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第38話 挨拶と和解

 夕方の冒険者ギルド。


「明日、行くんだよね……」


 夏希の言葉に、湊は静かにうなずく。


「うん。契約は済んだし、同居するってこと、ちゃんと親御さんに話しておかないとな。……俺は、それが筋だと思ってる」


「……うん、私も。そうだよね」


 夏希はそう返しながらも、どこか落ち着かない様子でマグを両手で包み込むように握っていた。その視線は膝の上に落ち、指がわずかに震えているのが分かる。


「……澪ちゃんは、両親には、もう伝えてあるの?」


「ええ。電話だけだけど。……ちゃんと直接会いに来なさいって言われたわ」


 淡々とした言い方だが、どこか柔らかい響きがあった。


「なんていうか、ね。うちの親、迷惑をかけたと思ってるから。挨拶に行くって言ったら、“お礼を言わせてください”って」


 澪の言葉に、夏希が少し顔を上げる。


「……いいな、そういうの」


 つぶやくようなその声に、湊はそっと口を開く。


「……行こう。ちゃんと。俺たちが何をしようとしているのか、どうやって生きていこうとしているのか。それを話すだけでも、意味はあると思う」


「……うん」


 夏希の返事はかすれていたが、はっきりと頷いていた。


「……私の家はね、開業医で……昔から“いい子でいなさい”ってずっと言われてた。成績も態度も、全部完璧でいろって。そうじゃないと価値がないって思ってた」


 その声には、少しだけ自嘲のような笑みが混じっていた。


「でも……二人と一緒にいるようになって、自分が“価値あるもの”になりたくて動いてるってことに、気づいたんだ。誰かに認められるんじゃなく、自分で選んでいいって」


 夏希はそのまま、両手でマグカップを握りしめながら、湊と澪の方をまっすぐ見つめる。


「だから――行くよ。ちゃんと、自分で話す。……私の今を、届けに」


 しんとした空気の中、湊は柔らかく頷く。


「じゃあ、明日はまず澪の家。その後で、夏希の家に行こう」


「……ふふっ、なんか変な順番」


「でも、なんとなく、その方が落ち着く」


 澪がふっと笑い、夏希もつられて笑った。


 その夜は、いつもよりも少しだけ長く、そして静かに、更けていった。


 翌朝、まだ日差しの柔らかい時間帯に、三人は駅から数分の住宅街を歩いていた。


 澪の実家は、年季の入った集合住宅の一角にあった。派手さはないが、手入れが行き届いており、玄関脇には鉢植えの花がいくつも並べられている。


「ここ」


 澪が足を止め、玄関のチャイムを押す。中からすぐに足音が聞こえた。


「はーい、今開けますよー」


 出てきたのは、ショートカットで快活そうな女性だった。少し茶髪気味の髪に明るいエプロン姿。澪の母親だろう。


「まあまあまあ、来てくれたのね。……わあ、想像よりも若くて、かっこいいお兄さんだこと!」


 いきなり湊を見て、ぱあっと表情が明るくなる。


「ち、ちがう。別にそういうんじゃ」


 澪が少し頬を赤らめて否定しようとするが、母は気にする様子もなく手招きする。


「さあさあ、中へ。お茶くらい出させてちょうだい」


 三人は靴を脱ぎ、こぢんまりとしたリビングに通された。畳の香りと温かい湯気の漂う部屋。テーブルの上にはすでに茶菓子が並べられていた。


「……お世話になっております。澪さんとは、同じパーティーで活動しています、神谷湊です」


 湊が正座で丁寧に頭を下げる。夏希も続いて頭を下げると、母親は「あらあらまあまあ」と笑って手を振った。


「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。澪の“仲間”ってことでしょ? なら、もううちの子みたいなものよ」


「……お母さん、それはさすがに大げさ」


「なに言ってんの。澪の口から“同じ家で暮らす”なんて言葉が出た時には、あんた反抗期終わったのかと思って泣きそうになったんだからね?」


 母の明るい声に、夏希が少し目を見張り、湊も静かに目を細める。


 その時、奥の部屋からもうひとつ足音が近づいてきた。


「……俺も、顔くらい出しとくかと思って」


 現れたのは、無口そうな男性。澪の父親だろう。作業服姿のその人は、湊を見るなり、小さく頷いた。


「君が……湊くん?」


「はい。神谷湊です。澪さんには、日頃から本当に助けられていて」


 湊がまた頭を下げると、父親は一拍置いてから無骨に頷いた。


「……澪は、無理ばっかりするからな。頼む」


 言葉は少なかったが、澪がその背中を少し見つめたまま、目を伏せて笑う。


「……お父さん、昔からああ。お酒を出してこないだけマシ」


 ぽそっとつぶやいた澪の言葉に、夏希がくすっと笑った。


「……そういうところ、ちょっと羨ましいな」


「え?」


「……なんでもない」


 夏希はお茶をひと口含んだ。


 澪の母親は最後に、真顔で湊と夏希を見据える。


「澪のこと、どうかよろしくお願いしますね」


「はい、もちろん」


 二人がそろってそう返すと、母はほっと微笑み、そっと娘の肩に手を置いた。


「……あなたが、外で笑えるようになっただけで、私はもう充分よ」


 その言葉に、澪が何も言わず、ただ一度、うつむき加減に目を閉じた。


 言葉にしない、家族のぬくもり。


 その静かな空気の中で、三人は再び頭を下げ、次の訪問先――夏希の実家へと向かうのだった。


***


 澪の家での温かさがまだ胸に残る中、三人は都内の閑静な住宅街に足を踏み入れた。


 高級車が並ぶ広い私道の奥に、白い塀に囲まれた大きな邸宅が佇んでいる。木製の重厚な門には、控えめながらも家の格式を感じさせる表札が掛けられていた。


 夏希が、その前でぴたりと足を止めた。


「……はぁ」


 深く息を吐いても、その表情は硬い。手に握ったスマホの画面には、呼び出しのインターホンが表示されている。


 湊が、その手の上に自分の手をそっと重ねた。


「俺が押すよ」


「……ううん、自分でやる。……ここは、私の問題だから」


 決意を込めた指がインターホンを押す。しばらくして、応答の音声が返ってきた。


『はい』


「……夏希です。……少しだけ、話がしたいです」


 一拍。二拍。三拍……。


『……入りなさい』


 無機質な声の後、自動門が音もなく開いた。


 中庭を通り抜けて玄関に着くと、ドアを開けたのは、白衣姿の中年男性だった。背筋が伸び、眼鏡越しに冷静な視線を湛えている。夏希の父――開業医として知られる人物だ。


 その視線が、夏希から湊、そして澪へと移る。


「随分と、賑やかな顔ぶれだな」


「今日は……挨拶に来ました。私、神谷湊と申します。彼女たちと同じパーティーで活動していて、今後、三人で同居することになりました」


 湊は真っ直ぐに頭を下げた。夏希も続く。澪も、小さく一礼した。


 父は無言で玄関を開け放ち、リビングへと通す。広く整った室内には、無機質な静けさが漂っていた。


「……同居、ね」


 深く椅子に腰かけたまま、父は静かに言う。


「しかも男女混合。親として、喜べる要素はないな」


「それは……承知しています」


 湊の声は静かだったが、芯が通っていた。


「ですが、私たちは一緒に命を懸けて戦っています。信頼なくして成り立たない関係です。そして、生活もまた、その一部だと考えています」


 父はその言葉に、しばらく無言のまま湯呑に手を伸ばした。


「……君がどんなに立派なことを言おうと、それを私が納得できるとは限らない。――なぜなら」


 視線が、夏希に向く。


「――家を出て行ったのは、夏希の方だからだ」


 夏希は一瞬だけ視線を逸らしかけたが、すぐに顔を上げた。


「それでも、こうして戻ってきたのは……今の私を知ってほしいからです」


「“今の私”? 冒険者などという不安定な職で生きていくことが、“価値ある選択”だと?」


 静かだが、刺すような言葉だった。


 夏希の手が小さく震える。それでも、彼女は言葉を紡いだ。


「……価値があるかなんて、他人に決められることじゃない。私は、自分の意思で選んだ道を生きてる。それが、父さんにとってどんなに馬鹿げて見えても」


 それまで黙っていた澪が、ほんのわずかに表情を動かした。


 湊もまた、隣で夏希の言葉を黙って受け止めていた。そして、一歩だけ前に出る。


「僕は……夏希さんが、誰よりも仲間を思って、努力して、誠実に生きているのを、ずっと見てきました」


「誠実に……?」


「はい。彼女は僕に、信じる強さを教えてくれた人です。――だからこそ、僕は彼女と共に生きたいと思っています。信頼する仲間として、共に未来を選びたい」


 長い沈黙が流れる。


 やがて、父が静かに目を伏せ、湯呑をテーブルに戻す音が響いた。


「……まったく。私には理解できん」


 そのまま、立ち上がる。


「だが」


 玄関へ向かいながら、背を向けたままの父が続けた。


「……誰かに本気で必要とされて、誇りを持って歩いているなら。……それは、見守るに値する生き方なのかもしれない」


 夏希が目を見開く。父の背中は一度も振り返らなかった。


「……困ったら、帰ってこい。……それだけは、変わらん」


 その言葉に、夏希の視界がにじんだ。


「……ありがとう、お父さん……」


 その場にいた誰もが、それ以上の言葉を重ねなかった。


 ただ、ひとつ。途切れていた時間が、ほんの少しだけ繋がったことだけは、確かだった。


***


 日が傾きはじめた帰り道。高級住宅街の並木道を、三人は並んで歩いていた。


 沈黙は続いていたが、その空気はどこか柔らかい。緊張が解けて、ゆっくりと心が解放されていくような感覚だった。


「……おつかれさま、夏希」


 湊の何気ない一言が、夏希の胸の奥にぽんと落ちた。


「……うん」


 彼女の声はかすかに震えていた。だが、その横顔には、どこか晴れやかな強さが宿っていた。


「ありがとうね、湊くん……澪ちゃんも」


「ううん。私は特に何もしてないし」


 そう言いながらも、澪はほんの少し微笑んでいた。


 夏希は、ふと足を止めた。


「でもね……正直、すっごく怖かった。会った瞬間、“帰れ”って言われるんじゃないかって、心臓がぎゅってなるくらい」


 そう口にしながらも、目元にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「でも……湊くんが、私のことを“信じてる”って言ってくれたから、ちゃんと話せた。」


 澪が、横からそっとタオルハンカチを差し出した。


「……泣き顔、見せない方がいいよ。湊くん、こういうとき鈍感だから、“なんかホコリ入った?”とか言いかねないし」


「いや、言わねぇよ」


 即座に返す湊に、澪がふっと笑い、夏希もつられてくすっと笑った。


「……ありがと」


 駅の改札が見えてきた頃、湊がぽつりと呟く。


「なんかさ。親って、思ってたよりずっと……遠いけど、近い存在なのかもしれないな」


「それ、ちょっとわかる気がする」


 帰りの電車の中、窓の外を眺めながら、湊はぽつりと呟いた。


「……さあ、次は引っ越しだな」


 それを聞いた夏希と澪が、顔を見合わせて、そっと微笑む。


 その微笑みの奥には、新たな暮らしと、新たな関係の始まりに対する、少しの期待と少しの不安、そして確かな覚悟が宿っていた。


 電車は静かに揺れながら、彼らの未来へと進んでいく――。

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