第25話 生活拠点
ギルド本部の認定室。冷たい金属のプレートに刻まれた「D-Rank」の文字を見つめながら、神谷湊は小さく息をついた。
「おめでとうございます、神谷湊さん、遠野夏希さん、久城澪さん。正式にD級、すなわち中級冒険者としての登録が完了しました」
ギルド職員――肩まで伸ばした赤髪が印象的な受付嬢、藤堂がにこやかにそう言った。
机上には、3人の新たな冒険者カードが並べられている。FやEの文字があった場所には、深緑のDの文字が光っていた。
「では、待遇の変更についてご説明しますね」
彼女の言葉に、湊たちは背筋を正す。
「まず、報告義務が緩和されます。任務のたびに逐一報告する必要はなく、週ごとの活動報告に切り替わります。ただし、重大事件や他ランクとの協働の際は例外です」
続けて、藤堂は資料を一枚ずつめくっていく。
「次に一定の監視の解除。これまでのように行動履歴を自動的に記録する機能は無効化されます。つまり、あなた方の行動は、自己責任で管理するということですね」
「……自由になる、ってことか」
思わず漏らした湊の声に、藤堂は頷いた。
「ええ、信頼に足る冒険者として認められたということです。もちろん、それに伴って報酬額も増加し、ギルドと提携する装備店での割引も適用されます。割引率は10〜20%程度ですが、積み重ねれば大きいですよ」
「それはありがたいね……」
夏希が素直に笑みを浮かべ、澪も無言ながら小さく頷く。
最後に、藤堂はひときわ厚い書類を持ち上げた。
「そして、D級からは“ランク可変制”が適用されます。あなた方は今後、活動評価によってC級へ昇格する可能性がある一方で、不適切な行動があれば降格もあり得ます」
「つまり、実力主義ってことか」
湊の確認に、藤堂は微笑を返す。
「ええ。自由と責任はセットですからね。……以上が中級冒険者としての基本待遇です。何かご質問は?」
湊たちは顔を見合わせ、小さく首を横に振った。
「……特にありません。ありがとうございます」
「では最後に一つ、ご提案を」
そう言って、藤堂は机の下から別の書類を差し出した。
「D級以上の冒険者になると、生活の拠点をパーティー単位で統一される方も増えてきます。特に、長期的に活動を共にする場合、情報共有や連携面でもメリットがありますから」
藤堂はそう言いながら、一枚の物件リストを広げた。広めのアパートやシェアハウス形式の住居、さらには家具付きの貸家まで、いくつかの候補が記載されている。
「もちろん強制ではありません。ただ、ギルドとしては、中級以上の方々に安定した生活基盤を持ってもらうのも重要だと考えています。もしご希望があれば、内見の手配などすぐに対応できますよ」
「……同居?」
藤堂の言葉が終わるか終わらないかのうちに、室内の空気が微妙に揺れた。
ビクリ、と反応したのは夏希だった。澪も一瞬目を見開き、湊に視線を向けてからすぐ逸らす。二人の頬が、わずかに朱に染まっている。
「な、なによその提案……急に、そんな……」
夏希は顔を伏せて小声で呟き、手元の書類を見つめるふりをしている。澪は澪で、「べ、別に……住めなくはないけど……」と聞こえるか聞こえないかの声で言いながら、耳まで真っ赤になっていた。
(……いや、待て。これはさすがに気まずい)
湊は内心で頭を抱える。もちろん、合理的な提案だというのは分かっていた。けれど、男女三人での同居となると話は別だ。自分は男だ、という一点がやたら重く感じられる。
(……俺が一人別に住んだ方がいいか?でも、それも逆に変な空気になるかもしれないし……)
「……神谷さん?」
藤堂が、何か言いかけて黙っていた湊を見て首を傾げる。
「ああ、いや……その、少し考えさせてください」
「もちろんです。ただ、希望がある場合は早めに言っていただければ、人気物件を押さえることも可能です。よろしければ、資料だけでも持ち帰ってください」
湊が無言で頷くと、藤堂は柔らかく笑い、物件リストをまとめて封筒に入れて手渡した。
「では、今日のところは以上となります。D級昇格、おめでとうございます。次の依頼も、期待していますよ」
礼を述べて退出しようとする湊たちに、藤堂は冗談めかした声で付け加えた。
「それと、どんな物件を選ばれるにせよ……騒音には気をつけてくださいね。パーティー内でのトラブルは、案外近隣からの苦情で発覚しますので」
その言葉に、夏希と澪の肩がぴくりと跳ねた。湊は振り返りかけて、やめる。見なくても、二人がどんな顔をしているかは想像がついた。
(……絶対、まともな話にならない予感しかしない)
***
ギルドを出た瞬間、晴天の下で少しだけ重苦しかった空気が、何とも言えない緊張感を帯びたものに変わった。
無言のまま歩き出した3人は、まるで示し合わせたように足を商業区の方へ向けていた。次の探索のための装備確認と、最低限の補充。それは自然な流れのはずだった――が。
「……あ、あのさ。さっきの話だけど」
沈黙に耐えきれなくなったように、夏希が不意に口を開いた。声が少しだけ上ずっている。
「え、うん。どの話?」
「その……えっと、同居とか、そういうの……」
湊は思わず目を逸らした。さっきからずっと考えていたのだ。自分は別に構わない。いや、正確にはありがたいくらいだ。生活費を分担できるし、夏希や澪と過ごす時間が増えれば、それだけ連携も深まるだろう。だが――
(……彼女たちにとってはどうなんだ?さすがに気まずいだろ。俺みたいなのと一緒に住むなんて)
内心ではそう考えていたが、口にするのは難しかった。
その横で、夏希の脳内は軽く暴走気味だった。
(い、いっしょに住む……毎日顔合わせて、朝「おはよう」って言って、夜は「おやすみ」って……え、やば……でも、恥ずかしい……でも、うれしい……いや、でもでもでも……!)
横顔が見る見るうちに赤くなっていく。
一方で澪も、どこか居心地悪そうに黙っていた。
(生活の拠点を共有、ね……家事は任せてって言えばいいか……いや、でも、そもそも共同生活ってどういう距離感で……?風呂とか、寝室とか……いやいや、考えすぎ……っ)
足取りは乱れていないのに、目線だけが妙に泳いでいる。
湊が何かを察したように口を開いた。
「……俺が、別の場所に住むって選択もあるよな。無理に一緒じゃなくても」
その言葉に、澪がぴくっと反応し、夏希が慌てて言った。
「そ、そんなの、別に……いや、強制じゃないけど、でも……なんか湊くんが遠慮してるみたいで……」
「……別に湊がイヤなわけじゃないし」
珍しく口を挟んだ澪の声が少しだけ尖っていた。だが、すぐにそれが自分の本心に近すぎたことに気づいたのか、彼女は視線を逸らして小声で付け足す。
「……まあ、ちょっとは考えさせてってだけ。D級ってのが、実際どんな生活なのか。どれくらい稼げるのか、それ次第で変わることもあるだろ。まずは、様子を見てから考えよう」
静かに、けれど確かに、言葉が落ち着いて降りていく。しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは夏希だった。
「……うん、それがいいと思う。私も、まだちょっと実感わかないし」
「……別に、反対なわけじゃないから」
湊は二人の様子に安堵したように微笑んだ。決めなければならない時が来たら、その時にまた話せばいい。
***
翌日。朝の空気は澄んでいて、少し肌寒い風が季節の変わり目を感じさせていた。
通りにはすでに多くの冒険者たちが行き交い、ダンジョンに向かう者、装備を点検する者、ただただギルド前の掲示板を眺めている者など、さまざまだった。
そのなかを、二人の少女がやや早足で歩いていた。湊の姿は、そこにはない。
「……本当に今日で良かったのかな」
夏希がぽつりと呟くと、隣を歩いていた澪がちらりと視線を向けた。
「湊がいない日を狙うって言い出したの、夏希でしょ」
「う、うん……でも、なんかこう……妙に緊張してきたというか……」
「今さらやめるなんて言わないでよね。私だって気持ち固めて来たんだから」
澪の声は少し強かったが、口調の割に耳が赤い。その様子に、夏希はわずかに頬を緩める。
目的地は、冒険者ギルドだ。
昨日、D級昇格の報告と同時に提示された「同居提案」。形式的なもので、強制ではない。だが、同じ家に住む――それは、冒険者にとってはチームワークを高める現実的な選択肢であると同時に、思春期の少女たちにとっては非常にデリケートな話題でもある。
だからこそ、今、湊がいないタイミングでこっそり相談に来たのだ。
ギルドの自動扉が静かに開き、温かみのある内装の中へと二人は足を踏み入れる。受付カウンターでは――赤髪の受付嬢、藤堂が仕事の手を止め、にこりと微笑んだ。
「いらっしゃい。あら、今日はおふたりだけ?」
夏希と澪が顔を見合わせ、軽く頷く。
「……あの、昨日のことなんですけど」
「やっぱり気になったのね、“同居”の件」
澪の言葉が終わるよりも先に、藤堂は少し意地悪そうな笑みを浮かべて、すかさず返した。
「べ、別に“やっぱり”とかじゃないですけど……!」
「……言い方がいやらしい」
夏希が焦り、澪が冷めた声を出す。だが、藤堂は構わず続ける。
「まあまあ。気になるのは当たり前でしょ?若い男女が一つ屋根の下、なんて状況、考えない方が不自然ってものよ」
「考えてないって言ってないでしょ……!」
「湊くんがいないうちにってタイミングも、なかなか可愛げがあっていいわね。さ、こちらへどうぞ」
そう言って、藤堂はカウンターの一角から中へ二人を招いた。普段なら案内されない、ギルド職員用の小談話スペース。低めのテーブルとソファがあり、壁には地図や物件資料がファイリングされている。
「本気で検討してる人には、こちらで詳しく説明するのが決まりなのよ。ふたりには特別ね」
「……えっと、まだ“本気”ってわけじゃ……」
「それで?彼と一緒に住むとなると、どんな条件が希望かしら? 広さ?部屋数?」
「パーティーで同居する場合のモデルケースもあるわよ。家事分担とか、共有スペースのルールとかね」
淡々と説明する藤堂に、二人はたじたじだった。
しかし、否応なしに“現実感”が湧いてくる――一緒に起きて、一緒に食事をして、夜にはおやすみを言って眠る生活。
それは、夏希にとっては夢のようで、澪にとっては戦場のようだった。
「で、具体的にどのあたりを希望してるの?」
「い、いや……その、資料だけでももらえたらなって思って……!」
「……私も、それでいい」
藤堂はからかいの笑みを浮かべたまま、すっと一枚のフォルダーを差し出した。
「これ、湊くんには内緒にしておくわ。でも、急かすわけじゃないけど、人気物件はすぐ埋まるのよねぇ。決めるなら、お早めに」
「うう……そういう言い方、やめてください……」
夏希が項垂れ、澪は小さくため息をついた。
だが、ふたりとも――完全に引くつもりはなかった。
むしろ、どこかで期待している自分に気づいている。
湊と暮らす未来は、まだ“可能性”の形をしていた。
「……で?実際のところ、どう思ってるの?」
資料を渡して一息ついた藤堂が、ソファ越しにふたりへ視線を送った。
「どう、って……?」
夏希が曖昧に笑ってごまかそうとする。澪は無言のままだが、そわそわと指先をいじる癖が出ていた。
「ここには正直に言っていいわよ。湊くんには報告しないって誓ってあげるから」
そう言われて、ふたりは再び視線を交わす。
先に口を開いたのは夏希だった。
「……一緒に住めるのは、嬉しいと思う。でも、あからさまだと……恥ずかしいし、意識されちゃったら困るというか……」
「なるほど、好意がバレるのは避けたいってことね」
「そ、そういう言い方されると……余計恥ずかしい……」
夏希はうつむいて頬を染めた。
続けて、澪がぼそっとつぶやく。
「……私は、別に嫌じゃない。むしろ、ありがたいって思ってる。でも……私の気持ちが先に伝わったら、立場的に不利になる気がして」
「不利って……」
「戦略の話」
言葉こそ淡々としていたが、澪の耳の先は赤い。
一緒に住むこと自体に乗り気なのは、澪も同じだった。
「……ふふ。やっぱり、あの子は罪ねぇ」
そう言って藤堂は立ち上がり、壁際の棚からさらに分厚い物件リストを取り出してきた。
「ちなみにこれは、D級以上のペアや少人数パーティーに人気の部屋。防音も完備で、プライベートも確保されてる優良物件よ。内装もきれいでね、夜景も悪くないらしいわよ?」
夏希が顔を上げて、無言で受け取る。
澪も、「……見とくだけ見とく」と言って、もう一冊のファイルを手に取った。
そのまましばらく、ふたりは黙って資料を眺めていた。
声にしないまま、生活のイメージを膨らませていく。
やがて、「ありがとうございました」と夏希が小さく礼を言い、澪も無言で立ち上がった。
「何かあったら、いつでも相談に来ていいわよ。……恋も、暮らしもね」
藤堂の言葉に、ふたりは同時に顔を赤らめながら、足早に談話室を後にした。




