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第4話 初ダンジョン

調布第七迷宮――F級ダンジョンであり、年間数百名の冒険者が最初に足を踏み入れる“登竜門”でもあった。


ダンジョンの入り口は、まるで地面に空いた大きな割れ目のように口を開けており、その内部はまるで地殻の隙間に迷い込んだかのような薄暗い空間が広がっている。天井の魔光石が淡く光を放ち、壁の岩肌には水分が滲み、常に湿った空気が充満していた。


湊は一歩ずつ足を踏み入れながら、全神経を周囲に向けていた。初めてのダンジョン。その感触は、普段歩くどの場所とも異なる。


「気圧、ちょっと低いね……魔素も濃い」


背後から、夏希の声が静かに響く。彼女もすでに魔力感知に集中しているのか、顔はやや緊張に染まっていた。


「慣れないと気分悪くなる人もいるらしい。無理はしないようにしよう」


「うん、大丈夫。ヒールも準備済み」


湊は彼女の準備の良さに内心で舌を巻きつつ、短剣の位置を確認し、右手でグリップを確かめた。真剣な気配が漂うこの空間では、油断など一瞬の死を意味する。


「前に出る。敵がいたら声かけるから、後ろ、三歩の距離を保ってついてきてくれ」


「了解」


それだけの会話を交わし、二人は迷宮内部へと進んでいった。


迷宮の構造は、“未踏の古代遺跡”のような雰囲気だった。緩やかな曲線を描く通路。時折現れる半壊した柱。天井の苔が淡く光を放つ場所もあれば、完全な闇に包まれた細道も存在する。


だが、最も印象的なのは“静寂”だった。


音がない。風もない。ただ、自分たちの足音と呼吸音だけが、洞窟の奥へと吸い込まれていく。


「……なんか、気配、しない?」


夏希が足を止め、小声で告げる。


湊はすぐに剣を引き抜き、視線を前方に集中させた。


十数メートル先の曲がり角。その先に、かすかな気配。人間よりも背丈の低い、だが、明らかに“何か”がいる。


──ゴブリンか。


JDAの説明通り、このダンジョンに生息している主な敵性存在は“ゴブリン種”である。


知性は低いが、数で押す傾向があるため、初級者にとっては油断ならない相手。


湊は一歩、二歩と静かに進み、角に差し掛かった瞬間、斜めに身を滑らせて視界を確保する。


視界の中に、小さな影があった。


身長およそ130センチ。肌は土色、背中に細身の短槍を背負い、前傾姿勢でこちらに背を向けている。


「単体。背後を取れる」


湊は小声で告げると、夏希もコクリと頷く。


すかさず、湊は歩幅を詰め、短剣を構えたまま一気に距離を詰める。


その動きは、まさに訓練通り。無駄のない足運びと体重移動が合わさり、湊の気配は壁の岩肌に吸い込まれるかのように消えていた。


あと3メートル。2メートル。1メートル──


その瞬間、ゴブリンがこちらの気配に気づき、振り返る。


だが遅い。


湊は半歩踏み込み、斜め上から刃を振り下ろす。


刃がゴブリンの肩を撃ち、鈍い音と共にゴブリンは倒れ、すぐに消滅した。


湊は剣を引き、次の敵影がないかを確認する。


「すごい……今の、一撃だったね」


夏希が安堵の表情を見せながらも、その目は真剣だった。


「今の斬りの軌道、何か掴めそうな気がした」


湊は自分の腕を見下ろす。


繰り返すことで高まる“感覚”の断片が、わずかに意識の表面をかすめた。


これが──リピートの“兆し”か。


***


ゴブリンを一体倒しただけ――されど、それは、確かに“始まり”だった。


「次、左の通路行く?」


「いや、右側かな。左側は地図では袋小路になってる」


湊は支給された簡易マップを確認しながら、通路を選定する。調布第七迷宮はあらかじめ構造が公開されており、初級者向けの探索では“道に迷うこと”が起きないよう配慮されている。


だが、それでも冒険者に求められるのは、即応性と判断力だ。


その先、さらに二体のゴブリンと遭遇したが、いずれも危なげなく処理した。


夏希はヒールを使う場面こそなかったが、《癒糸》の細やかな操作で湊の筋肉疲労を緩和し、モーション効率の維持に貢献していた。


「三体目、斬った感触がちょっと違った」


「リピートの効果?」


「いや、まだ。感覚の誤差かな。もう少し再現性を上げたい」


湊は、自身の動きのどこに改善余地があったかを淡々と分析しながら、再現可能な型を組み立てていた。


《リピート》の特性は“同一行動”の繰り返しによって効果が増すというもの。ただ闇雲に戦っていても蓄積は起きない。自らの行動をきちんと意識しての精密な動き――つまり“完璧な反復”が求められる。


ただ、それは湊にとって、“懐かしい感覚”だった。


──剣道をやっていた頃も、型稽古で同じ動きを何百回も繰り返した。


その反復の果てに、わずかなズレがわかるようになり、自分の体が研ぎ澄まされていった感覚を、湊はよく覚えていた。


あれは無駄じゃなかった。


このスキルは、きっとその延長線上にある。


「次の広間、敵いるかも」


夏希の警戒の声。魔力感知に微かな反応が出たらしい。


湊は剣を構え、通路を抜ける。


視界の先、確かにいた。今度は2体――左右に分かれ、こちらの接近に気づいている。


「連携型か……。片方は短剣、もう片方は石を持ってる。投擲してくるかも」


「湊くん、一体目は私の《癒糸》で動きを妨害するから、その間に仕留めて」


「了解」


夏希が指を伸ばす。魔力でできた“糸”が空中に走ったかと思うと、右側のゴブリンの足元に絡みつく。まるで蜘蛛の糸に足を取られたように、ゴブリンが一瞬動きを止める。


その一瞬を、湊は逃さなかった。


「――はっ!」


踏み込み一閃。完璧な軌道の斬撃。リピートの反応がわずかに光った気がした。


「一体目、撃破!」


「二体目、投げてくる!」


左のゴブリンが石を投擲した。反射的に頭を下げた湊の肩をかすめて石が飛ぶ。が、その直後、夏希の《癒糸》がゴブリンの腕に絡みつき、次の動作を封じた。


「……今!」


湊が二歩で詰め、水平斬り。文句なしの一撃。


「うまくいったね!」


夏希が小さくガッツポーズをする。湊は肩で息をしながらも、内心で別のものを確認していた。


──いま、確かに。


さっきの一撃で、わずかに“斬撃の感触”が変わった。


刃が肉を裂くまでの抵抗、筋肉と骨の間を抜ける角度、それが手に馴染んでいた。


「《反復》……反応してきたか」


それは、戦いを重ねることで少しずつ実感として積み上がっていく“実感”の芽だった。


夏希が寄ってきて、傷を確認する。


「肩、ちょっとかすったね。すぐ回復するね」


「ありがとう」


そう言って、湊は肩をまわす。魔力がじんわりと筋肉に浸透していく感触がある。


敵の数も減り、探索ルートもあと少し。


迷宮初日の終点が、もう目の前に迫っていた。


──あと一戦程度で、探索完了。


湊と夏希の呼吸は、互いに確実に、冒険者としての一歩を刻み始めていた。


***


探索開始から四十分が経過。


これまでに遭遇したゴブリンは計六体。二人の連携は順調で、互いの呼吸も徐々に合ってきていた。湊の剣筋は洗練され、夏希の《癒糸》はより機能的に補助へと適応している。


その中で、湊は確かな“変化”を感じていた。


――《リピート》の手応え。


もともと、明確なエフェクトや通知があるわけではない。が、剣を振るたび、わずかに筋肉の反応速度が向上している気がする。斬撃の軌道が深く、滑らかになり、ゴブリンの動きが遅く見えるような錯覚に陥る瞬間もある。


「……妙だな」


「何が?」


「いや、斬った時の“間”が、変わってきてる。タイミングがズレてないのに、手応えだけ違う」


「それって……《リピート》の効果?」


湊は明確には答えず、小さく頷いた。


(確かに、これは“積み重なっている”)


無意識に繰り返していた剣の軌道が、徐々に身体の一部のようになっていく感覚。手と目と足と脳が、次第に同期していく。


ただし、それは使い手が“無意識の精度”を高め続けた結果に過ぎない。


スキルが勝手に強くなるわけではない。


あくまで、“繰り返し”が意味を持つ。


「次が最後の交戦かな。帰還予定時間、あと二十分だし」


「じゃあ、ラスト一本ってところだね」


夏希が笑う。疲労の色も見えるが、その表情は充実していた。


だがそのとき、後方から低い金属音が響いた。


「……何の音だ?」


湊が振り向いた瞬間、通路の奥、閉じたはずの石扉が開くような音と共に、通常のゴブリンとは異なる気配が迫ってきた。


「……ゴブリン?いや、普通のゴブリンとは違う!」


前方に飛び出したのは、全身を金属で覆った“ゴブリンナイト”と呼ばれる亜種だった。


全長160cm。通常130cm程度のゴブリンより大きい。右手にはショートソード、左手には小型の盾を持ち、二足で正確に突進してくる。


「対応する!」


湊がすかさず前に出る。だが、模擬剣の一撃を盾で受け流され、次の瞬間には剣先が湊の肩に向けて突き出されていた。


「ッ……!」


湊は半身でかわすが、左肩をかすめ、脳内で警告音が鳴る。


「湊くん!」


夏希がすぐに《癒糸》を湊の肩に巻きつけ、ヒールで傷を癒す。


「まだ動ける。もう一回、いく」


湊はバックステップで間合いを取り直し、意識を集中した。


“型”を再構築する。


――右斜めからの斬撃。踏み込み、腕の角度、腰の捻転。


さっきまで使っていた“反復動作”を忠実に再現するように動く。


《リピート》が静かに反応する。


――1%、2%、3%……湊にはその数字は見えていないが、攻撃するたびに着実に何かが積み重なっていくような手応えがあった。


《リピート》のバフが10%を超えた頃、ゴブリンナイトが再び剣を構えて詰め寄ってくる。


「来い……!」


踏み込んだ瞬間、湊の剣が火花を散らした。


盾と剣の隙間に、鋭く振り下ろされた剣の一閃が走る。


“カンッ”と金属の鎧が砕ける音と共に、ゴブリンナイトの肩口へ斜めに深く切り込む一撃。


ゴブリンナイトはその場に崩れ落ちた。


「……倒した」


夏希が、ほっと息をつく。


「ごめん、私……反応遅れた」


「いや、あいつは初見殺しだろ。俺も……ちょっと驚いた」


ダンジョンは“常に想定外を孕んでいる”という教訓。それを身をもって体感した戦闘だった。


「最後の方、いつもより湊くんの動きが早く感じたけど……《リピート》、効いてた?」


「多分。明らかにいつもと感覚が違った」


ふたりは目を見合わせ、小さく頷いた。


初めての“危機”を超えたとき、互いへの信頼が確かなものとして築かれていく。


***


戦闘を終え、しばらくその場に佇んでいた。


湊の呼吸は荒くはないが、肩の傷が鈍く疼いている。《癒糸》による応急処置のおかげで出血や痛みはほぼ治まっているものの、戦いの余熱が体内に残っていた。


「肩、大丈夫?」


「問題ない。ありがとな」


「……ううん。湊くんが守ってくれたから」


夏希の声はどこか震えていた。きっと、彼女にとっても今の戦闘は簡単なものではなかったのだろう。


初めての実戦。しかも予想外の強敵。


初級ダンジョンであっても、事故が起きないとは限らない。湊も夏希も、それを実感した。


「そろそろ時間だ。出口に向かおう」


「うん……」


二人は探索ルートを引き返すようにして、迷宮の入り口へと向かった。途中、他の講習生パーティーとすれ違う場面もあった。皆、緊張の面持ちで武器を構えており、夏希と湊も黙礼を交わして通り過ぎた。


出口が近づくにつれ、迷宮特有の重たい空気が徐々に薄れていく。視界が開け、鉄製のゲートの先に明るい空が覗いていた。


「ふぅ……」


陽光が差し込む瞬間、夏希は思わず深く息をついた。


湊もその場で小さく肩を回す。さっきの斬撃――自分の中で積み重ねてきたものが、ほんの少し形になった実感があった。


《リピート》――


“ただ繰り返すだけ”のように見えるスキルが、確かに自分の技を磨き、戦いを変えた。


他人から評価されることはないが、自分にとってはこれ以上ない“武器”になりうる可能性を感じていた。


受付へ戻ると、担当職員が湊の報告を受け、淡々と処理を進めた。


「……F級ダンジョン一層、敵性存在七体撃破。軽傷一件、支援魔法による自己回復済み。時間配分・協調行動ともに良好。以上で記録します。初日としては優秀な部類ですね」


「ありがとうございます」


「あなたたち、今後も継続して活動しますか?」


夏希と湊は顔を見合わせ、軽く頷き合った。


「はい。続けます」


湊が答えると、職員は小さく笑みを浮かべた。


「では、次回以降、パーティー登録をお忘れなく」


手続きが終わると、敷地外にある送迎バスの停留所へ向かった。


バスにはすでに何組かの講習生が乗っていたが、まだ空いている座席がいくつかある。


湊と夏希は並んで座り、何も言わずに窓の外を見た。


午後の柔らかな光が、草原の上に降り注いでいた。


「……楽しかったな」


唐突に湊が漏らす。


夏希が、そっと笑う。


「うん。ちょっと怖かったけど、でも……楽しかった」


しばし沈黙があった後、夏希が小さくつぶやいた。


「ねえ、湊くん。次もよろしくね?」


「こちらこそ」


湊は迷いなく答えた。


その声に、夏希の横顔がわずかにほころぶ。


――少しずつ、何かが始まっていく。


そう確信するには、まだ早すぎるかもしれない。


だがこの日、二人の冒険者としての関係が、確かに“始まった”のは間違いなかった。


バスが揺れる中、湊は左肩に手を添えながら、剣を構えたときの軌道を脳内で再現していた。


何度も、何度も。


“繰り返し”が、自分を強くしていく。


《リピート》とは、そういうスキルなのだ。


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