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第3話 チーム編成

冒険者講習の二日目は、朝から冷たい雨が降っていた。


都心を包む薄暗い雲の下、JDAの高層ビルは変わらず威容を保っていた。湊は傘を差さず、フード付きのジャケットのフードを被ったまま足早にビルの玄関をくぐる。


「おはよう、湊くん」


ロビーに入ると、ちょうど受付前にいた夏希が声をかけてきた。白いレインコートを羽織り、髪の毛にはまだ雨粒が残っている。少しだけ微笑んでいるその表情は、昨日よりも少しだけ親しみがこもっているように見えた。


「おはよう、夏希」


湊も簡潔に挨拶を返す。昨日の講習を通じて、彼女との距離はわずかに縮まった。そこに特別な感情があるわけではない。ただ、淡く静かな信頼のようなものが、互いの間に流れていた。


今日の講習は、午前が筆記と戦術座学、午後は簡易訓練フィールドでの戦術演習。教官の鹿島は初日よりもさらに厳しい表情で講義を進め、冗談のひとつも挟まなかった。


湊は隣の席に座る夏希と適度に会話を交わしながらも、ノートに集中していた。講義の内容は実戦を想定した判断力、戦況の把握、仲間との連携方法。いずれも、実際にダンジョンへ入る前に絶対に必要な知識だ。


「“敵性反応が確認された際は、単独行動を避け、必ず視界を共有しつつ情報を持ち寄れ”──この原則が守れない者は、すぐに死ぬ。スキルがあっても、死ぬ。いいな、これは誇張でもなんでもない」


鹿島教官の低い声が教室に響く。


「スキルは万能ではない。状況判断を誤れば、それだけで詰む。お前たちに最も必要なのは、協調と観察だ」


湊は何度もうなずきながらメモを取った。


(協調と観察──なるほど)


一人で黙々と積み上げてきた湊にとって、それはあまり得意な分野ではない。だが、講義を通して確実に気づき始めていた。


──自分ひとりでは、限界がある。


座学が終わり、昼休み。昨日と同じように夏希とギルドカフェで食事を取りながら、湊はふと切り出した。


「……そろそろ、実際にダンジョンに入るタイミングだよな」


夏希はスプーンの手を止めて、静かに頷く。


「うん。講習の最後の日に、実地試験があるって聞いた。F級ダンジョンで、最低限の探索行動を体験するらしいよ」


「そうか……」


湊は考える。


《リピート》という地味すぎるスキル。だが、剣術Lv4の技術で、最低限の戦闘はカバーできるはずだ。それでも、やはり“誰かと一緒に行く”という安心感は捨てがたい。


「もし……」


言いかけて、湊は口を閉じる。自分から声をかけるのは、どうにも性に合わない。


だが──そのとき。


「ねえ、湊くん」


先に声をかけてきたのは、夏希だった。


「よかったら、実地試験のとき、一緒に組まない?」


湊は一瞬、言葉を失った。


「え、俺と?」


「うん。まだ誰とも話してないし、せっかくだから、湊くんと行けたら安心かなって思って」


静かな笑顔。それは作られたものではなく、ごく自然な感情の流れだった。


湊は答えるのに数秒かかったが、やがて、ゆっくりと頷いた。


「……ああ。わかった」


「やった。じゃあ、よろしくね」


互いに微笑み合ったその瞬間。


――だが、隣のテーブルに座っていた男が、その様子をじっと見ていたことに、まだ湊は気づいていなかった。


***


午後の戦術訓練が始まると、講習生たちは4人1組の小隊に分けられ、簡易ダンジョン模擬区画へと移動した。


この“模擬区画”は、実際の迷宮構造を模した施設で、薄暗く、狭い通路や開けた部屋、簡易的に再現された罠や敵役のスタッフまでが配置されている。リアルな訓練の場としては、充分すぎるほどの緊張感がある。


「敵役は訓練スタッフが担当。実戦ではないが、本気でかかってこい。スキルの使用も許可する」


鹿島教官がそう通達すると、各班はそれぞれ順番に模擬ダンジョンへと送り出されていった。


湊と夏希は、他の二人の講習生と一緒に第六班に編成されたが、実質的には湊が前衛、夏希が後衛という明確な役割があった。他の二人はどこか緊張していて、行動にはややぎこちなさが目立つ。


「じゃあ、私が後ろからサポートするね」


「わかった。前は任せてくれ」


簡易迷宮に入ると、すぐに通路の角から“敵”が飛び出してきた。全身を黒布で覆った男性スタッフが、棒状の訓練武器を手に突っ込んでくる。


だが──湊は一歩も引かず、その動きを冷静に見切っていた。


「……浅い」


右脚を引き、重心を斜めにずらす。相手の突きを紙一重で避けながら、逆側から鋭く模擬ソードを振り抜いた。


“カン”という音が響き、相手の武器が弾かれる。


そのままもう一手。間合いを詰め、手首を叩いて武器を落とさせると、肩口に刃を添えた。


「撃破判定、前衛勝利」


スタッフの声と同時に、敵役はその場を離脱。部隊内の通信クリスタルが光り、次のセクションへの移動を指示してきた。


夏希は背後から小さく拍手を送った。


「湊くん、すごい……全然無駄がない」


「いや、これは型の通りに動いただけ。スキルじゃなくて、ただの練習の積み重ねだよ」


「それができるのがすごいんだよ」


その言葉に、湊はわずかに苦笑する。


彼の中では、訓練では《リピート》というスキルがほとんど役立っていないという意識があった。今の戦いは、剣術スキルLv4の基礎力だけで成立していた。


模擬訓練は全体で約30分。湊たちの班は大きなトラブルもなく、危なげなくクリアして戻ってきた。講師たちからも「安定していた」という評価をもらい、訓練は解散となった。


更衣室で着替えを済ませたあと、湊は夏希とロビーで再集合する。


「明日も、こんな感じだといいね」


「まあ、本番はダンジョンだからな。罠やモンスターも本当に出てくる」


湊がそう返すと、夏希は少し表情を曇らせた。


「……やっぱり、ちょっと怖いよ。いざとなったら、うまくスキル使えるか分からないし……誰かを傷つけたらどうしようって、思っちゃう」


湊は言葉を探したが、適切な励ましが見つからない。


そのときだった。


「おーい、遠野さーん!」


背後から、騒がしい声が響いた。振り向くと、そこには浅倉──昨日、湊に軽口を叩いてきたチャラついた男が立っていた。


派手なジャケット、首元のネックレス、そして無意味にでかい模擬大剣。相変わらず目立つ。


「あ、えっと……こんにちは」


夏希は曖昧に笑ったが、湊は無言のまま様子を見る。


「最終日、実地訓練だろ?一緒に組まないかって誘おうと思ってさ」


「え……あの……」


「俺、マジで強スキル持ってるんだよ。筋力補正系。前衛は任せて。遠野さんって支援系だよね?遠野さんみたいな支援系と組むと、かなり相性いいと思うんだよね~」


この調子。このテンション。この自信。


だが、夏希は明確に首を横に振った。


「すみません、もう組む人、決めてるので……」


「あー、そうなの。……もしかして、相手……コイツ?」


浅倉が湊を顎で指した。


湊は何も言わない。ただ、無表情で視線を返した。


「マジで?地味スキル代表と組むの?」


「……湊くん、強いよ」


その言葉は、まるで反射のように出た。そういった後、夏希は少し俯いたが、浅倉はふんと鼻を鳴らす。


「……ま、いっか。後悔しても知らないからな」


そう吐き捨てて去っていく背中を、湊はしばらく見つめていた。


「ごめん、なんか……」


夏希がぽつりと謝る。


「別に。俺がどう思われてるかなんて、どうでもいいよ」


***


講習四日目。


JDA本部の大講堂には、講習生たちの緊張が漂っていた。明日が最終日。いよいよF級ダンジョンへの実地訓練が始まる。


「本日午前の講義終了後、パーティー編成を提出してもらう。未編成者はランダムで割り振る。なるべく自分に合う構成で挑みたいなら、今のうちに動いておけ」


鹿島教官がそう通達すると、ざわざわとした空気が教室全体に広がった。


「……緊張してきたね」


休憩時間、夏希が不安そうに笑いながら言う。


「まあ、準備だけはしておこう。装備の確認は忘れないようにしよう。支援系は回復アイテムも多めに持った方がいい」


湊は端末を開きながら淡々と答える。


(地味スキル扱いされようと、やれることをやるだけだ)


それが湊の、初めての“戦場”に向かう覚悟だった。


その後、夏希と一緒に提出用紙を出しに行くと、別の提出窓口で浅倉の姿が見えた。別の支援系の女子と組むようで、口調こそ軽いが、どこか焦りがにじんでいるようにも見える。


(あれだけ大口叩いてたのに、案外夏希が本命だったのか)


湊は冷めた目でそれを見送った。


午後は実地訓練前の最終確認が行われた。


「都内F級ダンジョン“調布第七迷宮”。難易度低、敵性モンスターは基本ゴブリン種。三層構造で、今回は一層のみ探索すれば任務完了とする。探索中は適宜、我々が監視オーブで安全確認を行う」


湊たちが向かうダンジョンは、冒険者としての登竜門。いわば“試される場”だ。


講習終了後、湊は夏希と並んでギルドホールのロビーに出た。


「明日、何か忘れそうで怖いなぁ……」


「俺がチェックリストを作るよ。あとで共有しておくから、念のため確認しておいて」


「えっ……助かる。さすがだね、湊くん」


そんなやり取りの最中、背後から再び聞き慣れた声がかけられた。


「よう。明日、楽しみだな?」


浅倉だった。笑ってはいたが、その笑みの裏には何かしらの棘が見える。


「お前ら、正式に組んだんだってな?……地味な方が足引っ張らないといいな」


湊は相手にせず、夏希も軽く会釈して済ませた。


だが、浅倉はそこで終わらなかった。


「ま、俺のパーティーは明日中に二層突破して帰ってくる予定だけどな」


「そうか」


湊は短く返す。一層の探索が完了すれば任務達成なんだがと思ったが、それ以上の言葉は必要なかった。


彼が本当に意識していたのは、浅倉ではない。


──自分自身だった。


地味なスキル。剣術という下地。積み重ね。


《リピート》が、いつか役に立つと証明するために。


「じゃ、俺は先に帰るわ。せいぜい死なないようにしろよ」


浅倉が去っていくのを見送り、夏希がそっとため息を吐いた。


「……明日、大丈夫かな」


「大丈夫。夏希と組めてる限りはな」


湊はそう呟くように答えた。


「そういえば」


ふと湊が思い出したように続けた。


「明日一緒に探索するなら、お互いのスキルぐらいは知っておいた方がいいか?詳細までは言わなくても、何ができるかぐらいは」


「たしかにそうだね。私のユニークスキルは《癒糸》っていって、訓練で見たかもしれないけど、糸を出してそこから回復とか補助をかけるの。回復と補助は、《ヒール》と《ブースト》っていうコモンスキルだよ」


夏希はあっさりと説明する。


「俺のユニークスキルは《反復》で、同じ行動を繰り返すと効果が上がる。まあ、どこかの誰かが言ってたように、地味ではあるな。コモンスキルは《剣術》で、こっちは多少頼りにしてくれてもいいとは思う」


「私は完全に後衛職向きだから、十分頼もしいよ」


そんな会話をしながら、お互い帰路についた。


***


翌朝、まだ夜が明けきらない時刻。


湊はすでにギルド指定の送迎バス乗り場に到着していた。都心の喧騒はまだ始まっておらず、吐く息が白く、空気はひどく静かだった。


身につけているのは、講習生に貸与された軽装の防具。胸部と脛に簡易プレートが取り付けられており、武器は自身で選んだ模造刀――竹刀の延長のような形状をした模擬用の剣だ。


何度も繰り返した剣術の型を頭の中でなぞる。落ち着いた動き。呼吸。握力と手首の角度。脳と筋肉の接続を改めて調整するように、ゆっくりと身体を馴染ませていった。


そこへ、白い上着を羽織った夏希が駆けてくる。


「おはよう、湊くん!」


「おはよう」


夏希も、同様に訓練用の装備に身を包んでいた。彼女の腰には小さなポーチがいくつも取り付けられており、その中にはポーションや支援用の道具が詰められている。


「緊張してる?」


「まあ、多少は。でも、昨日まででできる準備は済ませた」


「うん、そうだね。……頑張ろう」


夏希の笑顔はやや緊張しているが、それでも前を向いていた。


しばらくして、講習生たちがバスに乗り込み始める。湊と夏希も乗車し、席に着いた。やがて出発の時刻となり、バスは静かに都内を離れ、調布方面へと向かって走り出す。


車窓から眺める風景は、次第に都会のビル群から郊外の緑へと変わっていった。


「ねえ、湊くん」


車内で夏希がぽつりと呟く。


「浅倉くんが絡んでくるのって、湊くんが私と組んだからだよね。昨日も、あんな風に言われちゃってごめんね」


「その前からあいつは絡んできてたよ。別に気にしてない」


「私、最初は、誰と組んだらいいかすごく悩んでたけど、湊くんでよかったって思ってるよ」


不器用な感謝の言葉に、湊は少しだけ目を見開いた。


「そっか。……なら、無事に帰ってきてそれを証明しないとな」


「うん、絶対に」


その誓いを交わすように、二人は握手も言葉も交わさず、静かに頷き合った。


バスが停まり、目的地に到着したのは午前七時。


そこには、林に囲まれた旧工業地帯の跡地を利用した施設が広がっていた。JDAの臨時支部が設置されており、その奥には、厚い鉄扉で封鎖された“迷宮”の入口が口を開けている。


それが、“調布第七迷宮”――F級ダンジョン。


初級向けとはいえ、そこは本物のダンジョンだった。湊たちを含む複数の小隊がここで実地訓練を行う。


受付を済ませ、防具を確認し、モンスターとの遭遇を想定した準備を整える。


「湊くん、装備、調整できてる?」


「問題ない。夏希も、ヒールの魔力消費、チェックよろしく」


「うん、いつでもいける」


それぞれの確認を終えた後、最後の簡易ブリーフィングが行われ、訓練開始の号令がかかる。


一組ずつ順番にダンジョンへ入っていく。湊たちは第五番目。前のチームが入ってから約十五分後、受付の職員が告げた。


「神谷湊、遠野夏希、出発許可」


その言葉に、湊は剣の柄に手を添えた。


「行くか」


「うん」


二人は鉄扉を抜け、ダンジョンの中へと足を踏み入れた。


空気が変わる。温度が下がり、湿った土と岩の匂いが鼻をつく。天井の魔光石がうっすらと通路を照らし、前方には薄暗い広間が続いていた。


「湊くん、気をつけて。ゴブリン、出るよ」


「了解。背中は任せた」


二人の足音が、静かに迷宮の中に消えていく。


これが──湊と夏希、二人にとっての“最初の冒険”の始まりだった。

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