刹那トラッカー⑧生きて
しぃ、ん。
まず感じたのは、静寂。
遠く、唸り声のような反陽転斥力エンジンの音がぐぅん、ぐぅんと響き、きゅるるるう、古めの空調設備が音を立ててはいるものの、ここは意図的にそう仕立てられている。
つまり、人払いがされている。
話し声や吐息、靴の音などがしない。
たら、らららら。
微かに、オルゴールのような音も聞こえる。
目を開く。
目の前には、白と黒で構成された猫耳猫しっぽのウェイトレス。
おおとろべふこ。
この作品の作者であり、登場人物として、主人公として、読者の「あなた」を第九次元人ナイン・エルナとして、この作品世界に引き込んだ張本人。
「あなた」は口を開く。
A、「ナツコを、ぼく/私の身代わりのためだけに産み出したのか。」
しぃ、ん。
べふこの猫のしっぽが揺れる。
A、─「うん。そう。イエス。」
B、「何故だ。ぼく/私は作品の主人公ではあるものの、実際の体は四次元の世界にある、ナツコが身代わりになって死ぬ必要は無いはずだ!」
やや広い空間に、「あなた」の声が響く。
ぴくぴく、と妄想女の猫耳が揺れる。
B、─「このエピソードは、なぜナツコを刹那トラッカーから再生して、なぜナツコが「あなた」の身代わりになって死ぬ、または死に続けているか、その説明をするよ。」
奥歯を噛み締めた表情のまま、べふこは「あなた」に─。
「準備はいいんだね?ナイン・エルナ。読者の「あなた」。」
C、「頼む。」
普段コメディタッチでしか話をしない作者は、「ふうぅぅ。」とゆっくり息を吐いたあと、口を開いた。
C、─「ナツコが出る前のエピソード群、刹那ロストに目は通してもらってると思う。」
そう、「あなた」は腕の中で震える姉、ナツコの涙を受けて、今ここに立っている。
「あの始まり、わたしの世界記述デバイスは何らかの、カヌメナーアによる操作を受けて機能停止に追い込まれたの。」
第十三次元人。
そのいち個体、カヌメナーア。
四次元の世界で、作者おおとろべふこが記述したダリア─太陽系第三惑星人戦記─その二次元作品世界を焼いた。
それを観測した読者の「あなた」を作者おおとろべふこは、第九次元人ナイン・エルナとして主人公とし、第九次元人の「あなた」へ。の記述を開始した。
「カヌメナーアがわたしを直接熱量移動、つまり簡単に言うと死んだ状態にさせないのは、わたしはまだ記述してない命球の機能を知ってるから。」
そう。以前刹那ロスト内で、「あなた」の脳からの熱は命球への経路が確立されている、と作者は記述した。
「そう、だから─。」
おおとろべふこは、ゆっくりと腕を上げ、「あなた」を指す。
「わたしのすまひょを破壊しても、地球での時間はかかるけど復旧や代替手段は取れる。」
これは実際にこの妄想女が成し遂げた。
「だから、次にカヌメナーアが狙うのは、「あなた」の現実の地球での命。」
そんな、まさか。
この作品はただの空想科学またはSFファンタジー、または妄想のはずだ。
「これ、知ってる?」
作者は、白い紙を「あなた」に見せる。
「ちょっとだけ、ひとのかたちに見えるかな?」
指先でつまんだそれを、ひらひらと動かす。室内でそれは、舞うように。
「これは、形代。昔から地球の日本って国で使われていた、ましないのためのもの。」
おおとろべふこはそれを撫でる。
「昔からこの国のひとたちは、物理的にじゃなくて、魂や存在そのものがよくないものに汚染されてしまう、穢れって考え方を持っててね。」
そのまま、その形代に「ふー。」と息を吹きかけた。
「だからこうして、穢れを移して、川に流したり、清めて燃やしたりしたの。」
A、「だから、ナツコをぼく/私の形代にしたって言うのか!」
「あなた」の腕の中で、離れたくない、と泣いた女の子を。
A、─「うん。」
悪びれもせず、ただ淡々と。
B、「何を考えてるんだ!」
「あなた」の強い言い方に、べふこは目を強く閉じたものの、また開く。
B、─「たったひとつ。「あなた」をカヌメナーアに殺させずに、元の四次元世界で生きてもらうこと。」
一個だけ残った右の目で「あなた」を見つめ返し、口を開く。
C、「ぼく/私は生きてる!殺されることなんて!」
生きていなければ、読むことも出来ない。
C、─「前に記述したけど、「あなた」のいる実際の世界は水素の転写模倣体。だから、四次元世界では、常に向こうの影響下にあるの。」
おおとろべふこは、左上で天井を指し、次に床を示す。
「上の次元の存在に何をされても、下の次元の存在は現象でしか、認知をする事が出来ない。」
第十三次元人カヌメナーアが、二次元作品の世界住人全てを太陽で焼いたように。
読者の「あなた」が紙に落書きをするように。
「病気が怖いわね。ガンや脳卒中、心筋梗塞。わたしみたいに難病かも。他にも交通事故や、自然災害や、火事とか、もしかしたらテロリストが「あなた」を人質に取って、強盗もあるかも知れない。」
A、「それは、たまたま運が悪かったとか。」
彼女は、頷く。
A、─「そうだね、だから─。」
「あなた」は言われる前に、気付いたのだろうか?
「─だから、第十三次元人のやる事に、四次元人は、認知と根本的な対処は出来ない。」
おおとろべふこは、何枚も乱雑に描かれた女の子のスケッチを出す。
「だから、わたしはナツコをいっぱい描いた。」
笑っている、泣いている、怒っている、上を見ている、下を見ている─。
「だから、ナツコを「あなた」の印象にいっぱい残るように、あのお話を書いたの。」
初めて持った印象は、硬質的、だった。その後にズボラな性格であり、海ではしゃいでヤドカリに耳を挟まれたり、山ではみかんを収穫したり、そして最後は、「あなた」といられる時間が、ナツコの生きていられる時間が短いのだ、離れたくない、と泣くのを見た。「あなた」は抱きしめた。
「ぜんぶ、読者の「あなた」に生きてもらうために。この第十三次元人カヌメナーアとの戦いの中で、「あなた」の四次元世界、地球での命が奪われないように。」
胸を貫かれたナツコが、暴走車に轢かれたナツコが、火災に焼かれたナツコが、水害で絶命したナツコが、さまざまなナツコの身体が現れ、そしておおとろべふこがそのナツコ達を、抱きしめる。
「被造物を愛さないひとはいるかも知れない。けどわたしは、「あなた」の代わりにカヌメナーアに殺されたナツコたちを全員覚えてる。」
今、ここで話をしている空間は。
「ふふ、そう。ここはね。」
今まで、グレーの背景、ただの室内だと思っていたそこは─。
「うん。「あなた」のために死んだ、ナツコたちのための部屋。」
たら、ららららら。
微かなオルゴールの音が、室内を満たす。
おおとろべふこは、増え続けるナツコの瞳を閉じさせて、身体を拭いて、抱きしめてゆく。
「とっても悲しい、寂しい場所でしょ?」
並べられた花瓶には、ダリアやイフェイオン、アイビー、スタークラスター、ワサビ、パキラ、アスター、アネモネ、ブラックバッカラ、エーデルワイス、クロユリ、アルストロメリアなどが一輪ずつ、刺されている。
「この子たちが寂しくないように、ダリアの世界での登場人物の、みんなのエピソードをね、書いてなかった分を聞かせてあげてるの。」
たらららら、かた。
オルゴールが止まる。
じーっこ、じぃぃ、っこ。
おおとろべふこは、オルゴールのゼンマイをゆっくりと、巻く。
たらら、らんららら、らら。
再び、オルゴールが微かな音色を刻む。
「ここにいるわたしは、他のわたしとも入れ替わってるから心配しないでいいよ。」
伝えたい事を伝えたのだろう、彼女は「あなた」の両肩をそっと押す。
ぐらぁ。
「あなた」の身体は、再び白い闇に包まれる。
「とにかく生きて!「あなた」のナツコのためにも!ここにいるナツコたちのためにも!」




