第32話 初めての告白
湊たちがD級ダンジョンの第五層を攻略した翌日の午後。
この日はオフだったが、次からは第六層以降となり宿泊が必要になるため、湊は商業区の通りを歩いていた。
そのとき――
「ちょっとだけ付き合ってくれたっていいじゃん」
「……私、急いでますから。どいてください」
数歩先の路地の入口から、女の子の声が聞こえた。
湊が何気なく顔を向けると、二人組の男に囲まれた少女がいた。
少女は背丈の低い細身の体に弓使い用の軽装をまとっている。若い――恐らく、十代後半。
「なぁなぁ、そんなに警戒すんなって。こっちはただ、冒険の相談したいだけなんだからよ」
「本当に急いでるんです。お願いです、どいてくださ――」
「……行かせてあげたらどうですか」
低く、静かな声がその場に響いた。
男たちが振り向くと、そこには無表情のまま立つ湊の姿があった。
腰には鞘に収まった剣。姿勢に無駄がなく、ただそこにいるだけで空気が変わる。
「お、お前……神谷湊……?」
「D級だろ、こいつ……」
男たちは顔を見合わせ、舌打ちを残して足早に立ち去った。
少女はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて湊の方へ小さく頭を下げた。
「……助かりました。ありがとうございます」
「気にするな。危ない目に遭わなかったならそれでいい」
湊はそう言って歩き出そうとするが、少女が思い切って声をかけた。
「あの、すみません。もしかして……神谷さん、ですよね? 神谷湊さん」
湊は足を止め、振り返った。
「……そうだけど、俺の名前を?」
「凄く早いペースでD級まで上がった先輩がいるって少し噂になっていたので…」
湊は少しだけ表情を緩めると、改めて向き直った。
「君は?」
「あ、はい。私、羽鳥澪奈って言います。十八歳で、まだE級です。今は斥候兼支援のポジションで修行中で……」
「斥候、か。苦労するだろうな」
「はい、毎日必死です……でも、だから、さっきみたいに助けてもらえて……嬉しかったです」
ぺこりと深く頭を下げる澪奈に、湊は「気にするな」と再度返す。
だがその後、彼女がぽつりと続けた言葉に、少しだけ驚かされた。
「もし……その……時々、相談とか、させてもらってもいいですか? 私、まだまだ経験も浅くて……」
「俺にできることなら」
「っ……ありがとうございます!」
その笑顔は、どこまでも真っ直ぐだった。
彼女はこの日を境に、何度も湊のもとを訪れるようになった。
***
「それで、敵の気配が消えた時……どうするべきだったと思いますか?」
ギルドの訓練場裏手、植え込みのベンチに並んで腰掛けながら、羽鳥澪奈はノートを開いていた。
手には自作のダンジョン対策メモ。まだ走り書きだが、真剣に考えた痕跡がにじんでいる。
湊は斜めにそれをのぞき込み、無言で数秒考えたあと、指で一行をなぞった。
「この時点で撤退を選ぶなら、先に味方との合流を優先する。感知が切れたってことは、相手が遮断スキルを使ってる可能性もあるから」
「なるほど……!“気配が消えた”と“敵が消えた”は別物、ってことですよね」
「ああ」
頷きながら、羽鳥はきゅっとペンを走らせた。
湊はその様子をちらと見る。数日ほど前から、彼女はこうして時折相談に来るようになった。
最初は警戒していた湊も、彼女の質問が実に的確で、一切の無駄がなく、かつ真摯だと気づいてからは、自然に応じるようになっていた。
「……神谷さんって、誰かにちゃんと教わったことってあるんですか?」
「剣術は、少しだけ。あとは全部、自分で試して覚えた」
「すごい……。私、ギルド講習でノートぎっしり書いてるのに、ぜんぜん実戦に活かせなくて」
「紙の上だけで完結させようとするな。動いて、失敗して、覚えればいい」
「……はい。そう言ってもらえると、気が楽になります」
にこりと笑う羽鳥の横顔に、湊は軽く目をそらした。
言葉も表情も、決して押しつけがましくない。
だが、そのひたむきさは、確かに心に残る。
***
その数日後。
ギルドのロビーで、夏希と澪が並んで報告書をまとめていると、受付の陰で誰かと話している湊の姿が見えた。
「あれ……またあの子?」
「……うん、最近よく見る。あの子、たしかE級の……」
「斥候の子だよね。……けっこう、仲良さそうじゃない?」
夏希の声がどこか曇っていた。
澪もわずかに目を細め、湊と澪奈の様子を見ていた。
笑顔で話す澪奈。
淡々と答える湊。
だが、傍目には――湊がまるで、女の子と自然に会話しているように見える。
(あんな表情……私たちといるときには、あまり見せない気がする)
そう思ったとき、胸の奥がきゅっと小さく締めつけられるような感覚が走った。
「……ま、まぁ、後輩って感じだよね。湊くん、意外と面倒見いいんだね……」
「……そう、だね」
ふたりは互いに無理やり納得した風を装ったが、視線はもう一度だけ、湊と羽鳥の方へ向けられた。
その場には言葉にならない、わずかなざわめきだけが残った。
***
夕方、ギルド裏の訓練場はひと気がなく、風が枯葉をさらさらと巻き上げていた。
その一角に、湊は立っていた。今日の訓練を終え、着替えも済ませ、今まさに帰ろうとするところだった。
そこへ、駆け足の気配とともに少女の声が届いた。
「神谷さんっ!」
振り返ると、羽鳥澪奈が小さく息を切らしながら駆け寄ってきた。
「……あの、ちょっとだけ……お話、聞いてもらってもいいですか?」
湊は頷き、訓練場の縁にある木陰までふたりで移動する。
いつもの相談かと思っていた。しかし、羽鳥の様子はどこか違っていた。
視線が定まらない。手が落ち着かず、胸元を握ったり開いたりしている。
その緊張が、空気を通して伝わってくる。
「……どうした?」
促すように訊ねると、羽鳥は深呼吸をひとつし、真っ直ぐ湊を見つめた。
「……私、神谷さんのことが好きです」
湊の表情が、微かに固まった。
「初めて会ったとき、助けてもらったこともですけど……それ以上に、神谷さんがいろんな人に対して、ちゃんと真剣で、誠実で、いつも静かに手を差し伸べてるの、見てて気づきました」
「……」
「それって、すごいことです。私、そういう人に、ちゃんと惹かれてしまいました。
だから……私と、少しずつでもいいので、距離を縮めてもらえませんか?」
言い切った羽鳥は、まっすぐ湊の目を見つめたまま、ぴたりと動きを止めた。
その姿は震えていたが、同時に、逃げることも拒むこともしていなかった。
湊は、静かにその視線を受け止めた。
数秒――いや、もっと長く感じたかもしれない。
その時。
少し離れた場所で、誰かが木の陰にひそんでいた。
訓練後に忘れ物を取りに戻った夏希と澪。
偶然通りかかり、思わず立ち止まってしまったふたりの視線の先には――告白されている湊と、それに真剣に向き合う羽鳥の姿。
「……っ」
夏希が口元を押さえ、息を呑んだ。
「湊……告白、されてる……?」
澪は眉をわずかに寄せ、真剣な表情でふたりのやりとりを見つめていた。
二人とも、声をかけることもできず、ただその場に立ち尽くしていた。
湊がどう答えるのか。
それを、自分がどう受け止めるのか。
答えを知るのが怖くて、目を逸らすこともできなかった。
***
羽鳥澪奈の告白を受けた湊は、短く息を飲んだ。
「……」
言葉が出なかった。
今まで誰かに告白されたことなどなかった。
そもそも、女性と“異性”として向き合った経験が、ほとんどない。
淡々と接することはできる。戦うことも、守ることもできる。
けれど“好き”や“恋”といった感情が、自分の生き方の中で重みを持ったことは、一度もなかった。
「……俺は」
湊はようやく口を開いた。
声は小さく、けれど真剣だった。
「俺は……今、冒険のことで精一杯で。仲間を守ることとか、前に進むことで頭がいっぱいで……」
「……」
「だから、“付き合う”とか、そういうことは……考えられない。考えたことがない。
どう返事をすればいいのかも……正直、わからない」
視線を落とし、唇を噛みながら、湊は言った。
「でも、君の気持ちを軽く扱うようなことはしたくない。それだけは、本当だ」
沈黙。
それを破ったのは、羽鳥の穏やかな声だった。
「――正直に答えていただけて、嬉しいです」
湊が顔を上げると、彼女はほっとしたように微笑んでいた。
拒絶されたはずなのに、なぜかその顔にはまるで満足したような安堵が宿っていた。
「じゃあ、神谷さん」
「……ん?」
「いま、特定の誰かを――好きだったり、気になってる人って……いますか?」
訓練場の陰。
木々の向こう、そっと様子をうかがっていた夏希と澪の肩が、ぴくりと動いた。
ふたりの耳が、これまで以上に言葉を求めて研ぎ澄まされていく。
湊は目を瞬かせた。
そして、わずかに考えてから、ゆっくりと首を横に振る。
「……今は、いない」
――羽鳥はにっこりと満開の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、まだ私の入る余地はありますね!」
「……え?」
「これから、どんどんアピールします。神谷さんには異性として私を見てもらえるように頑張りますから! 覚悟しててくださいね!」
あっけらかんと、けれどまっすぐに宣言して、彼女はその場から駆け出していった。
風が残した残響のように、彼女の声だけがしばらくその場に漂っていた。
湊は、その場に取り残されたまま、ぽつりと呟いた。
「……どうすればいいんだ、こういうの」
***
数メートル離れた木陰にて。
「っ……ま、まだ、誰もいないって……」
「……アピールって、何……どうする気……?」
夏希と澪の表情には、はっきりと焦りが滲んでいた。
今まで“何となく近くにいる関係”で満足していたはずの距離感が、崩される音がした。
***
翌日。
ギルドのロビーは、朝の報告と依頼選定でいつもより混み合っていた。
そんな中、湊は掲示板の前で夏希と澪に声をかける。
「おはよう。今日の依頼、午前から行けそうだ」
「うん。準備なら――」
「……その前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ふたりが目を向けると、湊は珍しく少しだけ困った顔をしていた。
「昨日、ギルド裏で……羽鳥って子に、告白されて」
「……!」
「断ったけど、『アピールするから異性として見てください』って言われて……その、どう対応すればいいのか……女の人の意見が、聞きたくて」
その瞬間――
「ストップ、ストーーップ!!」
藤堂の声が、受付カウンター越しに飛んできた。
「それをその場で言う!? 今ここで!? 女の子ふたりに、“異性として見ていい?”って話、普通ふる!? 地雷すぎて逆に清々しいわ!」
「えっ……?」
突然の乱入に湊が困惑する横で、夏希と澪の顔が凍りついていた。
「だ、だいじょうぶ、湊くん。わ、私たちは……」
「気にしてないから。ええ、全然……」
どこかひきつった笑顔のまま、ふたりはほぼ同時に言い、そして無言で目をそらした。
「――あーはいはい、はいはい、こっち来て神谷くん、受付裏にお話部屋あるから。ね? 強制連行だから」
藤堂は湊の腕をがしっと掴み、まるで不発弾を抱えるように引きずっていった。
異性として見られていれば到底されるはずのない質問を受け、その場に残された夏希と澪は、互いにちらりと目を見合わせて、そして――
(ちょっとマズいかも)
(早く何か、動かないと……)
言葉にはならない焦りだけが、二人の胸に強く、静かに火を灯していた。




