第19話 対話
夜が深まるギルド支部の執務棟。そのロビーで、湊はコーヒーの紙カップを手に座っていた。
ほんの数時間前、自分たちはダンジョンで窮地に立たされていた。今はこうして、暖房の効いた部屋で椅子に座っている。その対比が、やけに現実味を欠いているように感じられた。
湊の向かいには夏希がいる。彼女はスティックシュガーをもてあそびながら、どこか浮かない顔をしていた。
「……あのとき」
夏希が口を開いた。
「澪ちゃん、確かに叫んでたよね。“止まって”って」
「ああ。俺も聞いた」
「じゃあ……やっぱり、罠にはめる気はなかったんじゃないかな?」
湊は黙っていた。口にしなければならないことはたくさんあるが、すぐに断定する言葉は出てこなかった。
「でも、あの場所に誘導したのは彼女だよ」
「……うん。でも、なんだろう。私、澪ちゃんの顔、覚えてるんだ。転送される直前の、あの顔。すごく、必死だった」
湊は紙カップを見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「……信じたいか?」
「うん。できれば、信じたい」
「俺もだ」
カップの中身を飲み干し、湊は立ち上がった。
「行こう。話をしよう。このままじゃ、何も始まらない」
夏希も立ち上がる。その瞳には、かすかな不安と、揺るぎない意志が同居していた。
澪のいる控室を訪れたふたり。
扉をノックすると、少しして小さな返事が返ってくる。
「……入って」
部屋の中に入ると、澪はベッドの縁に腰掛けていた。目は赤く腫れており、泣いていたのは一目で分かった。
「湊……夏希……」
澪は立ち上がろうとするが、躊躇うように動きを止めた。
「無理しなくていい」
湊がそう声をかけると、澪はうつむいたまま頷く。
「……話を、聞かせてほしい」
「……うん」
澪は椅子に座り直し、静かに息を整える。そして、まるで懺悔でもするかのように、ぽつぽつと話し始めた。
澪が所属していた家庭は、地方の小さな雑貨商を営んでいた。しかし、経営は芳しくなく、父が借り入れた資金が返済不能に陥ったことで、家族は多重債務に巻き込まれた。
「……私、ギルドに登録して冒険者になって、少しでもお金を稼ごうって思ったの。家を守るために」
彼女の声には、怒りも悲しみもなかった。ただ淡々と、まるで他人の話をしているようだった。
そんな折、中級クラン《ヴァルグラン》が澪に接触してきた。厳しい環境ではあったが、クランに加入し、必死でお金を稼いでいたところ、次第にトーンが変わり始めた。
「“君の家族の借金に関する債権は、我々が譲り受けた”。そう言われたの。」
ヴァルグランは、澪の“適性”に目をつけていた。高精度の索敵と隠密行動、そして斥候としての資質。澪は《感知》《遮断》の両スキルを持ち、加えて暗殺特化のユニークスキルまで備えていた。
「……それで、スパイとして……あなたたちのパーティーに……」
澪は絞り出すように言った。
「最初は……できると思ったの。任務をこなせば、家族を守れるって。でも……湊や夏希と冒険して……“ああ、普通に笑える日常って、こうなんだ”って……」
「……楽しかったか?」
湊の問いに、澪は泣きそうな顔で頷いた。
「楽しかった。すごく……。だからこそ、裏切りたくなかった。でも、クランの命令には逆らえなくて……」
「じゃあ、あのとき……“止まって”って叫んだのは……」
「本気だった。あのとき、心の底から止めようと思った。でも、もう遅くて……」
そのとき、夏希が静かに椅子から立ち上がった。
「じゃあ……もう一度、仲間にならない?」
澪は顔を上げた。
「私たち、まだE級の新人で、たいしたパーティーじゃないけど……でも、誰かを信じることはできると思う。私は、澪ちゃんを信じたい」
湊も、隣でゆっくりと頷いた。
「もう一度、俺たちと組まないか?」
澪は、ぽろぽろと涙をこぼしながら、何度も頷いた。
「……ありがとう……っ」
その言葉に、どこか張り詰めていた空気が、ようやくほどけていった。
だが——湊は小さく息を吐く。
この一件が終わったわけではない。
ヴァルグランへの対応、澪の立場、借金の問題——何一つ解決してはいない。
だが、それでも。
「やるべきことは、見えた」
湊は小さく呟いた。
次に動くべき相手は、明確だった。
***
湊たちはギルドの相談窓口を訪れた。澪の件を正式に申し立てるためである。
応対に現れたのは、中年の職員だった。いかにも官僚的な雰囲気をまとった男で、表情は崩さない。
「……なるほど。つまり、E級冒険者である遠野夏希氏、神谷湊氏、そして……久城澪氏。あなた方三名が、先ほどのダンジョン探索中、予期せぬ罠により危険な目に遭ったと」
「予期せぬ、ではありません」
湊がはっきりと否定した。
「これは明確な悪意によるものです。クラン《ヴァルグラン》が、計画的に転送罠へ誘導した。その証拠も証言もあります」
職員は無表情のまま、目を細めた。
「……転送装置への誘導が意図的だったというのなら、それは重大な問題だ。証言者は?」
「本人が、ここにいます」
湊が一歩引き、澪を前に出す。彼女は不安げにしながらも、勇気を振り絞って前に出た。
「私が……誘導しました。命令されて。でも、途中で止めようと思って……けれど、もう遅かったんです」
職員はメモをとりながら頷いた。
「……わかりました。では、詳細を調査の上、ギルド内で正式な審査に入らせていただきます。なお、ヴァルグランには聴取の通知を行いますが、それ以上の処分には、相応の証拠と関係者の証言が必要です」
「どういう意味ですか?」
夏希が食い下がる。
「ここまで証言してるのに……処分できないんですか?」
職員は静かに答えた。
「中級以上のクランは、冒険者社会において一定の権限と実績を有します。彼らを罰するというのは、ギルドとしても大きな判断です。慎重にならざるを得ません」
澪は視線を落とし、またうつむいた。
湊は少しの沈黙のあと、静かに言った。
「なら……模擬戦で決着をつけるというのはどうですか?」
職員の眉がぴくりと動く。
「模擬戦?」
「クランが澪を脅迫していたのが事実であるなら、こちらが勝ったらその証拠として彼女を解放させる。相手が勝ったなら、それでもうこちらは文句を言わない」
「勝負に負けたら、澪ちゃんを諦めるの?」
夏希が小声で尋ねた。湊は首を振った。
「そこまで譲る必要はない。だが、ギルドが“処罰できない”というなら、他に方法はない。正式な訴えではなく、“決闘の形式”で問題を収める。それなら、相手も乗ってくるだろう」
職員は少し思案し、机上のファイルを開く。
「……模擬戦申請、あるいは公認戦闘競技規約によるパーティー戦の申し立て、という形式なら、確かに受理できます。通常、個人が絡む模擬戦の結果はギルドとして“参考意見”としてしか扱えません。しかし、双方が結果に基づく誓約を行うなら、それをギルドが“証人”として承認することは可能です。つまり、“誓約付き模擬戦”として開催されることになります」
湊は目を細めた。
「相手がそれを飲むかは分かりませんが……申し入れます。こちらの条件は、“ヴァルグランが澪に対するあらゆる関与を放棄すること”」
夏希が続けて言った。
「そして、“ヴァルグランが保有する澪ちゃんの親への債権を、湊くんと私に譲渡する”という条件も追加で」
職員は深く息を吐いた。
「分かりました。では、ギルドとしては中立を保ちつつ、模擬戦の準備を進めましょう。日程調整の上、正式に連絡いたします」
湊たちは頭を下げて部屋を後にした。
その帰り道、澪は湊の横でぽつりと呟いた。
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
「澪が、あのとき“止まって”って叫んだからだよ」
湊は前を見たまま答えた。
「それだけで、十分だと思った」
澪は黙っていた。
夜の街灯がふたりを照らし出す。
その光は、彼女の目に、じんわりとにじんで見えた。
***
翌日、ギルドから連絡が入った。
模擬戦の申し出に対し、《ヴァルグラン》が正式に応じたという。
条件は基本的に湊たちの提示どおり──模擬戦で湊たちが勝利した場合、澪の家族が抱える借金に関する債権の譲渡、ならびにクランからの一切の関与を禁じること。ただし、逆に、彼らが敗北した場合には、夏希が《ヴァルグラン》に加入する、という内容が加えられた。
湊はその賭け条件に一瞬眉をひそめたが、夏希が頷いて言った。
「私も、覚悟はできてる。澪ちゃんを取り戻せるなら……」
だが彼女の瞳は少しも揺れていなかった。
「それに、負ける気はしてないから」
その言葉に、湊も軽く笑みを返す。
「だな」
決戦の日時は三日後と定められた。場所はギルドの管理する訓練用施設のひとつ、港区の地下演習場《第六試練区》。
それまでは準備の期間。だが、決戦の噂はすぐに周囲に広まり、ギルド内の冒険者たちの話題にのぼるようになる。
「E級とヴァルグランの模擬戦ってマジかよ」
「うわ……無謀すぎねぇか?」
一方で、湊たちの勝利を予想する者も少なくなかった。
「でも湊ってやつ、剣術やべーんだろ?」
「あと、支援の子も結構なレアスキル持ちって話だし」
「それに、最近斥候も加わって三人編成になったらしい」
──そんな噂の渦中で、湊たちは密かに強化訓練を開始していた。
協力を申し出てくれたのは、以前湊をスカウトしようとした中級クラン《朱炎の梟》と、もう一つ、湊と夏希を観察していた藤崎リラ率いる《グランツハイム》。
なお、決闘に挑むメンバーも同時に通知がされており、ヴァルグランからは、D級冒険者が2名と、E級の浅倉が出場することとなっていた。
湊たちは知らなかったが、中級クランのヴァルグランと湊たちでは戦力差がありすぎ勝負にならないと思った藤崎リラが、裏でギルドに働きかけ、決闘の参加者はD級以下という条件が付けられていた。
「よくぞ戻ったな、神谷くん」
リラは微笑をたたえたまま、湊を迎えた。
「君たちは戻ってきてくれると信じていたよ。さて――やれることは限られているが、君たちが勝てる可能性を最大まで引き上げてあげよう」
訓練は連日続いた。
まずは敵チームの分析。リラは情報収集に長けた部隊を動かし、対戦相手のスキル構成や過去の戦績をリスト化してくれた。
D級冒険者のうち一人は、防御型のユニークスキル持ち。《鉄甲装》というスキルで、一定時間だけ身体を鋼のように硬化させる。
もう一人は、幻惑系のスキルを持つ後衛型で、奇襲が得意らしい。
そして浅倉は、《衝撃打》という衝撃波を発するユニークスキルと、《腕力強化》《脚力強化》のコモンスキルを組み合わせてくる。
リラはそれらを逐一説明し、かつ戦闘スタイルや癖まで細かく助言した。
夏希は支援スキルの練度を高めるべく、《癒糸》の制御力を上げる訓練を重ねた。リピートの効果範囲にも工夫を加え、バフ対象が単一ではなく、状況に応じて澪にも恩恵が行き渡るよう調整を始める。
湊自身は、《剣術Lv4》の完成度をさらに高めることに注力した。
──勝てるかどうか、ではない。勝たなければならない。
湊の中には、明確な決意があった。
それは、仲間を裏切った者に対する怒りではなかった。
ただ、自分を信じてくれた人間を、信じ返すための戦いだった。
澪の「止まって」という叫びが、今も湊の耳には残っていた。
あれは裏切りではない。
だから、助ける価値があると湊は信じていた。
そして――
「これは、俺たちのケジメだ」
三日後の模擬戦を前に、湊はそう呟いた。
夜の静けさの中、ひとり素振りを繰り返すその姿に、誰もが本気を感じていた。
***
模擬戦の前夜、ギルドの一室に、湊、夏希、そして澪の三人が揃っていた。
訓練を終えた後の打ち合わせ。明日の戦闘に備えて、最終確認を行うためだ。
テーブルに広げられた簡易マップには、模擬戦のステージである《第六試練区》の地形が描かれている。
「正面突破は無理。防御型のやつが壁になってくる」
澪が冷静に分析する。リラからの情報は確かだ。今回の敵三人の中でも、前衛の《鉄甲装》持ちは最も厄介だった。
「なら、癒糸で速度と筋力を底上げするから、まずは湊くんが前衛を足止めする。その隙に、澪ちゃんが後衛を奇襲して倒すのでどうかな」
夏希がすでに準備したバフのプランを説明する。
「わかった。浅倉が来る前に、後衛を落とせれば展開が楽になる」
湊が頷き、澪の方に視線を向ける。
「澪、敵の配置って毎回ランダムか?」
「基本はそうだけど、鉄甲装が前、幻惑のやつが後ろ、その中間に浅倉……たぶん、そういう形」
「となると、浅倉は後衛のサポートに回る動きをするはずだな。……なら、こっちも分断していく」
三人の間で戦術はまとまりつつあった。
だが、澪がふと、口を閉ざした。
「……ごめんなさい」
唐突な謝罪に、湊と夏希が顔を上げた。
「私……本当は、あのとき……もっと早く、止められたはずなのに」
そう言って、澪は視線を伏せる。
「私は、自分が怖かった。拒絶されるのが怖くて、信じてもらえないと思って、最後まで言えなかった。あんなやり方しか……できなかった」
夏希が、そっと澪の手を取った。
「でも、止めようとしたよね。罠が発動する寸前に叫んでくれた。その声があったから、湊くんも私も、澪ちゃんのことを信じられたんだよ」
「……夏希」
「それにさ」
湊が静かに言葉を継ぐ。
「俺は、裏切られたなんて思ってない。澪がどんな状況で、どんな気持ちでいたかは、まだ全部は分からないけど……あの声を聞いて、それだけで十分だった」
「……っ」
澪は口を手で覆い、小さく嗚咽を漏らした。だがそれは、涙というよりも――
張り詰めていたものが、ほどけた瞬間だった。
「礼なんていらないさ。明日、俺たちは一緒に戦う仲間だろ?」
湊の言葉に、澪が小さく頷く。
その場に、温かな空気が満ちていく。
三人の間に、かつてなかった“信頼”の光が灯った。
部屋を出る頃には、三人とも明日への覚悟をしっかりと胸に抱いていた。
その後、湊と夏希が二人で夜風の中を歩いていたとき、夏希がぽつりと呟いた。
「明日、絶対に勝とうね」
「……ああ。俺たちの戦いを、ちゃんと終わらせよう」
夜空に瞬く星々が、彼らの決意を見下ろしていた。
***
そして、翌日。
《第六試練区》の受付ロビーは、模擬戦を観戦しようと集まった冒険者たちで賑わっていた。
対戦カードは「E級・《繰り返しの糸》 vs 《ヴァルグラン選抜》」。
「正気か? E級が中級クランに挑むとか」
「でも、湊ってやつ、なんかスキルがヤバいって聞いたぞ」
「……いや、ヤバいのは剣術らしい」
ざわつく観衆の視線の中で、湊たちは静かに入場を果たす。
その顔に、迷いはなかった。
こうして、三人は決戦の地へと歩みを進める。
これは、彼らにとって“仲間”を取り戻す戦い。
誰かの命令で動くのではない。誰かのために、ただ信じた仲間のために、剣を取る戦いだった。




