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ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
闘技場を揺らすような叫びが、俺様へと向けられる。
頭に深々と刺さった槍から血を流し、赤黒い瞳は充血し、鼻息は荒い。
「また会ったな。クソ猪。ついでに借りを返してやる」
大猪の視線と突進方向がルルシャンへと向かないように、大回りで多猪へと近づく。
『ん? んんん? おかしな乱入者が現れたと思いましたが……もしや、もしや、あの男は、いいやあの方は!』
『なんと! 我らが絶対的守護神! リャクシェロンの登場だぁぁ!』
派手な男の言葉で、狂気を孕んでいた場内がかつての熱気を思い出す。
「あーあ、そりゃ、バレるわな」
大きな声を煩わしく思いながらも、少し懐かしむように苦笑する。
「まだ動くなよぉ、クソ猪。探し物してっから。おー、あったあった。こんなの振り回すなんざ、物好きな奴もいたもんだ。俺様に影響でもされたか?」
死体が握っていた武器を手に取り、血を払い構える。
手に取ったのは自身の背丈に見合った大剣。
「結局、こんぐらいはねぇと、振った気しねぇよなァ」
一級の鍛治師が物では無いが、守護神を目指した挑戦者だけあって、それなりに良い品。
鍛えた大柄の男なら異能なしでも扱えるであろう、質量と長さ。
「いいぜ、掛かってきな」
俺様は両手でしっかりと大剣を構え、そう声を掛けた。
ルルシャンに『守護神の剣技』の使い方を教えている間、俺様も鍛えていた。
ただ、『守護神の剣技』を実践を交えてより鮮明に教える為だったが、思わぬところで役に立ちそうだ。
全盛期と比べ物にならないくらい弱いが、大剣を振ることくらいは出来る。
突進してきた大猪を剣の腹でいなし、すれ違いざまに大猪に突き刺さっている剣の持ち手の底目掛け、釘をハンマーで打ち付けるように、大剣を叩きつける。
すると剣がスッポリと大猪の内部を抉り、大猪は悲鳴を上げた。
「悪いが一刀両断出来ねぇからよォ。ジワジワと行くぜ」
急所を狙う技も無ければ、大猪に致命傷を与える剛力も無い。
避ける事を重点に置かなければ、すぐに死ぬ。
だから今の俺様に出来るのは、避ける前提で隙に、大猪に飾られた剣や槍を叩く事。
「今まで無残に散った、挑戦者の無念が、俺様に力をくれてんだぜ。クソ猪! テメェが殺しまくった、コイツらの剣がオマエを殺す。笑えてくるよなァ、おい!」
言葉が通じないのは百も承知。
だから俺様は身振り手振りで大猪を煽る。喚き、挑発し、頭に血を上らせる。
勝率を上げる為に、出来る事を精一杯行う。
今までエンターテイメントとしてやってきた事に、命懸けで縋った。
無茶な攻撃さえしなければどうという事は無い。それに加え、大剣は武器と盾を兼ね備えた便利な道具。危なければガードすれば、大方の攻撃を防げた。
何度かの攻防の後。
踏み付けを前転で躱し、立ち上がり様に、横に刺さっていた剣を押し込む。
すると、大猪は今までよりも更に大きな叫びを上げ、大きく倒れ込んだ。
『カリュドォーン。ダウゥゥゥゥン!! やりました! やりました! 我らが守護神が帰って来た!』
観客の歓声が、拍手が、霧のように俺様を包み込む。
だが、俺様は油断することなく、大猪に向いていた。
ブクブクと口から血を吐き出し、目は白目を剥き、最後に攻撃した足は変色していた。
足が骨折し、その痛みで限界を迎えた、そんな所だろうか。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ。死んだ、のか?」
最後の力で暴れ出さないかと警戒しながら、近づく。
後は、心臓に剣を突き立て、息の根を止めるだけ。
「じゃあな、クソ猪。2度と俺様に刃向かうんじゃねぇぞ」
そして大剣を大きく振り被り、大猪の心臓に突き刺した。
ガキーーン。鉄を叩いたような音が響いた。
大剣が半分程進んだ辺り、丁度心臓に届くか届いていないか。
有り得ない音が耳に入ってきた。
嫌な予感が身体中を駆け回り、俺様は剣を引き抜き、全力で離れた。
すると、大猪は、体をビクリビクリと痙攣させたと思うと立ち上がった。
折れている足も含め四本で。
「何が、どうなってやがる」
瀕死の大猪の異常な光景。
剣でも突き刺せない鋼の心臓。
そして、あの足。肉の奥に見える金属らしき骨。
俺様の脳は、1000年の経験から、ある答えを導いた。
「異能……【鋼鉄再構成】か!」
「おいおい、なんでテメェまで、俺様の異能をパチってんだ! ふざけんじゃねぇぞ!」
【鋼鉄再構成】。破損した箇所を鋼鉄で補強し、行動を無理矢理再開させる異能。
俺様が所有していた異能が大猪に宿っており、そして、大猪は心臓と足を鋼鉄に変え、立ち上がったのだった。
それだけに留まらず、体に刺さっていた武器が吸い込まれるように大猪の体に入ったかと思うと、大猪は体全体に鋼鉄を纏った。
そう、大猪は異能で頑丈な鎧を身に纏ったのだ。
「そりゃねぇぜ」
死にかけが、パワーアップして復活。
弱点が無くなり、俺様の全力でも貫けない硬さを得た。
大猪は助走を始め、俺へと駆け始める。
何度も見た突進なのだが、今までと違う。
頭を低くし、体から羽の様に棘のついた骨を左右に放出させていた。
上にも下にも右にも左にも、避ける場所はない。
「俺様より、上手く使いこなしてんじゃねぇよ。クソ猪」
俺は後ろに下がるでも、可能性を信じて横に飛ぶのでもなく、じっと大猪を待ち構える。
観客席から飛び降りた時から続いていた興奮が醒め、冷静に命の危険を感じ取っていた。それは人食い鬼に襲われた時と同じ感覚で、全身が冷え、今すぐにでも逃げ出したい。
「だけど、逃げたら次はクソガキを殺すんだろ?」
迫り来る突進の刹那。
誰かが言った言葉を思い出す。
守護神は国を守っても、人は守らないと。
それは間違いじゃなかった。
1000年生きてきて、何度国を救ったか覚えてないが、明確に人を救った回数よりも多いのは自覚していた。
国守ったら、人を守ってるのと同じだろ。
そう思っていた。
「だからなんだろうな俺様が異能を失った時、逃げちまったのは」
「誰かに頼るわけでもなく、ただ全てを放り出して逃げた。人一人に関心が無かった俺様には信頼出来る誰かなんているはずなかったんだろうよ」
逆に人を守り、国を守らなかったら。
国は滅ぶかもしれないが、俺様を信頼し、俺様が信頼出来る人がいたかもしれない。
「守護神じゃない俺様が、今までと同じじゃいけねぇだろ。俺様を信頼して頼った婆さんの願いには応えて、俺様は新しい未来を得てやる!」
大剣を構え直し、言葉を呟く。
「異能……【痛覚緩和】発動」
体が薄く煌めき、体が変化した事を実感する。
この異能は残っていた物では無い。他の物と同様に、光となって飛び散った一つ。
それが、ルルシャンの祖母メヌスに宿っていた物だった。
ルルシャンの祖母の痛みが急に和らいだという話を聞いてもしやとは思っていたが、会話が出来なかったから知る術が無かったが、取り戻した今は、これがメヌスの痛みを軽減していた事を確信している。
「理由は分からない。だが、このスキルはオレの元へと帰ってきた」
全ての異能を失った俺様が、取り戻した、たった一つの異能。
これを使い、勝つ。
「決めるぞ、クソ猪」
俺様が歩んだ1000年の歴史が知っている。
異能【痛覚緩和】はただ、受けた痛みを和らげるだけのものではない。
「でぇあああああああああああ! アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
大猪よりも野蛮な咆哮を発し、体全身から力を引き出す。
心臓が送り出す血液を高速に、水が沸き立つ程体温を高め。
腕も足も、額も、体中の血管が破裂し、血が漏れ出し、骨が軋む。
脳が痛みを伴って抑え込んでくる肉体のリミッターを、【痛覚緩和】によって阻害させた。
火事場の馬鹿力よりも、大きな力を伴い発揮するのは、【守護神の剣技】、その雛形。
ブォォォォォォォォ!!!!
大猪の牙が目の前に差し掛かる。
「ファニマァ、アニマァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
全力を超えた全力。
異能を持っていなかった1000年前に思い抱いた幻想の一撃。
技と呼ぶには余りにも簡素な一振りは、かつて見た夢を再現させるように、大猪を縦に二つに分けた。