第18話 裏切り
澪がパーティーに加入してから数週間。
湊たちは、継続してE級ダンジョンに潜っていた。
E級ダンジョン“調布第五迷宮”の第二層。かすかに湿った空気と、苔むした壁の匂いが三人の鼻をかすめる。湊たちは警戒を崩すことなく、三角隊形を保ちながら静かに進んでいた。
この日も、特に変わった依頼があったわけではない。日常的なダンジョン探索と素材収集。それでも、湊たちの足取りにはこれまで以上の統一感があった。
リピートLv2の効果によって、夏希の《癒糸》や《ブースト》の安定感は増し、澪の奇襲技術も研ぎ澄まされていた。三人はそれぞれが役割を理解し、最小の動作で最大の成果を出す動きを意識していた。
「この先の曲がり角、左奥に二体。移動速度は遅い、巡回中」
澪が短く告げる。
湊は頷き、手信号で戦術を伝える。突撃ではなく、奇襲。澪が先行し、一体を仕留め、湊がもう一体を引きつける。その間に夏希が補助位置を整える——まるで既に何度も繰り返してきた動きのようだった。
足音すら立てずに澪が先に進む。次の瞬間、金属音すら聞こえぬまま、ゴブリンの一体が崩れ落ちた。
湊もすかさずもう一体に斬り込む。体勢を崩した敵に一閃、リピートで滑らかになった太刀筋が肉を断ち、敵が呻き声とともに崩れる。
夏希がすぐさま後方から《癒糸》を展開し、湊の反射速度と筋力を強化する。
「完了」
澪がそう告げるのと同時に、湊は小さく深呼吸した。
「……調子がいいな」
「うん。私たち、かなりいいパーティーになってきたんじゃない?」
夏希が微笑み、澪も小さく頷く。
湊は、その様子に胸の内で安堵していた。
《リピート》という地味なスキルは、確かに派手な一撃もなければ、スキル自体の範囲攻撃のような強さもない。だが、こうして繰り返すことで、連携が磨かれ、補助が効き、全体の力が底上げされる。
まるで“繰り返し”そのものがパーティーに染み込んでいくようだった。
第三層へと向かう途中、澪がふと足を止めた。
「このルート……通常より南寄り」
「いつもより少し違うルートを選んでる?」
湊が尋ねると、澪はすぐに説明を始めた。
「前回、北東ルートで敵の群れに遭遇した。この迷宮のパターンでは、同じ場所に敵が溜まりやすい傾向があるから、リスク分散として南寄りに回るほうが安全」
「なるほど……合理的だね」
夏希が感心したように頷き、湊も納得して先に進んだ。
だが澪の心中は穏やかではなかった。
(ごめんなさい……このルートには“転送装置”が仕掛けられている)
それが、澪が《ヴァルグラン》の構成員から渡された配置図に記されていた情報だった。
特定の床の上に仕込まれた、罠式の強制転送装置。触れれば、自動的に下層へと飛ばされる。設定では第四層への転送。
澪の喉元が、きゅっと締まる。
このまま進めば、湊たちは確実に罠にかかる。そうなれば——
「澪?大丈夫か?」
湊の声に、澪ははっと顔を上げた。
「……問題ない」
表情は変えず、声も静かに。それが澪の常だった。だがその裏で、彼女の心は激しく揺れていた。
(止めないと……でも、どうすれば……)
澪は、内心で自問する。
自分は何のためにこのパーティーに加わったのか。
何のために、隠密し、湊たちの後ろを守ってきたのか。
——それが、ただの命令だったとしても。
この数週間で、澪は確かに「仲間」としての温もりを覚えていた。
だが、クラン《ヴァルグラン》は、それを許さない。
(私が仕掛けたわけじゃない……けど、黙っている限り、それと同じ)
何度も揺れる足取りを、必死で平静に保つ。
澪の瞳が、迷いの色に曇ったまま、三人は迷宮の暗がりへと踏み込んでいく。
その足元に、薄く浮かび上がる“魔術刻印”の輪郭が、静かに光を帯びていた。
***
それは、ほんの一歩だった。
床に描かれた魔術式の紋が、青白く淡く光ったのは、湊の右足がそこに触れた瞬間だった。
「……っ!」
澪の喉元から、短く押し殺したような声が漏れた。
「ストップ!下がって!」
その叫びは、夏希の耳には確かに届いた。だが、魔術式が点滅するのがそれよりもわずかに早かった。
「湊くん!」
夏希の叫びが響くと同時に、床がぐらりと揺れるような感覚に襲われた。
転送装置の作動。
不可視の力場が湊と夏希の体を包み、その場の空間そのものを歪ませていく。
重力の向きが狂い、視界が白く霞む。その一瞬の混乱の中で、湊はうっすらと澪の顔を見た。
——顔が、歪んでいた。
いつもの澪の無表情とは違う。迷いと、後悔と、何かを叫びかけるような強い感情が渦巻いていた。
次の瞬間、空間が引き裂かれ、湊と夏希の姿は霧のようにその場から掻き消えた。
***
「……っ、ここは……」
湊が目を覚ました時、周囲は薄暗かった。
岩肌の壁が湿気を含み、ほのかに魔力鉱石が光を放っている。迷宮の構造そのものは変わらないが、雰囲気が明らかに異なる。
「どこかに転送された…?」
そう呟いたのは夏希だった。少し離れた場所で、壁にもたれながら膝を抱えていた。彼女の足元には小さな擦過傷。だが致命傷ではない。
湊はすぐに立ち上がり、周囲の様子を警戒する。
「澪は……いないな。俺たちだけ転送されたか」
「私たちだけ……?いや、でも……」
「……澪は、ギリギリで気付いたように見えた」
湊の言葉に、夏希は俯いた。
「……迷宮の罠、だよね?」
「そうだろうな。ひとまず、ここから抜け出さないといけない。」
静寂が続いた。
だが、それを破ったのは、背後から聞こえた、無遠慮な靴音だった。
「やっと転送されたか。こっちは準備して待ってたんだぜ?」
湊が反射的に剣の柄に手をかける。
その姿を見て、暗がりの中から現れたのは、どこか見覚えのある男——浅倉だった。
「……お前か」
湊の瞳が鋭く細められる。
浅倉は、以前の模擬戦の時よりもずっと不遜な笑みを浮かべていた。その背後には、仮面をつけた2人の男たちの影が見える。彼らは言葉を発さず、ただ剣を抜いたまま湊たちを囲むように立っていた。
「浅倉くん、ここでなにしてるの……?」
夏希が震える声で問いかける。
「何って、復讐さ。あの時の決闘——恥かかされたまま黙ってられるわけないだろ?」
「こんな形で……!?」
「別にいいだろ?お前らがこのまま消えてくれれば、すべて丸く収まるんだよ。あの澪とかいう女はいい仕事したぜ」
「澪ちゃんが……!?」
浅倉の言葉には、憎悪とも嫉妬ともつかない歪んだ感情が滲んでいた。
「特に、お前は邪魔なんだよ、神谷湊」
湊は剣を抜いた。
「なるほど、これがお前のやり方か」
「気に入らないか?でも、これが現実だ。俺はクラン《ヴァルグラン》に入った。もう、お前とは格が違う」
「格ね……」
湊は一度、小さく息を吐いた。
「だったら、見せてみろよ。その“格”ってやつを」
剣先が構えられる。夏希も《癒糸》の術式を展開し、戦闘態勢に入る。
浅倉が、口元を歪ませて笑った。
「へへ……楽しいな。これから潰す相手が、そんな顔するってのはよ……!」
その瞬間、仮面の男の一人が湊に向かって踏み込んできた。
戦いの幕が、切って落とされようとしていた——。
***
仮面の男が繰り出す剣撃は、初手から容赦がなかった。
構えは洗練されており、素人ではない。それでも、湊は冷静に受け止めた。
剣と剣がぶつかり合い、鋭い金属音が響く。
「……悪くないな」
湊は半歩引いて態勢を整え、相手の踏み込みの癖を見極める。彼の《剣術Lv4》は、ただのスキルレベルではない。それは積み上げた反復の集積であり、動作の無駄を徹底的に削ぎ落とした技術そのものだった。
「夏希、支援!」
「了解!」
夏希が《癒糸》を展開し、湊の筋肉に沿って魔力糸を通す。動作がより滑らかに、無理なく連撃を繰り出せるようになる。
もう一人の仮面の男が夏希に迫る。
「くっ……!」
夏希は咄嗟に魔力を展開し、《ヒール》と《ブースト》の詠唱を中断して自衛に回る。相手は剣ではなく短剣。狙いは速度と急所。スカウト系のスキル構成だ。
「湊くん、もう一人来る!」
「分かってる」
湊は仮面の男を一閃しつつ、視線だけで夏希をカバーする。その意図に気づいた仮面の男たちは、再び連携を取り始めた。
「こいつら、初級じゃないな……!」
浅倉が奥で焦れたように叫ぶ。
「何やってんだよ!相手はE級になったばっかだぞ!さっさと潰せ!」
その言葉と共に、浅倉自身も前へと踏み出す。
彼の両腕が淡く輝き始めた。
「……来たか」
湊は、前に見たスキルを思い出す。《腕力強化》《脚力強化》——いずれも一時的に身体能力を高めるブースト系のコモンスキルだ。
さらに、湊はまだ見たことがない、ユニークスキル《衝撃打》がある。「踏み込みと同時に爆発的な衝撃波を放つ」——シンプルだが危険なスキル。
そしてそのスキルが、今、発動された。
「うおおおあああああっ!」
叫びと共に、浅倉が一直線に突っ込んでくる。彼の腕が火花を散らすように赤く輝き、大剣を振りかぶった。
「夏希、下がれ!」
湊は夏希の前へと飛び出し、剣を斜めに構える。瞬間、浅倉の剣が正面から叩き込まれた。
——ドガァンッ!!
爆風のような衝撃が周囲を巻き込む。
床が砕け、土煙が舞う。
「ぐっ……!」
湊の腕がしなり、全身に衝撃が走った。だが、剣が折れることはなかった。剣の角度と受け流しの技術で、なんとか直撃を避けたのだ。
「ちっ……!」
浅倉は一歩後退する。彼の剣からは煙が立ち上っていた。自壊覚悟で力を込めていたのだろう。
「リピートで鍛えてるとか……そんなもん、関係ねえんだよ!」
再び脚力強化を使い、側面へ回り込んでくる。
「こいつ……スキルを連発してる!」
「負荷は相当なはず。無理に使ってる」
湊は、あえて浅倉の動きに合わせて後退する。剣先で牽制を入れながら、足運びで空間をコントロールしていく。
「てめえ、逃げてるだけかよ!」
「お前には見えてないだけだ。お前が勝手に踊らされてるだけ」
湊の言葉に、浅倉の顔が歪む。
そしてその瞬間。
湊が足を止めた。
浅倉が反応するより早く、湊の剣が一閃された。深く踏み込んだ斜めの斬撃——それを、リピートの補正で研ぎ澄まされた速度と精度で放つ。
「ぐっ、あああっ!」
浅倉の肩口に、衝撃が走った。
踏み込みにスキルを重ねたせいで防御が疎かになっていたのだ。
「もう……立てないだろ」
湊が息を整えながら、剣を構え直す。
仮面の男たちも、すでに夏希と連携して撃退されていた。
夏希の癒糸が、湊に絡み、戦闘の疲労を軽減させていく。
「……くそっ、こんなはずじゃ……!」
浅倉が歯ぎしりをしながら膝をつく。
呟くその背中に、誰も声をかける者はいなかった。
薄暗い迷宮の第四層、沈黙が落ちた。
だが、まだ終わりではない。
湊は、静かに澪の名前を呟いた。
「……次は、澪と向き合わなきゃな」
***
戦闘が終わり、湊たちは第四層の薄暗い通路を慎重に進んでいた。
ホブゴブリン数体を倒しながら、ようやく第三層への階段を発見したのは、先の戦闘から小一時間後だった。
「……あと少しだな」
湊が低く呟く。
背後では、夏希が疲れを隠すように笑みを浮かべている。すでに何度も癒糸を使っており、彼女自身も消耗していた。
「無事にここまで戻ってこれて、よかった……」
その声には、本音が滲んでいた。
第三層へ戻り、そこから順に上層へ。慎重に進んだため、罠にかかることもなく、ようやく出口の光が見えてきた。
地上に出た瞬間、2人は同時に肩の力を抜いた。
「戻った……な」
湊が呟き、夏希が深く息を吐く。
「ほんと、死ぬかと思ったよ……」
「澪ちゃん……」
その名を呟いたのは、夏希だった。
「うん、行こう」
湊も頷いた。
二人はそのまま、ギルド支部の建物へと向かう。受付には驚いた様子の職員がいたが、ひとまず状況を報告し、怪我の有無を簡単に確認される。
「澪は?」
湊が訊ねると、職員が少し驚いたように首を傾げた。
「先にお戻りになって休んでおられます。……かなり、落ち込んだ様子でしたが……」




