第31話 D級ダンジョン第五層
秋の風がほんのり冷たくなり始めた早朝。
ギルドの前に立つ湊は、深く呼吸を吸い込み、視線を空へと向けた。
「さて……今日から、また本格的にいくか」
隣には、髪を後ろで結んだ夏希と、いつも通り無表情な澪が立っている。
合同訓練を終えてから数日、湊たちは再びD級ダンジョンの探索を再開することに決めていた。
その日、目標に掲げたのは“五層の踏破”。六層以降は複雑な地形と敵の性質上、宿泊を伴う長期探索になるとされており、まずは日帰りでの限界確認も兼ねた挑戦だった。
ギルドの受付には、すでに朝の対応に入っていた藤堂の姿があった。
「おはようございます。今日はD級ダンジョンですか?」
「はい。五層まで踏破を目指して行ってきます」
湊が答えると、藤堂は小さく目を細めて頷いた。
「なるほど。合同訓練の成果を見せていただけるわけですね。……随分と、顔つきが変わったように思いますよ」
「そうですか?」
湊が苦笑を浮かべると、藤堂は冗談めかして続けた。
「“初心者”って書いてあった頃よりは、ずっと“中堅”の顔ですよ。ふふっ、いい意味で、ね」
そのやりとりを聞きながら、夏希と澪も微笑む。こうして3人は、軽い挨拶を済ませてからダンジョンへと向かった。
D級ダンジョンへの道は、すでに何度も通った馴染み深い道のり。
しかし、今日はいつもより空気が違って感じられる。
それは、成長した今だからこそ感じる“期待”と“緊張”の入り混じった感覚だった。
「五層か。装備の点検は済んでるよな?」
「うん。支援用の魔具、再調整済み。バフも初動から2割短縮できるはず」
「斥候ルートも地図に印つけてきた。途中の迂回ルートと遮蔽ポイントも確認済み」
「よし、行こう」
それぞれが確認し、頷き合う。
***
ダンジョンの空気は、地上の秋の涼しさとは無縁の、じっとりとした湿気を帯びていた。
それでも3人は、その環境にもう動じることはない。精神的にも、確実に“慣れ”が積み上がっていた。
第一層から第三層までは、まるで身体が覚えているように動けた。
湊は出発前に剣の素振りを二十五回反復しておいた。その蓄積がある分、戦闘開始時から斬撃のキレと速度が段違いだ。
「右から二体、後衛に向かってくる!」
澪の声に、湊が反射的に踏み込み、一体の腹を横一文字に裂いた。
二体目は夏希の設置した結界に引っかかり、動きが鈍ったところを澪のナイフが喉元に突き刺さる。
「よし、進もう」
「前よりずっとスムーズだね……」
夏希が驚いたように呟いた。
以前の第二層では、一戦ごとに体力を消耗していた。それが今では、会話する余裕さえある。
澪も小さく頷き、「このままなら、四層までは問題ない」と冷静に評価する。
実際、四層の中盤までは、ほとんど危なげなく進めた。
湊の《リピート》は、事前蓄積を活かして高効率の剣撃を発揮。
夏希のバフ魔法も、タイミングと展開が早くなっており、澪の移動支援と合わさってパーティーの回転力が大きく向上していた。
だが、油断していたわけではない。
第四層の終盤、小型の魔物が分裂して襲いかかってきたとき、湊の反応が一瞬遅れた。
「っ……!」
飛び出した魔物の爪が、湊の頬をかすめる。
その直前、澪の小太刀が間に入り、かろうじて致命傷は防がれた。
「……すまん」
「軽傷なら問題ない。」
感情を抑えた声だが、澪の目にはわずかな緊張が浮かんでいた。
夏希もすぐに回復魔法をかけ、湊の傷はすぐにふさがった。
「……大したことない怪我だったから良かったけど、あと一歩遅れてたら……」
その言葉に、湊は小さく息を吐く。
「慢心しかけてたな。前より余裕があるって思ってたけど……一瞬の隙は、命取りになる」
成長したとはいえ、D級ダンジョンの中層はまだまだ油断できない。
だからこそ、3人は改めて気を引き締め、次の層へと歩を進めた。
***
第五層の扉をくぐった瞬間、3人の表情が同時に引き締まった。
ここから先は、地形が複雑になり、敵の強さも段違いになると事前に聞かされていた。事実、目の前に広がる空間は、これまでの層とは異なる雰囲気を放っていた。
湿った岩壁には苔が生え、見通しの悪い霧が足元を包む。足音すら吸い込まれていくような静寂が支配していた。
「澪、先行して偵察を」
「了解。敵の気配はまだ薄いけど……何かが潜んでる」
「……油断しないで進もう」
湊の指示で隊列を整え、慎重に進行する。
最初に遭遇したのは、鎧のような殻をまとった甲虫型の魔物だった。
「硬い! 湊、急所を狙って!」
澪の叫びに呼応し、湊は足を止め、すかさず構えを変えた。
剣が風を裂く音とともに、連撃が正確に甲虫の首元を貫いた。
一、二、三──最後の一撃で甲虫の身体が軋み、床に崩れ落ちる。
「……倒した」
しかし、気を緩める暇はなかった。
少し進みやや奥まった場所に踏み入れた瞬間、四体の魔物が待ち構えていた。今度は俊敏さを武器にした猿のような魔物たち。
動きは速く、連携して攻撃してくる厄介な相手だった。
「包囲される……澪、右側を任せる!」
「了解!」
澪が影のように動き、一体を引き付ける。夏希はバフの準備に入る。
湊は正面からの三体を相手に、間合いを詰めて斬り込んだ。
《リピート》によって強化された剣閃が一体を両断するも、残り二体が背後を狙う。
その瞬間、澪が投げた小型爆弾が視界を遮り、湊は体を反転させてもう一体の脚を切り落とす。
夏希の癒糸で最後の一体の動きを封じ、湊が止めを刺してようやく戦闘が終了した。
「……今の、けっこうギリギリだったな」
「うん。身体強化がなかったら、間に合わなかったかもね……」
湊が息を整えながら呟くと、夏希も苦笑を浮かべた。
戦闘の度に実感する──ここは、もう“初級向け”ではない。
奥に進めば進むほど、対応を誤れば命を落としかねない難所になる。
だが、その厳しさこそが、今の彼らには心地よかった。
「あと少しでボスのはずだ。慎重に行こう」
湊の言葉に、2人も頷く。
これまでなら“挑戦”だった第五層のボス戦。
今の3人には、それが“乗り越えるべき壁”として、しっかりと目に映っていた。
***
第五層のボス部屋は、これまでの階層とは明らかに空気が違っていた。重たい静寂。ひんやりと湿った空気が、肌を撫でるように忍び寄る。
「来る」
湊の声に、夏希と澪が小さく頷く。
現れたのは、巨大な甲殻獣──鋼殻のキラーマンティス。
硬質の外殻に覆われた体を左右に揺らし、低い唸り声を上げながら突進してくる。
「澪、右から牽制! 夏希、バフ展開急いでくれ!」
「任せて!」
「了解」
湊は剣を構え、突進してくる巨体に正面から斬撃を放つ。
だが──。
「……硬い!」
《リピート》による斬撃が甲殻に浅く食い込むだけで、致命打にはならない。
その隙に尻尾が振り抜かれ、湊は横へ飛んで回避するが、壁に激突して体勢を崩す。
「湊くん!」
夏希が叫び、すぐに回復魔法を展開。
一方、澪は敵の死角を突いて脚部に短剣を投げ、動きを止めようとするも、軽く跳ね返される。
「くっ、耐久もスピードもある……」
「でも、崩れないわけじゃない!」
湊は立ち上がり、再度構え直す。
一度弾き飛ばされたことでリピートはリセットされたが、すぐさま攻撃を繰り返し、《リピート》の反復回数はすでに10回を超えていた。蓄積された動きは剣の軌道をさらに研ぎ澄ませる。
「ここで、突破する!」
一瞬の沈黙──そして、疾風のような踏み込み。
湊の斬撃が、甲殻の接合部を正確に捉え、貫通する。
咆哮とともに、キラーマンティスの動きが鈍る。
その隙を逃さず、夏希がバフを重ね、澪が跳躍して喉元に斬撃を叩き込む。
断末魔の声を上げ、巨大な魔物が崩れ落ちた。
「……やった、ね」
「ふう……疲れた」
夏希が汗をぬぐい、澪も疲れたように肩で息をする。
湊もまた、剣を下ろし、地面に手をついて深く息を吐いた。
3人はその場で簡単に装備を点検したあと、五層の攻略を記録し、地上へと帰還した。
***
ギルドに戻ると、藤堂が出迎えた。
「おかえりなさい。……その顔は、やり遂げた顔ですね?」
「なんとか、五層を踏破しました」
湊の答えに、藤堂は微笑んだ。
「では今日から、あなたたちの基準は“五層まで行ける人”になりますね」
言葉に誇張はない。
パーティーとしての信頼、個々の実力、そして経験。
そのすべてを積み上げて、ようやく踏破できた階層だった。
換金を終えてギルドを後にした3人は、夕暮れの街を歩いていた。
「五層攻略か……思ってたよりは手応えあったね」
「けど、もう少しで崩れてたかもしれない」
「そうだな。ギリギリだった。……けど、だからこそ感じた。今の俺たちは、もう“初級冒険者”じゃない」
湊の言葉に、夏希と澪は小さく頷いた。
その瞳には、次なる階層への覚悟が、確かに宿っていた。




