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第一部前編「青の瞳の」

挿絵(By みてみん)

     

   ─────亡き父と、育ての父達に捧ぐ。



──────────────────────────


暗く冷たい光の海に

青く輝く光がひとつ

その輝きのひとかけら

さんさんさんと、輝いて


            「ウーンラァン」


「それじゃあおじいちゃん、また来るね。」

「…。」瞬き。


面会に来た家族が当直のスタッフに挨拶をし、老人はまた個室に取り残される。先の大戦において英雄と呼ばれたかつての姿はとうになく、現在はベッドの上で衣食住の全てをを他者に依存している。

「それでは消灯時間ですのでお部屋の灯りを落としますね。何かあれば瞬きを繰り返してください。それでは次の巡回まで失礼します。」

聞こえたとしても、理解は出来ないでしょうね。と心の中で付け加える。

一礼した後スタッフは退室する。コツコツ、コツ。冷たく暗い施設の廊下を足音が遠ざかる。


「ああ、う…。」


透き通った水に垂らした墨汁のように濁った意識の中、彼は星明りと夜の青に染まった室内で、声にならない声を出す。


リィーン。


底なしの沼に沈もうとしていた老人の意識が。10数年檻に囚われていた思考が。急激に覚醒する。

「こんばんは、英雄さま。」


語りかける若い女の声。


「ウーン、ラァン。」


しわがれた声しか出せなかったはずの老人が、声の主を淀むことなく呼ぶ、あたかも英雄であった頃のように。


「心外ですねぇ。久しぶりにお会いしたのですから、そんなに睨まないでくださいませ。」


とうに枯れ切ったとは思えない力強い声で名を呼ばれるも、その語気に怖じる事なく返す女。

ひゅううう、ぱたぱたぱた開け放たれた窓から風が吹き込み、カーテンをはためかせる。


「それでは、お貸ししたものを返却していただきます。」


ぱちん 彼女が指を鳴らすと、老人の身体に火がついた。ただの火ではなく、燃えるのは老人の魂だけ、それも煌めく緑の炎に包まれて。その緑の煌めきに姿が映る、ありし日の英雄の。炎が煌めくごとにその姿が変わって行く。幼く野山を駆け回る姿。友と手を合わせ嵐から畑を守る姿。恋を知り想いを伝える姿。そして戦乱が起こる。無力のまま握り締めた棒切れで、故郷があった場所を叩いた姿。手にした剣で掴んだ勝利を、仲間と分かち合う姿。救えなかったある母親から託された幼子、その手を握り逃げる姿。緑の炎を与えられ、己の血の海の中立ち上がった姿。新しい生命をその両手に掲げ、天に感謝する姿。

炎が煌めくたびに映し出される姿に少しずつ、他の彩が増えて行く。


救った生命。救えなかった生命。

奪った生命。奪われた生命。

それら全てが煌めきとなり、英雄の中へ注ぎ込まれる。


「…!。!」


声にならない絶叫を上げ、英雄は一欠片の小石となった。


「ふむ、さて必要な分は回収出来ましたか。」


小石を摘み上げたウーンラァンを、音なき影が取り囲む。

シィィィィ!影たちは、糸の様に細い紫の光をそれぞれの手から放ち、それは医療施設の他の階層に展開した多数の影のものと組み合わさり、正二十面体の方陣を展開していた。


「捕らえたぞ。」


一際強い光を手繰る影が声を発した直後、ウーンラァンの持つ小石が紅く煌めいた。彼女は、医療施設という空間のみならず、彼女が現れた瞬間から、英雄の存在を小石に変え、包囲されるまでの時間という、時空を貫いて組み上げられたポリエドゥラの拘束を意にも介さず、恒星から大気を通して得られるものとは別の輝きを放つ「夫と死に別れた夫人の嘆きを映す手持ち鏡」「満天の夜に咲いたイチジクの葉」、「嵐の中で鳥が我が子のために咥えた小枝」、「穢れた沼に咲く野花から垂れた朝露」などを取り出した。

                      魔女

「貴様は!これ以上この世界から何を奪うのだ!熱奪者!」


長年、それも切り立った岩が雨や風に晒されて砂の一粒になるまでの間より長い間。この星に芽生えた命、その中でも言語を獲得し、文明を持つに至った各種族、民族その中から選ばれた術者達の展開する渾身の方陣の中で、数千年に渡り発生した、この星の歴史に関わる数多の戦いに於いて、力なき者を英雄へと変えてきた存在が、この世界の在り方を根幹から覆す破滅的、冒涜的とも思える行為を取るのを前に、影はただ声を上げる事しか出来なかった。

全ての生き物から流されたあらゆる汗、涙、血と喜び、怒り、哀しみと楽しさの感情が、この星に住まう生き物が等しく与えられた恒星よりの熱、星自体が生み出す熱の総量が鮮やかな赤、橙、黄、緑、水色、青、紫の光の線、または軽やかな子ども達の歌声のように幾層にも折り重なり、魔女を包む。


「そんなに怖がらないでくださいまし。」


魔女は軽くウインクをし、右足の爪先立ちでくるっと右回転をする。

視界、嗅覚、聴覚から流れ込む全ての情報が1つの生命体でしかない影を押し流そうとする。その中彼女はただ、くるくると踊っていた。

まるで小さな子どもが花畑で喜び跳ね回るように。


「ただ、次の星へ行くだけですから。」


彼女は次の瞬間、その星の記憶から消え失せた。


────────────────────────────


暗く冷たい光の海に

いくつか見える黒い渦

光を集めて閉じ込める

そんな渦の、1つのお話



               [進級式]


「「ぴんぽんぱんぽん」」


市街のさまざまな箇所に取り付けられた木製の拡声器が鳴る。


「「おはようございますラプリマの皆様、アウタナ・セリフラウです。本日もお日柄が良くご機嫌麗しくあらせられるかと存じますます。先日は56名が邯鄲の柱となられました。本日は56~9名の予報となっております。それでは良い1日を。ぴんぽんぱんぽん。」」


公営放送に耳を傾けていたひとびとは、また朝の支度に取り掛かる。荷造りをする者、鏡に向かい髪型を整える者、そして登校するために路地を行く学生。


「お嬢様〜!」


遠くから呼びかけられる。聞こえていないかのように穏やかに歩き続ける。

しかし石畳の上でコツ、コツと木靴鳴らす。苛立った感情を表すように。

商人に連れられふたこぶはある背に木枠と木箱を積まれた2頭の獣、後ろ脚で立ち前傾姿勢で歩行し、短く退化した前足の先端についた鉤爪と、胴体ほどの太さと長さを持つ尾には別の木箱が括り付けられている。そのうち気の弱い方が、呼びかける女性の声に振り向き、足を止めた。その地走りへ「またか。」とため息を吐いた商人が、首輪へ伸びた手綱を引くと、木箱に山積みとなった青緑のまだ熟れていない、甘みより酸味が強い果実の一つが弾みで飛び出し、ころころりと転がって、呼びかけられた少女の木靴の先にコン、とぶつかった。


「むう。」


ゆうべから機嫌がよろしくなかったものの、この木の実は元いた場所へ戻してあげないと。身をかがめ拾い上げ、ポケットから取り出したハンカチで拭いてあげようとすると声の主に追いつかれてしまった。「そろそろ〜ご機嫌を直してくださいよお嬢様〜。」慌てて走ったからであろう、少しズレた眼鏡と前髪を手櫛で整えて彼女に語りかける。


「何度でも言いますけど、わたくしはもうそのような身分のある者ではありませんわ。」

姿勢を正し、胸を張って屹然と告げる。

「確かにお嬢様は〜受け継がれた資産の9割9分9厘を国庫に納められましたが〜それでもお嬢様は私にとって敬愛するお嬢様でございます〜。」

彼女は続ける。「それに受け継がれたものは御資産だけではなく〜その資質もですよ〜。早くエンゲージの候補者をお選びいただきませんと〜。」


学生鞄から一般的な辞書ほどはある分厚いカタログを、ごそっと取り出して開く。パラパラと無造作に開かれたページを指先でつー、トトン、となぞり爪弾くとエンゲージに立候補した数十名の顔とプロフィールが2人の間にうっすらと立体的に映し出された。


「これも何度でも言いますけど、この中の誰であっても選ぶことは致しませんわ!」


明らかに機嫌が悪くなり眉間に皺を寄せ、声のトーンが上がる。


「この方達はわたくし自身ではなく、お爺さまから続くぜネロジオが欲しいだけですわ!」

「それはその、まぁ…。」


確かにその通りである。彼女の祖父から受け継がれるぜネロジオは唯一無二であり、逆に言えば途絶えさせてはならないものでもある。


「それでもお嬢様〜。騎士科への進級はもう一度よくお考えになられた方が〜。」


尚も食い下がる。騎士科へ進むと言うことは青春も恋もその後の生涯、全てを懸けて戦い続けると言うことだ。適当な騎士とエンゲージを行いぜネロジオを預け、日々を穏やかに健やかに過ごした方が充実した人生を送れるのは間違いない。


「お爺さまもお婆さまも、お父さま方も騎士として誇らしい生き方をされました。」


目を閉じてトーンを落とし、静かに話し始める。


                 コルレル

「わたくしだって!お爺さまのような!駆騎士の称号を冠する立派な騎士になりたいんですの!」


みしみし、ばきぃ!がぶっ、むしゃむしゃ。

お嬢様は手に持っていたりんごを握り潰し頬張り始められました。


「そもそもですわ!わたくしとエンゲージしたいと立候補した騎士科の生徒達はつい先日のワイルドハントに応援へ向かったものの、みな後方からの支援を行う砲兵科ばかり!比較的安全な位置からの支援しかしておられませんわ!どうせわたくしのぜネロジオで火砲の底上げを目論んでいるだけですの!」


少し離れているのに果実の汁と唾液か飛んで来る。眼鏡のフレームにワイパーでも装着しようかな、と思いつつ聞き流す。お嬢様は確かに幼少期の教育である程度の作法や言葉遣いは身に付けていらっしゃるはずですが、本来の性質は大旦那さまと同じくまっすぐで豪快。悪く言えば猪武者。そのぜネロジオはまさしく駆騎士にふさわしい。その気性だけで英雄の再来と謳われるのも納得ではありますね。


「いえお嬢様〜、そもそも直接戦闘を許可され行えるのはエンゲージを行った騎士のみですから〜。騎士科候補生の方々はみなエンゲージされていらっしゃいますし〜、そちらの方々ですら

『彼女の戦闘スタイルはちょっと…。』

     ウサギ

『第一世代のUSGとうちのじゃ相性問題が…。』

『浮気したら穴だらけにされそうだし…。』

『当方といたしましては誠に残念ながらお嬢様とのエンゲージをお断りさせていただきます。』

「あのコルレルが!?うぅーん…。」

『あなたに相応しい相手が現れることをお祈りさせていただきます。』

などなどの生温かいお返事を〜頂いて〜拒否されたじゃありませんか〜。」


開いたホログラフには、申し訳無さそうに断る顔、とてもついて行けそうにないと拒絶する顔、何かのドッキリではないかと周囲の物陰を見回す顔、気絶して意識を失う者、そのほかにも様々な動画がぽんぽんぽん、と映し出される。


「何度このお返事たちを拝見致しましても…。」


伏せ目で落ち着いた様子で口を開くお嬢様。しかし深く息を吸っている。


「はァ!?お爺さまから受け継いだ由緒正しき第一世代であり二脚軽量、脚走型のレピアーとその戦闘スタイルを、駆騎士の戦いを古臭い危険で無謀な暴走列車だと馬鹿にされていますの!?!?!?はっ倒しますわよ!!!!!!!!」


肘を引き両拳を握り、ずだん!と足を踏み締めて怒りを表す。

美しい金髪のロングの巻き毛がふわりと舞う。

石畳にはもちろんヒビが入り、彼女のポデアにより緑色の小さな雷がバチ、バチチと無数に発生と消失を繰り返す。


「もう…それでお嬢様が騎士候補を根こそぎ病院送りにしたせいで〜急遽砲兵科が招集されて〜、エンゲージのお誘いが多数来たのではありませんか〜?お嬢様のぜネロジオは〜、最近の戦術ですと確かに砲兵科のウサギと相性が良いのですよ〜?」


ばさばさ、と数十枚の各候補への医療費に慰謝料の明細、領収書を目の前で鞄から取り出し空に投げる。ひらひらひら、と舞う書類がお嬢様の視界を覆い彼女の力を奪う。

途端にお嬢様は腰から下の力が抜け、へなへなぺたん、と座り込み両手で顔を覆い泣き始められました。


「ううう、お爺さまの資産を考えなしに国庫へ納めたあの日のわたくしが恨めしいですわ…。せめてワイルドハントの前夜に2等素材子牛フルコースを、3等素材ハンバーグにしていれば。」


みみっちい。


「…ふう、『身一つで、手にはウサギ一台あればいい。遺産なんて必要ない。それがお爺さまみたいでカッコいいですわ!』って自信満々でしたのに〜。」


言葉のナイフが刺さる。色々思い出されたのでしょう。お嬢様はひとつひとつの言葉を噛み締めるように聞いて悔し涙を流されています。


「それで、ワイルドハントでは〜どうされましたか〜?」

「ワイルドハントの方々に補給物資を運ぶ役でしたわ。」


あくまでお嬢様は騎士候補、エンゲージもしていないひよっこにはそれでも危険でしょう。


「それは素晴らしいですね〜。大旦那さまに旦那さま方もとてもお喜びになられるでしょう〜。」


顔を上げたお嬢様の顔は明るかった。鼻水が垂れている。美しい。


「それで〜成功なさいました〜?」

「それは…。」

「整備不全の〜骨董品だったお嬢様の輝かしいレピアーは〜起動直後に駆動部が中破して〜、擱座なさいましたね〜。人間で言うと〜ギックリ腰ですね〜。」

「はい…。」

「補修なさいました〜?」

「その…お金が。」


ううう、と泣き崩れるお嬢様。遺産を国庫に納め病院送りにした数十名への弁済で遺産は底をつき、ただ一つ残された機体も維持費用すら払えずハンガーから追い出され野晒しになり、シリンには「旧式下取り買取拒否。」の札が貼られている。更に整備もも疎かにしていたのに夢の勝利を前にして2等素材の子牛をまるま一頭フルコースにしたのだ。この愛らしいお嬢様は。


「やっぱり〜あのウサギは〜博物館へ寄贈しましょ〜?」

「いや…いや…。」


こうして光ある未来を前にした若者が、それも数多の恒星が生まれては燃え尽きるまでの永い旅の果てに見つけた愛しい愛しいご主人様が、朝のあいさつにおはようございますわ。と美しい金髪ロールを掻き上げて微笑むその笑顔が。その場の勢い、それも『祝勝前夜祭に致しましょう。あなたのために転換しておいた二等素材、子牛の頬肉は特に柔らかく絶品です!舌は厚切りにしたものを軽く塩と香辛料で味付けしたものをサッと炙り肉汁の滴るうちにお口いっぱいに頬張っつください!お尻周りの柔らかい筋肉としっぽを使ったスープも大変美味しゅうございますよ!』という商人の営業トークに乗せられて底無し沼に片足いや全身沈み込み、美味しいですわおほほほほと楽しまれた翌日にはあの情けない有様で。今は目の前でその麗しい瞳や整った鼻から体液をだらだらと垂れ流し、小さな子どものように駄々をこねる姿は、惑星の重力に引かれ大気の摩擦により燃え尽きる流れ星のようで儚く美しく、そして可愛らしい。この場所に至るまでの道程も無駄ではなかった事を実感させられます。本当なら今すぐ駆け寄ってハンカチで拭いて一枚一枚を額縁に入れて飾りたい。しかし石畳に垂れた体液を冷やし固めてお茶のおつまみにして楽しむ暇もありません。この世界の時間は永いようで短い。瞬きの間にも時計の針は進むのですから。そろそろ進級式が始まってしまいます。


「さあ、お嬢様〜。」


手を差し伸べ微笑みかける。


「もう進級式が始まってしまいますよ〜。行きましょ〜。あなたと大旦那さまの望みである騎士となるために〜。」


そして、私の望みのために。

そして、光が従者を吹き飛ばした。




暗く冷たい光の海に

凛と咲く紅い花

あなたはわたしで

わたしはあなた


                「青の瞳の」


ちりりりり…二本の足が生え、12から3.6.9と数字が周上に描かれた円柱を上から見た形の胴体には中心に杭が打たれ、細長く足の速い兄と、太く短い遅い弟が串刺しになって終わらない競争を続けている。胴体には直線を組み合わせた形の金具があり、更に両隣の双子の鐘を震えながら打ち付けている。

それに手を伸ばし「もういいよ、ありがとう。今日はゆっくり休んでね。」と声をかけてあげないといけない。

けれど、けど、わたしの身体を包むふわふわのベッドとお布団が、香りの強い穀類の実の殻を干したものをぎゅうぎゅうに詰め込んだ心地よい硬さのまくらが。

わたしをずっと離さない。しばらくお布団の中でもぞもぞしていると

カンカンカンカカカカカカカカ!!!

どうしても起きる気が無いのなら、そうか力技で起こしてやろう。さっきまで遠慮気味に双子の鐘を叩いていた槌が本気を出した。か弱く泣くだけだった双子も大喜びで絶叫をあげ始めた。

起きろ、起きろ。さあ起きろ!


───そーだよ早く起きないと〜


「あーっ!もーっ!うるさいいーっ!」


ベッドフレームの本棚に乗せていた目覚まし時計を掴んで窓を開き、思い切り投げ捨てようとしたところで意識が覚醒した。


「今日進級式だ〜〜!」


パジャマを脱ぎ制服に袖を通し、クローゼットの開戸の裏にある鏡で手早く髪に櫛を通す。

わたしはわたしの髪が好き。流れるように肩から少し先まで伸ばしたこの髪が。

青く輝くこの瞳も好き。見たことはないけど海の色に似ているから。

きっちりお顔を洗う時間が無いので、おやすみ前にまぶたに被せていた濡れ(ていた)タオルを取り泡の出る小さい筒をサッと一振り、タオルに広がったふわふわの泡で目元と口元をぱぱっと拭う


─────あー、ちゃんとお手入れしないと大人になって後悔するよ〜?


「時間がないの〜。」


ベッドに腰掛けてスリッパからアンクルブーツに履き替え、スカートの留め具を合わせる。

そして一階に降りる梯子に足をかけた

育ての母とそのパートナーの肖像画に目が止まる


「行ってきます。」


────いってらっしゃい


たん、たん、とんっ。ほぼ垂直の急な角度で据え付けてある梯子をつま先で、三段飛ばしで降りる。

たんっ、と膝の関節をクッションとして一階へ着地

そこは狭い通路、ドア前の手洗いで体が覚えこんだ手洗い指洗いをし、扉を開けると調理場になっており、調理台横、リーチイン冷蔵庫の2段に別れた扉の上を開く、更に上下に分けられた棚の下段、そこにあるお皿には昨日のお客様がキャンセルされたカジキのソテーが置いてある。


────それ、ちょっともらっていこ?どうせレジーナのおつまみになるし


頷く、背の低い常緑の木の実から絞った油で堅焼きにした8つ切りのトースト2枚にたっぷり3切れを挟む。開き戸を肘で突いて調理場を抜け、少し進むとカウンター。


「行ってきます。おかーさん。」


グラスを磨いていた黒髪褐色の女性が顔を上げる。


「起きたのか。今朝届いたブリはいい具合だぞ。ところでお前今日は進級式じゃなかっか?」


「へ〜おいしそ…あ!忘れてた!」


口からよだれが出そうになったが慌てて駆け出す


「だから店内で走んな!」

「ぴーすけ達にごはんあげといて〜!」


捕まる前にスイングドアを開きお店を出た。

後ろから響いて来る怒鳴り声と宥める整備のおじさんを背にして大通りへの道を歩く。

しばらくして朝ごはんのカジキにかぶりつく。


「ほうほう、これはこれは…。」


市場から届いたカジキを輪切りにして2日ほど冷蔵で寝かせ、ある程度熟成が進んだものを薄めの塩水にしばらく漬け下味をつけ、飼育している鳥獣の無精卵と穀類を挽いた絹のような手触りの粉を併せて溶いたものにくぐらせる。そこに香草と辛味果実のみじん切りにぱりぱりと乾燥させた堅焼きの穀類餅を削ったものを合わせ、ぽんぽんと手のひらの上で踊らせて、癖の強い根菜の薄切りで香りをつけた青味の強い果実油で揚げ焼きにし、仕上げに辛口の白い果実酒でサッと香りをつけて強火で酒精を飛ばす。


「んむんむ、口に含んだ時にワインの持つ酸味と香りがお出迎え、噛み締めると若いオリーブ、ニンニクの香ばしさとトウガラシの辛味、バジルのほのかなアクセントでおもてなし、別に作った5年もののカジキの魚醤で焼いたトーストと相性ばつぐん!うーん我ながらおいし〜っ。」


──ふふ、常連のビクトルさんの真似?あとはキツめのお酒とチーズがあればいいんだけど、ダリアにはまだ早いね?


「うん、わたしまだ子どもだよ。」


こういう風に、もう1人のわたしが色々教えてくれる。

物心つく前から一緒だけど、私のこと誰にも内緒だよ?って。

食べながら大通りまで歩くと賑やかな声が聞こえて来た。


「えー、それはあり得ません!」

「じゃあ本当にドッグランに出るの〜?激戦だよ〜。」

「うん、コルソにしか適性のない私でも、ドッグランで勝ってフェイのために変わってみたいんだ。」


進級式には間に合いそう。緑の学生服に実を包む、コルソから初等に進級する学生たちが連れ立って歩いている。

その向こう側には泣き喚く赤い制服の2人組も見える。


─────構えて、カンマ3秒後にあの子たちを


そして、何層にも張り巡らされた結界が破られた。



────────────────────────────

暗く冷たい光の海に

握る鉄塊纏うは白檀

輝く銃把に珠込めて

闇を切り裂く雄叫びを



                「運命の主人」




私に手を差し伸べて微笑んだリーナが、黄と青の混ざり濁った黒の光に吹き飛ばされた。

脳と理性が事態を理解する前に本能で後ろに跳び、ぜネロジオに記されたポデアにより複数の緑の雷を両肩と太ももに垂直に刺す。この間カンマ5秒。

思考が認識を行う前に光の原因が眼前に鎮座している。

キュロロ、ケシャケシャ。


「参りましたわね…。」


街に張り巡らされた多層結界を破ったのは偶発的なものであったのでしょう。目の前で蠢く龍はまだ幼体ですわね。おそらく前回のワイルドハントの余波で結界が弱って

キュロロロ

子龍と言いましても、無数の体節はざっと見繕って1000、体長はおよそ1レグア、体節ごとに生えている脚に備わる爪は3トネラーダはありますわね。

ポデアを展開した彼女には目もくれず、子龍はケシャケシャと無数の脚に生えた爪でバランスを保ち大通りを進行する。


─ウサギはありませんけど、わたくし1人でも


四肢に刺した緑のポデアを励起させ、腰を落とし上体をかがめ両手を石畳に添え、改めて腰を浮かせ駆ける体勢を取る。


「ストップ。」


ッタ、と目の前に複数の人物をサンドイッチのように両腕に抱えた赤い髪の少女が降り立つ。


「飛び込むのは待って、先にこの人たちの容態確認を。」

「え、ええ。」


何ですのこの方!?私と同じ赤い制服、つまり進級する初等生なのに、あの一瞬でこの人数を?

半数は気絶している救助者の中に緑の髪、リーナもいました。


「わ、わわわ、私、あのっ!」


緑の制服を着た紫の髪の子は跳ね起きて応急処置を手伝いながら赤い髪に声をかけている


「あ、お嬢様…。ふふっ。」

「ふふっじゃありませんわ…っ。」


目を覚ましたリーナをひとしきり抱きしめ、思わず溢れる涙などをリーナに拭ってもらう。鼻水がついたままの指を彼女は赤い髪へ向けた。鼻水が糸を引く。


「あの方は…?」


その赤い髪は


「「こちらでも確認しました。ルリローの展開要請を承認します。」」

「「ティオ。」」


通信に返事をした赤い髪はネクタイに触れ、織り込まれたポデアを停止した後軽く肩を回す。


「騎士団と通信を行っていらっしゃったようですわね」


赤い髪は両腕を左右へ指先までまっすぐ広げ左の片足でつま先立ち、前傾姿勢で後ろへ伸ばした右足と突き出した顎を一直線に並べている。


「不思議な姿勢を取られる方ですわね。とりあえず伺ってみましょう。」声をかける。

「それであれ、どうしますの?」

「んんっ、んー?」


赤い髪は木箱から散らばったりんごを指さす。


「もったいないよね。刻んでお砂糖と煮詰めてジャムにしちゃう?」

「はァ!?この状況で何を言ってますの!?」


赤い髪は不思議そうな顔で


「んんー?すりおろして煮詰めてペーストが良かった?」


━このスッタコが!


飛びかかる


「あなたはおばかさんですの!?今1番大事なのはアレに決まってますわよ!アレ!」


赤い髪の頭、目と耳の間をゲンコツ、それも指の第二関節で挟み込みグリグリしながら子龍の方へ向かせる。


「いだ!いだだだだ!いでゃあいいいい!」

「アレにどう対処しましょう?って聞いてますの!騎士は皆エルベラノの封鎖にかかりきりですし騎士候補は全員ベッドの上ですわ!「勇者」とワイルドハントは「女神」の命でピリオ掃討に当たっていますし不在ですわ!どうしますの!?」


色々な苛立ちを込めたグリグリと、耳をつんざく激しい言葉から解放された赤い髪は、膝に両手をつき、肩で息をしながらやっと返事をした


「っはぁ、はぁ、わたしが、あの子の命を終わらせるよ。」


━は?


「ああ、君、さっきは助かった。」


地走りを従えていた商人が頭に巻かれた包帯を押さえて声をかけてきた


「ううん、こっちこそごめんね。」


振り向きもせず答えた赤い髪が左手指をぱちん、と慣らすと彼女のぜネロジオに刻み込まれたポデアから読み込まれた赤熱の方陣が展開する。

しゅぼっ、シィィィィ。


子龍が頭部の触覚により方陣から発せられる熱量を感知してこちらへ向きを変えた。


「だあだあ、あーうえええ。」

「るー、るるー。」


近くの建物から、泣く赤子の声とあやす母親の子守唄が聞こえる

子龍はキュロロケシャケシャとその巨体を以て、先程までとは桁違いの速度で近づいて来る


「地走りは、だめだったよ。」


告げると彼女は石畳をステップするかのように蹴り跳ね、続け様に母子のいる建物の向かい、通りを挟んだ建物の最上階の壁面を蹴り付け、子龍の頭を飛び越えた


「「ダリア騎士候補生、諸事情により増援は出せません。交戦許可が下りるのは60秒後です。」」

「ティオ。」


戦域通信はオープンチャンネルのため、通信を拾い聞くことが出来ました。


「あの方、正式な交戦権まで持ってますの!?」


先ほどの「命を終わらせる」発言には根拠がおありでしたの!?

わたくし達と同じ騎士候補生なのに!

ザサザッ。十分に驚く暇もなくネクタイのポデアが反応する


「これは都市全域へのチャンネルですわね。」


「「コルソ及びコロの皆さまへ、ルリローを始めます。いつもの通りご参加は心のままに。

また、未参加者にもシルヴィトーとしての報酬が支払われます。

なお、今回は経験の無い新人が舞いますので見ものでございます。

ぜひルリローのギリギリまでお近づきになられご観戦ください。

そしてダクトロを務めさせていただきますのはこの私、アウタナ・セリフラウでございます。

それでは、良き朝をお迎えくださいませ。らー。」」



らー。らー、ららー。

るんたったらららららん。


「始まりましたわね。」


ダクトロの先導をはじまりの音として、さまざまな家、職場、店舗、通りに存在するひとびと、先ほど赤い髪が助けたコルソの3人と商人もルリローに参加して思い思いに歌う。その音色が、それぞれのぜネロジオから編み出されるポデアが重なり合い、紡ぎ合い、街の建物とそこに存在するひとりひとりを覆う。

そうして


        ルリロー

       赤子のゆりかご  を形成した


赤熱の方陣により激しい熱と光をまとう赤い髪は、子龍の気を引き大通りと建物の間を蝶のように舞っている



レジーナの店、地下ハンガーにて


ギュイイイイ、ギシュン

ポデアで編まれた鎖に固定された鉄の塊がもがく

ギュウイィン!脚部関節のモーター駆動音が響き渡る

あたかも、両手足を鎖に繋がれた囚人が無実を訴えるように

アラモ エスティス!電子警告音が繰り返し鳴る

あたかも、恋人から束縛されるのを嫌う浮気者が叫ぶように


「姐さん。ダリア姐さんのウサギが!」

「わかってる!けどな!ダリアをこれに騎乗させるのは!」


ダリアのウサギが主人の窮地を感知し暴れる中、レジーナは葛藤していた


「のう小娘よ。」


工具箱に腰掛けていた童女が軽い調子で声をかける


「そろそろ、解き放ってやったらどうじゃ?」




大通りにて


ルリローが展開し覆った建物の間を赤い髪は跳び回る


「んー、ウサギ来ないね。」


━━━━━そうだね、やっぱりレジーナが縛ってるのかな?それで、どうするの?


子龍は付かず離れず赤い髪に引き寄せられ、アギトを開き飲み込もうとする

距離を離し過ぎれば飽きて別のものを喰らうだろう、もう少しで手が届く、あとちょっと、あとちょっと、という向こうの欲求をくすぐるギリギリの距離を保ち興味を引きつつ時間を稼いでいた


「ウサギが来ないなら、ばしーん!っておててで叩いちゃう!」


━━━━━いいね!でもあなたは普通の女の子だよ?


「いじわ…」

「「コネージョ ソルタンド」」


「来た!」

─────来たね!


子龍のアギトをかわした直後にウサギからの到着を知らせる機械音声がネクタイから流れる

石畳を蹴り続け様に近くの建物を蹴り跳ね、一気に子龍の頭部と胸部体節を視界に納める高度を取る


「このあたりかな?」


赤い髪は腕を伸ばし、左手で子龍の頭部に向け炎熱の方陣を描く


シィィィィ!


「おいでっ!」


ズダンッ!


方陣の中央に示された点、つまり子龍の頭部へウサギの爪が突き刺さる。

不意の衝撃によろめいた子龍はケシャケシャと後退してアギトを開いた。


「遅い!」


子龍の口から強酸の消化液が放たれる前にウサギが触肢を蹴り上げる。

すた、と足裏に展開したポデアでウサギのシリンに立つ。


─────あなたはまだ慣れていないから、大まかな動きはウサギに任せて、カナーノにプルーヴォを詰めるポデアに集中して。


「ティオ。」


目を閉じる。ウサギが跳ね回って子龍の体節を蹴りつけ、串刺しにする。

動きに身を任せる。

のたうつ子龍の無数の体節が、爪が建築物にぶつかる。そのたびに名も知らぬひとびとの声で編まれたルリローが、その衝撃を受けとめる。

跳ね回るこのウサギ自体は総重量は56トネラーダ。それが跳ね回る衝撃、重さと速度を持って跳ね回る鉄球のようなもの、それすらもルリローは霧散させる。


シャラララァ、スコン

黒鉄の方陣をウサギの周囲に展開し筒状の薬室を形成、赤熱の方陣をシリン後方へ多重に展開し


「ミ テナス サンダリガン パフィルテニラ。」


─────我は、白檀の銃把を握る。


「レヴ ラ マルテロン ミ エスタ ラ…。」


─────撃鉄を起こせ、我は


「ラ マスタロ デ ミア ディスティノ!」


─────運命の主人!


捉えた。

ウサギが全身の各部に打撃を与え、暴れ狂いながらも動きの鈍った子龍の頭部へ


パン、あるいはズキュゥウン


ウサギの両脚が変形、ファイアリングピンとなり赤熱の方陣を叩く

ルリローに覆われたひとびとからは軽い空気の破裂、この限定された空間においては薬室内部で展開した方陣が連続で炸裂、急速に加熱、加圧されたウサギ本体が射出され56トネラーダの質量はおよそ太陽系第3惑星表記で2.929 ×10¹³ ジュール、単純な火薬量で言えばTNT火薬7キロトン、ここまでの衝撃が子龍の頭部を粉砕する


「やり、ましたの…?」

「いいえ、お嬢様。」


ルリローにより炸裂する銃声と衝撃から守られている数名は

砕けて爆ぜた頭部が、かつて目にした事のない鮮やかな緑色の粘液に変化し、中でビク、ビクと脈動を始めるのを見た。


「マブル!?あの赤い子は!?」


ブシュウウウ

着弾の衝撃による反動を使いシリンを射出、ファルタポテンカの作用により弾丸部と撃鉄と再結合したウサギは、急速な放熱により周囲の大気を膨張させ、蒸気と陽炎を纏っている


「「あなた!聞こえますの!?」」


手を当てネクタイのポデアから呼びかける。


「「うん、けど。」」


デュク、デュクン

子龍の頭部の脈動が、更に大きくなっている。


「「マブルが始まっちゃった。」」


「「見ればわかりますわよ!あなた交戦権がおありでしたらエンゲージはされてらっしゃるのでしょう!?」」


メキ、キピ

子龍の頭部に亀裂が入る。

合わせて赤い髪は炎熱の方陣をウサギごと覆うように展開、機体ごと大きく跳ねる。


「「早くランサーをお使いになって!」」

「「ううん、まだ」」

「「はァ!?」」

「「騎乗も銃を撃ったのも、今日が初めて。」」


シュエアアアアア!


ぱか、と割れた粘液を破り顎が顔を覗かせた。

緑色だった子龍の頭部がマブルにより赤く変化している。

それが赤い髪のウサギを喰らおうと、先ほどまでとは段違いの速度で喰らい付こうとする。

各体節の連結部には粘液が保護として張り付き、ウサギの爪を受け止めて、衝撃を通さない。


跳ね回る赤い影は、緑の子龍を大通りが交差するバドラタへ誘導しているように見えた。

どのような立ち回りになろうとも、大通り一本分しかないここでは狭すぎる。


「お嬢様。」


リーナが口を開く。


「騎士としての務めを、お果たしください。」


従者であり小さい頃からの友人であった、間延びした口調のリーナは、まるで永い旅を経て、数え切れない哀しみと喜びを見て来た者のように、戦場の雰囲気に似つかわしくない、落ち着いた様子で語りかけた。


「ええ。」


四肢に刺したポデアにぜネロジオを再び通し、緑の雷を纏う。


「行きますわよ。」



 

暗く冷たい光の海に

我ぞ花よと駆け回る

押して潰す闇でさえ

その輝きは切り開く


                 「駆騎士」


ダシュ、ガイン

黒鉄のウサギがバドラタを跳ね回る。

シリンを通じて騎士(候補)の脚部筋肉その内部を走る神経、そこからの電気信号を受け、つまりは騎士の思考のままに稼働する。

この天体に発生したヒト種には遺伝、経験からなる無意識と、無意識を本人の自由意思として思考、行動に移すまでのタイムラグをカンマ2秒とする。

もちろん、そのタイムラグで伝えられた信号から、実際の行動に移るまで、手を伸ばすことや足を踏み出すには筋肉、血流量の動きもあり、実際に手を伸ばし、足を踏み出す行為が完了するまでは更にタイムラグが発生する。

ここまでを軽くまとめると、ヒトは意識的に身体を動かそうと思うその少し前には、無意識がそう判断する。口を開く前、右を向く時、左へ向かう時など。

この、無意識の意思決定から行動し、完了するまでのタイムラグは本人の精神、肉体的な訓練で限りなくゼロへ近付ける事が出来る。

ぜネロジオはその名の通り、この天体のヒト種それぞれの魂に刻み込まれ、親から子、子から孫へ連綿と受け継がれるポデアの起動式である。

ウサギのシリンに立つ者はこのぜネロジオを以て自身をウサギと一体化し、無意識が自由意志へと変換される刹那の間でウサギを操作する。


ザシャア

子龍の体節を蹴り上げる


「ミア ディスティノ!」


蹴り上げた体節が撓んだ箇所へ銃撃。

ズキュゥウン 

タプン

しかし弾力性のある粘液が弾頭を受け止め、完全に衝撃を吸収した。


「やっぱり、何発撃ってもだめ!」


─────この子はマブルで銃撃に適応しちゃったね。やっぱりランサーでしか。

「でも!こうなったら!」


わたしのぜネロジオが焼け切れるまで撃つしかない


キュケロロ

喰らい付いて来るアギトを躱し、再び舞い上がり射撃体勢を取る。


「ミ…あれ?」


シィィィィィ!

視界の端に緑の閃光が走る

こちらに意識を集中していた子龍の体節を、その光は貫き縫い止め、稲光は上空のウサギまで到達した。


───────────────────────────

暗く冷たい光の海に

ひらひらひらと舞い踊る

あなたは1人でわたしも1人

おてて繋いで踊りましょ


              「エンゲージ」


「え、あれ!?あなた?いひゃ!いひゃひゃひゃ!」


ポデアを纏わせたゲンコツで目の前に立つ赤い髪の少女の頭をグリグリする。


「あなた!ランサーも使えない!エンゲージもしていない!

それでよく交戦権を得られましたわね!」

「ひゃっへえ、わたししかい、いい、いひゃひゃああ!!」

「まだお説教は終わっていませんわよ!あの楔が外れるまであと180秒ほどしかありませんわ!」


頭を解放して抱き寄せ


「え、なに、なに?んっ!んむっ!」


顎をつまみ、目を閉じてハナモモのような色合いの柔らかな唇をついばむ。


「んちゅっ。しますわよ、エンゲージ。」

「ふぁ…ええっ!?わたしたち!?まだおてても繋いでないのに!」

「お静かになさい!「「聞こえていますわね?」」。」


ネクタイを通じアウタナへ問いかける。


「「確認しました。多少変則的ではありますが。」」


ガイン、ケシャアアア

子龍の爪の一つにウサギの攻撃が決まり、ヒビが入る。

落ち着いた空間ではあるものの、ここは既に戦場である。


「「それではこの私、アウタナ・セリフラウがお2人の婚姻をお見届けします。」」

「「待って!ほんとにわたしたちエンゲージしちゃうの!?」」

「「そうですわ。あの一瞬で何名もの命を救ったあなたの姿に、わたくしの心は…このアセデリラ・アルマコリエンデは。」」

「「うん…。」

「「ゾッコンですわ!!!!」」

「「えええ…。」」


─────ほーら、こんないい子が告白してくれたんだよ?


「「うん…。わたし、ダリア・アジョアズレスは。」」

「「ごく。」」


固唾を飲むアセデリラとアウタナ


「「あの緑の閃光に。あの緑のグリグリが。クセになっちゃいました。」」

「「ほふっ。ほふふ、ええ、ええ、とても独特ではありますが。」」


双方の告白の言葉がツボに入り吹き出す見届け人。

軽く咳払いをした後、周囲にリイィィ、鈴の音が響き渡る。


「「このアウタナ・セリフラウが見届けました。ジア モルタ…。」

「「ディスガス ニン。」」


誓いの言葉を同時に口にし、軽い口付けを交わす。その瞬間2人のぜネロジオが繋がり、それぞれの魂の系譜に新たなポデアが編み込まれる。


「わぁ、すっごい…。ふわむわした気分!」


両腕を広げくるくると回るダリア。


「わたし!ずっとお嫁さんになりたかったの!」


両手をほっぺに当ててうっとりするダリアさんの手を取る。


「さあ、ダリアさん!行きますわよ!」

「もうハネムーンに行くの?だったらわたしこの木の頂上にある街であひゃひゃひゃひゃい!」


わしっと掴んだ頭をグイッと子龍に向ける。


「あーれーに!刺しますわよ!ランサーを!すぅーっ。」


長く息を吸う。肺いっぱいに。」


「ふぁぁぁ…ん、すぅ。」


ダリアさんも長く息を吸う。うっとりしながら。


「スピランテはわたくしから──アル ラ シエラ シエラルカ…。」


ロールした髪にポデアを通し、一本引き抜く

アセデリラのぜネロジオが、連綿と受け継がれてきたものに加わったダリアのポデアがウサギの、ダリアの前方に引き抜かれた髪が収束する。


ダリアも併せて一本の髪を抜き、詠唱を開始する


「アクサツ ヤ デラロー…。」


ザザッ

事実を受け入れ、駆けつけた頃にはもう起動式の詠唱が始まっていた


「あの時。」


脳裏をよぎるのは雨の中の記憶。


「あの時、アタシも。」


騎士無しで還ってきたウサギのシリンから聞こえる子どもの泣き声。


「アタシもエルベラノ起動式に出ていれば。」


喪ってしまったあの赤色を

その同じ赤と、横に立つ緑の輝きを


視線の先で輝かしい赤と緑の光が混じり合うその光景を


見つめ、立ち尽くす。


「姐さんは。」


追いかけてきた整備員は、焦がれた鳥に声をかける。


「姉さんは、もうシリンには立てないんですから。」


その2人の目の前で、エンゲージを結んだ2人の騎士が

初めてのランサーを編み上げようとしていた。


「…キャセカ、メアロ。」


緑の雷を収束させ、プロテカアとしてダリアの腕に添える。


「…ヤ ガョイェヲン。」


赤熱のポデアにより鋳造、圧縮、圧延された髪、もはや黒鉄の長槍と呼ぶべきそれは緑の雷に包まれる。緑の筒から溢れ出した緑の光がダリアの左腕にまとわりつき、ルリローが編み込まれた制服をグローブから肩まで焦がす。更に腕自体まで焦がそうとするも、そこにアセデリラの手が添えられ光を拭い去る。

その右手にダリアは自分の右手を添え、軽く握る


「行きますわよ。」

「ティオ。」


髪は命、2人の髪が混じり合い鋳造されたランサーの本体は励起した状態にあり、緑の雷と赤い炎を纏っている。


「でも。」

「どうなさいましたの?」


ここまで来て何をもったいぶって…口を開こうとした所にダリアさんは続ける。


「だってウサギでポンチ開けようとしても、ディスティノ弾かれちゃうし…。」


このおポンチめ…思わずグリグリしそうになったアセデリラはなんとか踏み止まり、意識をスピランテの安定に集中する。


「あなたの目の前には、子龍を縫い止めたわたくしがいましてよ。

ちょっとウサギのコントロールをお貸しなさい。」


こくり。

たんたん、とんっ。

ダリアが頷いたのを確認してから利き足のつま先、踵でリズムを取りダリアのウサギとぜネロジオを繋ぐ。


たしっ、タタタタタ

バドラタを跳ね回り子龍の注意を引いていたウサギが、つま先立ちになり子龍の周囲を駆け始める。

しかしバランスが取れておらずシリンは揺れ。


「このタイプは座学で二度、実習で一度しかシリンに立ってませんわ!わたくしのポデアが乗せにくいっ!」


しかめっ面でウサギにポデアを通そうとするお嬢様、今までご覧いただいた通り、ダリアさんのウサギは文字通り跳ね回るタイプです。対して駆騎士のぜネロジオを持ち、ウサギもまた走り回る事に適正があるアセデリラお嬢様。

そのような理由で跳ねるウサギには本来騎乗する事は不可能に近く、エンゲージして魂が繋がったことで、かろうじて動かせている状況です。


ズガァン、ケシャケシャ

子龍のアギトがルリロー越しに石畳を貫きかけたその一瞬、轟音の中でアセデリラは、はっきりとその声を聞いた。


「うん。わかったよ。」


直後アセデリラの四肢に刺した緑のポデアが赤い炎に包まれ、ウサギの脚部底面、ヒトで言う足裏に緑と赤のスパイクが生えた。

突然自分の足にトゲが生え、粘液の上を思い通りに駆け回る感覚を覚えた。アセデリラはダリアに声をかける。


「あなたが、これを?」


こんなポデアとその体系があるなんて話は教本にもお爺さまからも聞いた覚えがありませんわ!

どうなってますのこの方!?

当のダリアは瞳を閉じ微笑みながら頷いて、


「うん、言う通りに出来たよ。さすがダリアだね。」


この人、誰とお話していますの…?ダリアはあなたの名前でしょう?

怖気を感じる暇も無く、目の前の赤い髪は目を開く。


「さあ行こう、おデコちゃん。」

「え…?ええ。」


急にあだ名を付けられ思わずダリアさんを見つめる。

その瞳はダリア本人の青ではあったが、紅く煌めいていた。


「私があの粘液を剥がすから、あなた(達)はランサーを。」

「ええ!」


子龍の咆哮と爪の衝撃音でうまく聞き取れなかったものの、ランサーの部分だけは理解出来た。

返事を返す前にウサギが跳ね、緑のポデアが中空に展開しウサギが雷の上を駆ける。


─ウサギのシリンからわたくしのぜネロジオに干渉してポデアを起動してますの!?


螺旋を描く軌道で子龍の周りを駆け、アセデリラのものであるはずのポデアで子龍を縫い止める。


─わたくしのポデアで軌道を作って!?


驚く暇も無く、ウサギの前方にカナーノが鋳造され


「ら ますた ろ ら。」


とても軽やかで、戦場にそぐわない明るい詠唱、

まるで花畑で無邪気に歌う子どものように。


「で ら みあ 。」


フォン、フォン、フォフォフォフォン

周囲の空間全てに無数の炎熱の方陣が展開する。

シュアアア、シュア、アアア

更にそれが6つのプルーヴォに収束する。


「早撃ちするの久しぶり♪よーく見ててね、レジーナ♪」

「へ?」


ダリアは少し遠くの人影らしきものにウインクしたあと、軽やかに言い放ち、


「ディスティノターテ!」


ズガガガガガガン!…キキキキキキュゥーン!


6斉射


6連続の発砲音からカンマ秒ズレて6連の空を裂く音、

子龍がマブルで獲得したのは、弾丸を粘液で受け瞬時に衝撃を熱変換、放熱と硬化を行い無効化するポデアであった。

そこにポデアの一連のサイクルを上回る速度と回数の射撃を行い、文字通りポデアごと子龍を爆散させた。


「…ぁ。」


シリン自体は初撃で接続が解除されていたものの。


「…ぁぁ、ぁ。」


ファルタポデンカによりウサギ本体と結合する一瞬の合間に、アセデリラは見事な6連の美しく赤い光を見た。


「リラちゃん!行くよ!」


右手を掴まれ我に返る。


「ええ!」


子龍の頭部と胸部の第五節までは完全に粉砕されているものの、残った胸部傷口は既に粘液が覆い始めている。

次のマブルが起きれば、2人には対処法が無い。


「ヴイヴォカ…モルタ。」


2人の手が左右から合わさり、ランサー本体を。


「ティ…じれったいですわ!」

「リラちゃん!?」


今まで見たことも聞いたことこともない、シリンに同乗した相手のぜネロジオを起動させつつウサギを乗りこなし、ここまでの多重詠唱と早撃ちを見せられたのだ。エンゲージを結んだばかりのこの愛らしい桃色の唇に

これで萎縮してしまっては…


「騎士の名折れですわ!合わせなさい!ダリアさん!」

「う、うん!」

「往生せいやですわあああああああ!!!!!」

「ふぃ、ふぃかー…。」


急に火が付いたように荒々しくなったアセデリラに、多少気圧されながらランサーを起動して…


「声が小さい!」

「ど、どっか行っちゃええええええ!!!!!」


…このお話の舞台である天体でなくとも、髪は命であるとお聞きになられた方も多いでしょう。もちろん先天的後天的を問わず、失われた方もいらっしゃるでしょう。ですがそれはそれとして、髪は命。例えば天の川銀河太陽系第3惑星に存在するヒト種は、自転一回あたり平均40本は頭髪が自然に抜けるもの。ランサーを起動するにあたってエンゲージを結んだ騎士2名は、お互いの髪を自発的な選択の結果として抜き、それに鋳造圧延を行いランサー本体に加工します。

今2人の目の前にいる子龍は、外敵であり駆除されるべき存在ではありますが、命は命であり尊重されるべきもの、駆除つまり命を奪う行動を行うのなら、当然こちらも命を懸ける必要があり、そのための殺傷兵器として、命である髪を使うのは当然のことでしょう。

つまり

2人分の命を以て。


「せいやああああああ!!!!!」


ぜネロジオが焼けるほどの熱量を、お互いのポデアで包んだランサーで以って子龍の傷口に刺し炸裂させる。


バチィ!ジジジジジ!


「高圧により圧縮、加熱されたポデアが吹き付けるランサーの先端で青白い光が生まれ、周りの光すら飲み込みながら光の槍となります。あまりにも眩しい青白い光はそのまま見てしまうと、まぶたの裏に焼き付いて、たっぷり1週間は何も見えなくなるでしょうね。

光の槍は、ウサギの連続射撃による連なった衝撃を、マブルによって学習し、適応しようとする子龍とその粘液を溶かし始めました。接触した箇所はまず光の生み出す熱によって赤く、黄色そして白に変化し、そして目にすら映らない小さな粒となり飛び散ります。

1レグア、あなた達の世界で言えば、10代後半の学生が全力で走って5分はかかる距離。およそ2.5キロメートルはある体長を持つ子龍にとって、ヒトの髪2本を絡ませたほどの直径しかないランサーは、圧延されたとはいえその先端はヒトにしてみれば、お料理で使う粉末のコショウ一粒よりも小さいでしょう。

しかし、そのコショウの一粒が放つ光と熱に、身体が灼かれ溶かされているのです。


もしヒトであるあなたが


自分に立ち向かってきた、愚かであまりにも小さいアリ2匹が、くいっと押し付けてきたコショウのたった一粒で、身体が溶かされ始めたら、いったいどうお思いになられるでしょうか?

あの子龍に意識やヒトの人格に似たものがあるかは存じ上げませんが、もしあるのでしたら

「お気の毒ですね。これに懲りたら他の人のおうちに勝手に入ってはいけませんよ。」

しかしこの言葉を聞くことは出来ません。溶けていますので。

ここまでお読みになられたあなたは、こうお考えにはなられませんか?


「そこまで強い光と熱なら、使用者も無事では済まないだろう。」


確かにその通りです。


ですがご安心ください。

どんな生き物や物質すら溶かしてしまうこの光の槍は、当然非常に危険です。

しかし永遠の愛を誓った者同士が、お互いを想い、護り合うために命を賭けて歌いながらルリローで支え合うのです。病める時も、健やかなる時も

私の最愛のお嬢様は、ついに生涯の伴侶を見つけ、結ばれたのです。

見事にランサーで両断され、赤熱し、白くなった子龍は、まるでウエディングケーキのようですね。」


「せやああああああ!!!!!」


これがおじいさまから受け継いだ必殺のランサー千本斬り!

本来は直接相手に刺す形で使用するランサーを、あえて撫で斬りの形で使用することで!相手がどのようなマブルを獲得していようと!高速で駆け回りながらならでは捉えきれない!

これこそが回避と攻撃を同時に行う攻防一体の!


「ねっ。」


ぎゅ、と二の腕を握られる。


「ね、リラちゃん。」


すまなさそうなダリアさんの声。


「なんですの?今いいとこでしてよ!せやああああああ!」


ランサーを握り直し気合を入れるも、手応えがない


「あ、リラちゃんのルリロー解除してなかった!」


身体の前面に展開していたダリアさんの方陣が消えると、目の前には子龍の影も形もありませんでした。


「はいはいどいてどいてー。転換を始めるよー。」


転換を行う有資格者がわたくしたちのウサギを押しています。


「今日は大量だァ!よくやったなおふたりさん!」


転換されていく子龍の遺骸を、二足獣の背に乗せている方が親指を立てています。


「生の部位は回収率が92%か、こりゃ荒れるぞ。」

「はァ…。「「女神に直接報告、イ食対応騎士の配備要請。」」…はァ。」


衛生保健局の騎士2名が何らかの手続きをされていて。


ヒュウウウ。熱せられた場に風が吹き込みます。


「…。」


ヒュウウウ。静かな風がさらに吹き込みます。


「あの。」


頭の中で状況を整理して、伺います。


「もしかして、わたくし?」


急に恥ずかしくなってランサーの結合を解除すると、ダリアさんが申し訳なさそうに


「うん、ずっと叫んで手をぶんぶん振ってた。」


「「騎士は誰しも初めてのランサーは昂ってしまうものです。」」


アウタナのフォローが入る


「「それと、今回の報酬明細ですが…

     基本報酬    センテルデ子龍  1体 3000mp(女神ポイント)

     初戦闘中のエンゲージ  999倍  女神からのボーナス

     初めての共同作業    999倍  女神からのボーナス

     エンゲージ台詞   +16500mp ラプリマ商工会から


         以上、細かな計算はご自身で行なってください。となっております。」」


アウタナが明細を読む間、女神からのボーナスを聞いてにこやかだったアセデリラが聞く


「「どうして商工会からもmpがもらえてますの?」」

「「そちらについてはコメントが来ていますね。

  ─いやぁ大変初々しいですな、かくいう私も家内にいじめられるのが。との事です。」」


「「は?」」


「「聞き取れませんでしたか?僭越ながら要約させていただきますと

   「大変おアツいですねおふたりさん。」以上です。」」

「「あー、それって。」」ダリアさんが口を挟む

「「はい、この私アウタナ・セリフラウがルリローのリーディングを始めてから

 ずっと中継しておりました。この私アウタナ・セリフラウが。」」

「「はァ!?実況されたんですの!?ぶっ飛ばしますわよ!?」」

「「えい。」」


突如空間を裂いて現れた右腕が振り下ろされ、アセデリラのおデコを叩く


「「えべっ!」」


ぽんぽんぽん

無数の花が咲いた。

全身が薄いピンクの花びらに包まれ、身動きが取れなくなる。


「「弱いですね。あと10秒はそのままでいるように。」」


あまりに短い時間だったのでダリアは見ている事しか出来なかった。


「「ええー何そのポデア…怖。」」

「「それは横に置いて。」」


アウタナはふぅ、とため息をついてから


「「ルリローを行なっている間は参加未参加に関わらず、全てのひとびとの行動が制限されます。また、これは騎士と龍の命を奪い合う行為であり、全てのひとびとは龍の命を食料に転換して日々を生きるのです。ですから戦いの一部始終は当然全員が見届ける必要があります。命をいただくのですから。初めて聞いた?今決めました。それに。」」


拘束が解けて肩で息をするアセデリラに見えるように、転換を行う専門技師達を映す


「「あなた達が仕留めたのですから、「生」の部位は優先的に回されます。」」


そこで元気よく手を挙げるダリア


「「はいはい!私「食卓」の免許あります!」」


突如空間を裂いて現れた右腕が頭を撫でる。


「「とっても偉いですね。」」

「「えへへ。」」

「「…。」」


─こちらに非があるのは確かですけれど、扱いの差は釈然としませんわね


少しむすっとしたアセデリラにダリアが笑いかける。


「リラちゃんは食べたいものあるかな?何でも作ったげるよ!」

「う…。」


キラキラした笑顔でダリアは両腕を広げる。


一生添い遂げるという誓いを立てるエンゲージをしたとはいえ…


「おっさかなっおっやさいおにーくさん〜♪」


彼女は片足で立ってくるくる回りながら歌い始める。


─こんな愛らしい方とエンゲージしてしまったのですわね


ふと、ダリアのさん左腕に目が止まる

上腕に無数の縦線と数字が刻印されている

今まで気付かなかったものの、これは──


「ダリアさん、ちょっと…。」


これってウサギのさまざまなパーツに刻印されている個体識別と生産管理用のコードじゃ…


「「えい。」」


突如空間を裂いて現れた右腕が振り下ろされ

アセデリラの意識は深い闇に呑み込まれれた


暗く冷たい光の海に

トントントンと包丁の

コトコトコトとお鍋のお湯の

あなたのためのごちそうを


            「食祭」


「あぇ〜そぉこですわ〜、んひっ。」


とんとんとん、ことことこと


「んぁ…?はっ!」


ぐつぐつぐつ、さらさらさら


「わたくしの英雄譚はっ!?」


おそらく1週間分は夢の中で冒険をしていましたわ!

思わず立ち上がると口元にハンカチが当てられ、優しい手つきでよだれが拭き取られた


「はい、お嬢様の輝かしい初陣は、全てスケッチさせていただきました。」

「あれ、リーナ?」


見渡すと焼き入れされた木材で組まれた広い室内に複数のテーブルと椅子、カウンターの向こうにはさまざまな色の瓶が置かれ、その中に何かしらの液体が入っている。


「ここは?」

「ダリア様の、いえダリア様のお母様のお店ですね。」


ほのかに薄暗い店内には壁や梁、テーブルなど各所にランプが置かれ、シックながらも味わいのある古風な雰囲気を醸し出している。出入り口には開き戸があり、その向こうには青い空も覗いている。というか眩しいくらいですわね。


「ぉー、リラちゃん起きた〜?」


声に振り向くとダリアさんが、こちらへお鍋を運んで来ていました。

肘と膝までを覆う黒い運動用のタイトな締め付けインナーの上から、動きやすい白の半袖シャツと太ももまでの短いズボン、その上に膝までのエプロンを着用していらっしゃいますわ


「ダリアさん。ええ、おはようございますわ。」

「おはよ。そこの鍋敷きをもちよっとずらして〜。うん。」


コト。


かわいく置かれたお鍋の中には、青々とした葉物野菜が敷き詰められていました。

ぱちん、ダリアさんが指を鳴らすと鍋敷きに炎熱の方陣が描かれ加熱が始まりまし。ふつふつ。


「リラちゃんがどういうお鍋が好きかわかんないから、オーソドックスな昆布の薄味にしたよ〜。」


とてとてとて、かちゃかちゃ。軽快な足音と食器の鳴る音。


かたっ。蹴躓く。


「わわっあぶないっ。」


紫髪のコルソが食器を運んで来るがバランスを崩したところ、

このままではお皿が落ちて割れて…。


「あっ。」


着席した状態だったので咄嗟に反応出来ないアセデリラの前を、ふわりとした香りが通り抜ける。

手のひらから飛び出したおハシやお皿を、薄暗い室内で明るく輝く水色の泡が優しく包む。

水色の髪のコルソがポデアできれいに受け止めていた。


「うん…大丈夫だよ。ペンペン。」優しく微笑む水色の髪。


ここまで来てアセデリラは、やっと口を開く。


「あなた達は…。」どこかで見た覚えがあるのですけど、どなた様でしたっけ…


「私達はダリアさんに庇っていただきました。」水色の髪のコルソは深くおじぎをした

「そうですっ!あの子龍が障壁を破った時に!」紫髪の方が瞳を輝かせながら元気よく大きな声で言う。

「ああ、そうでしたの…それでお見かけした記憶が…。」そのあとが大変であやふやですけれど…と言おうとしたところで別の声がカウンターの奥から聞こえてきた。


「はいはーい、どいてどいて。」


2人をかき分けてダリアが、髭の長い節足動物や大きなハサミを持つ甲殻類などを乗せたザルを持ってくる。

食器に食材…お料理、それもお鍋の準備されてるのですわね?


「わたくしも、何かお手伝いを…い痛っ!」立ちあがろうとしたところ、四肢に釘を打ち込まれたような痛みが走る慌ててリーナが手をかざし温かな光のポデアを展開した。


「わわ、ごめんねリラちゃん…あの時あなたのぜネロジオに「入っちゃった」から。」


ダリアさんも駆け寄り手を添えポデアに参加する。

その温かな手を握って頬に当てる


「しばらく、こうしてくださいまし。」

「うん…ティオ。」


それより、今聞き捨てならない言葉を聞きましたわね?


「わたくしの、ぜネロジオに…。」

「あっ、それは、えっと。」


急に慌てるダリアの頭を、そっと撫でる手が現れる。


「えへへ、どうしたの?マイちゃん。」


背伸びをしてダリアさんの頭を撫でていた人物は


「すまんの、ダリアの情報は、まだお主のスケラでは閲覧出来んのじゃ。」


─子ども?


白いシャツと短い赤のスカートを群青のマントで覆ったその白髪の童女には、黄色いツノが生えていた。


「まさか、こちらの方は…!」


よく教科書や街頭の公示ポスターなどで見る顔だと気付いたアセデリラは、言葉に詰まる。

しかし、その沈黙を許さないという強い声色が響いた。


「なら、元ワイルドハント副隊長のアタシにゃ、教えてくれんのか?」


店内の暗がりから紅いチーズとグレーダーを持って声の主、黒髪褐色の長身女性が現れた。

そして彼女はチーズをすりおろしながら、吐き捨てる。


「女神ロータス。」


じゃりじゃり、睨みながら怒気を込めた声で話すものの、その手は休むことなくチーズをすりおろしている。


─女神ロータス!?この子どもが!?


声を出したいもののそんな雰囲気ではあませんけど…目を見開き口を開けたまま、コルソの2人を見て目で問いかける。この方をご存知でした?

ふるふる

首を横に振る2人も、もちろんこの場の空気に呑まれてしまっている


「ほうほう、まだ女神と呼んでくれるのかや?ワガハイを。」

「魔王ペンディエンテ…!」


じょりじょり

不敵に笑う女神とチーズをすりおろしながら睨む女。一触即発の空気に間の抜けた声が響く。


「おかーさん。お客様をどうして呼び捨てにして睨むの?」


─よくやりましたわ!ダリアさん!心の中でガッツポーズをする


「そうじゃそうじゃ、そんなカリカリしとると小ジワが増えてしまうぞ!」


女神はそそくさとダリアさんの後ろに隠れてあかんべーをする。

─このスッタコは本当に女神ですの!?また空気が!


「そんなに知りたいのなら。」女神はダリアさんの母親、レジーナに向き直り

「もう一度シリンに立て、エルベラノに答えはある。」


─エルベラノ、現在は10数年に渡りラ プリマの騎士が総員で封鎖を続けている都市ですわね。


「アタシは、アタシはもう、ランサーは。」急に声の力が抜け、チーズをすり下ろす手も止まる


─エルベラノに答えが?


「それでしたら──。」─エルベラノに行けば、ダリアさんの秘密がわかるのでしたら

「──わたくしが、参りますわ。」もう四肢の痛みは感じない。しっかりと2本の足で立ち女神に向き合う

「わたしもついてくっ!」わたくしの腕を掴み、ダリアさんがくっついてきます

「ふぅ、む。」女神は顎を上げ、目を細めてわたくし達を面白そうに見て、口を開いた。


「アウタナ。」

「はいはい、お話は聞いていましたよ。」

「げっ。」


女神の横からにょきっと生えてきたアウタナを見て、思わず声が出る。

─女神もですけど、なんなんですのこの方!


「げ、とは心外ですね。まぁいいでしょう。」


席についたアウタナはお鍋のアクをすくい、ボウルへ入れる


「少し重たいお話になりますので、まずはお鍋にいたしましょう。」

「…へ?今の流れでしたら、エルベラノの事やダリアさんの秘密とかのお話になるのでは?」

「いいや。アタシも賛成だ。」ダリアさんのお母様もチーズをすりはじめる。

「ええっ!?どうしてですの!?」 大事なお話があるのでしたらお食事の前にでも…。

「ううん、リラちゃん。」ダリアさんがわたくしの両腕を掴んで、目を見つめて。


「かたいお話してたら、ご飯の味がしなくなる!」


「ええ…、そんな理由で?」

「ええ、それに。」背後から声

「お野菜にもエビカニにも火が通りましたし、この私アウタナ・セリフラウがもちろんアクも取り続けました。あとは頂くだけです。」険悪な空気の中1人でお鍋の調整を行っていた人物が立ち上がり、両手を高々と掲げ、ラ プリマ全域通信チャンネルを開き女神へ呼びかける。


「「ぴんぽんぱんぽん。」」


この流れは何度も聞いていますけど、実際に本人の動きを見るのは初めてですわね…。

ぎゅ、と手を握られる。テーブルの隣に着いたダリアさんが瞳を輝かせながら、アウタナと女神を見ていらっしゃいますわ。その視線の先で


「「それでは女神、食祭を執り行います。」」

「「うむ、女神ロータスの名に於いて許可する。ラプリマに住まうもろびとよ。この私ロータスが女神の名に於いて、この至福のひと時を心より味わえるよう保証しよう。」」

「「ではこの私、アウタナ・セリフラウが宣言します。」」


一息の間をおいて、


「「この子龍一体の生命を以て、ラプリマに住まう我ら877万5.037名は今後追加で一か月は生き存える事が可能となりました。彼または彼女の尊き命に感謝を。またルリローと転換、「食卓」に関わる資格者を讃え、そして女神ロータスの名に於いて…。」」


全身のコントロールが奪われ、アウタナの動きに合わせて両肘がお腹の前に、指先まで両手がぴたり、と顔の前で合わされる形になる。


「「ありがたく、いただきましょう。」」


ダクトロのリーディングに合わせて、ラプリマに住まうひとびとは声を揃える。


「いただきます。」


どこからともなく、伸びやかで軽快な音楽が流れはじめた。


「「今回演奏される曲は82区にお住まいのサイレさんのリクエストで「フェルカ プリンテンパ」です。

この曲はお聞きの通り、単純ながら完成された造りの弦楽器一本で弾かれた曲であり、そもそもはクルルガンナ解放戦に参加した──。」」


曲の解説に力が入りはじめたアウタナを横目に、レジーナが鍋から赤く茹で上がったエビを一尾、細長い木の棒2本を巧みに使い掬い上げ。


「もー、おかーさん。まだお話の途中だよ。」たしなめるダリアさんに

「ほっとくのじゃ、こやつはヒヨッコの時から変わっておらん。あむあむ。」女神ががんもどきを咥え汁をすすりながら。

「じゅるる。1番好きなものをこっそり持っていくのが趣味なんじゃ。」


6人がけの一つの卓に置かれたみっつのお鍋、それぞれの上には桜、梅、菜の花が浮かんでいる。


「それにしても…ダリアさんのお母様、お初にお目にかかります。」頭を下げるとその女性は

「いいよいいよ、堅苦しい挨拶なんて。あんたがうちの娘とエンゲージするのは見た。」肩を掴まれ引き寄せられ、囁かれる

「あいつとアタシの娘だ。じゃじゃ馬だぞ?」

「え、ええ。」よく存じておりますわ、あの…今も軽い疼きのあるあの感触…ぜネロジオに入ってきた。と言う聞いたこともない言葉。


「ハハッ、そいつは良かった。これでアンタもアタシの娘だ。」大げさに笑いながら、ダリアさんのお母様はわたくしに額をくっつけて、ぜネロジオに直接メッセージを流し込んできました。

「「戦ってる様子を見てたが、スプレナを受けたな?肩と腿のやつだ。目だけで合図でいい、そうだ。」」


瞬きで返事をする。


「「必ずエルベラノで真実を見つけてくれ、アンタ達だけじゃなくアタシのためにも…へぶっ!」」


突っ伏すレジーナ、急に通信が閉じアセデリラにも頭部に衝撃が走る。


「ほぶっ!」立て続けに2人を襲った衝撃は、アウタナの振り回した腕であった。


「「──そしてかの戦士は友の好きだった気楽な曲を弾いたのでず。涙無くして語れま──。」


力強くジェスチャーを付けて涙交じりの鼻声で曲の解説をするアウタナ、頭を撫でる2人は視線と瞬きで意見交換をする。──女神はこれ以上の会話は認めない。ええ、全てはエルベラノで。


「ほーら2人とも〜、ないしょ話をしてたらお鍋が冷めちゃうよ〜?」ダリアさんがコルソの2人のお椀に、よく茹だった練り合わせた穀類を入れながら言った。

「えへへ、私おもちは大好きです!ふたつ一緒にしたらくっつきますしエンゲージをする騎士みたい!フェイはどうですか?」ぺんぺんと呼ばれた子が元気に笑い隣の水色の髪へ問いかける。。

「うん、分けてもくっつくし、ぺんぺんと同じで私も騎士のエンゲージみたいだから好き。」フェイと呼ばれた子も軽く微笑んで、おモチにかぶりついた。


いずれこの2人もエンゲージをするのでしょうね…しみじみ眺めながら微笑んでいたアセデリラであったが


「もうおモチですの!?わたくしのエビは!?カニはどこへ行きましたの!?」ばん、と両手をテーブルに突いて声をあげる。

「うっへーよ、味がわかんなくなんだろ。」声のする隣を見ると、ダリアさんのお母様がカニの脚を…!

「んな目で見んなよ。いくら家族になったからって「生」でもイケるエビとカニは貴重だ。アンタとダリアが優先的に獲得出来たたぁとはいえ、ここにいるのは女神も含めて普段4から5等食でやりくりしてんだ。1等2等とは行かないまでも、ランサーで仕留めたギリギリ準2等の生を譲ってやる義理ぁ無ぇよ。」


カニの脚の中に金具を入れ身をほじるお母様。しまったここは戦場、思えば彼女は話しかけてきた時点で、その腕は既にお鍋へ向かっていたのでは…見渡すと女神は満足そうな顔でぽこっと膨らんだお腹をさすり、曲解説をしていたはずのアウタナの器にさえ、エビの頭と皮が積み上げられている。


「お嬢様、お嬢様…。」今にも消え入りそうな声の方を見ると、リーナが震える手で器を差し出してきた。よく見ると中にはきれいにほぐされたカニの身と、胴体の殻だけ剥かれたお頭付きのエビが入っている。

「あなた!これは…!」

「お嬢様のお喜びになる顔が見たくて…げふごふっ!この私リーナは全力を…ぐふっ!」卓にうつ伏せになるリーナ、駆け寄り支える。

「あなた、わたくしのためにこんなになるまで…!」腕の中で微笑むリーナ

「騎士や元ワイルドハント副隊長、それにダクトロや女神のいる中で、あなたのために命を燃やして勝ち取ったのです…ぜひご賞味ください。」震えるリーナの手がおハシを取り、その先にカニの身を摘む。


「さあ、お嬢様…。」


言われるまま口を開け、カニを受け入れる。

もぐもぐ、ごくん


「さあお嬢様いかがですか、私がほぐしたカニは。」期待の目で感想を待つリーナ。

「ええ、おいしいですわ。」しかしリーナは被りを振る。

「いえ、お嬢様!もっと、もっと…!噛んだ時の味わいや素直な感想を!辛口評価でお願いいたします!辛口、辛口で!!!」

「…。」


時折りこの従者が変な癖を見せることがあるのはわかっていた。

2人だけの時は食べながら話し、可能な限り唾を飛ばすことを請われ、下着は脱ぎ捨てて畳まないことを請われ、そしてお料理の感想を聞かれた時は──


「──ふぅ、てんでダメですわね。身はパサついてるし細くて食べ応えが無い。おまけにおツユが器に入っていないからさまざまな具材から抽出され混じり合ったお出汁を楽しむこともできない。リーナあなた何年わたくしの従者やってますの?この程度のお料理を食べさせることでわたくしを辱めたいのですか?まったく!主人に恥をかかせることだけはお上手ですわね。ハンッ。」

「はううう!申し訳ありません申し訳ありませんお嬢様!この私リーナ、これからは同じ失礼を働かないよう心を込めて、心を込めてお仕えさせていただきますううう!!!」


瞳を潤ませてビク、ビクと痙攣しながら絶叫するリーナを床に置いて辺りを見回す。

蒸した穀類をそれぞれのお鍋に入れ煮込んでいたダリアさんやレジーナお母様は目を逸らし、女神とアウタナは口を大きく開けて絶句。そして肩に手が置かれた。


「ご家庭の事情がお有りなんでしょうけど、強く生きてください。」


水色の、フェイという名のコルソは再び席に着いた。ぺんぺんと呼ばれる子がその震える肩をそっと抱きしめる。

穴を掘って埋まりたい。


しばらくしてお片付けが終わり、お茶をいただきながらの「かたいお話」が再開する。

適当な板を立てて、エルベラノやセンテルデのスケッチなどが何枚も貼り付けられ、メガネをかけたアウタナがおたまを持って解説をはじめる。


「アセデリラ、ダリア両名は先の初陣で見事センテルデ子龍を撃破しました。」

─ふふふ、もうわたくし達はランサーも扱えますし天下無敵ですわ!

「が。」

─え?

「エルベラノにはセンテルデ母龍、個体名ドゥモナ・ディエナが生息し。」

─子龍が1レグアとしてその母なのですから、8レグアくらいでしょう?余裕ですわ!

「ディエナは全長30レグア、また数千の子龍をその体節で養育し。」

─へ?

「そしてエルベラノ全域にはある程度成長した子龍が300ほどおり、ラプリマの騎士は都市外縁部に展開、ディエナの感知外に出た子龍を処理しているという状況が、ここ10数年続いているというところです。」


ここでダリアさんが手を挙げる。


「はいはい!」


メガネの縁に指を揃えクイっと動かしてアウタナが答える。


「質問を許可します。ダリア騎士候補生。」

「マイちゃんにはトモちゃんがいるのにどうして「勇者出動」しないんですか?」

「ふっふっふ。ダリアよ。」女神は腕組みをして女神が立ち上がり、板の前へとてとて歩く。

アウタナの腕をつつき、おたまを受け取ったあと、女神はディエナのスケッチをコンコンと叩く。

「確かにエルベラノには、こやつとその子らがおる。」女神は青髪の女性のスケッチをおたまでコンコンと叩き

「確かに駆除するだけならトモを出せばよい。」ここで女神はダリアさんにおたまを向けた。

「へ?わたし?」

「しかし、トモには「食卓」の資格が無いのじゃ。当然この女神にも無い。ディエナを駆除すれば当然残るのは文字通りの炭と灰、五等食の転換素材にしかならん。」

「それでどうしてわたし?」

─そこまで聞けばお分かりになるでしょうに。この食い助はディエナを食べてみたいのですわ!

「お主には食卓の資格があり、そして。」女神はおたまをもう1人に向ける。


「ダリア、そしてそこのフェイは──。」


おたまで指されたフェイさんに振り向くと、先ほどまでの柔らかい物腰と雰囲気が無くなり、底の見えない沼のようなポデアが全身から溢れ出していました。ぺんぺんが必死に抱きしめています。


「──エルベラノの、生き残りじゃ。」


ずしん、と一段フェイのポデアが強まった。

─このままだと押し潰される!


「えいっ。」空間を裂いて現れた腕が振り下ろされ、フェイは色とりどりの花びらに包まれた。

「こやつも、お主にも。」女神はダリアさんにおたまを向け直して。

「エルベラノで戦う理由がある。13年待った。コルソとして、騎士として戦える力を持つまで。お主達をそこで戦わせ、家族や住民総勢一千三百九十一万と千九百人の。」


フェイさんの拘束は解かれていて、彼女の両手は、震えながらエルベラノ市民のとある家族が並んで笑顔で立つスケッチに向けられていました。


「仇討ちを、させてやりたくての。」女神は椅子に座り直し、代わりにアウタナが前に出る。

「先のセンテルデ子龍戦により、ダリア騎士候補生はランサーを使用可能になり、フェイ初等生現コルソには、ルリローよりもアンカラの適正が高いことがわかりました。」


「それで。」フェイさんが声を出す。


「そんなゆりかごや、乳母車なんかで。」今まで見せたことのない、見えない表情と押し殺した声。

本能がこの場所からの脱出を望み、四肢にポデアの雷が無意識のうちに励起した。


「どうやって!お父さんやお母さんにお兄ちゃんお姉ちゃん弟に妹おじさんおばさんおじいちゃんおばあちゃんお友達のみんなの仇を取れるの!」ほぼ絶叫に近いその声には、恐らく無意識でポデアが乗り、狭くはない店内を沈んだ水色の泡が埋め尽くす。


─判断が遅れましたわ。この中で迂闊に動けば泡に沈むか、潰される事になりかねません。


そしてその泡を。


「リポズィ。」アウタナの声が響き、泡を貫く。文字通り全てを掻き消した。更に軽く拍手をし、フェイに微笑む。

「おめでとうございます。無意識とはいえ声の響く範囲の空間を、ある程度コントロール出来るようになりましたね。あなたにはこの私、アウタナ・セリフラウと同じダクトロに、史上13人目のダクトロになれる可能性があります。」空間を裂いて現れた腕がフェイの頭を撫で、昏倒させる。


「このコルソはこの私アウタナ・セリフラウが責任を持ってお預かりし、調律致しましょう。」気絶したフェイの身体を花びらが包み、爽やかな風と共に消える。


「ま、待ってください!」歩いてお店を出ようとしたアウタナにぺんぺんが駆け寄る。


「しばらく、しばらく会えなくなっちゃうんですよね?私たちいつか、いつかエンゲージしようねって約束をしていて!フェイが初めて私のおうちに来てから、エルベラノでのフェイの思い出のお話や!夜にフェイが泣き叫んじゃうのも抱きしめてあげて!それから朝から夜までコルソの練習を一緒にしたり!サンドイッチを2人で作って私がカラシを入れすぎちゃってフェイがせきをしたり!別の日にフェイが作ってくれたおにぎりにはワサビのかたまりが入ってて私が泣いちゃったのを見てフェイがくすくすあははって、仕返しですよって笑ったり!私のドッグランのトレーニングにもずっと付き合ってくれて!ずっと一緒で今まで離れ離れになったことほとんどなくて!」


アウタナはそんな精いっぱいの想いを伝えようとするぺんぺんを優しく見つめる。


「だから、ずっとずっと大好きなんです!大切にして守ってあげたいんです!だから私のっ!」


ぺんぺんは、髪を一本引き抜き、何重にも何重にもポデアをかける。

大事に、大事に、愛しむように、心を込めて。


「この半分出来た私のランサーを、私の命を!フェイが起きたら渡してあげてください!」


「ええ、ええ、確かにお預かりしました。この私アウタナ・セリフラウが責任を持ってあなたの言葉と、この尊い命をお渡しします。」アウタナはゆっくりとぺんぺんの頭を優しく撫でたあと。


「それでは、また。」戸口に立って一礼をし、花びらに包まれ消えた。


ぎゅっ。

ダリアさんの手が私の手を握る。

ぎゅう。

強く握り返す。


「それじゃあ、私も失礼しますね!フェイがダクトロになるなら、私もドッグランで勝った姿を見せなくちゃいけません!」元気よく一礼をして帰るぺんぺんの笑顔には涙の粒が光っていました。


「そういえば。」本当に今気づきましたの。

「ぺんぺんさんって本名なんて言いますの?」

「ううん、わたしも聞いてない…。」


春の風がスイングドアを揺らす。

2人で顔を見合わせ、しばらく見つめ合いクスッと笑う。


軽くキス。


気の抜けたところで店内の奥の方から、香ばしいチーズと甲殻類の匂いが漂ってきたのに気が付きました。しかもアルコールの匂いもしますわね。


「ダアアアリアアア。こいつを引き剥がしてくれえええええ。」

「えええい、お主がこのカニ殻を手放せば良いのじゃ!はよう女神にカニ殻であっためた極上の酒を献上せぬか!」

「いーやーだー!てめえそう言ってさっきもひと瓶空けたじゃねーかこのザルー!」

「酒じゃ!酒じゃ!献上されねば飲めんのじゃー!チーズもエビと焼くのじゃー!」


振り返ると、女神とお母様がカニの甲羅で温めたお酒を取り合っていました。

しかも、2人の手は何らかのポデアで強化されていて、動きは目に止まりません。

よく見るとその隣では、リーナが溲瓶を抱えて眠っていますわ。


「それにしてもこの方達、さっきの泡の中でも呑んでましたの?」


よく教科書で名前と顔を見た女神が、女神直属の勇者と特殊な任務にあたるワイルドハント、その元副隊長がこのような姿を見せるとは…呆れているとダリアさんがネクタイで誰かと通信を…。


「「ごめんねトモちゃん、忙しいのは知ってるんだけどね?マイちゃんがうちのお店で酔っ払っちゃって大変なの。迎えに来てもらっていいかな〜?」」次の瞬間、一筋の青い閃光が走り。

「この度はうちのスッタコがご迷惑をおかけしました。それでは。」また青い煌めきがあり、女神と声の主は消えていました。


─もしかしてマイやトモって女神と勇者の名前ですの?


唖然としているところに肩をとんとん、と触れられる。


「リラちゃん。私洗い物してくるから、おかーさんを2階のベッドに運んでもらっていいかな?」

「ええ。もちろんですわ。」


さーやるぞー!と元気よくカウンターの奥へ入っていくダリアさんを見送り、お母様を肩にかつぐ。


「んー?アセデリラかー?」

「耳元で喋らないでくださいまし、お酒くさいですわ!」担ぎながらはしごに手をかけ、お母様を落とさないように登り始める。

「「これでなら、誰にも感知されねぇだろ。あの魔王にもキツい酒飲ませてやったし。」」頭が接触するたびにぜネロジオを通したメッセージが送られてくる。


「「あなた、これまでの痴態は演技でしたの!?」」

「「いんや、本気だ。でなきゃあの若作りは騙せねぇ。わざわざディエナ用に取っておいたヤシオリを使ったんだ。女神にもそりゃ効くだろ。」」

「「ディエナ用!?そんな大事なものを使ってまで酔わせる必要があったんですの!?」」

「「ああ、ダリアには。そしてアタシにも、それにアンタにもだ。」」


はしごにかけた手が止まる。


「「それは…。」」

「「ディエナはエルベラノを滅ぼしちゃいねぇ。ただ廃墟をねぐらにしただけだ。」」

「「けど、エルベラノ自体はただの都市のはず!ヒトの命以外に長年ディエナが存在を保持するだけのリソースがあるなんて!」」


「エルベラノは。」


ポデアではなく、レジーナが実際に口を開く。


「エルベラノが壊滅した理由は、ディエナじゃねぇんだ。」



暗く冷たい光の海で

落ち葉のように流されて

凍えそてしまう嵐の中で

やっと掴んだこの光


             「外縁部へ」


チリ、チリリリリ

ベッドに誂えられた棚、そこに乗せてある目覚ましが鳴る。

腕を伸ばしぱしっと叩き動きを止め、隣にいる暖かい塊を揺する。


「んーんー、あーとごーふーんー。」


掛け布団にくるまった塊はもそもそと動いたあと、すーすーとまた、健やかな寝息を立て始める。


「ふう。」


軽くため息をついたあと、ベッドから降りて立ったまま、全身の力を抜く。


「すうぅぅぅ。」深く息を吸って、


「はぁぁぁぁ。」深く息を吐く。


全身に朝の空気が流れるようなイメージを。

鼻腔より取り入れられた空気は食道を通り、適度に加湿されたあと、肺へ向かう。

肺胞から取り入れられた酸素は、血管を通り全身に運ばれる。

そう頭の先から足の指先まで力の流れをイメージする。


「すうっ、はっ。すっはっすっはっ。」


短く息を吸い短く息を吐く、その繰り返し。

全身に行き渡らせた力と、その流れるサイクルを早めて意識の先、無意識が判断した通りに遅延なく肉体を動かせるように。例えばそう、四輪駆動体の動力燃焼機関を始動させるように。


「はあぁぁぁーっ。」


『長く息を吐き肉体の限界まで搾り出す。

肺を絞るように息を吐くため、自然と上半身は前傾に近付く。

ヒトの肉体には正中線と呼ばれるものがある。簡単に言えば右目と左目、右手と左手に右足左足、それぞれの右と左を分ける場所。頭骨から会陰まで縦割りにする線。この線上には腹部も当然含まれ、そこにはおへその奥、鳩尾、丹田とさまざまな呼び名のある箇所がある。

息を吸いそして長く吐く行為は、基本的にはこの丹田を中心とする。ここは吸えば膨らみ、吐けば逆に奥へ沈むようになる。

しかし

吸い上げる時点で沈むように、吐く時に膨らませるよう力を入れる。

こうすれば上体は傾かない。

道理に反する行動である。

しかし、これは特別な事情のない限り、ほぼ全てのヒトが行うことができる。


失った人は還らない。

壊れたおもちゃは直せても、元のおもちゃではなく、修理されたおもちゃ。

コップの水をすら、こぼしてしまえば還らない。


しかし


息を吸えば膨らむお腹を逆にしぼませる。

これはヒトが行えるおよそ基本的で単純な、自然の摂理に対する反抗である。』


こうアセデリラは祖父から教示を受け続けた。


『およそヒトに不可能なことを行おうとするのであれば、まずはここからだ。』


腰溜めに構え、脇腹に添えた肘を直角に曲げ、軽く肘とアゴを引く。


『ひとつ出来れば、ふたつでもみっつでも出来る。』


正中線から外れないように、軽く脱力し腰を捻る。


「すうっ、せいやっ!」


肩幅まで足を開き、一息で肺活量の限界まで息を吸い、裂帛の気合いを込めて拳を繰り出す。

ばふんっ。空を切る勢いで生じた拳圧が掛け布団ごとベッドの上の自堕落の塊を吹き飛ばした。

べたっ。拳だけで空気の塊を作る。これもまた、およそヒトには不可能なはずの摂理に反した行為、しかしアセデリラは断行した。


「うう、いたい。いたいよぉ〜。なにこれぇ〜うみゅみゅみょ。」


もそもそと蠢き、みっともないうめき声をあげる塊へ声をかける。


                 (かいきょ、ラプリマ方言でケタのこと)

「朝はだらしがないとは聞いていましたけど。これは界境が違いますわね。これからはわたくしが叩き直して差し上げますわ。」掛け布団から恨みがましい青い目が覗く。

「うう、おかーさんが増えたみたいだよー。」その声を聞きながら制服に腕を通し、声をかける。

「ほら早く支度なさい。昨日の代わりに今日進級式があるんですのよ。」

「!え、待って!リラちゃんもう着替え終わって髪が巻いてる!」


着替えてベッドに腰掛けた彼女の、振り向く頭に手を添え正面を向かせ、立てた襟にネクタイを巻き、形を整える。


「鍛錬を続ければ着替えなど一瞬ですわ。うん?髪のロール?これですの?ぜネロジオに気合いを込めればすぐですわよ?」手早くダリアさんの髪に櫛を通す。

「え〜、あんなに昨日の夜まっすぐに伸ばしたのに〜。」ぶーぶー言う可愛らしいお顔に手早く化粧水を馴染ませる。

「お好きに触るのは構いません。けど、炎熱の方陣でストレートパーマをかけるのだけは許しませんわよ。」

「うー、ぜったいまっすぐの方がかわいいよ〜。」口ごたえするかわいいお鼻を指先でピンと弾き、キスをする。

「んん、んっ。…えへへ、ぽわぽわするね。」むにむにとかわいいほっぺをマッサージして、もう一度ネクタイの角度を整えて出来上がり。

「おなかへったー。」

─眠い起きたくない、叩き起こせば痛いと来て空腹を訴える。これはもう生涯の伴侶と言うよりは…。

「ねーえーおかあさーん、おなかぐーぐーだよー。」─手のかかるかわいい娘ですわね。

「はいはい、一階へ降りますわよ。」ダリアさんの手を引き、はしごまで歩く。目に止まるのは肖像画。そこにはレジーナお母様と…。

─まったく、大きくなっても抜けてる所は変わりませんのね。苦笑している間にダリアさんがはしごから飛び降りた。

「あなたっ!」慌ててはしごを駆け降りる。降りてみるとダリアさんはもう冷蔵庫の中を物色していた。

「ダリアさんあなた、エンゲージしたのですからお転婆な真似は。」

「むぐむぐ、んーんー、んー。」ダリアさんはにんじんをまるごと頬張りながら指をさす。

「…え?」

その先には「手洗い励行!手順を確認♡」と書かれたポスターが貼られていた。

ポスターには調理場に入る前は手洗いが必要なこと、またその方法が絵により図示されていた。

据え付けられた洗面台に向かい、ポデアを通し蛇口を捻る。

シャアアア、五等素材が気持ち冷たい水に転換され流れ出す。


「ちべたい…。」両手を流れる水に通し擦り合わせる。


しゅこ、むにゅむにゅ。据え付けのポンプを押すと、空気の泡が含まれた薬液が出てくる。

それを手のひらで擦り合わせて、指の間どうしを擦る。次に手の甲を左右交互に爪でこする。

指先、特に爪の間を手の甲に立てて擦る。これは気持ちいい。泡を洗い流し、よく乾燥したタオルで拭く。

そのまま「洗い物」と書かれたカゴに放り込む。


「うんうん、手洗いはキッチンに入る前はしっかりね!」ダリアさんは手頃なサイズの堅焼きパンにバターナイフを入れ、開く。

「お店でお出しする食べ物をキッチンで食べるのはいいんですの?」


じゃり、しゃり。何か柑橘系の爽やかな香りのするペーストを塗って、昨日の残りの葉物野菜を乗せる。


「だいじょぶだいじょぶ、こっちの冷蔵庫はまかない用だから〜好きに使ってね。」


ぐぱっ、ばたむ。同じように冷蔵庫から取り出した赤色と黄色のお野菜をはさむ、これはトマトにパプリカですわね。

シュッ。幅の狭い包丁で横にスライス、それぞれ4枚枚になる。これも乗せる。


「リラちゃんはおさかなさんとエビさん、どっち好き〜?」黄緑色の油に付けられたふたつの瓶をくるくる回す。

「そうですわね、昨日食べられませんでしたし…。」


正確に言えば食べた気がしなかった。

リーナとのやり取りを見られた上──「それで仇が取れるって言うの!?」

脳裏に焼きついたフェイの叫び。

あの場は収まったとはいえ、目覚めた彼女は何を思うのか。

そして──「ダリアには、恐らくアタシのダリアの知識が転写されている。」

レジーナお母様の言葉ものしかかる。

目を閉じる。考えるだけ思考が沼にハマり、眉間にシワが寄る。


「リラちゃん難しい顔してる。だから言ってるでしょ〜?ご飯の前に難しいこと考えちゃだめだよ〜?味がしなくなるんだよ〜?」ダリアさんがわたくしの前にオイル漬けの小魚とエビを見せつける。

「お静かになさい。わたくしは今どうやってエルベラノへ…。」小魚にはブドウから作られた酢がかけられ、エビには岩塩が振り掛けられた。それぞれを串に刺し、目の前で小刻みに振る。


「おいし〜よ〜?」小魚が上下に。

「ねぇ〜食べて食べて〜?」エビが左右に。

「あああもう!わたくしは昨日エビを食べましたが食べた気になれませんでした!エビがいいてすわ!あと今夜は覚悟なさい!」

「ええっ!エビあんなに食べたのに〜!」

「うるさいですわ!」


ぱしっ。エビのオイル漬け瓶を取り一尾引き抜く。

殻付きのためオリーブオイルと混ざり合った香りが食欲をそそる。

ふとエビと目が合った。これも龍の死骸から転換された食材であり、実際の生き物ではない。

しかし有資格者が行った転換素材は非常に再現度が高く、精巧にエビという生き物を形作る。

尤も、この世界ではエビという生き物は原種も含めまだ確認されていない。


─すべては素材の転換を行う資格者次第ですわね


エビの瞳を見つめる。資料にはこの生き物は海と呼ばれる広大な─常温で液体の鉱石が充満する場所、その底で他の生き物を捕食する。ということですけど。


がぶ。噛み付く。口の中いっぱいに特有の香りと甲羅に染み込んだオリーブオイルが広がる。

やはりエビは頭から丸かじりが1番ですわね。


「あー、お下品なんだ〜!」指を刺されてもそのまま腹部、尾部を口に入れバリバリと噛み締める。

─これが幸せの味。格別ですわ。


ダリアさんの手にあったパンをもらい、シャキシャキしたレタスにそこまで熟れていない、形のしっかりしたトマト、サクサクした歯応えのパプリカそしてマーマレードを塗ったパンを口に入れる。

─お野菜を「生」でいただくことができるなんて、なんて幸せなことでしょう。

普段は加熱が必要な食事しか食べられないのだ。

食材は転換前の撃破方法、部位により一等から五等に分類され、更に「生」と「要炎熱」に分けられる。


「おいし?」


頷く。

しあわせ


「はい、あーん。」ダリアさんが角切りにしたトマトを食べさせてくれる。口いっぱいに頬張り、液果と皮を噛む。甘酸っぱい液果とあっさりした甘みの、そしてゼリー状の液果に食物繊維らしさのある皮。味と食感のコントラストを楽しむ。


─本当に、贅沢な時間ですわね。


龍一体につき確保できる「生」の部位はおよそ両腕で抱えられるほどの量。これは、どれほど龍の体積が膨大であっても同じ。


すすす、すっ。目の前ではダリアさんが何らかの魚類の腹部に刃を通し、捌いている。


たんっ、たんっ。更に身の筋に合わせて複数枚にスライス。


「ねぇ、 「ワサビとお塩がいいですわ。」味付け方法を聞かれる前に割り込んで答える。

「へっへっへ、旦那さん通ですねぇ。」


こと。ダリアさんはおろし金を取り出して、調理台へ置く。


「ところでお大臣、こちらも生でよござんす?」頷く。ダリアさんは準二等素材をいくらかむしり取り


「「バンヴォル、レスパン ミア ヴォカン…。」」有資格者へ素材の転換を依頼する詠唱。


チチチチチ…

依頼を受諾した合図が鳴る。


シイイイイイイ…

台に置かれた準二等素材が有資格者のポデアに包まれる。


パチパチパチ…

白く輝いていた準二等素材に色が付き、食材の形へ変化していく。


「っと。」ダリアさんが最後に転換された液体を小瓶で受ける。


さっ、さっ、ざりざりざりざり。薄い布で覆ったワサビを優しく握り、すりおろす。独特の香りと鼻腔を突く辛みの成分が漂う。


ごくり。食欲が刺激される。


ごく、ごく。さっき食べたパンが後を引くお口の中を、高度の高いお水でリセット。


とぷとぷとぷ。小皿に液状の生の塩を少量注き、ワサビを添える。


「へいお待ち!ハマチの造りでさあ!」おハシを取り、一切れ摘む。


あむ。まずは何も付けずに、素材そのままをお口の中へ。若干の生臭さと、弾けるようなプリプリの身がたまらない。これが、生。


更に一切れを取る。


ぱく。お次は生の塩に軽く浸していただく。水分を飛ばしていない、ほぼ海と言ってもいい塩気が広がる。

未だ見たことがない雄大な、母なる海。このハマチと言うお魚は、どのような海を渡ってここまで来たのでしょう?


「生」のお造りに対する感動と味覚への感謝を抱き、ワサビを少しおハシで摘む。


あむ。つー、ん!

舌に乗せただけでは単なる辛味だったワサビが、口を閉じた途端に本性を表した。

鼻の奥から脳天へ抜ける衝撃。これは、効きますわね!


「こちらのワサビは、その辛い成分で身を守ります。」ダリアさんが解説を始める。


「ただ、この辛みは自分や仲間も傷つけます。ですから、きれいな水の流れる山の中、その川などで育てる方法をとられたりします。」


説明を聞いていると、次第に慣れてきた。ワサビをおハシに乗せる。少し量を増やす。またあの刺激が、刺激が欲しい!


ぱく…ツーン!─きたきたぁ!これですわぁー!


「ワサビに含まれる辛みの成分は、空気に溶けやすい性質を持っています。すりおろしている時の、鼻に来るのもそうですね。また空気は暖まると上へ向かいます。ですからお鼻の上がツーンと来るわけですね。」


今度はお造りを生の塩に浸し、ワサビを大盛りにする。


ごく。淡白ながらも脂の乗ったコクのあるハマチ、そこに山盛りのワサビ!


ぱ、く。お口を開き、舌に乗せて口を閉じる。噛み締めるたび、鼻が詰まる。息も詰まる。両目から涙が溢れる。

─キタキタキタキタァ〜〜!くぅ〜っ!これですわぁ〜!これはもう、天地開闢以来の至極の極み!


─今ここでこのアセデリラ・アルマコリエンデは

   完成、致しましたわ─


ぴー、ちくぱくぱく

ぴー、ぴよぴよろろろ


目を開く、小鳥たちが囀っている。

柔らかな草原の上で身を起こす。

衣類は白のワンピース。


うふふ、わたくし至上の喜びに包まれていますわ。


悲しみも、苦しみも感じない喜びの世界。


「おい。」突如褐色の腕に肩を掴まれる。

「お前ら、学校はどうした?」


我に返る。

そこは調理場で、レジーナお母様がダリアさんの首裏を鷲掴みにしていた。


「だってリラちゃんが、ワサビをキメて飛んじゃったから…。」


わしっ。レジーナお母様の手がわたくしの首元も鷲掴みにする。


「進級式に遅刻する稀代の騎士なんてサマにゃなんねーんだ!とっとと学校に行け!」


裏口から投げ出された。

どてっ



裏路地から見上げる太陽の角度はおおよそ九時。


「どーしよーリラちゃん!わたし達遅刻しちゃうよー!」ダリアさんを見ながら四肢にポデアの雷を通す。


「これくらい。」向かい合ったまま腰を落とす。ダリアさんのお腹に肩を当て、担ぐ。

「朝飯前ですわー!」駆け出す。腿を上げ、下ろす。その繰り返し。

「ええー!朝ごはんはもう食べたよー!」その声には応えずに、裏路地を抜ける。


わいわい、がやがや

もう通りにはさまざまなお店が並ぶ。


「おじさんそこのネックレス見せて。」アクセサリーの露天とそこで新しいお気に入りを探す女性や。


「ほらほら、うちの旦那が転換したりんご、たった15mpだよ〜!」食料品など、昨日の子龍から転換された物品が扱われている。


「リラちゃーん!」一瞬の間にりんごを買ったダリアさんが。

「あさごはんまえって〜!」大きな声で話しかけてくる。

「いっぱい食べたのにおなかぺこぺこなのー!?」


聞いている。

通りに並ぶお店や買い出しの人たちが。


─このスッタコ!駆けながらダリアさんのお尻を叩く。ぱちん、ぱちん。


「いたぁい!ごめんなさあああい!」周りの人達に見られている。これ以上見られるわけにはいかない。そう判断し、軽く跳ね、建物の側面を足場にして駆ける。


「あー!ルリローないのに壁で走ってるー!いーけないんだーいーけないんだー!」


投げ捨てようかしら、ここまで来ればダリアさんでも間に合うでしょう。そう思った矢先。


シュパン!靴に何らかのポデアが絡みついた。


「ぶべっ。」駆けていた速度そのままに地面に突っ伏す。


「ぴゃう!」担いでいたダリアさんも弾みで腕から飛び出して。


ぽふっダリアさんは、何者かの腕に収まった。


「非、戦闘区域でのポデアの使用。」淡々とした女性の声。

「及び進級式の壇上への落下。」声の主を見上げる。

「並びに学年筆頭への激突。」

「あー!この人朝礼でよく見る人ー!」

─言われなくても、よく存じておりますわ。

「何か申し開きはあるか?」冷たい目が光る。


「アセデリラ・アルマコリエンデ。」

─エウトリマ・ヤポニカナ!


「いいえ、何もございませんわ。」立ち上がり、手で埃を払う。

「ならば君はどうだ?ダリア・アジョアズレス。」腕の中に抱き留めたダリアさんの頬を撫でる。

「えっとねー、リラちゃんがワサビキメちゃってー。それで遅れたのー。」


ダリアさんはエウトリマの腕をぽんぽんと叩き、降り立つ。「キャッチしてくれてありがとね。」


「ふふふ、ワサビをキメたのか。ああ、いや、いいんだ。ふふふ。」


エウトリマはなぜかうっとりした表情で呟き。


「えほん!ともかくだ!」


みょいーん

急に高い音で喋ったのでマイクが音割れする。

あごに手を当て首をかしげたエウトリマは、マイクをぽんぽんと叩く。


ぽふ、ぽんぽん

マイクに当たった手の音がグラウンドに響き渡る。


「あ、あー、あー、てすてす。よし、ともかく!」


エウトリマはダリアさんとわたくしと並び立ち。


「我らラプリマの初等生はこの一年!それぞれの適性を調べ、それを磨き高めてきた!中等生からは実地演習に入り、その力の扱い方を学んで行こうではないか!」


─エウトリマのことはあまり好きではありませんけれど。


常に胸を張り、堂々と。


「この命球に!我々天の川銀河太陽系第三惑星に起源を持つヒト種の足跡と、女神ロータスの名を刻み込むために!」


ワアァー!生徒達が声を上げる。

ファンファーレのあと、コルソ達のコーラスが始まる。


─彼女の持つヒトを惹きつける魅力は、心より信頼していますわ。


「ところで。」エウトリマが耳元に囁いてくる。

「私ともその、エンゲージしてもらえないだろうか?」

「はァ!?」みょいーん

─何言ってますの!?

「私はその、騎士やそういうものとは別に、一人のヒトとして君のことが…。」

「何言ってますの!?わたくし達手も繋いでませんのよ!?」

「だって君は。」エウトリマがダリアさんの方を見る。

「君は、出会ってすぐのあの子とエンゲージしたんだ。幼い頃からの付き合いな私とも出来るはずだ。」


どう反応していいかわからないのでダリアさんの方を見る。


「ずっと好きだったの?ねぇねぇいつから?」興味津々で瞳はキラキラしています。


エウトリマは髪をかきあげる。


「ふっ、ならば話さねばなるまい。」


他の生徒に聞かれないかと心配しましたけれど、ほとんどの生徒はお祭り騒ぎのために校外へ出て行ってますわ。


「代々ラプリマの指導者たる家系に生まれた私は、当然それを継ぐ者として育てられていた。そんな私にとっては、駆騎士のご令嬢は単に扱いやすい駒としての認識でしかなかった。だが─。」

「うんうん!」


視界の端に緑の髪が転がっているのが見えた。

─不規則な痙攣をしているところを見るに、エウトリマとわたくしの、不本意ながらも新たに起きた関係に衝撃を受けたようですわね。


「─そして君とその、接吻を交わしたのを見てだね。思ったんだ。」

「うん!」


突然大きな声になった。


「私の方が先に好きだったのに!!!!!!!!!」

「おおー。」


もう無視出来ませんわ…。


ばしっ

エウトリマを平手で張り倒し、ダリアさんに指を向ける。


「あなた!そこは「アセデリラはボクの物だよ。」とか「どちらが彼女に相応しいか勝負だ!」になるのではなくて!?どうしてそこで「おおー。」って感心するんですの!」

「ええー。」


ダリアさんは不服そうに口を開く。


「だって何年も何年も気付かなかった本当の気持ちに、奪われて初めて気付いたんだよ?ドキドキしちゃうよ!」

─奪った自覚はお有りですのね。

「エウトリマちゃんともエンゲージしてあげたら?」


ばしっ。張り倒す。

更に馬乗りになって両手にポデアの雷を纏わせる。


「あ〜な〜た〜は〜!」握り拳の人差し指と中指を側頭部に当てる。

「わたくしが他の誰かのものになってもいいんですの〜!!!」


両手で挟み込んでグリグリ。


「いひゃ、いひゃ、いひゃいい、ごめんなさぁいぃ!!」


気が済んだので解放してあげる。


「うぅ…。」

「泣くほど痛いのなら、わたくしを他の方とエンゲージしたら?なんておっしゃらないで。」

「ち、違うよぉ。」


─まだ口答えなさるんですの?拳にポデアを纏わせると、一瞬ビクッとされたものの。


「リラちゃんが取られるんじゃなくて。」ダリアさんは、張り倒されて頬をうっとりと撫でているエウトリマを指さす。

「わたしがお嫁さんになったみたいに、エウちゃんもお嫁さんにしてあげたらね。ふたりともリラちゃんのものになれて、きっとしあわせかなって。」

「…はぁ、もういいですわ。」大きくため息を吐くと、エウトリマが目を輝かせて近寄って来る。

「私も君の妻になれるのかい!」即座に張り倒そうとした腕を止め、代わりに頭を撫でる。

「あなたの気持ちはわかりましたけど、わたくし達には先に済ませないといけない、大事な目標がありますの。」

「うん。何だい?」

「えっとねー。」

「ディエナの討伐ですわ。」緩んでいた空気が一気に張り詰める。

「アセデリラ、君は一体何を。」

「こちらのダリアさんは、エルベラノの生き残りですの。それで女神から提案を、と。」

「記憶はほとんどないんだよー。」


横から口を挟んだダリアさんを捕まえて抱きしめる。


「女神も、この子には仇討ちを行う権利と義務がある、と。」

「そうじゃない。確かに君たちは経験がないのに初の戦闘で見事な早撃ちとランサーでセンテルデを撃破した。しかしあれは子龍だ。エルベラノを壊滅させたディエナとなんて。」


そこへ、わたくし達とは別の方向から声がかかる。


「そこでアセデリラとダリア両名には、ディエナを駆除出来るだけの実力を付けてもらう必要があります。」


わたくしの緑がかった金髪とは違い、オレンジよりの金髪をした女性が校舎の方から歩いてくる。

つま先のみで立ち、ピンヒールを履いた脚にはストッキングが覆い、タイトなミニスカートの上には純白のシャツ。


「は!ワスレナ教官!」


エウトリマが率先して敬礼を行い、わたくし達もそれに倣います。


「しかし!私は両名だけでディエナの駆除にあたるのは心許ないと!」


腕組みをし聞いていた教官は、怪訝な顔をしました。


「あなたは何を…。」

「ですから!不祥このエウトリマ・ヤポニカナも駆除作業への…。」


ため息をついた後教官は、巻いていた1枚の紙を広げる。


「当然ですが。」紙面に釘付けになったわたくし達3人に、教官の声がかかる。

「ディエナ駆除にはあなた達中等生の騎士科、砲兵科、衛生科ほか諸科からの後方支援大隊を組みます。それに…。」

「せんせーこれお買い物リストだよ〜。」

「ふむ、教官はこの健康器具をお使いなのか。」

「ですけどこちらは1人用ですわね。教官にもエンゲージしたパートナーがいるは…えびっ!」


後頭部に衝撃。


「いたっ!」

「はうっ!」


ほか2人も同じように頭をはたかれる。


「こほん、そちらは友人のためのものです。忘れるように。」

「あい、まむ…。」


教官はもう一枚の巻いた紙を取り出し、今度は確認をしてから広げる。


「駆除作業の段階的な進行は、基本的な駆除マニュアルに基づき、アセデリラ、ダリアの両名がエルベラノへ潜入し、ディエナへの陽動を行い、エウトリマ指揮下の駆除大隊がディエナの外殻破壊及び子龍を駆除、アセデリラとダリアがトドメを刺す。といった流れになります。」


どこかの教室から持ってきた椅子に腰掛けていたダリアさんが手を挙げる。


「せんせー、しつもんがありまーす。」

「はいそこ、ダリア騎士候補生。」

「マイちゃんは、もう1人のコルソ?初等生にもかたきうちを〜って言ってました。その子は来るんですかー?」

「いい質問ですね。それはそれとして女神に対する畏敬の念が見られません。減点3。該当するダクトロ候補については、あのアウタナが秘匿していますので、私には情報が降りてきていません。」

「では私からも質問があります。教官。」


さらに、どこかの教室から持って来た机に腰掛けていたエウトリマが手を挙げる。


「はいそこ。」

「私が大隊の指揮を執るのに、支障は無いと自信はありますが、前線には出していただけるのですか?」

「エウトリマ士官候補生の騎乗能力を鑑みると、ディエナではなく、胎内で養育中の0.1レグア程度の子龍にすら擦り潰されます。却下。」


肩を落とすエウトリマをダリアさんがあやしている。


「ところで。」教官はわたくしに視線を投げかける。


「アセデリラ騎士候補生には、何か質問は無いのですか?」ほか2人もこちらを見ていますわね…。


思えば、わたくしは椅子も机も用意せずに棒立ちしていただけ。

教官の説明を聞きながら、ただ納得していました。

これはただ、餌を与えられるのを待っている雛鳥と同じ、つまり退場する番が回ってくれば、そのまま…!


これはごはんだよ。おくちをあけて。

これはお皿だよ、さあ乗って。

これはフォークだよ。君は今から私のご飯だ。


急激な焦燥感が胸を焦がし始めます。


とんとん、肩を優しく叩かれて。


「さあ、お嬢様。おかけください。」振り向くと、リーナが四つん這いになって。

「はぁ、はぁ!お嬢様は私のお嬢様のままでいいのです!どんな時でも、どんな状況でも!私を踏み台になさって!いつものお嬢様でいてください!」 


いつも、こうでしたわ。

何かあれば、この愛しいリーナがわたくしを支えて…くれて。ですが、


─そろそろ目覚めたらどうですの?


声がする。

与えられた立場や境遇を受け入れるのは簡単で、安全で、安心があります。アルマコリエンデの、英雄の、お祖父様の孫娘として、望まれた姿で、望まれる生き方を


─もう飽きましたわね、こんなトロくさいやり取りは!


「せやぁっ!」


げしっ。四つん這いのリーナのお腹を蹴り上げ、ひっくり返す。「ぐえぷっ!」潰れたカエルのような声。さらに蹴り上げたままのその足をリーナの顔面に下ろし、踏み躙る。「何の不安も疑問もありませんわ。」胸を張り腕を組み、一同を見下ろすように告げる。

「あっはァ♡お嬢様ァ〜ンン♡」足の下ではリーナがビク、ビクと痙攣し靴を舐め始めた。わたくしの行動に呆然とするダリアさん、エウトリマに教官を見て、告げる。

「全部、叩き潰せば解決しますもの。」

─どうですの?これ以上ないわたくしの答えですわ!自信満々で思わず口元も緩まる。あら教官が──シュパァン! 


「ぐえっ。」


おデコに当たった何かの衝撃で上体が揺らぎ、腕組みが解け右足が浮き、そのまま空が見えた。──スッキリした爽やかな水色ですわ。

ズテーン。アセデリラは仰向けに倒れた。 


「せめて私より強くなってからイキりなさい。」教官の立ち去る足音のあとダリアさんの顔が覗く。

「リラちゃ〜ん、たぶんわたし達の中だとエウちゃんの次に弱いんだから〜。」ほっぺたをツンツンされる。

「ふふ、君より弱い私は、君に守ってもらわないといけないね。」見なくてもわかりますわ。エウトリマが髪を掻き上げてますのね。

「お嬢様〜、先ほどの蹴り上げ、大変美しく、爽やかなそよ風のような素敵なフォームでした〜!あとこちら、教官から預かりました実地演習の工程表です。下書きに当たりますので、細部は私達で詰めるように、との事です〜。」


─そういえば、エウトリマが最弱として、わたくしがその次でしたら、リーナはどれくらいの強さになるのでしょう?


学舎の中庭にあるオープンテラスのカフェ、さまざまな模倣植栽からの木漏れ日の中、ひとつのテーブルにわたくし達は着き、お茶をしばきます。

「女神からの戦果があるのですから、2等素材に致しません?」そう訊ねたら。

「リラちゃん、そういうぜいたくをするからびんぼーになっちゃうんだよー?」

「そうだアセデリラ、学生は自制と忍耐を覚えるべきだ。私もそう教えられ、宿舎の生活では1週間に300mpも使わず切り詰めた上で、さまざまな事に喜びを見出している。」

「いいえお嬢様、お嬢様は誇らしきアルマコリエンデの一族!使った分以上にmpを稼げば良いのです!」


ぐううううう。お腹が情けない鳴き声を上げてしまいました。


「学生さん応援価格でちょっとぜいたく!メインの5等素材に3等素材でアクセント♪炭焼き石パンに刻んだドライフルーツ♪水増しコーヒーとセットでお手頃ですよ〜♡」香ばしく焦げた麦とほんのり香る豆の匂い、猫耳と尻尾の生えたカフェの店員の誘惑に負けて、4人は今ここにいる。


「そもそも、エウトリマは普段から優雅な立ち振る舞いと見合った服装をしている気がしますけど、そんなお財布事情なんて、どうやりくりしてますの?」そう、エウトリマはたったの300mpで1週間も凌いでいる。それでいてカリスマ溢れるあの立ち振る舞い。浪費という言葉を人に置き換えたアセデリラにとっては、未知の世界だった。

「うん、そこまで難しい事ではないよ。」炭焼き石パンを平石で叩き割りながらエウトリマは答える。

「食事には、こういうお店の廃棄分を月契約で買って、衣類はその浮いた分で布を買うんだ。これも5等素材だね。安いから数を揃えられて、縫製も私がするから流行にすぐ合わせられる。」

「へーへー、じゃあ今も着けてるそのカッコいい肩マントはずっと同じのだよね。だいじなの?」石パンをコーヒーに浸しながらダリアさんが尋ねる。

「ああ、こればかりは私も織る事は出来ない。どうもクルルガンナ解放戦で指揮を執った私の祖先が気まぐれに助けたある龍が、特殊なポデアで織ってくれたそうなんだ。」

「ふむ、それは興味深いお話ですね。龍がヒトのために。」ドライフルーツにポデアをかけ、何とか元の果実に戻そうとしているリーナが言う。

「ああ、その後祖先はその龍とエンゲージを行い、そのぜネロジオは私にも繋がっている。」ぶー!アセデリラはさすがに耐えきれず、口からエウトリマにコーヒーを噴射した。

「お待ちになって!エウトリマのご家族のお話ですけど、龍とエンゲージを!?」ハンカチで顔を拭くエウトリマをリーナが飛び付いて舐め回している。

「ああ、その事自体は珍しくもないだろう?適した転換を行う資格者がいれば、生きていれば龍も人型になれる、また。」エウトリマはカフェ店員を指差し

「あの店員はキャットウォークで勝利したから、猫と呼ばれた生き物の形質を備えた姿に転換され、ドッグランに挑もうとしている君たちの知り合いのコルソも、犬と呼ばれた生き物の形質を持った姿に転換されるため、努力している。その逆も同じさ。」エウトリマはドライフルーツにポデアをかける。

「ミ ディジラ 、サ…。」ドライフルーツの成分や構造が書き換えられ、萎びて見るからにエグみの強いワサビへと姿を変える。

「私には元来のヤポニカナのぜネロジオが強く発現しているから、私が転換を行えば何でもまずワサビになるよ。このドライフルーツは5等素材みたいだね。」

「あー、エウちゃんがいつも転換してくれてたのー。」ダリアさんは立ち上がって椅子を引き、腰を折って深く頭を下げる。

「毎度ご贔屓にさせていただいております。「レジーナ」のダリアです。」

「いやいや、取り立ててもらえているのはこちらもです。ありがとうございます。」エウトリマも負けじと腰を折り頭を深く下げる。目の前で心置けない間柄の2人が途端に遠い存在に思えてきて、アセデリラは気が気ではなかった。生家が飲食のお店であり、自身も厨房で包丁を振るうダリアさん。ラプリマの指導者たる恵まれた家柄にありながら、一般庶民よりも倹約を断行し、またそれをおくびにも出さずに堂々と振る舞うエウトリマ。そして2人とも…腰が低い!何ですのこれは!目の前で2人は学生どうしでの気楽な会話ではなく、店舗の従業員と食材の生産者として、立場のある社会人として会話をしていますわ!お嬢様と呼ばれ、好きなように生きてきただけのわたくしは、目の前のおふたりに比べたら、なんて、なんてちっぽけな存在でしたのー!?

気後れするアセデリラ、しかし当のふたりは

「それでアセデリラは、そのワサビを?」

「そうそう、ちょっぴり食べたら軽く白目剥いちゃって〜。」楽しくおしゃべりをしていた。

「で済みませんわー!」現実の世界に帰ってきたアセデリラは実地演習の工程表を広げる。(素案)とハンコが押されたそれには、ラプリマのとある外縁部にて、7日間に渡る野盗(甲)の捕縛、ウサギ(甲所持)完全破壊及び当該外縁部近辺に生息する龍(乙)の駆除とだけ記されていた。

「ふむ…龍はともかく、野盗か。」エウトリマは唇をつまみ、何か考え始める。

「龍に比べればヒトなんて、一捻りではありませんの?」

「リラちゃんはさ、もし自分と自分が追いかけっこして、相手だけランサーが使えて、こっちはポデアだけって考えたら、楽勝だって思う?」

「そうですねお嬢様、こちらの任務目標では、野盗の捕縛が条件に入っています。」

「それは、刃物を振り回す相手を素手で取り押さえなければならないのと同じだよ。」


それはつまり


「めっちゃくちゃ不利な条件ですわね!?」

「うんうん、それに…。」

「野盗を構成している人数の記載がありませんね。」

「ああ、それに龍の種類と個体数も記載が無い。」


そこでわたくしは気付きました。


「相手が存在している事自体は確かな証拠があって。」

「そーれーで、こっちはランサーをたくさん使えなくてー。」

「ですが〜、捕縛と完全破壊が条件になっていて〜、つまり、ディエナのマブルを起こさせないようにランサーを使わずエウトリマ様の率いる駆除大隊の前まで誘導を行い、制圧射撃の後一気にランサーで駆除を行うという、エルベラノでの予定される作戦とほとんど同じですね〜。」

「教官の説明では、君とダリアくんがディエナの陽動を行い、キルゾーンまで誘導した後私の大隊が露払いを行い。」

「リラちゃんとわたしが、おっきぃのを、やっつける!」

「野盗の場合でしたら、リーナはどうしますの?」すす、とコーヒーを口に入れる。

「エウトリマ様の、護衛でしょうか?」

「いけないよ君…私の心は彼女の「ぶー!」アセデリラがエウトリマにコーヒーを噴射!

「あなたねえ!いいですわ!リーナおやめなさい!」エウトリマに付いたコーヒーを舐める悪い虫を引き剥がし。

「ディスガス、ニン…んっ。」ぜネロジオが繋がり、意識も繋がる。思い出の場所は、ラプリマを見渡せる高台にある戦士達の墓。初めて出会ったのは、いつの頃でしたっけ。ああ、今もよく覚えているよ。ここで雨の日に、君が父達の墓の前でポデアを使い…空へ昇ろうとしていたね。ええ、よく覚えていますわ、その時あなたは、アルマコリエンデの全てが空に還ってしまうのなら、ぼくをラプリマに繋ぎ止める者がいなくなってしまうって。あの頃から君は、私の太陽だった。ふふ、そんな事おっしゃって、わたくしには意地悪ばっかりしていたくせに。意地悪ではないよ、君の輝きが眩しすぎてしっかり見つめる事が出来なかっただけさ。でしたら、今は?ああ、今は…。


「十数年ぶりに通じ合えたなんて、いいお話だねぇ…。」

「ええ、私もおふたりがいつくっつくのかとハラハラして見ておりました。こちらいかがですか?9歳の頃のお嬢様のスケッチです。」

「へーへー、リラちゃんおてんばだったんだねー。」

「はいそれはもう、あの頃は女神のポスターに落書きもしていまして。」

「あなたたち!キスに集中できませんわ!あっちお行きなさい!しっしっ!」

「ふふ、ダリアくんが正妻なら、私は2号だね。いい響きじゃへぶっ。」

「いけませんわ!ついいつものようにはっ倒してしまいました。」


ダリアとリーナは、人工呼吸をねだるエウトリマと再び昏倒させるアセデリラから離れ、2人で工程表の清書を始めた。

「うんうん、今のエンゲージでエウトリマちゃんにはリラちゃんのぜネロジオが繋がって、色々大丈夫になったけど、あなたって。」

「いいえ、私の心にはお嬢様ただお一人です。そして私の願いは、お嬢様がこの命球で健やかにお過ごしになられる事です。どなたかとエンゲージする必要はございません。」

「へーー、それも愛の形だねー。あっ!そうじゃなくてね!」ダリアは野盗(何人?)と書き込まれた所をペンでくるくると示す。

「あなたは、たぶんトモちゃんくらい強いって匂いはすーっごく、うーっすらだけどするからそこは安心だけど、今回はリラちゃんをトレーニングするって事で組まれたカリキュラムだって思うから。」

「はい、そちらも…」

ふとダリアがアセデリラとエウトリマの方を見ると、模倣植栽の向こうから高い声がしたので、聞かなかった事にした。



「ふぅ、ただ今戻りましたわ。」アセデリラが「レジーナ」のスイングドアを開けると、グラスを磨いていた店主が「いらっしゃい。」とだけ言った。

「ええ?どうしてですの?お母様。」そこは、お帰りではありませんの?一度は娘だ、と呼んでくれたはずの、新しい母の態度に困惑していると、

「てんちょー、5分くださーいっ。」髪に巻いた手拭いを解き、首を振ったダリアさんに手を引かれて店外へ連れ出されました。

「いったい、どういうことですの?」不安になって抱きついてしまいます。

「うん、ここを見て。」指で示されたのは夕暮れの焦がれた赤の光を浴びた「レジーナ」の看板。

「ええ、あなたやお母様のお店ですわね。」そしてちょうど、にこやかに肩を組んだ男性がスイングドアを通り入店する。

「つまりね、営業しているお店の入り口から入った人は、どこのどなたであっても、お客さまなんだよ〜。」

「ですから、あそこから入ったわたくしにも?」そうだよ、と答えながらダリアさんは、わたくしの手を引いて裏路地に入り、朝に叩き出された勝手口を開ける。

目の前に飛び込んで来たのは、朝にも見た「手洗い励行!」のポスターと洗面台。鏡の前に映った顔は、エウトリマと吸い合った時に付いた唇の形や首筋の噛み跡、乱れた髪や制服の、未熟なわたくしをそれでも求めてくれたエウトリマへの、甘えの記念碑、どこに出しても恥ずかしい、情けない姿でした。思わず両手で顔を覆い、

「こんな、こんな姿で往来を歩いて、お母様のお店に…こんな惨めで浅ましい生き物でしたの?わたくしは…。」隣で両手をぱんぱん、と打ち合わせる乾いた音。

「はいはい、失敗は誰でもします!ほら手洗い顔洗い!制服も着替えて!お店に立つんだから一番の自分で行きましょう!」リズムよく元気な声で促され、蛇口にポデアをかけ、捻る。冷たい。両手で水を受け、消えないほどだったキスの痕にも一気にぱしゃり、と水をかぶる。そう、わたくしはお店に立つのですから、一番のわたくしで!安っぽい涙で晴れた結膜はまだ少し赤かったですけど、心なしか今が一番輝いてますわね!渡された従業員の制服に着替え、ポスターの図を見ながら、大量の巻き髪をポデアで押し固めて。もう一度手洗いの方法を確認しましょうか。まず軽く揉み洗い、次に薬液のポンプをしゆこ、しゅこと押して出てきた泡を満遍なく塗りこんで、両の指を根本から擦り合わせ、そのまま手首まで擦る。返すように爪を手の甲に当て、軽く擦り爪垢も除去、手指のパーツを洗い終えたら流水で泡ごと汚れを流す。乾燥済みタオルで水気を拭い、洗い物カゴへ。

「本当は、太陽系第三惑星だと、喉の中やお肌の表面についた小さな生き物なんかも、うがいやお薬で駆除してたそうなんだけど、命球だとわたし達ヒト種がその階層の生き物だから、そこまでは不要なんだって。」厨房からひょっこり顔を出したダリアさんが言う。

「おーらダリ坊、次のが待ってんだからさっさと戻れ。」

「はーい、けどもう人妻だよ〜。坊じゃないですよ〜。」

「うるせ。」

やり取りの後、かちゃかちゃかちゃ、誰かが何か調理器具を振るい、それが火元の器具と擦れる音が聞こえてきました。ダリアさんを見て緊張が少しほぐれたら、何かの油の匂い、それを覆うような香辛料や調味料の匂いに…

「ボサっとしてんな、早く来い。」と別の方に肩を掴まれわたくしは。

「1にも2にもまずは洗い物だ。ここに全ての基礎がある。」


ダリアさんのように華やかな調理台ではなく、地味な洗い物。いいえここに基礎があるのでしたら!目の前には8歳くらいの子ども1人なら余裕で肩まで浸かれる大きさの…バスタブ?の前へ。


「よーしまずは覚えろ。こいつはシンク。うちにゃ4つある。今は20時を過ぎて、夕食にいらっしゃるお客さま方の数は落ち着いた。つまりだ。」指導役の方はニヤリと笑う。

「覚悟しろよ。一から百まで叩き込んでやる。」

「ガスはおまえさんくらい新入りの頃、ダリ坊に徹底的にシゴかれたんだ。そのダリアを娶ったアンタに恩返しをしたくてしょうがねぇみてぇだな。」恰幅の良い、別の方がボウルで何かを溶きながら笑いかけてきました。

「ドンにゃ関係ねーだろ、おい嬢ちゃん。指導の続きだ。まず何も考えずに手をシンクに漬けてみろ。そうだ、沸かした湯くれぇ熱いよな?だがそいつは60℃程度だ。今から言うことをよく聞けよ?洗い物はこれに手を突っ込んで、皿や器具にこびり付いた汚れ、油を洗い流すんだ。おいおい、そんなに恐れるな。初等生の頃に座学で習ったとは思うが、太陽系第三惑星人に由来を持つオレ達ヒト種は、身体を構成するパーツは熱に弱い。恐らく何℃だっけか、一度出来上がったゆで卵が生卵に戻れなくなるのはわかるな?何、覚えていないだと?もう一度コルソからやり直した方がいいぜ。とにかくだ。」ガスは運ばれてきたばかりの、肉の油や赤いソースでべったりのお皿を一枚手に取る。「見とけよ、嬢ちゃん。」ガスはお皿を掴んだ手ごとシンクのお湯に浸け、スポンジを持った手も浸け、手洗いよりも少ない泡でお皿を磨くように洗う。「そうだよ、見りゃわかんだろ。熱いんだよ!」

お皿ごと腕を一度引き上げ、向きを変えてまた沈めて引き上げる。アセデリラはそのわずかな間、お皿の向きを変える時にガスの指が片手5本ずつ左右合わせて10本、それぞれがお皿の各部をキュッ、キュッ、キュッと音を立てて擦っているのを見て、聞いた。

「わかるな?」お皿の全体を洗ったガスは、隣のシンクにお皿をそっと入れる。親猫が子猫を寝床へ運ぶような、優しい目と手つきで。

「どんなに汚れた皿でもな。」ガスはふたつめのシンクに肘まで手を入れ、お皿を引き上げる。それは─「こうやって洗えば、どこに出しても恥ずかしくねぇ、むしろヤポニカナの大旦那様にだって自慢できるくれぇ、輝かせる事が出来んだよ。何かの奇跡でもなく、何かのポデアでもなく、ただの人である太陽系第三惑星人がその歴史の、いや歴史でもなく、ふつうのひとびとが、一日一日を暮らす当たり前の行為として身に付けた、技術だ。」高温のお湯で満たされたシンクに浸けたからでしょう。ガスの肘から先は真っ赤に腫れていました。

「うん、リラちゃんは進級式の時、何も出来ていないって泣きそうな顔してたけど、さ。」ダリアさんがわたくしに、どっろどろのお皿を渡す。

「このお皿ぴかぴかに出来たら、エウちゃんにも自慢できちゃうよ。ねっ。」にこっと微笑まれ、返事をする。

「ええ。」

「ちげぇよ新入り。」横からガスの声。

「ウチのユーナ・ステラには、オレ達先輩にもだが。ティオ。これだ。」

「ええ…いえ、ティオ。」


春の一月、お嬢様のエンゲージから5日目。リーナリーア

──────────────────────────

暗く冷たい光の海で?

いいやここは炎の海だ

冷えて固まる油でも?

溶かしてみせるぜオレ達が


洗い物は、特にこびり付いた油を洗い落とす作業は、単調な力の入れ具合では永遠に終わらない。単なる太陽系第三惑星人だった女神が、天の川銀河の中心にある黒い渦を命球として見出すまでに綴ったと言う詩の律を書き換えた歌に合わせて、アセデリラは歌う。これはドンの前のオヤジ・サンが歌い出した由緒ある替え歌だとガスは言う。洗い場の歌。この歌に合わせて力を入れる。シンクに腕を長く浸ければ当然危険な反応が生じる。タンパク質の不可逆な変化。しかしこの歌なら解決できる。歌詞に合わせて洗う対象と腕を引き上げ、また浸ける。テンポよく、リズムよく。祖父の栄光と自身の未熟さのギャップに身を焦がしていたアセデリラは、放課後に行う、5日に渡る洗い物との対話の中で、着実に自信を付けていた。

ある日、デートでエウトリマとカフェで昼食を取っていた時、エウトリマの食していたサンドイッチのソースが彼女の袖に付いた。今までのアセデリラであれば、シャツの買い替えを提案していただろう。しかし「今すぐお脱ぎになって!染み込んでシャツの繊維に定着する前でしたら、わたくしが落としますわ!」実際には、エウトリマもそう考える側の人間である。けれどこの時は、カフェ店舗の中だよ、と指摘して思いとどまらせた。だがエウトリマは、アセデリラが「レジーナ」でアルバイトまたはもう1人の妻の実家を助ける、という生産的な行為を始めたことで、愛する主人がさらに魅力的になったことを誇らしく思った。

「私は、君がとにかくめちゃくちゃだった頃も知っているから、あの頃の君は私だけの宝物だよ。」こう囁いた彼女は即座に張り倒された。

とにかく、秒刻みで増える洗い物への対処法を身に付けたアセデリラは、精神的に安定し始めた。

──────────────────────────────

「ふむ…お嬢様の心の成長を記録するのは楽しみの一つになりましたけど…。以前のようにお嬢様を間近で見れなくなったのはやはり寂しくはありますね。そうだ!」


リーナは書きかけのお嬢様観察日記を閉じ、明日の予定を組み立てながら、机の上にあるランプを消してベッドに潜り込んだ。


「おはようございますわ!今日も1日元気よく!」


手洗いを終えたわたくしは、元気よく戦友の皆さんに挨拶して洗い場に立ちました。最近は20時を過ぎて落ち着いてから、簡単な調理も教えていただけるようになって、とってもその時間が待ち遠しくなりました。厨房に立つダリアさんを見ながらいつか、あの調理台でお客さまに喜んでいただけるお料理を…。


「ご注文が来ました〜、「ヴィグラ」でーす。」


このお店「レジーナ」ではローテーションで接客、配膳と調理に洗い物が有資格者のみ入れ替わっていて、本日の接客は店長とダリアさんですわね。とは言えさっきの声は普段のお母様とギャップがありすぎますわ!


「ところで「ヴィグラ」ってどんなお料理ですの?」

「ああ、リラ坊はまだ知らねえか。お客さまの前で直接調理をして、その過程も楽しんでいただく古風なものだ。今夜のお客さまは相当なお方だぞ。」

「坊じゃありませんわ、もうエンゲージしてますのよ。所でドン様がおっしゃるくら「ご指名の調理者はアセデリラ・アルマコリエンデと承っておりまーす♪」

「はァ!?」背中を突かれる。

「お呼ばれしたんだからさっさと行って来い。骨は拾ってやる。」ガスがニヤリと笑っていた。

「生きて帰ったら覚えていやがれですわ…!」もう先輩と後輩という単純な関係ではなく、共に調理の下ごしらえをし、同じまかないのご飯を食べる戦友。まだ「食卓」の資格は持っていないので、ドンが「食卓」を示す帽子を貸し…被せてもらいました。前髪が外に出ないように、おデコを出して。長年使い込まれて、きちんと洗濯しているものの、脂の染み込んで黄色くなった歴戦の証。


「いいんですの?もしお客さまにご満足していただけなければ、「レジーナ」の看板や皆様のお名前に泥を。」

「んなこたいーんだよ。」

「リラ坊はまだ雛鳥のつもりのようだな。好きに飛んでおいで。」


2人の戦友に背中を押されて、わたくしはラウンド、つまり客席に出ました。

明るい厨房ではなく、天井の梁から吊り下げられたり、壁にかかっている間接照明のランプや、テーブルに乗せたランタンの光が、焼き入れされた木材で構成された店内をほのかに照らしています。ですが、狭くはない店内にお客様の姿は見当たりません。しばらく、ほうっと立っていると、スイングドアの向こうから楽しげな話し声が聞こえて来ました。

そこには、ダリアさん、レジーナお母様、エウトリマそしてリーナがいて、スイングドアを通り、にこにことして…「「営業してるお店の入り口から入った人は、どこのどなたであっても、お客さま。」」このダリアさんの言葉が、「レジーナ」で働き始めて、その忙しさの中で忘れかけていた言葉が今、初めてスイングドアをくぐって帰宅した時のお母様の顔、そして洗面台で見たわたくし自身の惨めな姿それぞれを思い出して、そして、今大切なひとたちを目の前にして…。

わたくし、アセデリラ・アルマコリエンデは目からしょっぱい水がたくさん溢れてきて、ついに両方の膝をついて、声を上げて泣き出してしまいました。


「えうぅ、い、らっしゃ、うう、ま、せ…。」すぐに優しい声がかかります。

「おやおや、ここの「食卓」資格者さんは調子が良くないのかい?」

「あらあら〜、このままだと私たちは素敵なお料理が食べられませんね〜。」

「おかーさん、わたしおなかぐーぐーだよー。」

「しゃあねーな、別の店でも入るか。」


皆さんが背を向けて、スイングドアに手をかけた時に。

すぅー、はぁ、すっはっすっはっ!


「お待たせいたしましたお客さま!わたくしの準備が遅れてしまい申し訳ありません!お席の方を準備させていただきましたので、どうぞこちらのテーブルへお掛けください!」


よく聞いていた他の戦友達の言葉を、うろ覚えで、一気に口にしたのでところどころ音程もひっくり返りましたけれど、言葉に出来ました。一人一人のために椅子を引いてお掛けいただく行為も、メニューを開いて一人一人に渡す行為も、お水をグラスに注いでトレイに乗せて、こぼさないように気をつけて歩き、お水が跳ねないようにそっとテーブルに置く行為も、ポデアを使えば一瞬で終わりますけれど、わたくしの、手と、足で。焦らないように、けれど動作をキビキビと。


「それじゃあ、どのお皿をいただこうかな?」

「そうですね〜、こんなにおいしいお料理がたくさん並んでいると迷います〜。」

「アタシはそうだな〜、なあダリア、何が食べたい?」

「ん〜、えっとね〜、どれにしようかな〜?」


メニューをご覧になって、なかなか決められない4人、以前のわたくしでしたら、とても口には出来ない方法で、みなさんを黙らせていたかも知れません。ですが、ようやくわかりました。

微笑んで歓談されるエウトリマとリーナ。メニューに描かれたお料理のスケッチを、ダリアさんに優しく説明されるお母様。

この優しい空間は、その人その人が持つ時間を、お好きなようにお使いいただくことで出来上がっています。

しばらくして


「それでは、私は「私も「アタシもだ「わたしもー!『おまかせで!』。」

「かしこまりました。ヴィグラの準備をいたしますので、しばらくお待ちください。」


わたくしは厨房へ戻り、使い慣れた器具を選びます。


「ほう、そいつで行くんだな。」

「ええ、わたくしにはこちらが一番ですわ。」

「やっと目に雷が戻って来たなリラ坊、エンゲージの時以来だ。」

「ええ、ついさっき、本当の意味で目が覚めましたの。」

「そうだな。」ガスが相槌を打って、ドンと2人で口を揃えてわたくしに問いかけます。


「お店に立つんだから。」


「一番のわたくしで、行きますわ!」


かちゃかちゃ、ころころ。調理器具と食材をキャリーを押して運ぶ。細長い箱、つまり直方体を形作るように組まれた比較的軽く丈夫な合金のパイプ、それぞれ底面、中段、上段の仕切りにはさらに木の板がはめられていて、上から食材、食器、調理器具の順に乗せています。

長方形の底面、その4隅、当然床面に接する側には鍛造されたキャスター(設置面からコの字に曲げた金属の棒に、車輪が付いています。)わたくしは、「レジーナ」の焼き入れされた床面をこの台車が移動する時に立てるこの、ころころと鳴る音とかちゃかちゃ、と食器や調理器具の立てる音をたいへん可愛らしく、またそれをお聞きに、ご覧になられたお客さま、特に「あー、来たよおかーさん〜。」「ああ、楽しみだな。」と小さなお子様がキラキラとあどけない瞳を輝かせるのがとても大好きです。

台車を止め、腰を落として膝をつき、キャスターのレバーを摘んで右回りに半回転させてロックをかけます。ゆっくりと立ち上がって片足を半歩背中側へずらし、残った足も先に動かした足とかかとを揃え、腰を折り、深く頭を下げます。ここで初めてご着席なさっているお客さま方のお顔を見渡して、もう一度頭を下げてから、笑顔で。


「本日は、ようこそ当店、「レジーナ」へおいでくださいました。お客さまのヴィグラでご指名いただきました、この素晴らしいひと時のお手伝いをさせていただきます「食卓」のアセデリラ・アルマコリエンデです。」


4名のお客様のうち、赤い髪のお嬢様が


「きょうはねー、おかーさんのお誕生日なんだー!それでね、がんばって、お友達も連れて来て、いっしょにお祝いするの!」お嬢様のお話されるのに合わせて、笑顔で頷かせていただきます。


一呼吸置いて、皆さまはわたくしの言葉をお待ちいただいていらっしゃいます。軽く一礼をして


「ありがとうございます。お嬢様がこちらの店をお選びいただいたのでしょうか?」

「うん!とってもゆうめいなお店って聞いたのー!」

「はい、ありがとうございます。お嬢様のおっしゃられる通り、当店「レジーナ」はラプリマのあるクルルガンナ、その一帯を女神と勇者、そして今もラプリマで活躍されている騎士の、街にお住まいの皆様の祖先が、この地をさまざまな龍から解放した時に転換と調理を行った臨時の食堂の系譜、子どものようなものでございます。」

「へー、わたしとおんなじだね!おかーさん!」お母様はお嬢様の髪を優しく撫でていらっしゃいます。

「ふむふむ、それで私達には…催促しているようで少し浅ましい形にはなってしまうけれど、どのようなお料理がいただけるのかな?」左肩に肘までの短いにマントをお着けになられた、位の高さを感じられる女性が笑顔でお尋ねになられます。

「はい、本日は先ほどお話させていただきましたクルルガンナ解放戦にて、女神も含めて当時のもろびとが食祭にて食され、そして、現在の「レジーナ」でも「食卓」を志す者が初めて学ぶお料理を、ご提供させていただきたく存じます。」


「それでは、古式に則りまして、調理を始めさせていただきます。」


深く一礼して一歩下がり、キャリーの調理器具が乗ったトレーを引き出す。その動きを合図にして、簡単な弦楽器を持ったガスが床にあぐらをかいて座り、恰幅の良いドンが大きく身体を震わせて口を開け、息を整えます。


「これからそちらの彼が弾き、隣の彼がコーラスをいたしますのは、クルルガンナ解放戦でとある騎士が、散って行った友に捧げた歌で…。」3等素材を手に取り、元気よく口を開く。


「フェルカ プリンテンパ!」


その声をはじまりの音として、軽快な演奏が始まり、しばらくしてコーラスも続きます。使い古されてところどころ音にヒビが入る弦楽器、それを補うように大きな身体を、その全身を震わせるのびやかなコーラスが合わさって、かつての奏者とその友が息の合った、恐らくはエンゲージをしていたでしょう、パートナーであった事を窺わせます。


「バンヴォル、レスパン ミア ヴォガン…。」手に取った素材へ転換依頼のポデアをかけ、いくつかの生卵へと。

「お客さまは、プチトマトはお好きですか?はい、酸っぱいのはお得意ではないのですね。それではよく熟れた、はい、お嬢様は甘いものをですね。お好みで香りの強いチーズはいかがでしょう?そちらのお客さまはフローズンベリーですね。はい、かしこまりました。」


お客さま方のお好みを聞き取りし、その間にもたまごの殻をボウルのヘリに当てて、割ります。ちょうどこのタイミングで曲調が更に軽いテンポに変わり、わたくしも口を開いて。


「暗く冷たいたまごの海で♪」歌いながらボウルへ卵を注ぎます。

「お砂糖お塩どちらにしよう♪」ドンにガスが口を揃えて歌います。

「くるくるくるっとかき混ぜて♪」手早く溶いて、泡立てた卵を。

「パッと焼いたら♪」2人の声に合わせてサッと火を通し

「できあがり♪」3人で口を揃えて、お客さまそれぞれのお好みの具材を載せ、ふたつ折り!

表面がパリッと焼けて、具材を挟んだ内側はぷるぷるの半熟卵、卵と火、鉄か石の板さえあれば、どなたでもお作りいただけるオムレツ、またはオムレット。ガスがお客さまそれぞれのお好みのお飲み物をグラスへ注ぎ、ドンがバゲットを輪切りにします。

提供した後、調理器具をキャリーにしまって一礼をして、厨房へ戻ろうとしたところ。


「アセデリラ・アルマコリエンデ、お主に「食卓」の資格を与えよう。」振り向くと、そこには。

「げっ。」白いシャツ、赤いミニスカート、青いマントの…。

「なんじゃその反応は。」少し呆れたような目。

「女神ロータス!」純白の髪に、黄色いツノと黄色い目。

「ほうれ見ぃ、レジーナ。こやつはちゃんとワガハイを女神と認識しておる。」女神はとてとて、とこちらへ歩いてくると、わたくしにアイロンがけされた、ノリもまだ付いている帽子を手渡してこられました。「うむ、「食卓」としてはまだまだヒヨッコじゃが、これからは先達の指導を受け、日々精進すると良い。ワガハイも味見に来よう。」

「ティオ。」一礼すると、ドンが「リラ坊、この魔王は酒とツマミしか食べないんだ。あんまり真面目に相手をするなよ。」半目でドンを凝視する女神の隣で、にょきっと生えてきたアウタナが「食卓」に関する書類を提示して。

「この時を持ちまして、アセデリラ・アルマコリエンデを「食卓」資格者、並びに保健衛生局付きのイ食対応騎士として登録します。この私、アウタナ・セリフラウが。」そして、一礼をして花びらを残して消えました。

「あ、女神ロータス?「食卓」はわかりますけど、イ食対応騎士って何ですの?」わたくしは、お母様と卓を囲み、チーズとワインをしばいていた女神に質問します。

「どーせおいおい知る事になるのじゃ、今は「食卓」の資格を得た喜びを、友や妻たちと分かち合うが良い。」手でしっしっ、っと追い払われてわたくしは、一度厨房へキャリーを…厨房へ入るための、内にも外にも開閉するドアには「プライベート」の札がかかっていました。

「何ですの?これ。」札に触れようとすると、パジィ!とツタのようなポデアが展開して、手が弾かれてしまいました。

「い痛っ!?」初めてのお客さまへの提供を終えて、かんぜんに気の抜けていたわたくしは、情けない声をあげてしましました。

「あー、ドンとガスがねー。」ダリアさんが小走りで駆け寄ってきて。

「2人はほら、エンゲージしてるから、さ。そういうこと。うん?あー、大丈夫だよ。ちゃんときれいにお掃除してくれるし、そもそもリラちゃんみたいに、ぬるぬるべちょべちょ〜なことはしないから。」

はっ倒しましたわ。いい気分の時になんてお下品な。ですが…。

「清らかに愛し合う2人の関係を覗こうとする君は、じゅうぶんお下品な方の行動をしているよ。アセデリラ・アルマコリエンデ。」わたくしは、エウトリマに首根っこを掴まれて、テーブルまで運ばれました。 ぐううう。

お腹も鳴ってしまいます。女神とお母様のいるテーブルとは、少し距離のある卓で、わたくしはダリアさんから、チーズと香味野菜を挟んで揚げたバゲットをいただきます。


「それでね〜、お料理したり接客したり、配線したり洗い物したり、いっぱいしてるとね、おなかがぐーぐー、ぐーちゃんになっちゃうでしょー?」ぱくっとバゲットにかぶりついて、サクサクのバゲットにとろとろチーズとしゃきしゃきセロリとの食感のアンサンブルを楽しんでいると、ダリアさんがお話を始められたので、食べながら頷きます。


「そーゆーとき、あたらしーレシピ、おなかがいっちばーん、たべたいもの!が浮かんでくるんだよ!」なるほど…一理どころか十も百もありますわね、世界の真理なのではございませんこと?もしかしてわたくしのダリアさんは、女神が命球を見出した以上に、この世界に愛されていらっしゃるのでは?


「ほらアセデリラ、君のために用意した、気持ちの良くなるぶどうのジュースだよ。」ぺろ、こく、こくこく、んっ、ぷっはー!うんめえですわ!こちらどちらの転換資格者様のですの?大樽にみっつ、いやいつつはそろえたいですわ〜!!!


カリカリカリカリ、愛しい主人が妻たちによってへべれけにさせられ、暗がりへ連れ込まれるのを、リーナは事細かにスケッチしていた。炭焼き石パンをさらに炭化させたもの、その先っちょを軽く齧り、ひと舐めしてからスケッチブックをめくり新たなページへ、乱されて行くお嬢様の姿を描き出して行く。


春の一月、お嬢様のエンゲージから6日目。 ウーンラァン

───────────────────────────

本日はアセデリラお嬢様が、一段と美しくなられた日となりました。あやふやだったご自身の立ち位置を、勤労に従事して社会と関係される事で確固たるものにされ、何より、ええ、何より!歌いながら私のためにお料理をなされたのです!

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レジーナに見咎められ呆然としていた表情、鏡の前で泣く姿、歌いながら洗い物をする姿、そして今日一日のご主人様の行動をスケッチたものを日記に挟み込んで、リーナと名乗る元旅人はテーブルのランタンを消し、ベットへ潜り込んだ。


そして、実地演習の日が訪れた。


5年前に描いたらくがきキャラ立ち絵を!

ゆっくりじっくりお話し膨らませて!

ミッドナイトノベルさん投稿してからネトコンを知って!

応募のためにリライトを行なって!

昨日パソコンで立ち絵を描き直してたらパソコンつぶれました!


もういや!投稿する!!

立ち絵はこちらです

https://ci-en.dlsite.com/creator/29084/article/1417457

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