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第43話 激戦の成果

 ギルド支部に併設された治療施設の中、魔力遮断処理の施された診察室に、夏希は慎重に運び込まれていった。


 オークウォーロードとの戦いの後、帰還中に夏希は再び意識を失い、まだ回復していなかった。


 湊と澪はそのすぐ後ろに付き添っていたが、治療班の一人に手で制される。


 「お二人はここまでです。治療の妨げになります。負傷の程度から見て、術式の干渉が起こりうるため、結界の外でお待ちください」


 そう言って頭を下げる女性隊員の表情は真剣そのもので、湊はそれ以上言葉を発さずに頷いた。


 夏希は処置台に乗せられたまま、そっと扉の向こうへと運ばれていく。防音結界が閉じられると同時に、気圧が変わったような静寂が廊下を包んだ。


 待機スペースには、湊と澪、そして職員が1人だけ。壁際に備えられた長椅子に腰を下ろした湊は、しばらく沈黙していた。


 ふと、手の平を見つめる。


 傷はない。血もない。けれど、ずっと何かがこびりついているような感覚が抜けなかった。


 そのとき、隣に座った澪がぽつりと呟いた。


 「……手、震えてる」


 湊は一瞬、意識が戻るように顔を上げた。


 見ると、ほんのわずかに、指先が揺れていた。自覚はなかった。


 「……自分では、もっと冷静だったと思ってたんだけどな」


 そう答えた声は、どこか乾いていた。


 澪は腕を組みながらも、あえて何も言わずに目を閉じる。そしてしばらくして、口を開いた。


 「私も、ちょっと……怖かった。あんなの、普通のD級じゃ見ない」


 湊は横目で彼女を見る。


 冗談めかした言い方だったが、表情はどこか張り詰めていた。


 しばらく二人とも黙ったまま、時間が過ぎる。


 廊下にある壁掛け時計の針が、ゆっくりと音もなく進んでいく。


 「……でも、俺たちは、生きて帰ってきた」


 「うん。誰も欠けなかった。それが一番」


 その言葉には、嘘がなかった。


 やがて扉が開き、先ほどの治療隊員が現れた。


 「処置は完了しました。足の傷は深く、血を多く失っていましたが、臓器や神経系には致命的な損傷はありません。意識も数時間以内に回復すると思われます」


 「……よかった……」


 湊は深く息をついた。背中からようやく力が抜けていく。


 「しばらくはこちらで経過観察しますが、付き添いはお一人まででお願いします。状況を踏まえ、冒険者記録室での聞き取りも必要ですので、お二人にはそちらへお越しいただけますか?」


 湊と澪は顔を見合わせ、すぐに頷いた。


 澪が最後にちらりと、診察室の中を見つめる。


 静かに眠る夏希の横顔は、ようやく安堵の色を取り戻していた。


 「……湊」


 「ん?」


 「このあとの聞き取り、湊主導で答えて。私は要所だけ補足する」


 「分かった」


 二人は並んで廊下を歩き出した。


 足取りはまだ重い。けれど、その背中には確かな生還の重みが宿っていた。


 ――次は、言葉にして残す番だ。


***


 湊と澪は、ギルド支部二階の記録管理室へ案内された。


 この部屋は、通常なら上級以上の冒険者が定期報告や成果申請を行うための場所で、中級以下ではほとんど足を踏み入れる機会がない。内装は質素で、壁際には魔力記録用の端末と、各種書類を自動で読み取る魔具が整然と並んでいる。


 受付の藤堂がすでに待機していた。戦闘時とは違い、いつもの制服に着替え直していたが、その表情にはまだ緊張が残っていた。


 「こちらへどうぞ。録音と記録の準備が整っています」


 促されて椅子に座ると、藤堂は簡易型の記録装置を机の上に置き、操作を始める。銀色の小型魔具が低く唸りを上げ、魔力の脈動が周囲に広がった。


 「では、記録を開始します。質問は公式の調査フォーマットに準拠しますので、順を追ってお答えください。補足がある場合は、いつでも付け加えていただいて構いません」


 湊はうなずき、隣の澪も無言で手を軽く挙げた。


 藤堂が読み上げを始める。


 「まず、スタンピードが発生した時刻と場所の確認です。お二人が異常を察知したのは、ダンジョン何層目、どのような状況下でしたか?」


 「第七層。空間が歪んで、魔力の濃度が一気に上がったのを感じました」


 藤堂は頷き、素早く魔具に指示を送る。


 「戦闘が発生したのは、その直後ですか?」


 「はい、七層では出ないモンスターが出てきたので、異常を感じ、後退を試みました。ただ、大量のモンスターに撤退経路が塞がれていたため、戦闘を選択せざるを得ませんでした」


 「その際、最初に遭遇した敵は?」


 「通常は九層に出現する個体でした。魔力が明らかに高く、攻撃行動も知性的でした」


「その後、撤退せずに第七層を進んだのはなぜですか?」


「仲間が怪我をし、これ以上の撤退は無理だと感じたためです。また、モンスターの動きが明らかに統率されていたので、ボスがいると考えました。ボスを倒す以外にもう生き残る方法はないと。」


 「そのボスの名前は分かりますか?」


 「オークウォーロード、だと思います。」


 「……相性にもよりますが、B級のボスクラスの個体ですね。そのボス個体を討伐したのは、お二人だけで?」


 「夏希の補助はありましたが、戦闘自体はそうです。主に俺が前衛で対応し、澪が夏希を守りつつ、機を見てサポートに入ってくれました。夏希は負傷していたため、戦闘不能でした」


 「……なるほど」


 藤堂の手が一瞬止まる。だがすぐに記録を再開する。


 「ギルドとしても、あなた方がオークウォーロードを討伐した記録は非常に重要です。公式に報告書を提出していただくことになります。」


 「……はい、構いません」


 湊の返答に、藤堂は少し表情を和らげた。


 「ありがとうございます。また、スタンピードの解決に大きく貢献したとして、ギルドから報奨金が支払われます。正確な金額は査定中ですが、おそらく1000万円以上にはなるでしょう。」


 「1000万円?!そ、そんなにもらえるんですか……」


 「それだけのことをされたので、自信をもって受け取ってください。」


「では、次にダンジョン内部で感じた“異常”について――これは正確に残す必要があります。何か、通常とは明らかに違うと感じた点はありますか?」


 ここで、澪が口を開いた。


 「魔力の流れ。空間の構造が不自然にねじれてた。しかも一時的に“外”の気配が混じってた。魔力が内から湧いてるんじゃなく、地上から流れ込んできてた感じがある」


 藤堂は目を細めて頷く。


 「他の現場でも、同じような報告が出始めています。スタンピードが“自然発生”ではなく、“何かに引き起こされた”可能性も、調査の視野に入っています」


 湊と澪は顔を見合わせた。


 「……原因は、まだ分かってないんですよね?」


 「はい。断定はできませんが、同時多発という性質上、偶然で片付けるには無理があります。今回は比較的短時間で収束しましたが、次がいつ、どこで起こるかは……」


 そこで藤堂は一拍置き、続ける。


 「いずれにせよ、あなた方の行動は迅速かつ的確でした。正直、あの状況で三人全員が戻ってこられたことは……すごいことです」


 「……ありがとうございます」


 湊の言葉は短かったが、どこか誇らしげでもあった。


 藤堂は記録装置を停止し、深く頭を下げる。


 「ご協力、感謝します。これで聞き取りは終了です。夏希さんの容態次第ですが、回復次第でまた簡単な確認が入るかもしれません」


 「大丈夫です。後からでも話せます」


 湊の横で、澪がさらりと返す。


 まるで、もう完全に“同じパーティーの一員”としての口ぶりだった。


 その自然な口調に、湊はほんの少し、胸の奥が温かくなるのを感じた。


***


 湊たちは席を立ち、部屋を出た。そして、診察室の扉を開けると、そこには静かな時間が流れていた。


 夏希は、白い術布に覆われたベッドの上に静かに横たわっていた。頬の赤みは少し戻り、呼吸も安定している。心拍を確認する小型魔具が、一定のリズムで淡い光を点滅させていた。


 湊と澪は、ゆっくりとベッドの横に腰を下ろした。


 戦闘のときとは違い、部屋はただ静かで、落ち着いていた。


 しばらくそのまま座っていた湊の指先が、そっと夏希の手に触れる。


 冷たくはない。だが、まだ目を覚ます気配もない。


 「……もっと、強くならないとな」


 誰に言うでもなく、独り言のように呟く。


 そのときだった。


 「……そうだね……」


 小さな声が返ってきた。


 驚いて顔を上げると、夏希のまぶたが微かに震え、ゆっくりと開いていた。


 「夏希……!」


 「……湊くんの声、聞こえてた……ずっとじゃないけど……なんか、安心してた」


 そう言って、ゆっくりと微笑む。


 目の焦点はまだ甘いが、意識ははっきりしているようだった。


 「良かった、本当に……無事で」


 湊の声に、夏希はふふ、と微かに笑う。


 「また、助けてもらっちゃったね……」


 「何度でも助けるよ」


 即答だった。


 それがあまりにも真っ直ぐで、あまりにも自然で――夏希は目を見開いたまま、顔を赤く染めていった。


 「……あ、あのさ、さっきからちょっと距離近い……というか、その、手……」


 ようやく湊が自分の手が夏希の手を包んでいることに気づき、ばっと離す。


 「あ、ごめん……」


 「ち、ちが……いや、ありがとう……っていうか……」


 しどろもどろになる夏希。


 と、そこへ。


 「……はいはい。イチャつくのはそこまで」


 唐突に入ってくる割り込みの声。澪だった。


 ドアの横で腕を組んで立ち、少し呆れ顔でこちらを見ている。


 「いい雰囲気だったところ悪いけど、そろそろ私たちもスキルチェック行かないと。後回しにするとギルドがうるさいって、受付で言ってた」


 「……ああ、そうだったな」


 湊は気まずそうに立ち上がり、咳払いを一つした。


 夏希は布団の中でそっと目を伏せる。顔はまだほんのりと赤いままだ。


 「……スキル、上がってるかな。少しは、役に立てた?」


 小さくそう呟いた彼女に、湊ははっきりと答えた。


 「夏希がいてくれたから、俺は戦えた。夏希が、魔力の一滴まで振り絞ってブーストしてくれたから――最後の一撃を撃てたんだ」


 その言葉に、夏希は目を見開き、そしてまた少しだけ笑った。


 「じゃあ、行ってくる。夏希、もう少し休んでろ」


 「うん……いってらっしゃい」


 湊と澪が部屋を出ると、また静寂が戻った。


 ベッドの上で、夏希は天井を見つめながら、そっと胸に手を当てる。


 そこにあったのは、確かに残る鼓動の熱――そして、ほんの少しだけ甘い、温度だった。


***


 「それでは順番にスキルチェックを行います。魔力反応に干渉しないよう、そのままリラックスしてください」


 淡い青い光が湊の身体を包み込む。内部魔力の流れを検知し、蓄積データと照合していく。


 やがて、モニターに数字が浮かび上がった。


 《剣術 Lv5》


 《身体強化 Lv2》


 表示された瞬間、湊は目を細める。


 (やっぱり……)


 今回の戦いの中で、動きに明らかな変化があったのは自覚していた。だが、スキルそのもののレベルが上がっているとは――それも、剣術が“5”に到達しているとは思っていなかった。


 「……上級冒険者並じゃない、これ」


 澪が画面を覗き込みながら呆れたように言う。


 「自分じゃ分からないもんだな」


 湊は苦笑しながら立ち上がる。次は澪の番だ。


 数秒の沈黙の後、モニターが示すのは――


 《感知 Lv3》


 《遮断 Lv2》


 「お、上がってんじゃん。感知、3か」


 「うん。まあ、当然でしょ?あの混戦で大きなダメージを負わなかったんだから」


 軽口を叩きながらも、澪の口元はわずかに緩んでいた。


 彼女なりに、積み重ねてきた結果がこうして数字として現れたことに、静かな満足があるようだった。


 最後は、診察を終えたばかりの夏希が、治療班の許可を得て診断室に案内されてきた。


 まだ顔色は完全とは言えないが、ゆっくりと歩く。


 「いけそう?」


 湊の問いに、夏希は小さく頷いた。


 「うん、もう平気。ちょっと眠いだけ」


 モニターが淡く光り――


 《ヒール Lv3》


 《ブースト Lv2》


 表示された数字を見た瞬間、夏希は目を見開いた。


 「え……これ、間違いじゃない?」


 「間違いじゃない。しっかり上がってるよ」


 湊が静かに言った。


 「俺、戦いながら何度もブーストの効果を実感した。夏希の魔力が、ずっと俺を支えてくれてた」


 「……うん。でも、なんか、実感なくて……」


 「いいじゃん、頑張った証拠だよ」


 澪が、あっさりと言い放つ。


 夏希はぽかんとしながらも、次第に顔を赤くし、そして小さく笑った。


 「……ありがと。なんか、がんばってよかった」


 3人の視線が自然と重なり、静かな達成感がその場を包んだ。


 ダンジョンでの死闘、スタンピードの混乱。


 それでも――積み上げたものは確かにあった。


 そして今、ようやくその“結果”が、手の中にある。


 湊は改めて、画面に表示された《剣術Lv5》の文字を見つめた。


 (《リピート》だけじゃない。俺自身も、ちゃんと強くなってる)


 これが、積み重ねの力だ。


 検査を終え、部屋を出る直前。


 夏希が、ぽつりと呟いた。


 「次は……もっと、みんなの役に立てるように、がんばる」


 その言葉に、湊も澪も、無言で頷いた。


 背中合わせでも、視線を交わさなくても――


 同じ目標を見据えている仲間が、そこにいた。

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