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第41話 スタンピード

 ダンジョンの入口を抜けた瞬間、湊の皮膚に妙なざらつきが走った。

 まるで空気そのものが濁っているような感覚だった。


 ここはD級ダンジョンの第七層。

 過去に何度も挑み、戦術も動線も十分に把握している――はずだった。

 けれど、湊の第六感が、どこか軋むような違和感を訴えていた。


 「今日も、よろしくね」


 夏希が笑顔で声をかける。湊と澪が頷き、三人は探索を開始した。


 「ルートは右手回り。中腹まで行ってから中央通路に。補給地点は二カ所。問題ないな」


 「うん……でも、なんか……空気が重くない?」


 澪が周囲を警戒しながら小声で呟いた。

 魔力の流れも通常通り、視界も良好。けれど、澪の勘もまた鋭い。


 その違和感は、最初の敵との遭遇で、確信に変わる。


 「……あれ、見たことないやつじゃない?」


 湊が構えた剣の先にいたのは、漆黒の甲殻を纏った四足獣。

 低く唸るような威圧感、そして突進を主としたその体構造――


 「第九層以降に出るタイプ……よね?」


 夏希の声がかすれる。

 彼女の記憶にもある。以前、ギルドの資料で見たことがあった。


 「まだ俺たち、九層には行ってないぞ」


 戦闘が始まる。湊が斬りかかり、澪の暗器が援護。夏希は即座に支援魔法を展開。

 攻撃の手ごたえはある。だが、敵の動きは第七層のモンスターとは比べものにならない。


 「次来るよ――あれ、煙……!?」


 通路の奥から、スモッグを撒き散らしながら現れたのは、羽根のついた虫型モンスターだった。

 夏希が慌てて鼻と口元を布で覆う。


 「これも、十層にしか出ないやつだよ……っ!」


 開始から二十分も経たぬうちに、三人は既に二十体以上のモンスターと交戦していた。

 その多くが未確認、もしくは高階層の個体。出現頻度も、明らかに異常だった。


 「どういうことだ……。下の階層から湧き上がってきてるのか?」


 湊は剣を握り直しながら、胸の奥に広がる不穏を押し殺す。


 しかも、敵の行動には違和感があった。

 一体一体が連携している。突撃に続いて援護、側面からの回り込み――

 まるで指揮官でもいるかのように、無駄のない配置で攻めてくる。


 「魔力も、詰まってる感じがする……。通路がぬるぬるしてるような感触で……気持ち悪い……」


 夏希の支援詠唱にも、徐々に疲労の色が見え始めていた。


 湊は手にした剣に違和感を覚えていた。

 《リピート》によって感覚は研ぎ澄まされている。だからこそ、小さなズレに気づく。

 踏み込みの距離が合わない。空気が密で、動作がわずかに重たい。


 「このまま奥へ進むのは無謀だ。ここで撤退する」


 即断だった。夏希と澪もすぐに同意する。判断は適切だった――はずだった。


 「二時方向、敵四体。中型二、軽量型二」


 澪の声が響き、すぐさま暗器が走る。敵の脚部に命中し、動きを鈍らせる。


 「背後からも接近。数、六体……囲まれる!」


 湊は舌打ちをして剣を振る。

 それでも数は止まらない。倒しても、間を空けず次が現れる。


 「戦いながらでも、脱出を優先する。援護、頼む!」


 三人は背を合わせ、蠢く闇に立ち向かった。


 その時、湊の足裏に、地面から伝わる微かな震動が走った。


 (……これは)


 わずかな“揺れ”。まるで、遥か下層で――何か“巨大なもの”が動いたかのような気配。


 湊の全神経が警鐘を鳴らした。


 何かが始まろうとしている――そんな確信と共に。


***


 敵の猛攻は容赦なかった。まるで出口を塞ごうとするかのように、湧き出すモンスターが次から次へと押し寄せてくる。


「前、もうひと組来る!角を曲がってくる!」


「後ろも塞がれそう!」


 澪の声が切迫する。湊は前衛に立ち、剣を振るいながら敵の進行を抑え込む。

 連続した突き、薙ぎ払い、体勢を崩さずに一撃を重ねる。そのすべてに《リピート》の補正がかかっていたが、それでも追いつかないほどの数だった。


「夏希、支援を!」


「ブーストは……っ、あと一回分くらいしか……!」


 息を切らした夏希が、立て続けにバフと回復魔法を展開する。

 魔力量は既に限界が近い。ここまでの消耗戦に、夏希の支援がなければとっくに崩れていた。


 そのときだった。


「――っ、あぶなっ!」


 湊の背後から飛び出してきた獣型モンスターが、夏希に飛びかかる。

 澪が即座に反応し、暗器で進路を逸らすも、完全には防ぎきれなかった。


「きゃ……!」


 夏希の左足に鋭い爪が引っかかる。

 鮮血が散り、彼女が膝をついた。


「夏希!」


 湊が咄嗟に振り返り、モンスターを斬り伏せる。

 だが、その間にも別方向から敵が殺到してくる。


「だめ……魔力も、限界……」


 震える手で支援杖を握りしめ、ヒールを詠唱しようとする夏希。だが魔力は応じない。

 呆然とした彼女の瞳に、絶望の色が差す。


「澪、夏希を頼む!」


 湊は必死に前線を支えながら叫ぶ。

 澪は夏希を引き起こし、背後の敵に睨みを利かせる。肩は大きく上下し、疲労の色が濃い。


(このままじゃ、まずい……!)


 撤退路は狭く、敵は複数方向から分断して迫ってくる。


 そのとき、瓦礫の影に倒れる“何か”が視界の端に映った。


「……死体?」


 湊が目を凝らす。服装は見覚えのある――冒険者だ。


(まさか、既に……)


 駆け寄る余裕はない。腹部がえぐられ、明らかに死亡していた。

 

 喉が鳴り、背筋が凍る。


(これが……スタンピードか)


「くそっ……!」


 周囲を見渡せば、なおもモンスターの群れが視界を埋めていく。

 そのとき、夏希が震える声で口を開いた。


「私のこと……置いていって……。足手まといになるくらいなら……」


 その言葉に、湊の視界が揺れた。


「……何言ってるんだよ、馬鹿!」


 怒鳴った自分に、自分でも驚いた。

 だが、それくらいには動揺していた。


「お前を見捨てて俺たちだけ生き残ったとして……そんなの意味ないだろ!」


 澪も怒りの声をぶつけた。


「勝手なこと言わないで……!置いてくなんて、ありえない!」


 それでも夏希は、顔を青ざめさせながらも、苦笑した。


「でも……湊くんと澪ちゃんだけでも……助かってほしいから……」


 その瞳に宿る覚悟を、湊は真正面から受け止めた。


(冗談じゃない……!)


 夏希がいたから、ここまで来られた。

 支えとして、仲間として――


 その想いが、湊の胸を強く突き上げた。


 その言葉が、剣よりも鋭く空気を切った。

 その瞬間、地の底で何かが“蠢く”ような気配が、確かに響いた。


 血に濡れた左足を押さえながら、夏希はゆっくりと視線を伏せた。

 痛みは確かにあった。けれど、それ以上に、心が張り裂けそうだった。


(私のせいで、撤退の足が止まってる……湊くんの、澪ちゃんの命まで危険に晒してる……)


 唇を噛みしめ、震える指先で杖を強く握りしめる。

 でも、魔力はもう、指先から一滴も絞り出せなかった。


「……ごめんね……ほんとに、ごめん……」


 呟いた声は、誰にも届かないほど小さかった。

 湊と澪は、無言で前線を守ってくれている。それが痛かった。


(もっと強くなりたかったのに。ちゃんと隣に立てるようになりたかったのに)


 たった一歩届かない距離。それが、今この瞬間には命取りになる。


(こんな時にまで……私、何してるの……)


 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 諦めたくない。だけど現実は、あまりにも残酷だった。


(だったら、せめて――最後くらい、ちゃんと伝えたい)


 夏希は小さく息を吸った。

 視界が滲んで、湊の背中がぼやける。


「湊くん……私……ずっと……」


 声が震える。けれど、それでも言わなければ――


 その瞬間だった。


「行かない。絶対に、置いていかない」


 湊の声が、切っ先のように空気を裂いた。


「夏希がいたから、俺たちはここまで来られた。だから……絶対に、見捨てたりしない」


 夏希の言葉は、空に溶けて消えた。

 何も言い返せなかった。ただ、涙だけが頬を伝った。


「……ありがとう、湊くん……」


 呟いた彼女の瞳に、微かな光が戻る。


 一方、澪は背中でそのやりとりを聞いていた。

 夏希の体をしっかりと抱え直しながら、彼女の震えが止まったことに気づく。


 澪も、怖くなかったわけじゃない。

 この異常事態が自分たちを試しているようで、どこかで足がすくみそうになっていた。


 けれど――


(あたしだって、守りたいものがある)


 その一心だけが、澪の脚を支えていた。


「湊、どうする。……このままじゃ、ジリ貧よ」


「ああ……でも、今のまま戦ってても終わらない」


 湊はモンスターの配置、湧き出す位置、動き方――すべてを見ていた。

 そこには明確な“統率”があった。ランダムな侵攻ではない。中心から、段階的に押し出してくるような動き。


「指揮してる存在がいる……そんな気がする」


「ボス、ってこと?」


「ああ」


 それが正解かは分からない。けれど、待っていても状況は悪化する一方だ。

 ならば、自分たちで状況を変えるしかない。


(俺が変わるきっかけは、夏希と組んだあの日だった)


 湊は思い返していた。


(夏希と澪がいたから、俺はここまで来られたんだ)


 リピートじゃない。スキルでもない。

 今、ここで戦おうとするこの覚悟だけは、自分の意思で選んだものだ。


「……行くぞ。おそらくこの異常の“核”は、この階の奥にある。どうせ引き返せないなら、立ち向かおう。夏希は少しでも魔力を回復させるために休んで」


「了解」


 澪は即答した。


「私も……大丈夫、だから……」


 夏希が静かに口を開いた。決して強がりではなく、心の奥からの声だった。


 三人の視線が重なる。

 額に汗を浮かべながら、それでも笑みを浮かべる夏希。


「じゃあ、行こうか。リーダー」


 澪が茶化すように言うと、湊は小さく笑って頷いた。


 彼らの周囲を、モンスターたちの唸り声が包み込む。


 けれどその中心に、確かにあった。

 三人の間に宿った“覚悟”が――進むべき光となって。


 彼らは歩を進めた。

 闇の奥に蠢く“何か”に向かって――。

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