第12話 浅倉の歪み
模擬演習場に鳴り響く拍手と歓声が、耳に焼きついて離れない。
「──勝者、神谷湊!」
審判の宣言を聞いた瞬間、浅倉は身体の奥底から何かが砕け落ちるような感覚に襲われた。
木剣を握る手にじっとりと汗が滲んでいる。
「……勝てばいいってもんじゃねぇぞ」
搾り出すような捨て台詞。湊はそれに対して、何も返さなかった。ただ淡々と木剣を収め去っていく。
浅倉はその背中を、吐き気がするほどの苦々しさで睨みつけていた。
誰も彼を讃えなかった。
彼は負けたのだ。――完膚なきまでに。
「……なんなんだよ、アイツ……」
ロビーの端の長椅子に腰を下ろし、荒く息を吐く。呼吸が整わない。胸の奥がざわつく。敗北の衝撃ではない。そう、自覚していた。
敗北そのものではない。
敗北の“仕方”が、許せなかったのだ。
湊は一切のスキルも使わなかったように見えた。ただの剣術で、浅倉のスキルを打ち砕いた。
浅倉が《腕力強化》と《脚力強化》で速度と破壊力を同時に強化した剣戟――それを、湊は避け、捌き、無効化した。
「ふざけんなよ……なんなんだよ、それ……」
浅倉は剣を握る拳を震わせる。
湊は地味スキルのはずだ。
なのに、なぜ。
あんな動きができる。
あんな目をしていた。
(あれは……本気だったのか? “俺なんか相手に”本気になってたのか?)
そう思ったとき、全身に沸き起こったのは悔しさではない。怒りでもない。
恐怖だった。
あのときの湊の目には、まるで剣のような鋭さがあった。冷静で、何一つブレることのない視線。
そして――自分を、評価していない目。
(あいつ、俺のことを、“相手じゃない”って思ってた……)
事実、それは正しい。湊にとって浅倉は“脅威”ではなく、“対応すべき事象”に過ぎなかった。
だからこそ、浅倉は恐ろしかったのだ。
自分が全力でぶつかり、スキルも使ったにもかかわらず、相手はその気すらなかった。
その上で――勝てなかった。
「そんなはず、ねぇだろ……」
呟きが、空気に溶けていく。
頭の中で、何度も思い返す。夏希のこと。
自分の誘いを断り、湊と組んでダンジョンに行ったあの女。
──いや、違う。あのスキルが反則だったんだ。
支援系のレアスキル。
湊の動きがやけに洗練されていたのも、あの女の支援があったから――そうに違いない。
実際は、一対一の決闘に夏希の支援スキルは用いられていない。だが、そんな当たり前のことにさえ気づかないほど、浅倉の心は歪んでいた。
「そうだ……あの女がいなけりゃ、俺が勝ってた」
心の中に、じわりと歪んだ熱が灯る。
自分の敗北は、湊が強かったからじゃない。あの女のせいだ。支援があれば、俺だって勝てた。
俺の方が強い。俺の方が、正しい。
そう思わなければ、立っていられなかった。
浅倉はスマートフォンを取り出し、連絡先一覧の中から、あるひとつの名前をタップする。
それは、かつて一度だけスカウトを受けた、C級クラン《ヴァルグラン》のサブリーダーの名だった。
「……話があります」
端的な言葉だけを残して、通話を切る。
その目に宿るものは、再挑戦への希望ではない。燃え滾るような、復讐の色だった。
──このままでは終われない。
浅倉の執着は、静かに、確実に膨らみ始めていた。
***
《ヴァルグラン》。
東京都を拠点とする、C級クラン。規模としては中堅だが、上級冒険者予備軍を多数抱える、いわば“成り上がり”の巣窟だ。
実力主義。人材の青田買い。裏からの圧力。
そのどれもが、今の浅倉には都合がよかった。
数日後の夜、指定された都内のギルドラウンジに、浅倉は現れた。ラフなパーカー姿だったが、その目には先日の決闘とは違う色が宿っている。
「来たか。……久しぶりだな、浅倉」
現れたのは、《ヴァルグラン》のサブリーダー、尾上卓也。
180センチを越す体躯。強面。喧嘩慣れしたような口調と、真っ直ぐに見透かすような視線。
かつて、講習終わりに偶然模擬戦を見られ、スカウトを受けたことがあった。その時は断った。
だが今、あの時とは心持ちが違う。
「話があるって?」
「一つ、頼みたいことがあります」
浅倉は席に着くなり、ストレートに切り出す。
「魔力の糸を操るスキルって、聞いたことありますか?」
尾上の目が細くなる。
「……あるよ。最近、少し話題になってる。“回復系とバフ性能が異常に高い”とか。“見たことない補助スキル”とか、まぁ、噂レベルだが」
「そのスキルの持ち主を、引き入れたい」
浅倉の声に、卓也は少し驚いたように眉を動かした。
「……なるほど。で?どうしてうちに?」
「アイツらの進みが早すぎるので。」
浅倉は、淡々と語り出す。
初ダンジョンから、ほんの少しの期間で初級冒険者の中でも名が知られるようになった湊と夏希の存在。
自分との決闘では剣術だけで完封。
「おそらく、支援がやばい。支援スキルが、あいつの剣術を底上げしてる」
「つまり……そいつが強く見えるのは、“その子のスキル”のおかげってわけか?」
「はい」
尾上は笑う。
「……面白いな、浅倉。お前、“負けたのは支援のせいだ”ってか?」
「事実なんで。アイツらの攻略スピードもおかしい。もし、そのスキルがうちのチームに来たら……」
浅倉は目を細める。
「すぐにでも、C級まで上がれます。そのときはヴァルグランにもしっかり恩返しさせてもらいますよ」
しばらく沈黙があった。
尾上は、無言のままコーヒーを啜る。
やがて、ぽつりと呟くように言った。
「……いいだろう。お前の言い分に乗ってやる。ただし、ルールは守れ。うちのやり方は知ってるな?」
浅倉は頷いた。
ヴァルグランは、表向きは普通のクランだが、裏では様々な“策略”を使って人を引き入れてきた。
揺さぶり。工作。情報操作。場合によっては、罠。
「夏希って子の情報、詳しく出せるか?」
「今は神谷湊とパーティーを組んでます。2人だけのはず。何か……使えそうなものはありますか?」
尾上は指を鳴らす。奥の席にいた眼鏡の男が、USBを持って近寄ってきた。
「ギルドの記録部門にいる“協力者”だ。スキルの内容、最近の戦闘記録とスキル登録者の履歴を分析したものが入っている。何かしら掴めるだろ」
「ありがとうございます」
「……ただし、目立つ動きはするな。今のうちに揺さぶれ。あとで強く誘えば、崩れる可能性が高い」
尾上の言葉に、浅倉は口元だけで笑った。
「分かりました」
残っているのは、自分を地面に這わせたあの男に対する、執着だけ。
(神谷湊、お前は勘違いしてる。勝った気でいるんだろ?でもな……)
浅倉は心の中で呟いた。
(これはまだ、始まりに過ぎない)
湊に勝つこと。夏希を奪うこと。そして――
“自分の価値”を取り戻すこと。
それだけが、今の彼を支えていた。
***
浅倉は、自分の部屋に戻るとすぐにPCの電源を入れ、USBを差し込んだ。
そこで、湊の《反復》と夏希の《癒糸》の内容を知る。
(やっぱりだ。《反復》は、1%ずつしか効果が上昇しない地味なスキル。他方で《癒糸》は、回復と補助にバフが入るだけじゃなく、回復の継続効果までありやがる。あの女がいたからこそ、あいつはあそこまで戦えたんだ)
どこかで“負けた理由”をスキルの性能のせいにしたいという感情と、それを“証明”して安心したいという感情が、せめぎ合っていた。
だが、その証明が自分の内側を蝕むようになっていることには、まだ気づいていない。
画面に映る、戦闘ログの一節。
〈神谷湊の剣撃に連動して遠野夏希の癒糸が反応。筋肉補強および動作補正の兆候。〉
それは決して決闘のログではないのだが、その短い記述を見て、浅倉は歯噛みした。
(……俺が負けたのは、やっぱりスキルのせいだ)
彼は、徐々に確信しはじめていた。
そして、それと同時に、自分が本来評価されるべき“強者”であるという感覚も強くなっていく。
(俺のスキル構成は、ユニークスキル《衝撃打》に《腕力強化》と《脚力強化》。連撃と突撃に特化した、前衛職として理想的な構成。あの地味スキルなんかより……)
何度も、何度も頭の中で繰り返し、自分を正当化する。
思い返すのは、決闘の最後――
振り下ろした打撃を、湊は流れるように躱し、肩へ正確な一撃を入れてきた。
完全に読み切られた動き。
しかも、ただの技術で、すべてを上回られた。
(……チートでもないくせに、なんでだよ)
内心で呟き、拳を握る。
湊が自分より優れているとは思いたくなかった。思えなかった。
「俺は……負けてねぇ。あんなもん、認めねぇ」
その感情は、やがて別の形をとり始める。
――夏希を奪えば、すべてをひっくり返せる。
支援スキルが自分の側につけば、次の勝負では勝てる。
彼女の笑顔も、評価も、実績も、すべて自分のものになる。
歪んだ思考は止まらない。
本来の浅倉なら、こうした独占欲や歪んだ承認欲求に気づくことができたかもしれない。けれど、今の彼は違った。
負けを認めたくないという一念が、彼の人間性を徐々に侵食していく。
ピコン、と通知音が鳴った。
ヴァルグランの尾上からのメッセージだ。
《例の件について、対象をしばらく観察対象に入れておく。機を見て連絡を入れる。》
浅倉はスマホを握りしめた。
(神谷湊……待ってろよ。お前の“強さ”が、夏希の力によるものだと証明してやる。全部――奪ってやる)
かつて、憧れていた“強さ”という言葉。
それは今や、欲望と嫉妬にまみれた“復讐”の道具へと変貌していた。
***
数日後、JDA支部の訓練施設に浅倉の姿があった。
本来であれば模擬演習や戦闘訓練が行われる区画で、彼は一人、打ち込み用の訓練人形を相手に《衝撃打》を何度も叩き込んでいた。
「はッ!」「──ッ!!」
木製の打撃剣が唸りを上げる。
その勢いに圧され、人形が軋むように揺れた。
だが、彼の顔に満足げな表情はない。むしろ、その逆だった。
繰り返すたびに、浅倉の目は鋭さを増していく。呼吸は乱れ、動作は次第に粗くなり、もはや訓練ではなく“怒りの捌け口”と化していた。
「……クソが……!」
自分は間違っていない。
誰よりも早くスキルを得て、適応者の道を歩み出した。努力もしてきた。誰にも負けたくないという気持ちだって、誰より強かったはずだ。
けれど、現実は違った。
――あの日の決闘。
「お前が見えてないだけだ」という、湊の言葉が頭を離れない。
あのとき、彼は本当に何も見ていなかったのだろうか。
自分の動き、力、怒り、焦り……そして、敗北。
何もかも、見透かされていた気がして、悔しさが身体の奥から湧き上がってくる。
(俺は……こんなところで終わらねぇ)
浅倉は、そのままベンチに倒れ込んだ。
額に浮かんだ汗を拭いながら、スマホを取り出す。
画面には、“ヴァルグラン”のメンバーリストと、活動記録が表示されていた。
「……まだ……終わってない」
感情が渦巻く。
理性が追いつかない。
そんな彼に、不意に通知が届いた。
“ヴァルグラン・尾上:次の指示が出た。観察期間を終え、段階的接触を開始する。
浅倉は口元を引き結んだ。
――やるべきことは、決まっている。
もう、戻るつもりなどなかった。
それがどれほど危うく歪んだ道であったとしても、浅倉はもう、それ以外に自分を保つ手段を持っていなかった。
このままではいられない。
このままで終わることなど、許せなかった。
そして、彼の中で固まりつつある一つの意思。
それは、やがて“事件”として物語に波紋を起こしていく――
その種火が、確かに今、灯ったのだった。




