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第37話 家探し

新幹線が東京駅のホームに滑り込む頃には、空はすっかり夜に染まっていた。


関西での任務を終えた湊たちは、心地よい疲労感を抱えながら、それぞれの荷物を手に改札を抜ける。数日間の遠征が、思った以上に自分たちにとって大きな経験だったことを、三人は無言のうちに感じ取っていた。


「……東京、戻ってきたね」


夏希がそう呟いたのは、改札を出た瞬間だった。聞き慣れた雑踏、馴染んだ喧騒。その音に、不思議な安心感があった。


「数日いただけなのに、なんか久しぶりな気がするな」


湊も思わず苦笑する。隣では澪が空を見上げていた。


「……空気が違う。関西とは、微妙に魔力の密度が違う気がする」


「魔力センサーでもついてんの?」


「感覚で分かるの。少なくとも私は」


そんなやりとりに、夏希がくすりと笑い、湊もつられて笑った。三人とも、心なしか表情が柔らかい。遠征という非日常から日常へ戻ってきたことで、ようやく緊張が解けたようだった。


ギルドに戻ったのは夜九時を過ぎてからだった。夜間のカウンターには、見慣れた顔が立っていた。


「おかえりなさい。無事に帰ってきたわね」


藤堂だ。彼女は三人の姿を確認すると、ほっとしたように笑みを浮かべた。


「関西、どうだった?」


「充実してました。学ぶことも多くて……何より、すごく刺激になったです」


湊が答えると、藤堂は軽く頷き、三人に手渡された報告書に目を通す。


「うん、依頼は完遂。連携の評価も高いみたいね。現地の《カンバス》からも高評価。特に湊くんの《リピート》の使い方がかなり褒められてるじゃない」


「えっ、そ、そうなんですか……」


湊は目を瞬かせた。褒められることには慣れていない。少し戸惑いながらも、どこか誇らしい気持ちが胸に広がった。


***


翌朝、湊たちはギルドの相談カウンターに立っていた。


冒険者の生活支援窓口に配置されているのは、いつもの藤堂とは別の職員。柔らかな物腰の男性で、丁寧な応対が印象的だった。


「なるほど。三名での同居を検討されているんですね。ランクD以上のパーティーには、同居推奨支援制度があります。物件紹介、手数料割引、初期費用の補助が適用されますよ」


藤堂から事前に聞いていたとおり、ギルドには“冒険者向け住居支援プラン”が存在していた。とくにDランク以上の冒険者には安全な生活環境の整備が重要視されており、支援の手厚さも増すという。


「できれば、ダンジョンからアクセスのいいエリアがいいです」


湊が希望を伝えると、男性職員がにこやかに頷いた。


「了解しました。駅近の3LDKタイプや、騒音対策済みの物件などもございます。お仕事の性質上、日中の帰宅や夜間の出発もあるかと存じますので、防音性や間取りの柔軟さも重視して紹介させていただきますね」


端末を操作する職員を横目に、夏希が小声で湊に尋ねる。


「ねえ、3LDKって、やっぱり一部屋ずつ……だよね?」


「……たぶん。それ以外ってどういうの?」


「い、いや、なんでもないっ!」


少し赤くなった夏希を見て、澪が目を細めた。


「私は寝室より、お風呂の広さが気になるわ」


「そこ?」


「だって、ダンジョンから戻ったあとって汗だくでしょ。快適じゃないと困る」


「……まあ、それは分かるけどさ」


数分後、候補物件のリストが提示された。どれもギルド提携の安全保証付きで、冒険者の生活を考慮した設備が整っている。


「それでは、今日の午後からいくつか内見のご案内が可能です」


職員が声をかけると、三人は互いに頷いた。


「お願いします」


***


最初に訪れたのは、ギルドから電車で二駅のエリアにある中層マンション。周囲は静かな住宅街で、駅前には商店街と大型スーパーがあるという好立地だった。


「結構綺麗だね」


「うん。まだ築五年だって。間取りは……リビング広めの3LDK、南向きで日当たり良好」


「防音仕様……って書いてある」


澪が嬉しそうに床を軽く踏み鳴らす。


「静か。たしかに外の音があんまり聞こえない」


夏希はキッチンに目を向けていた。広めの作業スペースにIHコンロ、収納も多い。


「これなら、みんなで自炊もできそう」


「えっ、自炊って……」


湊が思わず言いかけると、夏希と澪がそろってにっこりと笑った。


「当番制、決定ね?」


「うん。ちゃんと表、作ろう」


「お、おう……」


次に訪れた物件は、少し築年数は古いが広さが魅力のマンション。和室付きの4LDKで、ダンジョン帰りにくつろぐにはぴったりの雰囲気だった。


「こっちはちょっと旅館っぽいな……」


「布団敷きっぱなしで昼寝とかできそう」


「でも、収納が少ないのがネックかな」


最終的に三件を見終えたあと、三人はファミレスで軽く休憩を取りながら、それぞれの印象を話し合った。


「第一候補は、やっぱり一件目だよね」


「うん。日当たりもいいし、キッチンも充実してたし」


「私はお風呂の広さで選ぶなら断然あれ」


「決まり、か?」


湊の問いに、夏希と澪は小さく頷く。


新たな拠点の姿が、少しずつ形を取り始めていた。


帰り道の電車内、三人は互いに疲れたような顔をしていた。


物件を三件回り、細かな条件をすり合わせながら話し合ったせいか、精神的な疲労が溜まっていたのだろう。だが、その空気はどこか心地よく、三人ともぎこちなくも穏やかに笑みを浮かべていた。


「こういうのって、思ったより大変なんだな」


湊がぽつりと呟くと、夏希が小さく頷いた。


「でも、楽しかった。湊くんと澪ちゃんと一緒に暮らす未来、少しだけ想像できたから……」


「……それは、わたしも同じ」


澪も目を伏せながら呟いたが、その口元には確かに微笑が浮かんでいた。


だがその一方で、三人の胸にはそれぞれ、言葉にならない迷いも残っていた。


***


その夜、湊はひとりベッドの上で天井を見つめていた。


(本当に……一緒に住んで大丈夫なのか?)


澪も夏希も信頼できる仲間だ。冒険の中では互いに命を預けあい、何度も窮地を乗り越えてきた。


けれど、それと“生活を共にする”というのは、また違う話だ。


 男一人に、女二人。


誤解を招かない保証はないし、万が一にも、トラブルが起きてパーティー解消ということになれば──


(……しっかりしないとな)


湊は拳を握る。


今までは、戦うことだけが人生の中心だった。けれど、今は違う。


仲間がいて、生活があって、未来がある。


***


一方、夏希はシャワーを終えたあと、鏡の前でじっと自分の姿を見つめていた。


濡れた髪をタオルで拭きながら、ふと今日のことを思い出す。


湊と一緒にキッチンを見て、同じお風呂を見て、リビングでのくつろぎを想像した。


それは決して嫌じゃなかった。むしろ、どこか胸が温かくなるような、そんな感覚だった。


でも──


(湊くんは、私のことをどう思ってるんだろう)


冒険仲間?信頼する支援役?それとも──ただの女の子?


考えれば考えるほど分からなくなって、思わず頬を両手で叩いた。


「なに考えてるんだろ、私……!」


それでも、頬に残る熱は冷めない。


***


同じころ、澪は寝間着に着替えたあと、ベッドに腰掛けていた。


何もかもを計算して動くのが自分のスタイルだったはずなのに、今だけは、胸の内がざわついて落ち着かない。


湊との生活。夏希との距離。


信頼と親しみ、憧れと不安──そのすべてが胸の奥で絡まり合っていた。


(私は……ただの“斥候”で終わりたくない)


彼の隣に立ちたい。


それはいつからか、ただの戦術的な意味ではなくなっていた。


澪はベッドに身を横たえると、ぼんやりと天井を見つめた。


「……変わらなきゃ。私も」


小さな声が、静かな部屋に溶けていった。


***


そして翌朝。


再び集まった三人は、昨日見た物件についての最終確認を行った。


「やっぱり、最初のマンションが一番良かったよね」


「うん。快適だったし、安全性も高いし」


「じゃあ、今日の午後、手続きしに行こうか」


湊がそう言うと、夏希も澪も自然に頷いた。


まるで当たり前のように、三人での生活を受け入れている。


昨日までの迷いが、少しずつ輪郭を失っていく。


それぞれが、それぞれの“覚悟”を抱いていた。


午後。三人は再び不動産仲介所に赴き、第一候補の物件――駅近くの中層マンションの3LDKに申し込みを行った。


「こちらで正式に契約となります。鍵の受け渡しと諸手続きは来週の月曜に。よろしくお願いします」


手続きがすべて終わり、湊たちが仲介所の外に出たときには、空は夕方の色に染まり始めていた。


「……決まったんだね」


夏希がぽつりと呟く。その声には、どこか信じられないというような、くすぐったいような響きがあった。


「今日からじゃないのに、なんか……そわそわする」


「分かる。私も、変な感じ」


澪も珍しく笑みを浮かべながら呟く。その柔らかな表情に、湊は思わず目を向けた。


「……ありがとう。ふたりとも」


「え?」


「一緒に住むこと、嫌がるんじゃないかって、正直ちょっと不安だったから」


湊の素直な言葉に、夏希と澪は同時に目を見開き、そして慌てて否定する。


「な、なに言ってるの!そんなわけないでしょ!」


「そう。むしろ、私たちの方が……ずっと考えてた」


二人の必死な様子に、湊は思わず吹き出した。


「……そっか。なんか、ほっとした」


三人はそのまま並んで歩き出す。目指すのは、今日の疲れを癒やす夕食の店。帰り道の途中、ふと夏希が口を開いた。


「ねぇ、新居って、家具とかどうするのかな?」


「最低限は揃ってるけど、自分たちで選びたいよね」


「じゃあ、引っ越しの前に家具屋さん巡りとかする?」


「必要なら予算出すよ。ある程度余裕あるし」


「じゃあ遠慮なく。……おしゃれな照明、欲しかったんだ」


「私は本棚。湊くん、剣術書とかたくさん持ってるんでしょ?」


「……まあ、多少は」


家具の話をしているうちに、三人の表情がどんどん明るくなっていく。


未来を形にする──そんな工程が、どこか楽しい。


***


食事を終え、夜の風を感じながらギルドへ戻る道。


湊はふと、ふたりの横顔を見る。並んで歩く、信頼する仲間。


これまでは“戦いの場”だけを共有してきた。でも、これからは“生活”を共にする。


朝起きて、顔を合わせ、飯を食って、準備して、ダンジョンに潜る。


当たり前のような毎日が、どれだけ特別なものになるのか──それが、今は少しだけ楽しみだった。


「……よろしくな。ふたりとも」


その言葉に、夏希と澪が同時に振り向いて微笑む。


「うん、こちらこそ」


「楽しみにしてるわ」


その笑顔に、湊は安心して頷いた。


遠征の成果、仲間との絆、そして新しい住まい。


すべてがゆっくりと結びつき、次の冒険への助走になる。


それぞれの胸に、まだ言葉にできない小さな期待と決意が灯っていた。


新たな拠点。始まりの家。


冒険者としての生活は、ここからまた、ひとつ上のステージへと歩み始める。

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