にまわり、《暗殺の心得》の効果を最大限に乗せた一撃を繰り出す。
「……急所狙い、刺さる」
刃が鱗の隙間を突く。リザードキングが怒りに震え、咆哮を上げるが、その間に湊の二撃目が重なる。
連撃。反復。成長した三人が、互いを信頼して織りなす攻防。
かつては一つのミスが命取りになったであろうD級ボス。だが今の湊たちは、余力を持ってこれを制圧できるまでに至っていた。
「――とどめ、いける!」
「澪、右脚抑えて」
「……取った」
湊が斜めから滑り込み、腰を低くして一太刀を放つ。リザードキングの身体が大きく仰け反り、尻尾を振り回すようにのたうつが――すでに、もう遅い。
「――落ちろ」
最後の一閃。反復により蓄積された剣筋が、鱗の奥まで届いた。
リザードキングが、鈍い音とともに崩れ落ちる。
一瞬の静寂。三人の呼吸が荒く、重なる。
「……勝った」
夏希が、安堵の笑みとともに呟いた。
「成長、してるね。ちゃんと、強くなってる」
「……今の私たち、ちゃんとD級最下層にふさわしい」
湊は剣を鞘に納め、ふたりの顔を順に見た。
「……ああ。これは、もう誇っていい」
その言葉に、二人ともゆるく笑みを浮かべた。
――彼らは、今まさにひとつの節目を越えたのだ。
***
ギルドの受付カウンターには、いつもと変わらぬ穏やかな空気が流れていた。
だがその日、藤堂が顔を上げた瞬間に見せた笑みは、どこか誇らしげだった。
「おかえりなさい。……踏破、おめでとうございます」
「はい、なんとか。十層、攻略完了しました。ボスはリザード系でした。報告書、まとめてます」
湊が手にしていたのは、ボスの魔石とドロップアイテムの袋、そして戦闘ログを記した記録端末。
「確認しますね。……戦闘記録、異常なし。ドロップも所定通り。ボス討伐証明、受領しました」
藤堂が一つ一つの項目を丁寧に確認していく。その動作が終わったあと、小さく頷いた。
「これで、正式に“D級ダンジョン踏破”が確認されました。お三方には、C級昇格審査の対象資格が付与されます」
「……いよいよ、か」
「まあ、あくまで“審査対象”なので、まだC級確定ではありませんけどね」
そう言って、藤堂は手元の資料を整理しながら言葉を継いだ。
「C級昇格に必要な条件は、主に三つ。ただし、一つは既に満たしていると見なされます」
湊たちが小さく頷く。三つのうち一つは、ギルドがC級冒険者にふさわしいと評価していること。湊たちの場合、スタンピードでの貢献がギルドからの“評価”として既に認定されている。
「残りは二つです」
藤堂が指を二本立てる。
「一つは、B級以上の冒険者からの推薦を受けること。形式は問いませんが、推薦人から“条件”を提示されることが多いです。信頼に値するかどうか、直接試されるということですね」
「……つまり、推薦人から“依頼”を受けることが多いということですね」
「そのケースが多いですね。推薦人の裁量に任されていますので、軽い場合もあれば、相応の任務が課されることもあります」
湊たちは顔を見合わせ、誰に頼むべきかを思案する素振りを見せたが、それについては後回しにした。
「もう一つは、D級およびE級のチーム、それぞれ一組ずつへのサポート任務です」
「サポート……?」
「はい。C級以上になると、単なる戦闘力だけでなく、“仲間を導ける存在”であることも求められます。ギルドの方針で、下の世代からの信頼や指導力も昇格基準に含まれているんです」
夏希と澪が、やや驚いた表情を見せる。
「そんな評価基準、あったんだ……」
「……意外」
「ちなみに、推薦人も、サポートするチームも、基本的に自分たちで選ぶことができます。ギルドの名簿データにアクセスできますので、見て検討してみてください」
「……じゃあ、推薦はリラさんにお願いするか、朱炎の誰かに頼むか……」
湊が呟いたその直後。
「……そういえば、羽鳥ってD級だったな」
その言葉に、夏希と澪がピクリと反応する。
表情こそ崩さなかったが、互いにわずかに視線を交わし、目が語る。
(それは……あまりに地雷)
(あの後輩、また何か仕掛けてくるかも)
「まあ、あくまで選択肢の一つってだけ。別にあのチームに決めたわけじゃないし」
湊がフォローを入れると、二人はそっけなく「あ、うん」とだけ返した。
藤堂が苦笑しながら、資料を差し出す。
「推薦人とサポートチーム、よく相談して決めてくださいね。あなたたちなら、きっとどちらも満たせると思います」
湊たちは資料を受け取り、受付カウンターを離れた。
昇格という次の段階。その扉は、確かに開かれようとしていた。
***
ギルドを出た三人は、歩道沿いのベンチに腰を下ろしていた。夕暮れの街は柔らかい光に包まれ、喧騒からは少し距離のある静けさがあった。
湊は手元の端末に送られてきた支援チーム一覧を見ながら、資料をスライドしていた。
「……このD級チーム、スキル構成的に相性は悪くなさそうだな。支援系が少ない分、夏希が補いやすいかもしれない」
「E級のほうは……あ、こっち、澪ちゃんとタイプ似てる子がいる」
「……でも、指導って、私たちが教える側ってことだよね。うまくできるかな」
「教えるってより、“一緒に潜って支える”って感じでいいと思う。無理に引っ張らなくても、事故を防いでフォローしてあげることが目的だろうし」
湊の言葉に、夏希はふっと肩の力を抜いたように息を吐いた。
「そっか。だったら、ちょっと安心かも」
一拍置いて、湊がぽつりと呟く。
「……でも、羽鳥がいるチーム、やっぱ気になるな。仲いいし、戦い方も知ってるし」
そのひと言に、夏希と澪の動きがピタリと止まった。
「……湊くん、羽鳥さんのチームがいいの?」
「決めてるわけじゃないけど。ただ、知ってる顔がいるとやりやすいかなって、それだけだよ」
「ふーん、そうなんだ」
夏希の声は軽いが、明らかに間があった。
澪も澪で、口には出さないが、隣で腕を組んで目を伏せるようにしている。
湊は自分がまた地雷を踏んだことを察した。
「……まだ決めてないって。他にも候補いっぱいいるし。羽鳥のとこは最終候補くらいで考えて――」
「ううん、別にいいよ?」
「……私も、反対じゃない」
夏希と澪が同時に、なんとも言えない笑顔で返してくる。
そこに混じる感情の色を、湊が読み取るのは少し難しかった。
湊は小さく咳払いして、話を切り替える。
「……それより、推薦の件。リラさんにお願いしてみるのが、やっぱり一番現実的かな」
「A級だし、私たちのこと見てくれてたし、ね」
「……リラさん、優しいし」
「ただ、そのぶん条件は厳しいかもな。あの人、甘くはないから」
「でも、きっと“今の私たち”がどれだけやれるか、ちゃんと見てくれるよ」
湊がそう言うと、二人はそれぞれ頷いた。
C級――それは、冒険者にとって一つの境界線だ。
力だけでは届かない場所。経験、判断、信頼、そして“支え合える仲間”がいて、初めて到達できる。
それを三人は、今、静かに見上げていた。
「……よし、じゃあ、リラさんに連絡してみるか」
湊が端末を取り出すと、夏希が笑う。
「“推薦ください”って直球で言うの?」
「……それはさすがに、段階を踏むよ」
「……気になる。横で聞いてたい」
そんなやりとりをしながら、三人は立ち上がる。
次の挑戦に向けて、彼らは再び歩き出した。




