第11話 クラン勧誘
都内某所──JDA本部併設の訓練場には、今日も多くの新人冒険者が集まっていた。
湊は夏希とともに、軽い訓練を行っていた。初ダンジョン以降、連携強化と個人技能の向上を目的に、時間を見つけてはここに通っている。
「はっ」
訓練用の木剣を振る湊の動きは、冴えていた。剣術Lv4という数字が示す以上に、彼の剣は静かで、無駄がなかった。
それを傍らで見守る夏希もまた、癒糸を用いて負荷調整や反射強化のバフを実験している。
「すごいね、湊くん」
「いや……夏希の補助があるからこそだよ」
控えめなやり取り。しかし、それを遠くから見つめる視線があった。
「──あの子たち、ちょっと面白いわね」
訓練場の二階通路から見下ろしていたのは、現役A級冒険者、藤崎リラ。
長身の女性で、鋭い眼差しとラフなジャケット姿が印象的な人物だ。
隣に立っていた新人教育担当のギルド職員が、少し困ったように笑う。
「……彼ら、まだF級ですよ?」
「わかってる。けど剣の子、あれ、剣術レベルだけじゃないわ」
「観察眼ですか」
「それと、型の反復精度が異様に高い。あれ、戦闘訓練だけでできる動きじゃないわよ」
リラはそう言って、足を止める。
「少し話してみる」
「あの、藤崎さん……今接触するのは」
「いいの。声をかけるだけ」
そう言って階段を降りたリラは、そのまま訓練場の片隅へ向かっていった。
木剣を納め、タオルで汗を拭いていた湊のもとへ、足音が近づく。
「あなた、神谷湊くんね?」
突然の声に、湊は肩をすくめた。
「……そうですが、どちら様ですか?」
「藤崎リラ。A級冒険者よ。今はJDAの戦術顧問もしてる」
一瞬、夏希が驚いて息を呑んだ。藤崎リラ──日本では知らぬ者はいない、最年少A級昇格者。
「あ、あの……何か、ご用ですか?」
「別に。見てたら面白い剣振りだったから。何度も同じ動きを反復してたでしょ? それ、訓練の一環?」
「……まあ、そんなところです」
「ふうん。なんでそれをやってるのか、理由は聞かない。けど──あなた、まだまだ伸びるよ」
突然の言葉に、湊は思わずまばたきをした。
「戦闘ってのはね、スキルだけじゃない。観察力、事前準備と……そして“冷静さ”」
リラの言葉はどこか湊の胸に引っかかった。
──あの剣、無駄がない。でも、尖ってない。
「あなた、今は地味って言われてるかもしれない。でも、いずれそれが一番の武器になる」
湊は戸惑いながらも、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
リラはそれ以上は何も言わず、軽く手を振ってその場を去った。
去り際に、夏希がぽつりと呟く。
「……なんだか、すごい人だったね」
湊は剣を見つめたまま、小さく息をついた。
「……ああ。でも、なんか少し自信が湧いた」
そして、その日の訓練は静かに終わった。
彼の剣は、まだ“未完成”だ。
だが、それを見抜いた目があったということは──この道の先に、確かな何かがあるという証明だった。
***
また別の日、湊が訓練場の片隅にある水飲み場で喉を潤していたとき、ふいに名前を呼ばれた。
「神谷湊さん、少しよろしいでしょうか」
静かだがよく通る声だった。振り向くと、長身痩躯の男が一人、スーツ姿で立っていた。黒地に赤いワンポイントが入ったネクタイが、どこか見慣れたシンボルを思わせる。
「……あなたは?」
「私、クラン《朱炎の梟》で副リーダーを務めております、黒崎誠司と申します」
すっと差し出された名刺を受け取る。高級感のある紙の質、浮き出し加工で刻まれたクランの紋章。名刺の裏には手書きで連絡先まで記されていた。
《朱炎の梟》──湊も名前は聞いたことがある。関東圏を中心に活動する中級上位の実力派クラン。規模は中堅ながら、訓練制度とチーム運用能力に定評があり、ギルドの上層とも一定のパイプを持つ。
つまり、新人が気安く近づける相手ではない。
「驚かせてしまいましたね。申し訳ありません。ですが、あなたとお話ししたいと思いまして」
「……なぜ俺に?」
黒崎は湊の問いに、すぐには答えなかった。代わりに静かに口元を引き結び、やがて一歩だけ前に出る。
「実は、先日行われた模擬演習──あの決闘を見ておりました」
あの、と聞いて湊もすぐに思い至る。浅倉との決闘。パーティー勧誘を巡って勃発した一件だ。
「あなたは、スキルに頼らっていなかった。正直、驚きました。あれほどの戦闘精度を新人で発揮できるとは」
「お褒めいただき、光栄です……が」
湊は名刺を指で回しながら静かに返す。
「模擬戦の動きを見ただけで、勧誘ですか?」
「勘ではありません。確信です」
黒崎はすっと椅子に腰を下ろした。二人のあいだに緊張の糸が一瞬だけ張り詰める。
「あなたの剣は、“理解”の剣です。型に忠実でありながら、攻撃に合わせて最適解を導き出す。実践的な思考と判断。技術と精神の一貫性」
「……評価しすぎですよ」
「そうでしょうか?」
黒崎は微笑を崩さず、手元のタブレットを取り出すと、湊の訓練映像を再生してみせた。ギルドの演習場では定期的に記録映像が撮影されており、それは上位クランであればアクセス可能だ。
「これは……」
「失礼。ですが、我々のようなクランは、才能を探すだけではなく、“相性の良い素材”を見極めるのも仕事のひとつです」
黒崎は一呼吸置いてから、続けた。
「あなたがたの構成──前衛の戦術脳と剣技、後衛の回復と支援。そのバランスは非常に完成度が高い。まだ若いですが、素材としての将来性は十分」
「素材、ね」
湊はわずかに口角を引き上げた。少し皮肉めいた笑みだった。
「よく言われます?」
「ええ。だからこそ、私は“素材”としてではなく、“仲間”として誘いたいのです」
その一言に、湊の眉がわずかに動いた。黒崎の表情には、打算や下心は見えない。ただ純粋に、戦力を見極めた上での提案だ。
「焦らなくて構いません。ですが、いずれ必ず来る分岐点のために。選択肢の一つとして、私たちを覚えておいていただければ」
黒崎は丁寧に頭を下げた。
湊はそれを受け止めながら、どこか遠くを見るような目で小さく呟いた。
「……先のことは、まだ分かりませんけどね」
「そうだ、これを」
別れ際、黒崎は一枚のパンフレットを差し出した。重厚な表紙には、精緻なエンブレムとともに《朱炎の梟》の名が記されている。湊はそれを受け取り、視線を落とす。
「そこに書かれている通り、我々は中級上位のクランとして、下手な大手よりも、育成やサポートに重点を置いているつもりです」
「なるほど。たしかに、それは中堅クランならではかもしれませんね」
湊の声には、評価も警戒も混ざっていた。
彼が今まで見聞きしてきたクランは、どこかギスギスしていた。上下関係が絶対だったり、戦力で差別されたり、あるいは名誉や功績がすべてだったり。その点、黒崎の物腰と話し方には、どこか人間らしさがあった。
だが、だからといって即答するほど、湊は軽くない。
──クランに入るというのは、単なる“チーム”ではない。ほとんど“組織”に属するのと同じ意味を持つ。
命を預ける仲間を固定し、任務の指示を受け、場合によってはギルド外の利害関係にも関わる。リスクも責任も跳ね上がる。
そしてなにより──自分はまだ、そこまでの器ではない。
(……俺は、剣を振れるだけだ)
剣術スキルLv4。たしかにそれは、初級冒険者としては規格外のスペックだろう。だがそれは、積み上げただけの“経験”に過ぎない。地道な鍛錬と反復がもたらした結果であって、突出した才能や天賦の力ではない。
──そして、ユニークスキル《リピート》。
地味で、使いづらく、効果も限定的なスキル。反復による補正が最大25%まで上昇するだけ。瞬発力も破壊力もない。
このスキルが、いつか役に立つ日が来るのか。その答えは、まだ湊自身にも分からなかった。
「……考えておきます」
それだけ答えて、湊はパンフレットをしまった。
黒崎は、それ以上は何も言わなかった。ただ、深く頭を下げ、背筋を伸ばして去っていった。
残された湊は、しばらくの間、水飲み場に立ち尽くしていた。
***
夜。湊は夏希と合流し、帰り道を並んで歩いていた。
「どうしたの?何かあった?」
「……クランから勧誘された」
「えっ?もう?」
夏希は驚いたように目を見開く。
「朱炎の梟って、結構有名なとこじゃない?」
「知ってるのか?」
「うん、確か支援系に強くて、パーティ単位の戦術訓練がうまいんだって。あ、でもそれって私の家が医療系だから情報が入ってきただけで、普通の人は知らないかも」
そう言って夏希は微笑んだ。
「で、どうするの?」
「明確に断ったわけじゃない。ただ……即決するほどの自信はない」
「そっか」
しばらく沈黙が続いたが、夏希はそっと言葉を重ねた。
「でも、誘われるのは当然だよ。湊くん、すごく強いし、冷静で……」
「……いや」
湊は否定しかけたが、やめた。否定しても、それは言葉の壁になるだけだ。
「クランとか組織に所属するのは、もう少し実績を積み重ねてからでも遅くないと思ってる」
「うん。……私も、そう思う」
2人の会話は、それ以上深く踏み込むことなく、ふわりと夜の風に流されていった。
***
湊の手元には、今も《朱炎の梟》のパンフレットがある。
中には、主なメンバーの顔写真と簡単なプロフィールが載っていた。明らかに全員、実力派揃いだ。
湊の視線が止まったのは、その中のひとり──副団長とは別の若い男性。おそらくまだ二十代前半だが、A級ダンジョン挑戦歴を持つ強者だという。
(……この人に、追いつくには)
まだ、何が正解かは分からない。
ただ、湊の胸の奥には、わずかに灯った“比較”の火があった。
***
数日後。湊は再びギルド支部の掲示板の前に立っていた。初級〜中級向けのダンジョン情報がズラリと並び、いくつかには「近日メンテナンスあり」「ボス個体強化中」などの注意書きが添えられている。
その傍ら、クラン勧誘のポスターが並んでいた。朱炎の梟もその一つだった。
「─お、お前、神谷湊か?」
背後から声がして振り返ると、黒崎ではなく、別のクランのメンバーだった。彼は湊を見るなり眉を上げた。
「最近ちょっと名前聞くぞ。初級の剣士で、講習組の中じゃ抜けてたって」
「そうですか?」
湊は愛想笑いもせずに答えた。
「だが、朱炎の梟か。あそこはまあ、悪くはねえな。中途半端に大手に入るより、ああいうとこで地盤作った方が育ちやすい」
「勧誘されました」
「だろうな。あそこは見る目あるから」
会話を切り上げるように、湊は掲示板に目を戻した。彼の視線は、ひとつのF級ダンジョンに留まっていた。
***
その夜。湊は、夏希と共に宿の一角にあるダイニングで夕食を取っていた。ダンジョンから帰った直後で、2人とも軽く泥をかぶったような服装のままだった。
「……やっぱり、今日の動き、良かったよね」
夏希が言った。
「湊くんの斬撃、なんかいつもより鋭くて。私の癒糸も前より絡みやすかった気がする」
「かもな。斬り方の反復が、ちょっとだけうまくいってたのかもしれない」
「リピート、やっぱり使えるスキルだと思うよ」
「……そうかな」
思わず湊は視線を落とす。
彼の中では、まだ《リピート》の真価が掴めていなかった。けれど、戦うたびに、少しずつ何かが“繋がっていく”ような感覚はあった。
「でも、やっぱりクランの話は断る?」
「今はな」
「じゃあ、将来は?」
「わからない。必要になったら、選ぶと思う。戦う理由ができたときに」
その言葉に、夏希はうっすらと頷いた。
「うん、湊くんなら、そう言うと思った」
***
部屋に戻った湊は、ベッドに寝転がりながら、朱炎の梟のパンフレットを再び手に取った。
副団長・黒崎の顔写真。その隣には、主要メンバーの紹介。
A級挑戦者、ダンジョン探索率の高さ、パーティ構成の洗練度。
──どれも眩しかった。
だが、そのページをめくり、最後に書かれていた一文が、湊の胸に妙に引っかかっていた。
《あなたが見落とした力を、我々が発掘する》
(……逆だな)
湊は、そう呟いた。
(俺は、自分で見つける)
クランに頼らず、スキルに甘えず、ただ繰り返す。その先に、“本当の強さ”があるはずだから。
湊はパンフレットを丁寧に畳み、引き出しにしまった。
そして、明日のダンジョン予定表を確認しながら、静かに目を閉じた。
闇の中、脳裏に浮かぶのは、分厚い迷宮の壁と、うっすらと光る魔石の光だった。
次なる挑戦は、すぐそこに迫っている。




