第20話 vs ヴァルグラン
ギルド附属訓練アリーナ。
高くそびえ立つ石壁に囲まれた円形空間は、昼間の光すら届かない薄暗さをまとい、ただ魔力で照らされた浮遊灯が冷たい蒼白の光を滴らせていた。
観客席には藤崎リラや「朱炎の梟」、その他の冒険者たちが静寂を切り裂くように座し、一瞬の緊張をその瞳に焼きつけている。
中央の花形リングでは、リングサイドの審判台に立つ長身の職員が声を張り上げた。
「これより模擬戦を開始します。条件は三対三、相手全員を戦闘不能とするか、相手陣営が降伏を申し出た場合に勝利となります。致死攻撃は禁止。装備は訓練用の武器とセンサー付き防具です。ルール違反は即失格とし、以降ギルド追放の処置を取ります。」
鐘が一閃の轟音を残し、会場を振動させた。かすかな残響が、すべての冒険者の鼓膜を震わせる。
対峙するは二つのチーム。
チーム《繰り返しの糸》――神谷湊は深呼吸ひとつで気配を沈め、木剣をわずかに掲げた。
隣では遠野夏希が、掌をそっと上げて自らのユニークスキル《癒糸》を発動。
仲間への継続バフを微細な魔力の糸として空中に織り込み、湊と共闘者へ余韻のように存在感を残した。
後方、久城澪は風のように静かに、《気配遮断》を起動。
リングに漂う敵の視覚的干渉を遮り、己の存在を消せる準備を整えている。
対するヴァルグラン陣営――
まずはD級防御手が、巨大な胸当てに彫られた符号を撫でてスキル《鉄甲装》を起動。全身が鋼のように硬化し、まるで動く要塞と化す。
次いでD級幻惑手は呪文のような言葉をひそやかに唱え、短剣を掲げて「幻影の霧」を噴出する準備をしていた。
その背後に立つ浅倉は、両腕と両脚に触れ、《腕力強化》《脚力強化》を同時起動。
続けざまに《衝撃打》発動の気配を敵陣に叩きつける。彼の体躯からは、火薬庫のような圧倒的な威圧感が立ち昇っていた。
審判が確認し、手を上げた。
「模擬戦──開始!」
──行くか。
湊は低い声でつぶやき、三人は静かに散開した。
火薬庫のような圧力を前にしても、動揺は見せない。全身に灯った思考の炎は、まるで「勝利」を選択肢の最上位に据えているかのように鮮やかだった。
観客の息遣いが一斉に消え、鼓膜を揺らすのはただ己の血流と鼓動だけ。一瞬の襲来に備え、すべての感覚を研ぎ澄ませる。
暗闇を切り裂く鐘の残響が消え失せた瞬間、リングに火花が散るように戦闘の幕が上がった。
リング中央の空気が揺らめく。鳴り響いた鐘の余韻も覚めやらぬうちに、三方を囲む観客の気配を払いのけるように動き出す両チーム。
まず最初の動きは、D級幻惑手による《幻影の霧》――硝子細工のように繊細な呪文が漏れ出し、リング全体を淡い灰色の煙で満たした。
視界の遠近が歪み、足元の床タイルすら揺らいで映るその瞬間、観客席からは一斉に息を飲む音が漏れた。
しかし澪の瞳には、それすらブレイクスルーせんとする鋭い光が宿る。
彼女はゆっくりと右手を翳し、《感知》を発動。
霧の中に蠢く気配を頭の中で地図化し、指先の感触で床の微振動を捕える。
まるで暗闇の迷宮に設置された探知機を自在に操るかのごとく、D級幻惑手の位置を正確に割り出した。
そのわずか一瞬後、《気配遮断》を発動し、澪は闇に溶け込むように踏み込む。
──狙い澄まして。
短剣を軽く突き出すと同時に、観客の視線を引き裂くような「パキン」という乾いた破裂音。
センサーが“有効打”を判定し、幻惑手は重力を引きずるように膝をついた。わずか十数秒の出来事だった。
続いてリングの中心、D級防御手が《鉄甲装》を展開。皮膚が鋼に変わったかと思えるほどの厚い防御バリアを身に纏い、断固たる意志を露わにしてゆっくりと前進を始める。
彼の歩に合わせ、床面にびりびりと振動が走り、鈍い金属音すら聞こえそうな迫力。観客のざわめきは、恐怖にも似た驚愕へと変わった。
それでも湊は立ち止まらない。澪が早々に敵の後衛を落としたことで、湊が余裕をもって前衛の相手をできるようになった。
木剣を水平に構え、鋭い眼光で敵の動きを見定める。
夏希は、柔らかな眼差しで《癒糸》を保持しながら、湊の背中を見つめて静かに微笑んだ。
防御手が至近距離で斬撃を叩き込んできた瞬間、湊はひらりと身を躱す。反復のリズムを体内で刻みながら、同じ型を二度、三度と繰り返し、確実に相手の硬化が解ける最適なタイミングを狙う。
夏希は絶妙なタイミングで《ブースト》を解放し、湊の木剣にさらなる切れ味と重みを付与した。
いくつかの斬撃は硬化に弾かれたが、繰り返すうちに、木剣が硬化の許容範囲を超える威力を出し始める。ほどなくして、防御手は重心を崩して倒れこんだ。
センサーが再び有効打を告げた。
誰もが息をのむ中、場内に再度の静寂が訪れる。残されたは、E級の浅倉ただ一人。
リング中央に静かに姿を現し、胸の紋章を叩いて衝撃波準備を示す。増幅された筋力と脚力が同時に高まり、彼の体躯がさらに逞しく浮かび上がる。
アリーナは、まるで戦の前の呼吸を合わせる静寂に支配された。
湊は三度、剣を振る型を繰り返しながら、心の鼓動を整えた。
そして、最後の戦いへと足を踏み出す。
残るたった一人、浅倉がリング中央に立ちはだかった。両腕と両脚に浮かぶ魔力の紋章は、さながら戦場の狼の咆哮を予告するように脈打っている。彼は深く息を吸い込むと、ゆっくりと構えを取った。
「衝撃打!」
その号砲と同時に、浅倉は大剣を振りかぶり、地面を震わせるほど強大な衝撃波を放った。砂塵が一瞬で舞い上がり、リングのあらゆるものを押し流すほどの威力に観客席からどよめきが起こる。
視覚を欺く大技だったが、湊は半身を捻じり、衝撃波を肘で受け止めながらも、その力を極小さな動きへと吸収する。
浅倉は激しい一撃の直後、勢いで前に踏み込む。
その足運びは地を蹴る剛脚と化し、《脚力強化》の底知れぬ跳躍力を伴っていた。
湊はその跳躍を見切り、一歩だけ下がって斬撃の射程外に立ちつつ、再度同じ刃筋を繰り返す。鍛え上げられた反復動作が、型を肉体に完全に焼き付け、攻防一体の動きを支えていた。
浅倉の《腕力強化》が再起動し、剣に凄まじい重さが宿る。
彼は凶暴な蹴りを放ち、続いて大剣を振るった。
その威力は、普通の剣でも一振りで深い傷を刻むほどだ。
しかし、《リピート》の蓄積で1%ずつ上がった湊の反射速度と練磨された剣術Lv4が合わさり、すべてを無駄なく捌く。
「──動きが、直線的過ぎる」
湊は静かに、しかし確信を込めて呟く。次の瞬間、柄側の剣を巧みに振り抜き、浅倉のガードの隙間をくぐり抜ける一突き。訓練装備のセンサーが“有効打”を告げ、浅倉の体勢が崩れた。
浅倉は思わず叫び声を上げた。怒りにも似た呻きとともに、その片膝が震えて地を打つ。リング上に響くブザー音とともに、審判が勝敗を宣言した。
***
模擬戦場の空気が、湊の勝利によって一変していた。
敵側のD級冒険者たちはすでに戦闘不能と判定され、そして残る浅倉も倒れた。湊は、澪と夏希のもとへゆっくりと歩いて戻ってくる。
「お疲れ様、湊くん!」
夏希が真っ先に駆け寄ってくる。その声が、戦場の緊張を和らげるように響いた。
澪は飄々としつつも、その目の奥には安堵の色が浮かんでいた。
彼女は――ようやく、自由を手に入れたのだ。
ヴァルグランの代表代理として戦況を見守っていた尾上は、憮然とした表情で審判に近づいた。
「……条件は、守ってもらう」
湊は尾上に向き直ると、一歩も引かない瞳で告げる。
「澪の両親の債権は、俺と夏希の名義に。あと、今後一切、彼女に干渉しないってことも、ギルドを通して誓約してください」
「……チッ、分かったよ」
尾上は顔をしかめ、ギルドの事務官へと視線を向けた。既に準備されていた誓約書に署名を行い、その場で確認が取られる。
「これで、君たちの勝利は正式なものだ」
ギルド職員が宣言した。
その言葉を聞いた瞬間、澪は肩から力が抜けたように小さく息を吐いた。
「……これで、全部終わったの....?」
「いや、始まったんだよ」
湊の声に、澪がゆっくりと顔を上げる。
「澪、これからは――俺たちと、本当の仲間として戦ってくれ」
「……うん」
短く、しかし迷いのない返事。
夏希がそのやり取りを見守りながら、小さく微笑んだ。
(……澪ちゃん、良かったね)
そのとき、会場の後方から拍手が湧き上がった。
観戦していた中級上位クラン《朱炎の梟》の団長が、軽く手を叩きながら歩み寄ってくる。
「良い戦いだった。あれだけの連携ができるE級パーティーは、なかなかいない」
「ありがとうございます」
湊が丁寧に一礼する。
「うちの若手にも、見せてやりたいくらいだ。……また何かあったら、声をかけてくれ。ああ、もちろん、戦いじゃなくてね」
団長は軽く笑ってから、踵を返して去っていった。
一方、観客席の後ろの方で見ていた藤崎リラも、満足げに頷いた。
「……うん。思った通り、あの子たちは伸びるわね」
周囲の冒険者たちがざわつく中、湊たちは模擬戦場をあとにした。
その背中には、確かな自信と、これまで以上の結束が宿っていた。
***
「はい、これで全て完了です」
ギルドの事務局で、澪の債権譲渡の手続きを終えた湊が、確認書を受け取る。
「これでもう、ヴァルグランが澪さんに手を出す理由は何一つありません。今後何かあれば、ギルドとしても対応します」
「ありがとうございます」
湊たちは揃って頭を下げた。
ギルドからの帰り道、三人は並んで歩いていた。
これまで何度も通った通りなのに、不思議と景色が違って見える。
「ねえ、澪ちゃん、ほんとにこれからも一緒にいてくれるんだよね?」
「……うん」
夏希の問いに、澪が頷いた。
次の瞬間、澪がふと立ち止まり、湊の方へ向き直る。
その目には、これまでにない強い光が宿っていた。
「……私、もう逃げない。これからは、仲間として――ちゃんと力になる」
「ああ。一緒に行こう」
湊が言い終えると、澪の表情がわずかに柔らかくなった。
夏希がそんな澪をちらりと見て、口元を引き結ぶ。
(……やっぱり、気が抜けないな)
静かに、しかし確かに、次の物語が動き始めようとしていた。
澪は湊と夏希に背を向けたまま、小さく呟く。
「……夏希には、負けない」
その声は、夏希の胸に真っ直ぐに届いていた。




