第28話 成長のきっかけ
「――はっ!」
鋭い気合と共に、湊の剣が空気を裂く。
金属質の皮膚を持つ変異リザードが、腹部から血を噴き上げて後退した。だが倒れない。
すかさず澪が背後に回り、短剣で関節を正確に突き、ようやく魔物は呻き声を上げて崩れ落ちた。
「一体、撃破。次、右側の通路にもう二体。中型の骨格」
「澪、感知範囲に残りは?」
「無し。こいつらが最後」
敵を斃した三人は、互いに頷き合いながらも、すぐには動かなかった。
肩で息をする湊の全身が重い。右腕の力が抜けそうになる。
夏希の癒糸が腕に絡まり、ほんのりと回復の温もりが流れ込む。
「癒糸、あと一本で限界……ギリギリ間に合ったね」
「回復ありがとう。澪、怪我は?」
「かすり傷。問題ない。でも――ちょっと遅れたら刺し損ねてた」
澪の言葉には、自分への苛立ちが込められていた。
反応速度も、奇襲の軌道も、以前と変わらないはずなのに、今日は全体的にズレていた。
ここはD級ランクのダンジョンの中でも特に攻略が進んでいるが、難易度の高い区域だ。
中でもここ第四層は、通過儀礼のように多くの冒険者を退けてきた。
変異リザードはE級個体の上位互換。毒のある鱗を持ち、鎧の上からでも筋肉にダメージを与える衝撃を放つ。
澪でさえ完全に避けるのが難しくなっていた。
「……これで、第四層、踏破完了、だな」
湊が扉の前で腰を落とす。
三人とも汗だくだ。息は荒く、脚には鉛が絡みついているようだ。
「五層、行く?」
「……無理」
夏希の即答に、澪も小さく首を振る。
「次の一撃をもらったら、たぶん、回復が間に合わない。相手が単独じゃなかったら、崩れる」
「俺も、今日はもう前には出られないな」
自分の中で、確かにスキルは成長していた。
剣術も、《反復》も、以前よりは確実に手応えがある。
さらに、身体強化スキルも新たに得た。
だが、それでも“越えられない壁”が確かに存在した。
第四層の敵は、もはや“読み”だけでは対応できない。
数秒の油断が即死に直結する緊張の中で、三人はようやく踏破まで辿り着いたのだ。
湊は剣を納めると、手首の震えを見下ろした。
攻撃のたびに、感覚が鈍くなる。手応えがあるのに、結果が出ない。
あと一歩で倒しきれない――その“わずかな差”が、戦いの全体像を濁らせていた。
「……引き返そう。ここが今の限界だ」
三人は頷き、第四層踏破の証として記録をする。
その後、来た道を慎重に戻った。
***
ギルド支部に戻ったときには、夕陽が地平線に沈みかけていた。
「報告書、書いとく」
「素材は私と澪ちゃんで持っていくよ。……湊くん、右肩、少し擦れてるから」
「……悪い」
ギルドの一角、記録室で一人、湊は報告書の端末を操作しながら思考を巡らせていた。
“これ以上先に進むには、何が必要か”
装備の更新か、スキルの強化か。
それとも――自分たち自身の在り方か。
画面の入力欄に「第四層踏破」の文字を打ち込みながら、
湊は静かに確信していた。
(俺たちは今、“壁の前”にいる)
***
翌日。湊たちは新たな装備を買いに来ていた。
「この剣、持ってみてもいいですか?」
湊が訊ねると、店員の女性は笑顔で頷いた。
「もちろん。こちらへどうぞ」
装備専門店。
ギルド御用達の鍛冶工房と提携しており、品質・価格ともに信頼できる店だ。
D級以上の冒険者に向けた装備のラインナップも豊富で、時折“掘り出し物”が出ることでも有名だった。
湊の目に留まったのは、刃渡り80センチの片刃剣。
やや先端に重心が寄った作りで、斬撃に特化した形状。刃文には魔力伝導を助ける銀紋が走っている。
「《黒鋼斬》というシリーズです。耐久性とバランスの良さが売りで、反復動作系のスキルとは特に相性が良いですよ」
店員の説明を聞きながら、湊は剣を握った。
重すぎず、軽すぎず。重心の位置が剣筋のイメージと一致していた。
(振れる……いや、“振り続けられる”剣だ)
自然と肩の力が抜ける。手首のスナップも利きそうだ。
連続斬撃――《リピート》との相性を考えれば、確かに理にかなっている。
「悪くない。これにします」
「ありがとうございます!」
***
その頃、夏希は別の棚で支援装備を吟味していた。
「この魔具、癒糸の発動速度を上げられるって本当ですか?」
「はい。《魔導転輪》は魔力の流れを均等に保つ効果があります。特に“展開系の支援”には効果的ですよ」
店員に説明を受けながら、夏希は迷いなく手に取った。
癒糸は“定点支援”として優れているが、展開速度が遅いという弱点もあった。
たった0.2秒の差で味方が致命傷を負うこともある。それを防ぐ可能性があるなら、試す価値はあった。
「これ、お願いします」
「ありがとうございます」
支援は届いている。回復も間に合っている。
けれど、敵の火力がそれを上回っている。
だからこそ、もっと――もっと早く、もっと深く、味方を守れなければいけない。
(今のままじゃ、追いつけない)
***
澪は、店の奥に並ぶ防具コーナーで、特製の隠密マントを手に取っていた。
薄灰色の布地に、微細な光を反射する魔法繊維。
動くと、まるで空気に溶け込むように輪郭がぼやける。
「《消音布マント》です。遮断符が仕込まれていて、足音や衣擦れの音を抑えることができます」
「防御力は?」
「最低限。あくまで“気配の遮断”に特化した設計です」
澪は軽く頷き、そのまま試着用のスペースへ向かった。
鏡に映る自分を見ながら、思う。
(私は、“消える”ために動いてる。でも――それだけで、本当に戦えてるのか?)
最近は、奇襲しても相手に読まれることが増えてきた。
動線が単調で、位置取りが予測されている。
斥候の役目は、ただ刺すことじゃない。
味方にとって“死角を削る存在”であり、連携の礎であるべきだ。
(もっと、仲間を見て動かないと。私はまだ、独りで動きすぎてる)
購入を決めた澪がカウンターに戻ると、湊と夏希も同時にレジに並んでいた。
互いに笑顔で装備を見せ合いながら、三人は言葉にしない“共通の焦り”を胸に抱いていた。
どれも必要なものだ。
装備は確かに強くなっている。
けれど――“装備だけじゃ届かない場所”が、確かにある気がした。
(準備は整っている。それでも、越えられない壁がある)
湊は、購入した剣を背に背負いながら、そっと視線を空へ向けた。
***
「うわ……この席、空いててよかった……!」
簡易食堂の片隅、ギルドに併設された食堂は夕方になると混雑のピークを迎える。
食事の時間を外してやってきた湊たちだったが、それでも人は多く、三人席を見つけたときには夏希が小さく歓声を上げた。
「今日は、スープじゃなくて煮込み料理だね」
「肉、増量みたいだな、ラッキーだ」
湊が冗談交じりに言うと、夏希と澪も小さく笑った。
トレイを運び、席に腰を下ろす。
テーブルには、牛肉と根菜のトマト煮込み、雑穀パン、サラダ、ミネラルスープ――いつもより少しだけ豪華な献立だ。
三人は食事を口に運びながら、しばらく黙っていた。
喋らなくても、居心地は悪くない。
けれど、どこか――“話すべき何か”があるような空気が漂っていた。
「……あのさ」
ぽつりと、夏希が切り出した。
「私、最近ちょっと焦ってるんだ」
湊と澪が顔を上げる。
「癒糸の精度も上がったし、支援の反応速度も鍛えた。でも……なんだろ。回復が間に合ってるはずなのに、“追いついてない”って思うことがあるの」
「わかるよ」
澪が頷いた。
「奇襲しても、動きが読まれることが増えた。私の動き、単調なのかも。前より、“通じてない”って思う」
「……俺もそうだ」
湊がパンをちぎりながら言う。
「斬っても、敵が止まらない。《リピート》で強化しても、威力が届かない感じがある。剣が通ってるのに、“削り切れない”」
誰も責めていない。
誰も怠けていない。
それでも、努力しても結果が伴わないという感覚。
それが三人の胸を重くしていた。
「私たち、成長はしてる。装備も、技術も、意識も。でも、それで“勝てる相手”がいなくなってきてるんだと思う」
夏希が、スプーンを止めながら静かに言った。
「“何かを変えないと”って、思ってる。でも、何を変えればいいのかが分からない。今のやり方で通じなくなってるなら、どこを壊すべきなのか……」
「変えすぎても崩れる。変えなきゃ進めない。でも、変え方を間違えると、もっと深く沈む」
澪の言葉に、湊は深く息をついた。
「俺さ、最近、戦ってる時に“怖い”って思うことが増えた」
「……湊くんが?」
「うん。どれだけ繰り返しても、何度も修正しても、敵が強くなっていくのが分かるから。
一撃で落とせなきゃ、反撃される。全員が全力でも、ぎりぎりの勝負。
……こんなんじゃ、五層なんて無理だ」
沈黙が落ちた。
店内のざわめきが、かえって静寂を際立たせる。
「“きっかけ”が欲しいなって思う。劇的に何かを変えてくれるような、一発で意識をひっくり返すような、そういうもの」
湊の呟きに、夏希が小さく笑う。
「無茶言わないの。そんな都合のいいもの……って、言いたいけど、私もずっと思ってる。“きっかけ”さえあればって」
「そういうのって、いつも予想してない時に来るよね。理屈じゃなくて、感覚が切り替わる時」
「それが、明日か、来月か、来年かは分からないけど」
三人はしばらく食事を続けた。
特別なことは言っていない。
ただ、本音を出し合っただけ。
けれど、そこには確かな繋がりがあった。
「……とりあえず、明日も行く?」
「行こう。五層は無理でも、四層までなら訓練にはなる」
「じゃあ、今日の煮込みが美味しかった記念に、がんばろう」
笑いが零れ、ようやく食堂の空気が柔らかくなった。
何かが変わる保証はない。
けれど、変わらなければいけないという覚悟だけは、三人の中に芽生えつつあった。
***
翌日、朝のギルドはいつも通りの喧騒に包まれていた。
受付前には依頼情報を確認する冒険者たちが並び、奥の素材換金カウンターでは複数の鑑定師が忙しなく対応に追われている。
その様子を眺めながら、湊は報告端末に簡単な任務報告を打ち込んでいた。
「お疲れさまです、神谷さん」
声をかけてきたのは、ギルド受付の藤堂だった。
今日もきっちりと制服を整え、手には数枚の資料を抱えている。
「神谷さんたち、今週は第四層まで連続踏破してますね。お見事です」
「……まだ、五層は遠いですけど」
湊が小さく苦笑すると、藤堂は軽く首を傾げて一歩前に出た。
「実は、ちょうど案内を始めようと思ってた企画がありまして。
“停滞してる優秀な中級冒険者”にこそ、案内したい内容なんです」
「……停滞してる」
「褒め言葉です」
そう言って差し出されたのは、一枚の案内書類だった。
『関東圏D級冒険者 合同訓練会』
開催日:来週末(2日間)
会場:秋留野訓練演習場(東京郊外)
内容:模擬戦形式の実戦訓練、混成チームによる戦術演習、個別講評・外部教官指導 ほか
参加資格:D級以上、推薦対象者優先
特記事項:一定の評価を受けた者にはC級以上からのスカウト機会あり
「推薦対象……ってことは、俺たち、これに入ってるってことですか?」
「もちろんです。連続踏破記録、報告の精度、そして模擬戦での映像記録。ギルド本部側からの評価もありますから」
湊は目を通しながら、いくつかの言葉に目を留めた。
――“混成演習”、“外部教官”、“戦術指導”。
どれも、今の三人にとって、必要な刺激だった。
「参加費用は?」
「基本無料です。現地までの移動は自己負担ですが、必要であれば交通支援も可能ですよ」
藤堂は笑みを崩さず、湊の視線を静かに受け止めていた。
「神谷さんたちは、“順当に強くなっている”数少ない例です。でも、“順当な強さ”って、ある地点で必ず頭打ちになるんです。
だからこそ、他の空気を吸って、他のやり方を知って、自分たちを再定義してほしいと思っています」
“再定義”――その言葉が、湊の胸に残った。
昨日の夜、夏希が言った「何かを変えなきゃいけないけど、分からない」という言葉。
澪が感じていた「通じなくなってきた」という違和感。
そして自分自身が覚えていた、斬撃が“届かない”という恐怖。
この訓練が、そのすべてに答えを出してくれるとは限らない。
けれど、少なくとも――“何かを変える場所”ではある。
「参加します。……二人にも、これから話します」
「承知しました。では三人分、仮予約を入れておきますね」
藤堂が微笑み、資料をきれいに束ね直す。
「ちなみに……この訓練会、毎年ひとりは“ぐっと伸びる”冒険者が現れるんですよ」
湊は苦笑しながらその場を離れ、ギルドの談話スペースへと歩いた。
***
「……合同訓練?」
「うん。ギルドからの推薦付き。模擬戦形式で、他チームとの混成訓練もあるらしい」
湊が資料をテーブルに広げると、夏希と澪がそれぞれ食い入るように読み始めた。
「外部教官って、実戦経験者だよね。元C級の人とか、現役の冒険者も来るのかな」
「チームシャッフルか……斥候枠が必要になるなら、私も動けるはず。逆に、普段の連携に頼らずに済むし」
二人の目が、確かに変わった。
昨日まで感じていた“閉塞感”に、ようやく裂け目が入った気がした。
「ここを越えれば、何か見える気がする」
湊の言葉に、二人も頷いた。
「準備しよう。しっかり、万全に」
「全力で、“変わる”準備を」
三人の視線が交わり、風が一陣、窓から吹き込んできた。
それは、何かが動き始めた合図だった。




