第23話 E級ダンジョン踏破
調布第五迷宮は、E級ダンジョンの中では比較的難易度の高い部類に入る中規模迷宮である。
自然石で構成された薄暗い通路は湿度が高く、地面には苔と泥が混ざり合い、足音が微かに吸い込まれていく。《ヴァルグラン》との決闘から約二週間、湊たち三人は、このダンジョンの最下層を目指していた。
「第四層、北側ルートはほとんど踏破済み。次は東ルートを潰していく」
澪が小さく呟くように言い、手元の簡易マップに印をつけた。彼女の索敵スキル《気配探知》《気配遮断》は、敵の存在を事前に察知し、なおかつ自分たちの気配を隠すことで、不意打ちと回避を両立させていた。
「敵の数も減ってきてるし、そろそろ最終層が近いんじゃないかな」
夏希が周囲を見渡しながら言った。白い癒糸が腕に巻きついているのは、戦闘準備のサインだった。
「フロア構成的には、この先に下り階段があってもおかしくない」
湊も慎重に前方を伺う。壁面の光苔が僅かに強まっており、微妙な気配の変化を感じ取っていた。
ここまでの探索は順調だった。三人はすでにE級ダンジョンに何度も挑んでおり、連携の精度も格段に上がっている。湊の剣術は言わずもがな、夏希の支援は的確で、澪の索敵は罠や奇襲のリスクをほぼゼロにしていた。
「このまま最下層まで一気に行けそうだね」
夏希が少し嬉しそうに言う。
「油断しないように。最下層に入る前には、一度体勢を整える」
湊の声は淡々としていたが、表情は以前より柔らかくなっていた。彼にとって、仲間との信頼が確かなものになっている証でもある。
しばらく進むと、澪が手を上げて停止の合図を出した。
「階段……ある。気配は薄いけど、警戒して」
囁くような声。三人は背後を確認しながら、慎重にその先へと進んだ。
そこにあったのは、岩の階段が下へと続く細い通路だった。段差には苔がびっしりと張り付き、足を滑らせればそのまま落ちてしまいそうな不安定さだった。
「……行こうか」
湊の一言で、三人は隊列を組んで階段を下り始めた。
最下層――第五層に到達した瞬間、空気が明らかに変わった。気温がわずかに上昇し、空間全体がどこか粘つくような重さを帯びていた。濃密な魔力が漂っている証拠だった。
「ここが……最下層」
夏希が小さく呟く。
「敵の気配は……まだ奥。でも、数は少なくない」
澪が目を細めて前方を見つめていた。
「最終層は広いからな。中ボスが複数いるパターンもある。気を引き締めよう」
湊の声に、二人は同時に頷いた。
剣の柄を握る手に力が入る。夏希は癒糸を再度確認し、澪は腰の短剣を手元に引き寄せた。
***
最下層を進む三人の足取りは、以前よりも確かなものになっていた。迷いのない歩調。互いを信じた距離感。そして、効率を重んじる動き。
「この先、左へ。そこから時計回りに行けば、たぶん死角は少ない」
澪の静かな声に、湊は頷いて剣を引き締める。澪の提案するルートは、ギルドが公表している公式マップとは若干異なっていたが、実際に潜ってみると“通れる”箇所が確かに存在し、敵の出現率も低い。
「このダンジョン、構造が少しずれてきてる……けど、音の反響で通路が繋がってるか判断できる」
感知スキルを活用した索敵。澪の《気配感知》は距離・方向・遮蔽物越しの動きまで捉える、極めて高度な探索能力を有していた。
「それにしても……慣れてきたね、私たち」
夏希が微笑みながら後方で《癒糸》を張る。白く細い魔力の糸が湊と澪を中心に編み込まれ、一定時間ごとに淡い回復の波を届けていた。
「……ん?」
夏希はふと自分の糸の“感触”に違和感を覚えた。わずかに、ほんのわずかだが、回復が早い。魔力の消費も以前と違い、微妙に軽減されている気がする。
──これ、まさか。
「……もしかして、これが湊くんのスキルの効果?」
試しに、《癒糸》を張り直してみる。効果がリセットされ、回復の感触が元に戻る。再び同じ構成を意識して癒糸を張り直すと……少しだけ、回復力が上がっている、気がする。
「やっぱり……同じような構成を意識して繰り返すことで、効果が上昇してる」
「効果あるの、わかった?」
「うん……ほんのちょっとだけど。でも、この“ちょっと”って、積み重なればすごく大きいよ」
湊が後ろを振り向くと、夏希は笑みを浮かべていた。誇らしげというよりも、信頼に満ちた穏やかな微笑み。
「……あ、でも」
夏希の表情が一瞬だけ曇った。
「《ブースト》から《ヒール》に切り替えると、効果が……リセットされるみたい」
「なるほどな。スキル自体を変えると“同じ行動”じゃなくなるわけか」
湊はすぐに理解した。
「つまり、ヒールを重ねたあとでブーストを使うと、ヒールの強化はそこで終わり。次にまたヒールを使っても、最初からやり直しになる」
「うん。だから、交互に使うなら、順番とタイミングをちゃんと考えないと」
戦術としては地味だが、効果は確実に現れる。この先、強敵との戦いが増えたとき──このスキルの“わずか”が、生死を分ける鍵になるかもしれない。
「澪は?」
湊が尋ねると、澪は後方からするりと現れて答えた。
「……多分、気配遮断の精度が上がってる。まだそれほど実感はないけど、足音も呼吸も馴染む、気がする。」
湊は感心したように小さく息を漏らした。
「……なるほど。レベル2になってから、仲間にも作用するのは分かってたけど、一応ちゃんと効いてるんだな」
「行動を繰り返すって、こういう意味だったんだね」
夏希が頷く。補助職と斥候職──支援と索敵。彼女たちのスキルに《リピート》の効果が“かかっている”。それは派手なバフではない。だが、確かな成長の実感だった。
そのとき、遠くで何かが“ドン”と跳ねたような音がした。澪が耳を澄ませる。
「……中ボス。来る」
湊が腰の剣に手をかけた。
***
最終層、中ボスの影が、ゆっくりと立ち上がるように姿を現しつつあった。
石造りの広間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
吹き抜けるような静寂。明かりのない天井、湿った空気に混じる鉄と汗の匂い。そして──
「三体。全部、正面の柱の影」
澪が即座に報告した。
「気配は鈍いけど、確実にそこにいる」
「……オークナイトか」
湊が剣を抜く。オーク系の中でも特に防御力と統率性に優れる“騎士種”。鎧を纏い、武器も大剣やランスなどを装備していることが多い。単体でも厄介だが、三体同時となると話は別だ。
「まずは一体ずつ……澪、開幕、左の個体に奇襲いける?」
「いける」
澪はすぐに姿を消すようにして壁際を滑るように進んでいった。
「夏希は後方支援、俺は中央を引き受ける。右は後回しでいい」
「了解!」
開幕の一瞬──澪の投擲短剣が唸りを上げて左のオークナイトの眼前に突き刺さる。
奇襲成功。オークナイトが吠えるように唸り、武器を振り上げるが、澪はすでに距離を取っていた。
湊は中央の個体と激突する。重い金属音が響いた。
「──っ、重い……!」
体躯の差は歴然だった。湊の剣が叩きつけられたランスに受け止められ、瞬間的に腕に重圧がかかる。
だが、湊は怯まない。足を滑らせるように踏み込み、半身で剣を突き出す。
金属同士が擦れる音。突きはわずかに鎧の隙間を掠め、敵の動きが鈍る。
「ブースト!」
背後から夏希の補助魔法が走る。湊の筋力が強化され、反応速度も上がった。
その瞬間を見逃さず、再び剣を振るう。反復──型の再現。
「──リピート」
同じ踏み込み、同じ斬り。夏希のブースト効果と合わせて、その斬撃はわずかに速く、深くなっていく。
「澪、右に回って!」
「了解」
澪の身影が背後から忍び寄り、奇襲を加える。斜め後方からの一撃がオークナイトの脇腹を切り裂いた。
「ヒール!」
夏希の癒糸が湊の左肩へと伸びる。先ほどのランスとの衝突で受けたかすり傷が、淡い光に包まれて消えていく。
「もう少し!」
湊は再び斬りかかった──繰り返される動作、剣閃が徐々に鋭くなる。
これが、《リピート》の真骨頂。わずかな強化の積み重ねが、戦いの中で確実に相手を削っていく。
「中央、撃破!」
湊の渾身の一撃が、オークナイトの首元を叩き、そのまま昏倒させた。
「左もあと少し!」
澪の報告とともに、再び背後からの一撃。湊が加勢に入り、二体目も膝をつく。
残り一体。右手側の個体は、既に行動を開始していたが、包囲網は完成していた。
夏希がタイミングを見計らい、支援を追加する。
「……ブースト!」
魔力の糸が湊と澪を繋ぎ、最終攻勢へ。
「いくぞ!」
湊が突撃する。動きはすでに最初の戦闘時よりも格段に冴えていた。反復した型が身体に染み付き、流れるような連撃を繰り出していく。
そして──
「これで、終わり」
澪の短剣が最後の個体の喉元を突く。断末魔を残す暇もなく、オークナイトは崩れ落ちた。
静寂。
広間に再び、息を呑むような沈黙が戻った。
「はあ……はあ……」
湊が呼吸を整えながら剣を納める。傷はあるが、致命傷はない。
その背後で、夏希がヒールをかけ、軽傷を丁寧に癒やしていく。
「湊くん、大丈夫?」
「ああ……ありがとう。助かった」
「支援があるって、心強いな」
湊の言葉に、夏希が照れたように微笑む。
三人の呼吸が徐々に整っていく。次に待つのは、最終層のボス。だが、今の彼らには──確かな自信があった。
最終層へと続く扉の前。
それは、鉄と石が組み合わさった重厚な二枚扉だった。装飾はなく、ただ厳かにそこに“存在”している。ダンジョンの主が、この先に控えているということを、その威容だけで告げていた。
湊は深く息を吐いた。
その横で、夏希が静かに魔力を整え、癒糸を掌に浮かべている。淡く揺れる糸は、彼女の集中力の高さを映し出すかのように、震え一つ見せない。
澪は黙ったまま、湊と夏希の背後に立ち、いつでも動けるよう準備を整えていた。
「……よし」
湊が短く声を上げると、二人は無言で頷いた。
扉に手をかける。冷たい金属の感触が手のひらに伝わる。
「行こう」
ギィ……という重々しい音と共に、扉がゆっくりと開いていく。
広間に一歩足を踏み入れた瞬間、圧力のような空気が全身を包んだ。空気が重い。温度は変わらないはずなのに、なぜか肌に冷たいものが這う感覚がする。
広間の奥に、ソレはいた。
巨大な影。緑褐色の肌。膨れ上がった筋肉。肩幅は成人男性の倍以上。太い牙が突き出し、漆黒の眼がこちらを捉える。
「……オークチーフ」
湊が呟いた。
E級ダンジョンの最奥を守るボス。オークの中でも、群れを統率する“頭”だ。
両手に握られているのは、鉄製の大斧。刃渡りは優に1メートルを超えており、振り下ろされれば、一撃で地面が割れるのは想像に難くない。
「相手は一体。澪は背後に回って機会をうかがって。夏希は後方で支援。俺が正面から受け止める」
「了解」
「わかった」
湊が一歩踏み出した瞬間、オークチーフも咆哮を上げた。
「グオオオォォォ!!」
その雄叫びが広間に響き渡り、直後、地響きとともに巨体が突進してくる。
「来るぞ──!」
湊が構えを取り、相対する。
瞬間、鋼の斧が唸りを上げて振り下ろされた。湊は足を滑らせるようにしてかわし、肩口を薙ぐように斬り返す。
だが──重い。
その一撃を受けたオークチーフは、一歩も退かない。肩の肉を薄く裂いたはずだが、まるで痛みを感じていないかのように、湊の正面に再び立ちはだかる。
「ブースト!」
夏希の声が響く。湊の動きが少しだけ軽くなる。だが、それでも攻撃を通すには一工夫必要だ。
「澪、まだか!」
「まだ……こっちを向いてる!」
オークチーフは湊に意識を集中しているが、背後に回り込もうとする澪も警戒しているようだった。
「癒糸、展開完了!」
夏希の癒糸が湊の両腕に絡みつく。リピートの効果で、その補助力がじわじわと増していくのが分かる。
同じ動き、同じ攻撃。
湊は一歩、また一歩とオークチーフに迫りながら、一定のリズムで斬撃を繰り返す。
「……今は、こっちのターンだ!」
剣筋が冴える。繰り返される攻撃に、リピートのバフが乗り、次第に威力が増していく。
「今!」
澪の声。
湊が一撃を打ち込んでオークチーフの動きを止めたその隙に、澪が影のように滑り込む。
短剣が脇腹の継ぎ目を突く。瞬間、オークチーフが呻き声を上げた。
「効いた……!もう一発!」
「いかせない!」
オークチーフが反転し、大斧を薙ぎ払う。澪が素早く距離を取り、攻撃をかわす。
「湊くん、もう少し!ヒールも準備できてる!」
夏希の声に背を押されるように、湊が最後の連撃に入る。
繰り返された斬撃。反復の極致。リピートによって限界まで研ぎ澄まされた動きが、オークチーフの左膝を打ち砕く。
「これで……!」
湊の突きが、獣の喉元を貫いた。
グォアアアアア……という怒声とともに、オークチーフの巨体が崩れ落ちる。
静寂が広がる。
息を切らしながら、湊が剣を床に突いて支えにする。
「……終わったか」
「うん、終わった……!」
夏希の癒糸が湊を包み込み、澪が黙って隣に並んだ。
「ありがとう。澪、夏希……2人がいたから勝てた」
「私こそ……湊くんが前で受け止めてくれたから、支援できたんだよ」
「……うん」
澪も短く頷いた。
そのとき、オークチーフの巨体が崩れた下から、光を放つ何かが転がり出た。
「……これ、スキルオーブ?」
湊が拾い上げた。淡く青白い光を放つ球体。冒険者の間では“成長の証”とされる希少なアイテム。
「中身は……《身体強化》スキルって出てるな」
「それは湊くんが使うのがいいね」
「……いいのか?」
「問題ない」
夏希と澪の了解が取れたことで、湊はスキルオーブを胸に当てた。
光が彼の身体を包み──新たな力が、その中に刻まれていった。




