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第40話 異常の兆し

 東京ギルド本部――記録課の一室。

 複数の端末が稼働音を立てる中、データログの照合と異常値の解析が静かに行われていた。


 「またか……」

 

 端末を前に、木島は目を細めてディスプレイに映る数値を確認した。


 ここ一週間、複数の迷宮で微弱な“魔力揺らぎ”が観測されていた。

 それ自体は稀なことではない。地脈の変動や使用頻度による歪みなど、ダンジョンという存在はそもそも不安定なもので、常に小さな異常を抱えている。


 だが、今回は違った。

 報告書を遡れば、似たような現象が“ほぼ同時期に”複数箇所で確認されている。

 内容はささいなもので、転送装置の起動遅延、階層ごとの壁の再構成速度の乱れ、魔力濃度の予測値との差異――だが、それが一定の範囲に集中して起きていた。


 「……脇田ギルド長に報告を」

 木島は端末を閉じ、席を立った。


***


 その日の午後、幹部だけが集まる小規模会議が行われた。


 出席者は、ギルド長・脇田、記録課の木島、監査官の藤森、そして受付統括の藤堂。


 「……つまり、現時点では“明確な異常”とは言い難いが、過去のスタンピード発生時に見られた“前兆現象”と似通っている、ということか」


 脇田の問いに、木島は頷く。


 「現段階では確定的な因果は断言できませんが、注意喚起レベルであれば発令可能です」


 「地脈の歪み……複数箇所……」


 藤森が資料に目を通しながら呟いた。


「一般冒険者に情報を出すか否かが焦点だな」


 藤堂が穏やかに口を開いた。


 「深刻さが伝わりすぎれば混乱を招きます。ですが、この程度の情報であれば“備えの一環”として伝えるには十分です。訓練時の避難経路の再確認、潜行階層の制限……そういった形でなら」


 脇田はしばし黙考したのち、頷いた。


 「……全階級に向けて、今週中に注意喚起を出せ。異常の明言は避け、“過去の類似例を踏まえた安全対策強化”という名目で」


 「了解しました」


***


 翌朝、ギルドの各階級冒険者に向けて、共通の注意文書が回覧された。


 タイトルは“迷宮内注意事項の改訂について”。


 その内容は、探索深度の制限、万一の異常時対応訓練の実施日程、備品の見直し推奨といった、ごく一般的なものに留まっていた。


 しかし、書き方の節々には、慎重な言い回しの裏に“明確な警戒”が見え隠れしていた。


 「潜行階層は一段下までを推奨上限とすること」

 「異常が確認された際は即時報告し、転送地点に集合すること」

 「探索時は非常用物資と簡易テントを必ず携行のこと」


 この文書が配布された瞬間、ギルド内では小さなざわめきが広がった。


 「これって……何か起きるのか?」

 「いや、訓練の一環だろ」

 「前にもあったけど、こんなに細かく指定されたっけ……?」


 情報は拡散する。明確な危機がまだ姿を見せていなくても、こうした文面は、敏感な者たちの感覚を刺激する。


 そして、その文書は――湊たち《繰り返しの糸》のもとにも届こうとしていた。


 「ん?これ……」


 湊がカウンターで渡された書類を手に、眉をひそめた。


 ギルドに立ち寄ったのは、訓練帰りのついでだった。登録情報の更新と、明日の探索ルートの確認をしに来ただけのつもりだったのに――


 「《迷宮内注意事項の改訂について》……?」


 夏希と澪も覗き込むように、湊の手元の書類を見る。


 藤堂が、いつもより少しだけ慎重な声音で口を開いた。


 「現時点で何かが起きたわけではありません。ただ、迷宮内部の地形や転送装置の挙動に、小さな異常が確認されている箇所がありまして。あくまで“備え”という位置づけで、ギルド全体に通知が出されたんです」


 「この前、七層で転送装置がちょっとだけ遅れて反応したのって……」


 澪がぽつりと呟く。


 「関係あるかもしれませんね。でも、あくまで“可能性”の話です。皆さんが行っている階層で、明確な異常はまだ確認されていません」


 藤堂は笑みを崩さないが、その目にはやはり、いつもとは違う色があった。


 「この通知には、探索時の注意点や避難時の集合場所が書かれています。特別な制限はありませんが、深層への潜行や連続探索などは、控えめにしていただけると安心かと」


 「……わかりました。気をつけておきます」


 湊は真面目な表情で頷き、夏希と澪もそれに続くように同意を示した。


***


 ギルドを出た後の帰り道、三人は並んで歩きながら、その紙面の内容について話していた。


 「“念のため”って言ってたけど……やっぱり、最近の探索、ちょっとおかしかったよね」


 夏希の言葉に、湊も軽く頷く。


 「転送装置の挙動もそうだけど、ダンジョン内の魔力の流れが、微妙に濃淡がある感じがしてた」


 「私も思った。気配の濁りが、層をまたぐごとに増えてる。敵の出現位置も、以前と比べて偏ってるし」


 澪の冷静な観察に、湊は静かに息を吐く。


 「でも、俺たちはまだD級だ。……今のところ、無理な階層に挑んでるわけじゃない。変に気負う必要もない」


 「うん。でも備えはしっかりしておこう。ポーションの残量とか、予備の回復手段も確認したいし」


 夏希の声には、張りつめた不安ではなく、現実を受け止めて“自分たちにできることをする”という意志があった。


 「……探索ルートも少し見直そうか。非常時に戻りやすいように、転送装置の近いルートを選ぶとか」


 澪も淡々とした口調で言い、湊は頷く。


 「決まりだな。次の探索前に、一回確認しよう」


 少しずつ日が落ち始めた街を歩きながら、三人の姿は以前と変わらぬようでいて、確かに“何か”に備える姿勢を帯びていた。


 風はまだ静かだったが、彼らの中に芽生えた“警戒心”が、小さな変化を迎えつつあった。


***


 夕食を終えた夜、三人は珍しくテーブルにマップとメモを広げていた。


 「……じゃあ、改めて。仮に異常が起きた場合、どう動く?」


 湊の言葉に、夏希と澪が顔を見合わせる。


 「まずは即撤退。ただし、転送装置は“帰り”には使えないから……階層を自力で戻ることが前提だね」


 夏希が真面目な表情で言う。


「だからこそ、戻るための安全なルートを確認しておかないと」


 「私たちの場合、潜っても第八層まで。だけど、そこから地上まですべて歩き戻るとなれば、かなり時間がかかる」


 澪は冷静に言いながら、手元のルートメモを指差した。


 「この辺り、第五層と第四層の境目。前回の探索で、敵の出現頻度が高かったルート。非常時は避けるべき」


 「逆に、転送装置が近くにあって敵が少なめだったルートを優先する。途中で休憩できそうな場所もメモっとこう」


 湊はうなずきながら、二人の指摘を丁寧に記録していく。


 「あと、宿泊探索をしてる日だったら、テント設営地点まで戻って態勢を立て直すって判断もありかもな」


 「それでも、テントが潰されてたら意味ないし、予備のポーションや回復薬は常に全員が持つべきだね」


 夏希が頷きながら、自分のバッグに予備の備品リストを書き足す。


 「私の《癒糸》は継続的な治癒に強いけど、瞬間的な対応はあまり得意じゃない。補助アイテムがないと厳しい時もあるし」


 「そうね。私も奇襲や遮断はできても、逃げ道の確保は時間稼ぎが必要」


 澪も静かに言葉を重ねた。


 「……自分たちが何を得意としてて、何ができないのかを改めて整理するのって、大事だな」


 湊の一言に、二人はほぼ同時に頷いた。


***


 その後も、三人は迷宮マップを囲んでの話し合いを続けた。


 「あとさ。緊急時の“連絡手段”って、どうする?」


 ふいに夏希が口を開いた。


 「ギルドに連絡を入れたくても、迷宮の中じゃ通信魔石も届かない場合があるよね」


 「確か、第五層までは一部交信が届くって言ってた。けど、六層以降はほぼ不通」


 「……じゃあ、非常用の連絡手段として“合図”を決めておこう。例えば、特定のアイテムを地面に残すとか」


 「魔力反応の残留をわざと残すのも手だな。」


 湊が提案すると、夏希と澪が真剣にメモを取り始めた。


*** 


 「ねえ、湊くん」


 夏希がふと顔を上げた。


 「……こういう話、実はちょっと苦手だったんだ。逃げることとか、備えることって、“弱い”って感じがして。でも、今日みたいにちゃんと話すと、ちょっと安心する」


 「たしかにそうかもな。でも、大事なことだって気づけた。」


 澪も、カップを手にしながらぽつりと続ける。


 「私は……こういう話の方が得意かも。けど、それでも“自分たちに何ができるか”を話し合える仲間がいるって、思ってたよりも心強い」


 「そうだな」


 湊が静かに笑い、三人の間に穏やかな空気が流れた。


***


 夜が更け、明日の準備を整えてそれぞれの部屋に戻る。


 窓の外では、星の見えない夜空が広がっていた。

 静かなその闇の中に、誰もまだ気づいていない“異変の本体”が、ゆっくりと進行していることを、彼らはまだ知らない。


 翌朝、湊たちはいつものようにギルドへ顔を出した。

 受付フロアは活気に満ちていたが、その中にいつもとは違う“沈殿したような空気”があることに、三人はすぐ気づいた。


 「……なんか、ざわついてない?」


 夏希が小声でつぶやくと、澪が周囲に視線を巡らせた。


 「うん。みんな、妙に警戒してる感じ」


 実際、各所で小さな集団ができており、冒険者たちがこそこそと話し合っているのが見えた。


 「聞いた?B級の連中、急遽招集かかって地方に飛ばされたらしい」

 「中央本部の人間も視察に来てるって話だぞ」

 「え、マジで? なんで今?」


 湊は受付前に立ち、カウンター奥の藤堂を見つけた。


 「おはようございます。……何かありましたか?」


 声をかけると、藤堂はわずかに目を細めてから、ゆるく首を振った。


 「いえ、神谷さんたちに関しては特に何も。ただ、昨夜の注意喚起を受けて、ギルド内での情報確認や避難訓練の再確認が進められているところです」


 「やっぱり、何かあるんですか?」


 「“あるかもしれない”というだけです。……でも、それだけで動く理由にはなるんですよ」


 どこか含みのあるその言葉に、湊は深く頷いた。


***


 その後、三人は掲示板前に立ち、最新の情報を確認した。

 探索ルートの変更推奨、備蓄ポーションの価格上昇、そして「非常時の避難ルート再確認」という張り紙。


 「……ほんとに、空気が変わってきたね」


 夏希が呟き、湊は言葉を選ぶように答えた。


 「うん。でも俺たちにできるのは、大げさなことじゃない。……今まで通り、備えて、目の前の任務をこなす。それだけだ」


 「そうだね」


 夏希が笑みを浮かべる。


「でも、ちゃんとこうして話し合ってる分、きっと大丈夫だと思えるよ」


 「私たち、あんまり無理しないしね」


 澪も軽口のように続けた。


「他のチームより慎重派だから、こういうときはその性格が武器になる」


 湊はそんな二人を見ながら、どこか安心したように小さく息を吐いた。


***


 ギルドの訓練場に足を運ぶと、顔見知りの若手冒険者たちがちらほらといた。

 その中の一人――イツキが湊を見つけて、軽く手を挙げる。


 「おーい、湊!なんかギルド、バタバタしてるな。そっちにも何か言われた?」


 「ああ、念のためって感じでな。でも、実際に異常があるわけじゃないみたいだ」


 「そうか。まあ、変なときに限って油断してるやつがやられるしな。うちも気を引き締めていくわ」


 イツキの何気ない一言に、湊は無言でうなずいた。


 その“当たり前の危機意識”が、今このギルド全体にじわじわと広がっていることを、彼も感じていた。


***

 

 午後、湊たちは探索前の最終チェックを終えた。


 リュックの中身、地図の更新、回復薬の補充、そして連絡用の印章石の点検。


 「……準備、よし」


 湊の声に、夏希と澪もそれぞれ頷いた。


 「じゃあ、行こっか。ダンジョンは、待ってくれないしね」


 「今日も、地道に進もう。八層の南西ルート、気になってたし」


 そんなふうに言葉を交わしながら、三人はギルドを後にする。


 足取りは軽くはなかったが、確かな重みを伴っていた。


 湊たちはまだD級。

 けれど、自分たちなりに備え、考え、進んでいる。


 その背中に、揺るぎない意志が灯っていた。

 ――静かに、しかし確かに、迫る変化の気配を感じながら。

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