第26話 D級ダンジョン
D級冒険者に昇格してから数日――
湊たちは、初めてのD級ダンジョン探索に向かっていた。
東京郊外に存在する、政府公認のD級ダンジョン。
全十層構成で、踏破実績はすでに数百件を超えるが、それでも死亡・行方不明者の記録が途絶えたことはない。
「D級からは、ダンジョンが“生活”になるんですよ」
そう言ったのは、ギルド受付の藤堂だった。
湊たち三人を訓練室裏のブリーフィングルームに呼び寄せ、壁に設置されたホログラム地図を指し示す。
「まず、今回神谷さんたちが潜るダンジョンは全十層。各層の入口に“転送装置”が設置されていて、一度たどり着いた階層までなら直接ワープできます。
ただし、自前で簡易転送陣を用意しない限り、帰り道には使えません。その場合、帰還は徒歩のみ。……つまり、進めば進むほど“帰り”が地獄になります」
澪が無言で頷き、夏希が小さく眉を寄せた。
「簡易転送陣は高いしな。六層より深部へ行くなら、野営か拠点泊が必要になる、と。今回は最初だし三層踏破、四層に“入った”という記録だけ残して撤退が目標かな?」
「うん。戦力も物資も、まだそのくらいが限界だと思う」
湊の提案に、二人も同意する。
E級とは世界が違う。慎重に進めるべきだ。
***
その夜、湊は寮の自室で剣の柄を磨いていた。
《リピート》Lv2――反復による上昇効果は、仲間にまで及ぶようになったが、上限は25%。
即効性のある“火力”ではない。剣術も現状はLv4のまま。
初見の敵や新たな環境では、油断ひとつが命取りだ。
「……剣は斬れなきゃ意味がない」
そう呟いて、研ぎ終えた刃を鞘に納める。
***
翌朝八時。
ダンジョン入口。
「……怖くはないけど、緊張はするね」
「緊張してる方が正解だ」
湊の短い返事に、夏希が笑って小さくうなずいた。
――第一層。
そこは、湿り気と苔に満ちた、鈍色の世界だった。
「行こう。……ここからが、本当の冒険だ」
湊の声に、ふたりが無言で頷いた。
E級の頃とは違う。
この世界では、誰も彼らを“新人”や“初級冒険者”とは呼ばない。
岩壁の奥へと、三人は静かに歩みを進めていた。
足元には不規則な水たまり、壁面には赤茶けた鉱石。
所々に配置された魔石灯が、ぼんやりと青白く揺れている。
「感知。正面、二十メートル。数……五。壁の影」
澪が低く告げると、湊は剣の柄に手を添えた。
「行くぞ。一体ずつ引き剥がして叩く」
三人が広がる。前衛の湊、中衛に夏希、後衛の澪。フォーメーションはE級時代と同じ――だが、敵の質は違う。
ガァッ! ガルルッ!
唸りと共に現れたのは、異形の群れ――鉄牙ゴブリン。
かつてのE級ゴブリンとはまるで違う。
筋肉質な腕、鋭く尖った爪、牙。獣じみた獰猛さを宿した目が湊を捉える。
一体が吠え、駆けた。瞬間、湊が前に出る。
「ふッ――!」
剣を逆手に握り、低く跳ねる。
ゴブリンの爪が目前を裂き、刃が斜めに切り込んだ。
硬い。だが、斬れる。
《リピート》の感覚が働く。軌道の再現、重心の置きどころ、剣筋――すべてが整っていた。
「湊くん、右からもう一体!」
夏希の叫び。援護の《癒糸》が展開され、敵の脚へ絡みつく。
澪がその背後から滑るように踏み込み、喉元に短剣を突き立てた。
しかし――
「ギッ……ガァァッ!」
致命傷には届かない。反転して澪に爪が迫る。
「澪ッ!」
湊がすかさず前へ出て、剣で軌道を逸らす。
勢いで吹き飛ばされそうになるも、踏み止まり、逆に脇腹へ蹴りを叩き込む。
「このッ……!」
肉を裂く音と共に、三人が一体ずつ確実に潰していく。
《リピート》の補正がようやく乗ってきたのは、二体目を倒したあたりだった。
三体目、四体目、連携が徐々に噛み合う。
湊の動きに合わせて夏希が支援を入れ、澪の暗殺軌道が“補助ではなく主力”として機能し始める。
残り一体を仕留めた頃には、三人とも息を荒くしながらも、立っていた。
「……今ので、もう疲れた……」
「まだ第一層だぞ。気を引き締めよう」
「わかってる……でも……強いね、敵」
誰も油断していない。心も折れていなかった。
***
第二層――
苔の代わりに、ぬめる地面と淡い熱気が充満している。
澪が足音を殺して進み、再び敵影を捉えた。
「前方……単体。リザード。大型。舌が長いタイプ、毒性の可能性あり」
湊は剣を抜き、呼吸を整える。
現れたのはリザード。
全長2メートル超、腹から尻尾にかけて分厚い鱗と粘液。舌がうねり、口元には黒い泡。
「俺が牽制する」
湊が前へ。剣を地面に滑らせるように構え、走る。
「ギャルルッ!」
咆哮。湊の突きに合わせて舌が走る。
だが、湊は読み切っていた。
「せいっ……!」
刃が鱗の隙間を裂いた。毒液が飛ぶが、跳ね退けた。
澪が背後から足元を切り裂き、夏希の支援が瞬時に全員へ展開。
削り合い――それでも、E級とは違う。
削られる覚悟が必要な敵だった。
十五分の戦闘の末、ようやく撃破。
「……これが、D級」
誰もが理解した。
生半可な技術や連携では通用しない。
一体一体が、命を奪いにくる。
それでも、湊たちは前を向いていた。
「あと一層。三層を踏破して、四層の入り口まで――行こう」
湊の声に、ふたりは頷いた。
第三層――
天井が高く、中央に巨大な石柱が立ち並ぶ構造。
自然洞窟というよりは、何かの“意図”を感じさせる不自然な造形だった。
「気配……一体、特異種。反応が重い」
澪が囁く。
湊は剣を構え、指で合図を送ると、三人が静かに広間の中に踏み込んだ。
数歩進んだ、そのとき。
「グォォォ……!」
石柱の裏から姿を現したのは、二足歩行の亜人――トロル。
全身を粘土質の金属で覆い、腕には棍棒のような骨塊。身長は湊の倍近くあった。
「……まずい、奴はおそらく中ボスクラスだ。気を抜くな!」
湊の声と同時に、トロルが吠え、突撃してくる。
床を砕く一撃が、湊を狙う。
彼は滑るように回避し、剣を振るったが――
「硬っ……!」
金属質の外殻が攻撃を弾く。
《リピート》による補正で最適な角度を探るも、通じない。
「ブースト!」
夏希が支援を全体にかける。
動きが速くなり、澪が背後へ滑り込む――
「隙、見えた――!」
短剣が関節の隙間に突き刺さる。が、ダメージは浅い。
トロルの棍棒が背後へ回転し、澪が吹き飛ばされた。
「澪ッ!」
湊が飛び出す。
身体強化を使い、夏希のブーストと併せて強化された斬撃を連続で叩き込み、後退させる。
(一度、二度……同じ反応を見た)
「そこだ――!」
剣が、トロルの股関節の隙間に突き刺さる。悲鳴と共によろめいた。
夏希の《癒糸》が澪の身体を回収しながら、回復を流し込む。
「大丈夫、骨は折れてない! 湊くん、今のうちに――!」
「ああ!」
湊が渾身の突きを叩き込む。
弱点が一瞬だけ露出し、そこを連続で突き刺す。
――グォォオオッ!
トロルが吠え、ようやく崩れ落ちた。
***
全員が息を荒くしながら、その場に座り込んだ。
「……倒した。けど、こんなのが普通に出てくるの……?」
「もう魔力を半分近く消費してる……」
「上手く隙間を付けたからよかったが、俺の剣術じゃ、あいつの装甲を貫けない。……致命打が遠い」
三人とも、自分の限界をはっきりと認識していた。
***
三層を突破し、ようやくたどり着いた第四層の入口。
封印扉を開いた瞬間、濃密な魔力が空気を押し返してくる。
「これは……明らかに違う。殺気が“滞留”してる」
澪の警告に、湊はすぐ判断を下す。
「今日は、ここまでだ。入って記録だけ残す。撤退だ」
三人が扉を一歩だけ越え、すぐに引き返す。
帰り道の足取りは重かったが、気持ちは前を向いていた。
***
入口付近の休憩所。
「これから先、絶対もっと強い敵が来る。スキルの使い方も、装備も、根本から見直さないと」
「支援の範囲と瞬発力……あと、継戦能力。私はもう一段階上に行かないと」
「奇襲が読まれる。敵の知性も上がってる」
誰も悲観していなかった。
“届かない”のではなく、“届くかもしれない”と気づいたからだ。
「……ギルドに戻ったら、素材を換金して、計画を立てよう。次は、準備してからだ」
「うん」
彼らは、確かに成長していた。
ギルドの精算窓口に戻ったのは、午後も遅くなった時間だった。
湊たちは、回収した素材類を一つ一つ丁寧に提出し、椅子に腰かけて結果を待っていた。
カウンターの向こうでは、鑑定士が三人が持ち帰った品を手際よく仕分けている。
「ふぅ……さすがに、今日は疲れたね」
「夏希がいなきゃ、何回か崩れてた。ありがとな」
「ううん、湊くんも澪ちゃんもちゃんと支えてくれてたし……」
三人が、ほんの少しの緩みを共有していた、そのとき。
「お待たせしました! 神谷湊様、遠野夏希様、久城澪様、本日の換金結果です」
渡された袋は――厚かった。
金額にして20万円はありそうだ。
「っ……え、これ……本当に?」
「ええ、第三層までの素材のみですが、D級のモンスターは素材価値も高いですから。
ゴブリン系の強化個体、リザード系、そして……トロル。中ボスクラスの個体の骨素材は高値です」
三人は袋を覗き込み、顔を見合わせた。
「……今日一日で、こんなに……?」
「E級の時の三倍……いや、四倍近い?」
「……中級。中級って、こういうことか」
目の前にあるのは、確かに現実だった。
高い壁。痛み。疲労。怖さ。
それでも、努力が実るということが、ここにはあった。
***
ギルドを出た三人は、しばらく沈黙のまま歩いていた。
やがて、夏希がぽつりと口を開く。
「……今日くらい、ちょっと贅沢しない?」
「贅沢?」
「焼肉、食べたい」
即答したのは澪だった。
「え、私もそれ言おうと思ってた!」
湊が思わず笑う。二人もつられて笑った。
戦って、稼いで、少しだけ贅沢をして、また明日を迎える。
きっと、そんな毎日を繰り返していく。
今はまだ、強くなる途中。
でも確かに、彼らの歩幅は、前に向かって揃っていた。
暮れかけた夕日が、三人の影を長く伸ばしていた。




