第44話 サイドX
その部屋には、窓がなかった。
厚い鉄と魔力遮断結界によって封じられた密室。無音の空間に、淡く光る魔導端末が一台、静かに動作している。
壁際にはモニターが並び、日本各地のダンジョン出入口が俯瞰視点で表示されていた。中には、すでに“異常終了”の文字が点灯している場所もある。
部屋の中央、黒衣の人物が二人、テーブルを挟んで向かい合っていた。
一人は、仮面をつけた壮年の男。もう一人は、無表情な技術者風の若者。どちらも声を荒らげることなく、ただ事務的に言葉を交わしていた。
「スタンピード、4地点同時発生。A級、B級、C級、D級各1。想定より少し早かったが、制御自体は成功です」
若者が手元の端末を操作しながら、淡々と報告する。
「各国の様子は?」
「ヨーロッパは沈黙。アジア圏は半数が観測にまわり、介入はしていません。アメリカは情報の開示を渋っていますが、現地時間で未明だったため反応は遅いです。……問題ありません」
仮面の男は、僅かに頷いた。
「つまり、あの規模の魔力同調が、世界に気づかれることなく実行できたということだ」
「ええ。接続用の虚域アンカーも試験段階では上々。日本のように魔力濃度が高く、地盤が不安定な国は特に制御しやすい。首都圏に集中的に発生させたのも、データの収束には理に適っています」
テーブルの上に、立体映像が浮かび上がる。東京湾沿岸を中心に、赤い点がいくつも連なり、波紋のように拡がっていく。その図形はどこか、魔法陣にも似ていた。
仮面の男が目を細める。
「……確かに、意図した“現象”は引き起こされた。だが問題もある」
「関東のD級ダンジョンですね?」
「そうだ」
男の指先が空中をなぞると、モニターの一つが拡大される。
それは、東京東部のD級ダンジョン。すでに“鎮圧済”のタグが付いていたが、他の地点と違い、戦闘記録が異様に長かった。
「詳細はまだ上がっていない。だが、観測魔具が捉えた魔力干渉の波形に、想定外の“乱れ”があった。最終的には沈静化したが――あのボス個体を“倒した”」
若者が指を止めた。
「制御不能な突発反応ではない。攻略された形跡がある」
その言葉に、若者の表情がわずかに変化する。
「……となると、因果干渉系スキルの干渉反応ですか?」
「断定はまだ早い。だが、あれだけの強度を耐え切った個体がいるならば、マークは必要だ」
仮面の男は、テーブルの下から小型の魔導印章を取り出した。指先で印を描くと、それはゆっくりと赤く光り、虚空に1つの記号を刻んだ。
「日本支部・関東管轄・若年冒険者・“D級以下でボス個体撃破”――記録対象に指定」
若者が反射的に確認する。
「追跡はどうしますか?」
「D級相手にそこまでは不要。こちらから動けば、逆に警戒を生む。記録班に回して、定期報告だけ受け取れ」
男は立ち上がる。背後にある高層モニターには、今も日本各地の地図が点滅していた。
「……歯車は動いた。戻ることなど、もうない」
「今回の制御データは全世界にとって分水嶺になる。……少なくとも、我々はそう認識している」
仮面の男が歩くたび、足元の床が無音で波紋のように振動する。
部屋の中心に鎮座する主機――魔力干渉炉と呼ばれるその装置は、人工的に作り出された“魔力渦”を捉え、再構築し、自在に発信するための中枢だった。
「スタンピードは、あくまで“副次現象”だ。目的は別にある」
男の背後から、若者が続く。
「……ダンジョンの構造解体実験、ですか?」
「いや」
男は否定する。
「境界の破壊だよ。地上とダンジョンの魔力構造の“境”を崩す。その最初の一撃が、今回の同時魔力共振だった」
若者は目を細めた。
「境界を破壊すれば、どうなりますか」
「逆流が起きる。魔力の供給元とされる“下層”――すなわち、ダンジョン深層部のエネルギーが地上へ漏れ出す」
男は手を掲げる。
「その結果、地上の魔力密度が増す。スキルの発現率が上昇し、既存のスキルも変質を始める。そして、既存社会の“秩序”は保てなくなる」
「……人災、ですか」
「そうとも言うな」
男は肩をすくめ、静かに笑った。
「いまの“管理社会”では、スキルも人間も飼いならされすぎている。国家の承認、ギルドの監視、ランク制度による統制――すべては、力を鈍らせるための枷にすぎない」
「秩序が壊れた後に、我々が何をするか――そこが本題になるということですね」
若者の声が、少しだけ硬質になる。
男は振り返り、その目を覗き込むように問う。
「……君は、何を求める?」
「再構成。世界の“魔力分布”と“スキル設計”の再定義です。統計のない力、制御不能な才能。それらを再計測し、真に価値ある系統を抽出する」
「理論家らしいな。だが、それを実現するには、いったん全てを壊すしかない。いまの世界は“均衡”という毒に蝕まれている」
***
世界的な裏組織――その研究課題のひとつには、「因果干渉スキルの実証と制御」があった。
戦闘を超えた“時間”と“蓄積”の概念を持つスキルは、次元そのものに干渉する可能性があるとされ、ごく一部の超常現象や失われた大災害に関与しているという仮説まであった。
だが、それらは曖昧な噂に過ぎず、実例はほぼゼロに等しかった。
仮面の男は腕を組み、しばらく沈黙する。
「……因果干渉は、強力な反面、不安定でもある。制御が未熟であれば、こちらが動くまでもなく“崩れる”」
「もし熟達したなら?」
「――我々の“使い道”ができる」
その言葉に、若者は微かに眉を動かした。
「利用、するんですか。味方として?」
「違う。“機構”として、だ」
仮面の男は続けた。
「人ではなく、機能として扱う。あくまで因果の収束装置として、“舞台に固定する”ことができれば、それでいい」
「だから、まだ干渉は不要と……」
「そうだ。むしろ自然に育て、力を広げさせるほうが効率的だ。自覚なきまま力を深めさせ、その全容を露わにする。……それからでいい。奪うのは」
最後の一言が、無感情に発された。
***
この世には、時折“英雄”と呼ばれる者が現れる。
だが、この組織の視点では――そうした英雄もまた、ただの“因子”にすぎなかった。
望むのは世界の変革。
それを実現するには、既存の枠を壊すだけでは足りない。
新たな“秩序”を作るための、制御可能な歪み――
それこそが、この因果干渉スキルの存在意義だった。
「……この者が、どう育つか見届けよう。奇跡か、破綻か」
男の目には、いかなる感情も浮かんでいなかった。
魔力干渉炉の脈動が徐々に収束していく。
仮面の男は、浮かび上がる波形記録の最後のひとつを見届けたあと、無言で背を向けた。外の世界から完全に隔絶されたこの地下施設には、窓も時計もない。ただ、機械の音と魔力の脈動だけが、時の流れを知らせてくれている。
「……これで、“段階Ⅰ”の検証は完了です」
若者が端末を操作しながら確認する。
「観測条件はすべて満たしました。各国支部への送信も完了。情報拡散は制限付き、次回の“段階Ⅱ”への移行判断は中央枢機局に委ねられます」
「日本では我々が先行して動く。長野のB級ダンジョンでの干渉試験を三日以内に始動させろ。現地の“管理者”とも調整済みだ」
仮面の男が発したその言葉に、若者は少しだけ表情を曇らせた。
「……あの男ですか。日本支部との繋がりをまだ維持しているのですか?」
「建前の上では“引退した中立研究者”だが、実態は別だ。彼の協力がなければ、日本国内の魔力経路には手が届かん」
「監視は?」
「必要ない。自分の研究に没頭する限り、奴は“結果さえ手に入れば過程は問わない”タイプだ。信用には値しないが、利用価値はある」
若者は無言で頷いた。
最後に、仮面の男が室内の小窓を開いた。
厚い防音材の内側には、黒く霞んだ強化ガラス越しに、東京湾の光景が見下ろせる。
遠く、港の向こうに、沈みかけの夕日が小さく見えていた。
「この国は静かすぎる。だが、もうすぐだ」
男の声は、もはや誰にも届かない独白だった。
新たな嵐が――静かに育ち始めていた。




